春の香り漂う穏やかな日々 2
「残念です。また全ての色を数えきるまえに虹が消えてしまいましたわ」とオリヴィアは言った。彼女の瞳は、消えた虹を追い続けている。噴水は風に揺らされ、虹は現れたり消えたりしていた。水しぶきは、太陽の光を映し出す仮初めのスクリーンとなり、虹を映し出しているのだろう。
「虹の全色をめったに数えことができないからこそ、ありがたみがあるのかしらね」と私は冗談っぽく言う。私は、流れ星が落ちるまでに、願い事を言い終えれたことはない。
「そうですね。唱歌祭まで、一生懸命練習するしかないですね。あの、ホリーさん、よろしかったら私の歌を聴いていただけないでしょうか? あまり人前で歌うことに慣れていないので、練習をしておきたいなぁって」とオリヴィアはちょっと恥ずかしげに言った。私は笑顔でそれに同意する。
「あと、変なところがあったら言ってアドバイスをくださいね」
オリヴィアは立ち上がり、噴水を背にした。
オリヴィアは歌い始める。
透き通る声。先ほどまで気ままに吹いていた春風が、オリヴィアと呼吸を合わせているように見える。オリヴィアの歌声に合わせて、噴水の水が踊っていた。
歌い終えたオリヴィアに惜しみない拍手を送る。本来、男女のペアで歌う唱歌なのであろう。しかし、オリヴィアは上手に歌い分けていた。
「凄いわ。とても上手だったわ」と月並みのことしか私は言えない。ブルスプでは、オリヴィアは歌姫と称せられるようになるが、この世界でもそれは時間の問題だろう。
「ありがとうございます。ただ、この歌の、『あぁ若き騎士よ』の部分の『あぁ』の部分、声の伸びはいかがでした? 足りないのではないかと悩んでいますの」とオリヴィアは具体的な問題箇所を提示し始めた。
十分に声は伸びているし、オリヴィアの伸びきった声を聴くだけで、いい意味で背中がぞくっとした。私には、完璧な歌に聞こえる。それなのに、さらに高みを目指そうとするオリヴィアのひた向きさに圧倒される。
「私は素晴らし伸びだと思ったけれど、貴女自身はどう考えているの?」と私は逆に問う。オリヴィアは、完璧のさらに向こうに何を見ているのか、純粋に気になった。
「やはり、もっと伸ばした方がいいのかと思っています。ただ、そこを伸ばそうとすると、そのすぐ後が力尽きた感じになるというか、少し尻すぼみした感じになるのが難しいところだと思っていて」とオリヴィアは饒舌に語る。
「そう……」と私は言ったあとに「オリヴィア、腹筋をもっと鍛えてはいかがかしら」と私は言った。ボイストレーニングの1つとして、腹筋を鍛えるというこがあったような記憶があったからだ。
「腹筋をですか…… そうですね。全体的な歌唱力の底上げをするのが、確実な方法ですね。分かりました。腹筋を鍛えますわ」とオリヴィアはルビー色の瞳を輝かせた。
「やあ、やはり貴女の歌声だったか」と、噴水前の横の小道から声が聞こえた。振り返って見てみると、そこにはゴウィン・ニールが立っていた。
「ゴウィン・ニールさん、ごきげんよう」と、オリヴィアは淑女の礼を取る。私も立ち上がり礼を取った。
「オリヴィア・フロストさん、こんにちは。ホリー・ヴァレンティノさんも久しぶりだね」と、ゴウィンは言った。やはり私のことも覚えていたようだ。知り合った相手の名前を覚えるという、貴族の必須スキルは残念ながら健在なようである。ゴウィンとは接触したくなかったが、今回のは不可抗力だと諦めて、私は動揺を抑える。
「いま、ホリーさんに今度私達が歌う唱歌を聞いて戴いていたのよ。アドバイスも頂きましたのよ」と、オリヴィアは嬉しそうに語る。
腹筋を鍛えろ、なんていう素人の意見をそんなに嬉しそうに話されてしまうと、私が逆に恐縮してしまうのだが……。歌に関する話題だと、オリヴィアは積極的になるような気もする。歌うことがオリヴィアは好きなのだろう。
私達3人は当たり障りの無い雑談を少しした後、オリヴィアの提案で、唱歌部の見学の際に歌った「Dona nobis pacem」を三人で輪唱してその場はお開きになった。絶大な歌唱力を誇るオリヴィア・フロストとゴウィン・ニールと一緒に輪唱をする。明らかに私の実力不足が露呈し、私にとっては羞恥プレ―だったのだけど、オリヴィアが楽しそうだったので、まぁそれは横に置いておく。




