みそさざい
帰り道、私はみそさざいの死んでいるのを見つけた。
成程大したことの無い鳥である。誰にも認められぬ、森の王様気取りなだけはあった。
いやどうも、震えるさまを見るに、まだ息はあるようで、問うでもなく問うてみる。
「なぜ死んでいくのか」
もとより返答を求めてのものではなかったが、どうも彼は答える性質のものであったらしい。
「鐘を十分数えたからです」
賢しらな口を利く鳥であった。
ますますこちらは腹を立てたくなったが、死に際しているものへの相応しい振る舞いを鑑みて口を噤んだのに、死にぞこないは尚も口を開いた。
「十分です」
所詮は鳥、満足な生を送れた訳でもなく、負け惜しみを私に投げつけるだけの。
私はなぜか続きを待ったが、それ以上の言葉が聞かれなかったのを妙に不安に感じ、つい口を荒げて言った。
「言い遺したことは」
「なにも」
即答である。
許せない心持ちになり、なお縋った。
「未練は」
「なにも」
しかしこれを聞いた途端に、私は彼に対する興味が失せた。
悪し様な意味ではなく、聞くべきことを聞き終えたと腑に落ちたからである。
見ると、彼は既に死んでいた。
未だ彼は、いや私が彼の同胞ではないが、何故かその鳥を捨て置くのも、妙に得心のいったその顔を道に晒すがままにするのももったいなく、拾い上げて宅の庭に埋めた。
土をかぶせる前、もう一度この小癪な鳥の顔を見てやると、笑っているようにも見えた。
その日は何も喉を通らなかったが、次の日の朝食はそれを取り返さんとばかりに食べた。
――そんなことを、孫に肩を揺らされながら思い出す。
あの日に埋めたみそさざいを糧にしたものか、宅の桜は他のどの桜よりも桜らしく花を咲かせる桜となった。
白雀がとまっているかのような顔を見せる年もあり、その気まぐれを喜ばしく思ったし、また孫も同様にその様を愛してくれたことが尚嬉しかった。
遺言状は既に一人娘に預けている。
自身後始末に困る種類の人生でなく、またしがらみと表現するべき執着を持たぬ娘であった。私に似ていた。
連れ添いは先にいっている。
あとは私がいくだけであり、爽やかな気分でいた矢先だ。
私は今日、春の中、ただ一人に看取られて死ぬのだろう。
孫の、私を呼ぶ声が聞こえる。
出来た孫だ。小人の自分に伝えられることは全てどころか、これ以上は荷物になると言いたくもなる自慢の。
しかし成程、最後に得るものがあるとは。あのみそさざいめ、やはり王というのは存外伊達ではない。
余計なことを口にもせず、私は笑んで、空へ行く。
これこそが私であった。
その日は暖かかった。