オープニング
窓の外から聞こえてくる小鳥の鳴き声。私は目が覚める。
ベッドから私の視線に入ったのは、イタリアにありそうな天使達が描かれている天井画だった。
あれ、知らない天井だ……
そもそも、私はなぜベッドに寝ているの? 私は布団で寝ていたはずだったのだけど……。
私はベッドから起き上り、周りを見渡す。机と本棚。そして窓と扉。窓からは光が刺し、バラの刺繍が施されているレースが風に揺れている……。絶対に私の部屋じゃない。私の部屋は、こんなに広くない。この部屋だけで、私が家族で住んでいたマンションよりも広いじゃない……。
私はベッドから這い上がり机を眺める。机の脚にも細かい彫刻がされている、超高級そうな家具。机の上に置いてある真新しい本を私は手に取る。本の表紙には、「幾何学入門」と書かれている……。なんの本だろうとパラパラとページを捲ってみると、何やら三角形や円などの図形が書かれている…… うん、これ、絶対私の本じゃないし、この部屋も私の部屋じゃない。
もう一度、私は部屋を見渡すと、壁に洋服が掛けてある。そして、隣にはスタンドミラー。鏡に映っているのは、ブロンドの長い髪。青い眼の少女。だれ? この可愛い子。どっかで見たことがあるような、無いような……。
あっ! この顔、私にトラウマを与えた伝説の乙女ゲーム「Blue Spring Age」の主人公、ホリー・ヴァレンティノと瓜二つじゃない……。
私の眼は、壁に掛けてある洋服に目が行く。これは高校の制服を思わせるような真新しい洋服。間違いない…… この制服。主人公が3年間通う、マリジェス学園の制服だ……。
これはきっと夢ね。悪夢の類ね……。よし、二度寝しよう。私は、ベッドに戻り目を閉じる。しかし、心臓は早鐘のように鼓動している。
「Blue Spring Age」、通称、ブルスプ。思い出しただけでも震えてしまう。
内容は、主人公がマリジェス学園での3年間で攻略対象と目出度く結ばれる、という王道を行く乙女ゲーム。中世ヨーロッパを舞台にしており、攻略対象キャラは学園に通っている王子様や貴族、騎士などで、主人公のホリー・ヴァレンティノも、新興貴族のお嬢様という設定だった。
これだけ聞くと、至って普通の乙女ゲームのようなのだけど、主人公の恋が実るための試練の内容が酷い。具体的に言うと、ライバル・キャラ達の嫌がらせが半端じゃないゲームとして有名なのだ。制作会社も主人公に対するライバルキャラのイジメが度を越しているのを自覚していたのか、R-15指定で販売されていたのだけれど、実際の学校でそのイジメの内容を模倣した事件が起こり、マスコミがそれを大々的に報道し、社会問題になったという曰くつきの乙女ゲーム。PTAからの抗議などの反響も大きく、R-18指定に引き上げた。
それだけ話題となったゲームだけに、私も実はそれをプレイした経験がある。心が折れたけど……。
よりにもよって、なんでそんなゲームの主人公の夢なんか見てるのよ! 一刻もこんな夢から覚めたい。
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う~ん、眠れない。悪夢が覚めてくれない。
トン・トンと、部屋をノックする音が聞こえる。私は当然のことながら無視をする。
「ホリーお嬢様。今日はお嬢様が心待ちにしていた入学式の日でございますよ」と言って、部屋に入ってくる。
私は部屋に入って来た女性を見る。メイド服を着た初老の女性。間違いない。ヴァレンティノ家に使えているメイドのメアリだ……。
それに、今日が入学式の日って……。そういえば、ブルスプのオープニングも主人公のホリーが、トレードマークのポニーテールで、丈が短すぎるスカートの制服を着こなし、新しく始まる学園生活に期待を膨らませながら屋敷を出発する映像から始まるんだった。桜満開の並木道を馬車で通りながら……。
「メアリよね?」と私は恐る恐るメイド服の女性に聞く。
「そうでございますよ? まだ夢の中でございましたか。そろそろ支度しないと遅刻してしまいますよ」と、笑顔で言って、私の被っていた布団をさっと取り攫う。
「どうやら具合が悪いみたいなの」と抵抗をしても、「何を仰いますかぁ」と私をベッドから立たせ、私を着替えさせていく……。
「寝癖も酷いです。お掛けになってください」と、私を椅子に座らせて私の髪を結っていく。あぁ、主人公の髪型が3年間ずっと同じポニーテールだったのって、メアリがお手入れしてくれていたからなのね、と、ゲーム上では出てこない裏設定を私は知った。ゲームのキャラだから髪型がずっと同じだと思っていたよ……。いや、別にそんな設定、知りたくもなかったけど……。
「いかがでしょうか」と、メアリは手鏡で私の顔を映す。間違いない。鏡に映っていたのは、間違いなく、ブルスプの主人公のホリーだった……。
身支度を整えた後、食堂に向かい、朝食をとる。当然、食欲なんてものが沸くはずもなく。
「さすがのお嬢様も、緊張をされていらっしゃるのですね」と、優しく笑いかけながら給仕をしてくれるのは、ぴっちりとしたバトラー服を華麗に着こなした顎鬚が印象的な執事。セバスだった。
朝食を終えると、門の前に待機していた場所に私は誘導されていく。オープニングで主人公が乗っていた馬車とまったく同じ馬車。マジかよ。
「行ってらっしゃいませ。素敵なお友達ができると良いですね」とメアリとセバスが笑顔で見送ってくれる。
いやいや、私の今の心境。ドナドナされていく子牛の気分なんですけど。もしくは、屠場に向かう家畜の気分か……。