授業初日でございます 4
ガゼボに座り、ブリキット・アレクサンデル、ファーガス・ボルト、チューティア・リノアル、私という順序で自己紹介をしていく。当然、身分が上の者から名乗るという順番になる。
今最も危惧すべき事は、自己紹介を済ませてしまったという事実だ。ブルスプにおいて自己紹介というのは、重い意味を持つ。身分が上の者は、自分の名を言わなければ、認識しなくてもよいというルールがある。はっきり言ってしまうと、身分が下の者は、身分が上の人が名乗ってくれるまでは、その辺に転がっている石とたいして違いがないということなのだ。
その証拠に、追っかけをしている女の子達を、ブリキット・アレクサンデルとファーガス・ボルトは、無視している。追っかけをしてきた女の子達が食事をする場所も必要だろうに、それに配慮するという発想がそもそも無い。
まぁ、自分が興味のない対象に名乗りさえしなければ、身分の下の者から話しかけられることはないし、虫を近づけないという意味では便利な社会ルールではある。身分が上位になればなるほどね……。逆に言うと、主人公のように、この学園のピラミッドの最底辺にいる人は、誰かが話しか、名乗ってくれない限り、誰ともしゃべれないのだ。
そういうわけだから、オメデトウ、ワタシ。彼ら2人の認識上では、私はその辺に転がっている石ころから人間へと昇格したということでございます。いやいや、路傍の石でいたかったよ……。
身分が上の者は、自己紹介をすることに対してそもそも慎重なのだ。だから、今後の学園生活において、はっきりと私の名前を、彼ら二人の聡明な脳みそは刻み込んで忘れることがないだろう。名前と爵位を暗記するのは、貴族の必須スキルだしね……。
「春風からオレンジの匂いがするね。何処かに実が成っているのかな」
「この池を泳いでいるのは茶鱒かな」
風光明媚な冬の園を皆様ご堪能されております。当たり障りのない会話を繰り広げるって、最高ですね。チューティアも緊張しているのか、2人が話をしているのに笑顔で相槌を打つだけだ。もちろん私も。
「そんなに緊張しなくても良いのだけれどね」とブリキットは黄金色の髪を靡かせながら微笑む。先ほどから私とチューティアの食が進んでいないのと、弾まない会話を慮っての発言だろう。しかし、その言葉を聞いた私とチューティアは、目を合わせてお互いに微笑む。そんなこと言われても、緊張するなという方が無理よね、とお互いの瞳で会話をした。チューティアは、本当に素敵な女の子だと思う。攻略キャラの2人とは仲良くなりたくもないけれど、チューティアとは友達になりたいと思う。明日以降も、一緒に過ごせたらいいな。ブルスプでも、主人公イジメに関わりが無いように思えるから、安心できる部分もあるけれど、そういう打算的な部分を抜きにして、友達になりたいと思える。
「君達は放課後のクラブは決まったのかな?」と、ファーガス・ボルトが話題を提供した。
「放課後にクラブ見学をしてから決めようと思います」と私は答えた。この台詞は、ブルスプでも主人公が言う台詞だ。一言一句合っているかまでは憶えていないけど、そういう主旨のことは言っていた。
「それなら、生徒会も是非、見学に来て欲しいものだね」と、ファーガス・ボルトは言った。
あれ? これは、2週目以降のストーリー展開なのか? と私は疑問に思う。生徒会に所属できるのは、2週目以降なのだ。生徒会の見学は、他のクラブと違って許可が必要となる。ファーガスのこの発言は、生徒会見学の許可の台詞だ。主人公が、生徒会見学に行った際に、「ボルト生徒会長から見学してもよいということだったので」ということにより、生徒会室への入室が可能となるのだ。そして、生徒会に主人公が所属可能になるのだ。
私の預かり知らないところで、勝手に2週目以降のストーリーにしないでよ。
「見学の時間が許せば、是非、見学させてくださいませ」と、チューティアが笑顔で言った。しかし、その笑顔は、彼女と短い付き合いで断言できないが、氷のように冷たい笑顔だった。一応、シナリオ通りの台詞をチューティアは言っている。しかし、活字にしたらブルスプと同じだけど、気持ちの入り具合という点では印象が違う。同じ「ありがとう」でも、気持ちが込められているのと、形式的に言ったのでは、受け取りの印象がかなり違う。
大して会話が盛り上がることもなく、無難に時間が過ぎ去った。攻略キャラ2人もこの後行くべき所があるらしく、昼食の席はお開きとなった。
「それでは失礼いたします。楽しいひとときでございましたわ」と、私とチューティアは淑女の礼を取り、2人と別れた。
そして、2人の姿が見えなくなった後で、「緊張したわね」とお互いに笑いあった。チューティアの笑顔は人をほっとさせることができる笑顔だと思う。
冬の園を歩いている時、「まだ少し時間があるから、夏の園を通って教室に帰りましょうか」とチューティアが誘う。
夏の園は、迷路園で、高い生垣によって入り組んだ迷路になっている。「思索に耽りたいのなら、夏の園に行け」というブルスプ内での諺が存在し、考え事をしながら夏の園を歩けば、思考も迷宮の中へ、自分自身も迷路の中へというわけだ。そして、夏の園を迷いながら歩いて出口を見つけるうちに、思索にもなんらかの解決の糸口を見つけているだろうというものだ。哲学者とかが散歩道として好んで利用したいのではないだろうか。
ブルスプにおいて、主人公と夏の園は、かなり相性が悪い。1つの理由が、高い生垣に囲まれている為、多くの死角が存在するのだ。つまり、体育館の裏とか、体育倉庫内とか、使われていない旧校舎裏だとか、そんな感じの使われ方をする。主人公を苛めるために……。
また、ブルスプの中に組み込まれているミニゲームも、夏の園を舞台にしたものだ。正体不明の野良犬とされる、良く訓練されたドーベルマンに主人公が追い回されるというものだ。大切な用事があるから、1人で夏の園に来てほしい、という丁寧な手紙がいつの間にか主人公の教科書に挟まれており、手紙で指定された場所に主人公が行ってみると、何処からともなく何匹もの犬の雄叫びが響き渡るという、ゾンビゲームとかにありがちな展開だ。ちなみに、手紙が入っていた時点で強制イベントとなるという悲しい設定で、指定された場所に行かないという選択肢は何故か存在しない。
迷路の中を彷徨う何匹もの犬に見つからないように、昔のアーケードゲームにあるような、2Dの迷路を主人公は彷徨うのだ。主人公の通った道に犬が遭遇すると、臭いを追ってくるので犬の移動スピードが速くなる、という結構細かい設定のミニゲームであったりする。犬に追いつかれると、Game Overとなる仕様で、初見でクリアできた人はいないのではないかと思う難易度である。
「そうね」と私は、夏の園に行くことに同意する。授業初日であるし、チュートリアル中である今日であれば、危険はないだろう。むしろ、最悪の場合を考えて、夏の園の迷路を、目を閉じながらでも脱出できるように、道を頭に叩き込んで置かなければならないであろう。ゲームでは、ミニゲームの迷路はランダムで変更される仕様だったが、さすがにこの現実っぽい感じならば、毎回入る度に生垣が移動しているなんて摩訶不思議なことは起きないはずだ。
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チューティアに連れられて夏の園を歩く。綺麗に切りそろえられた生垣に個性のようなものはなく、目印になるようなものもない。入口から、右に行って、二つ目の分かれ道を左、そして、突き当り右で、とか、そんなように暗記しないと、自分がいま何処にいるかも見失ってしまいそうである。
それにしても、冬の季節が終わり、樹木が新芽を盛んに伸ばすこの時期に、生垣を垂直に切りそろえるなんて、何人の庭師をこの学園は雇っているのかと思う。
「迷ってしまって、授業に遅れてしまう生徒がいるのではないかしら」と、私はチューティアに聞く。もちろん、この通称チュートリアル娘は、この夏の園の迷路も既に把握済みなのか、迷わず進んでいく。
「そうね…… 諦めずに30分歩けば、どこかの出口に出られると思うわ。ホリーも、慣れないうちは、奥まで入らない方がいいわね」と、チューティアは私に笑いかけた。
チューティアは、どうしてそんなに詳しく道を知っているの? と聞きたくなったが、そういう設定だからよ、なんて答えが返ってきたら立ち直れないと思い、聞かない。
まったく代わり映えのしない生垣の中を進んで、左に折れようとしたときに、ふと私の目に止まる行き止まりがあった。あ、あの行き止まりはもしかして……。
「チューティア、ちょっと待って」と私は先へ進もうとするチューティアを呼び止める。
「どうしたのホリー? 」と、チューティアは引き返してきて、私の視線の先の行き止まりを見つめる。
「ホリー、そっちは行き止まりよ?」と、チューティアが言う。そうなのだ。私の視線の先は行き止まりなのだ。私達が立っている場所から見て、行き止まりと明確に分かる行き止まり。迷路から出ようとするものなら、絶対に入らない道。迷路として欠陥とも思える行き止まりが私の目の前に続いているのだ。私は確信する。この行き止まりへと続く道のどこかに秘密の花園へ抜ける隠された道があると。ブリキット・アレクサンデルとの恋愛ルートが進むと、ブリキットが案内してくれる秘密の花園。高い生垣の夏の園の中に隠された場所なのだ。きっと、この行き止まりへと続く道のどこかに、小さなトンネルがあって、秘密の花園に通じているのだろう。
私は、心の中でガッツポーズをする。昼休みの時間は、この秘密の花園で過ごせば、誰とも遭遇しないだろう。ブリキットが、「王族しか知らない秘密の場所なんだ。実際、僕も来るのは初めてさ」とブルスプの中で言っていた。ちなみに、始めて案内されたその日、その場で、主人公とブリキットは初めてキスをするのだけれど、そんなことはどうでもよい。つまり、ブリキットとの恋愛フラグを回避しながら、この場に昼休み逃げ込み続けたら、攻略キャラと遭遇することはまずありえない。最高の隠れ場所ゲット、ということだ。
「あ、ごめんなさい。空がきれいだと思ったの。教室にもどりましょ」と、私は浮かれる心が顔や態度に出ないように心掛けながら、チューティアに言う。運が向いてきたと、私は思うのであった。