ある防波堤
ここはある防波堤。平日の真っ昼間。ニューヨークヤンキースのキャップを被った中年男が薄汚れたポロシャツに、7分丈のズボンという出で立ち。色褪せて薄い水色が白っぽく変色したクーラーボックスの上に座って、釣り糸を垂れている。寝ているのか起きているのか。
周りの人たちは俺をどのように見ているのか。有給とって、一人のんびり、自由な時間。会社のことなんか忘れて、ただ、ボーッと魚がかかるのを待っている。。とでも思うだろうなァ。
この中年男の妄想は、甚だ的外れである。平日の真っ昼間、この防波堤には誰もいなかった。仮にもし、誰か居たとしても、彼がどんな事情で釣りをしてるのかを想像する可能性も無いのだが。
有給とって釣り。そういうことも勿論あった。でもね、今はそんなことじゃないんだよ。誰もわからないだろうなぁ。死のうとしてるなんてことは。。それにしてもなんて暑い日なんだ。喉が乾いてきた。異常気象じゃないか?きっと40度はある。汗が滴り落ちてきた。暑い、暑いなァ。喉が乾いたなぁ。なんか飲みたいが、沖の防波堤だから、飲み物も買えない。クソっ、飲み物を買っておけば良かった。金ならある。金ならあるんだ。持ってきてくれ!頼む。誰か。船を呼ぼう。よく考えたら誰もいない。そうだ。船を。右ポケットにあるはずの携帯をゴソゴソ取り出した。画面をつけようと、ボタンをおすがなかなかつかない。おいっ、何でつかねぇんだ?長押しだったか?使い方がおぼろげである。全く反応しない。そうだっけか、電池が切れたのか。切れてたのか。どっちにしても、つかない事実は変わらない。喉が乾いた。これでは喉が乾いて脱水症状で死んでしまいそうだ。
コンコン。中年男はそれどころではないのではあるが、反射的に合わせている。すると、グンッと竿がしなった。これはでかいぞ。黒鯛のひきだ。リールを慎重に巻き始めた。糸が切れないように泳がせながら、慎重に。よしっ、弱ってきてるぞ?クルクルとリールを巻いた。網が無いなぁ。あげる時に逃げられそうだが、仕方ない。もうすぐそこまで来ている。魚のウロコが見えた。黒鯛だ。よしっ、一気にあげよう。ソレッ!鯛は宙を浮き。。針から外れ。。本当に宙に浮いた。そして1秒後、防波堤の中程に落ちた。
あっ。落ちた。ペチペチ、ペチペチ。
何だか気持ち悪いものを見るかのように、やけにゆっくり近づいて行った。どうしたもんか。クーラーボックスに入れる前に、締めると鮮度が落ちないのだが。締めるとは、エラの少し上をピックのようなもので、ブスッと刺して、即死させることにより、弱って死に至るまでのストレスで出るアミノ酸の分泌を抑止させ、鮮度を保つことをいう。ピックどころか、ナイフもないじゃないか。俺は何しに来たのだ?釣りに来たんだよなぁ。
そういや、クーラーボックスと竿はどっから持ってきたんだ。
家から、カミさんが、イヤ、独り者だった、なんだっけか。喉が乾いて来たなぁ。どうやってここに来たんだっけか。
彼の妄想は甚だ的外れである。平日の真っ昼間、この防波堤には誰もいなかった。