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東條の秘密

東條は三十分もしないで缶ビールをすでに三本開けていた。

 酔が回ると東條は上機嫌になり、やたらと流たちに向かい、「ありがとう、ありがとう」と言い、泣きながら握手を求めるようになった。泣き上戸らしい。

 苦笑いする三人に東條は徐々に今まであまり語らなかった自分自身のことを語りだすようになってきた。

「オイラなんて人間のクズみたいな生き物だよ。いっとくがオイラは結婚はしてねえよ。してたけど、別れたんだ。五年前に。信じられねえかもしれないけど、オイラは昔大企業の課長をやっていたんだぜ。それがなんで今このザマかっていうとだな。冤罪ってやつだ。俺は当時会社までは電車で通勤していたんだが、朝のラッシュアワーの時にその事件は起こった。ギュウギュウ詰めでどうしようもない状態だがかろうじて両手で手すりにつかまることができていたのだが、ある駅に着く前にズボンのポケットの携帯が鳴ったんだ。その日はいつ重要な電話がかかってきてもおかしくない日だったので、慌ててポケットの携帯を取り出すものの、手を滑らせて携帯を床に落としてしまったんだ。ギュウギュウ詰めの電車内で床に落ちた携帯電話を取るというのはそうとう無理があったのだが、なんとか取れないものかと、左手を蛇のように床へ床へと這わせていったときのことだ。突然オイラの左手が強い力で掴まれた。その直後、電車は駅に停車し、オイラはそのままその駅に引っ張り出されてしまった。もちろん携帯は床に落としたまま。さて、オイラを駅に引っ張り出したのは茶髪の女子高生だった。そしてサラリーマン風の男二人もいた。その女子高生は『あんた、痴漢したでしょう』と言った。いきなりのことでわけがわからなかった。驚くオイラをさらに驚かせたのは二人組の男たちだった。二人共俺が痴漢をしているのをしっかり見たと言っていた。そして今度は女子高生が驚くべきことを言いやがった。『黙っておいて欲しいなら二十万円を払って。そうすれば痴漢のことは忘れてあげるから』と。オイラはこいつらがグルでやっているんだなと直感で思い、なんの罪もないオイラがこんな奴らのために金を払う必要なんかないって思い、すぐさま頭に血が上った。まあオイラがもう少し冷静になればまた違った方向に行ったのかもしれねえが、社会的には大企業の課長であるとはいえ、元々喧嘩っぱやい性格はどうにもこうにも抑えることができなくてな。『冗談じゃねえ、てめえみてえなドブスのケツなぞ、誰が触るか!てめえらグルなんだろ!ふざけるな!』って言ってやったよ。そして直ぐさまそこを後にしようとしたら、そのアマいきなり大声で『この人痴漢です!』って叫びやがった。その後は駅員に事務所に連れられていって、気づいたらそのまま警察の取調室行きさ。オイラがかたくなに痴漢を認めないから、警察のやつら、だんだん声を荒げるようになってきてな。結局最後まで容疑を否認し続けたオイラはそのまま豚箱に泊まることになった。そっからは転落の人生よ。結局オイラは裁判で何度となく戦うことになったのだが、そうこうしている間に『企業の信頼を失わせる』とのことで課長を辞めさせられて、家に帰れば息子が学校で、オイラが痴漢をしたっていうことでイジメにあって、妻はパートの仕事をやめて、ご近所さんと顔を合わせたくないあまり引きこもりになり、そのまま鬱病になっちまった。そんで結局離婚よ。オイラも仕事場でのみんなの冷たい視線が耐えられなくて辞表を書くハメになったし、息子もそのまま母親の実家へと転校、まあオイラの息子の立場はちょうど流と同じような心境だろうな。限界を感じたオイラはとうとうこれ以上の裁判の継続を断念し、この事件は幕を閉じた。一人ぼっちになってしまったオイラは、それから約一ヶ月、酒ばかり飲み、自堕落な生活を送っていたのだが、やがて徐々に、金欲しさにオイラを痴漢にしたあの女に対する深い憎しみが湧いてきた。あの女がオイラの人生をめちゃくちゃにした。あの女さえいなければ今頃だって平凡だが幸せな毎日が送れていたはずだ。そう考えるとだんだんいてもたってもいられなくなった。そしてオイラはあの女を殺す計画を本気で立てようかと思ったくらいなんだ」

 そこまで語り終えると、東條はウイスキーを氷の入っているグラスに乱暴に注ぎ込み、グビグビと飲み始めた。

「おじちゃん、大変だったんだね」

「ひどい話ね、東條さんは何も悪くないのに」

「世の中腐ってるぜ、そりゃあ、そのバカ女子高生のこと殺してやりたいって思うくらい普通だよなあ、全く」


 深夜0時を回っていた。

 サトシは風呂に入り、すでにベッドの中で眠っていた。

 流とヒカリと東條だけはずっと語り合っていたが、談話は最終的には現実的な話にとなっていった。

「それでよお、お前ら、これからどうするよ?」

 流もヒカリもこの質問に対して口を開かなかった。

「オイラも人のことは言えないんだけどよお、でもこれ以上この現実社会から逃げようったってそうはいかねえだろう。お前らは今後生きていくために何をする気だ?何をするにも飯を食わないといけない、そしてそのためにはもちろん金がいる、金を稼ぐにはどこかで仕事をするしかない。まあ当たり前のことだがな。だがお前らは飯を食わせて、守ってくれるはずの親からも学校からも逃げている。もちろんお前らの辛い状況はわかる。逃げたくなるのも無理はない。だが、いつまでも逃げているわけにはいかない。それでもこれ以上逃げるというのなら結局は飯のために働かなきゃいけない。そうでなければ泥棒かホームレスになるしかない。結局お前らはいずれ現実に戻らなきゃいけないと思う」

 流はうつむきながら、

「うん、わかってるよ。わかっているんだけど…もう俺達、戻ったところで迫害されるだけだから…わかっているんだけど、それでも逃げたいし…どうしていいのかわからねえんだよ!」

 ヒカリもうつむいている。

 サトシのいびきが徐々に大きくなっている。

「東條さん…貴方はどうするの?」

 そうつぶやいたヒカリに対し、

「オイラ?オイラはこれからとりあえずは逮捕だろうな」

「逮捕?」

 驚いた流とヒカリが同時につぶやく。

「実は俺、さっき話した、俺を痴漢にした女を殺しちまったんだ…」

「ええっ?」

 同時に驚愕の声をあげる二人。

 サトシのいびきが一瞬止まり、布団の中でもぞもぞと動くが、起きなかった。

「まあ、驚くのも無理はない。心配するな。お前たちには一切危害は加えない。現に今だってなんの凶器も持っちゃいない。まあ、俺はもはや社会的には死んだ人間なんだ。どこまで逃げたって結局は捕まるだろう」

 ヒカリが震える声で聞いた。

「あ、あの、そ、その、いつ殺したの?」

「三日前の夜さ。あの女はいつも夜の散歩を日課としていることを調べ上げていたからな。あいつがちょうど夜の散歩で外に出て、人気のない道を通りかかった時に後ろから忍び寄って、ロープで一気に首を絞めて殺した」

 三人の間に沈黙の時間が流れた。

 流、ヒカリ、サトシ、そして東條。たしかにこの四人は家族や社会から爪弾きにされたイレギュラーとして意気投合したのは間違いない。

 しかし、いくら意気投合とは言え殺人を犯してしまった人間と一緒に行動をとるのはどうなのか。少なくとも流はそのような人間とこれ以上行動を共にするべきではないと思っていた。

「お前たちが今何を考えているかはよくわかる。これ以上オイラと関わるわけにはいかないって思っているんだろう?人というのはそうやって人を爪弾きにするものなのさ。お前たちはたしかに学校や家から爪弾きにされたかもしれないが、そういった差別的な気持ちというのはお前たちの心の中にだってたしかにあるんだぜ。少なくともそれはわかってほしいな。まあ心配するな、オイラは明日にはお前たちの前から姿を消すから。君たちがもし警察なんかにオイラのことを尋ねられたとしたら、遠慮なくなんでも言ってもらっても結構さ。お前たちにはオイラのことでなんの迷惑もかけたくないんだ。だってお前たちはオイラの仲間なんだから。お前たちがそう思わなくても、オイラはお前たちのことをそう思っている。楽しかったよ。ありがとう」

 そう言うと東條はテレビのスイッチを押した。サトシが起きないようにボリュームを低くし、リモコンのチャンネルボダンをいじりまわし、ニュース番組を見つけると、東條はそこでリモコンをテーブルに置いた。

 ニュース番組は最初に、政治家の差別的失言問題を取り上げていたが、その話題が終わると、「OL通り魔殺人事件」の「続報」というニュースが流れた。

 そのニュースに流もヒカリも戦慄を覚えた。

「警察では『○○市、無職・東條賢太容疑者四十七歳』の行方を追っています。警察によりますと東條容疑者は大型免許を持っており、白猫宅急便の大型トラックを盗み、現在も逃走中とのことです。東條容疑者は5年前当時女子高生だった被害者を電車内で痴漢し、裁判で負けた過去があり、今回の犯行はその屈辱や恨みによる身勝手な犯行との見方が強まっています」

「ふっ、日本の警察はこれだけ優れているというのに、なんでオイラの痴漢冤罪事件についてはあれだけ低脳な捜査しかできなかったのだろうって本当に不思議に思うよ」

「東條さん、本当に人を殺しちゃったのね」

「マジかよ…」

 東條は再びウイスキーをグラスに注ぐと、氷を荒々しく投入し、グビグビと飲み、ゲップをして、一息着く。

「流、ヒカリ…。悪かったな。こんな奴に付き合ってもらって。あのさ、うまく言えないけど、今日は本当に、本当に久しぶりに楽しい思いをしたよ」

 流とヒカリは、東條が涙をこらえているのに気づいた。

 しゃっくりをして鼻をすすり、ティッシュで鼻をかむ東條。

 東條がテレビを消すと部屋の中に再び沈黙が流れた。 

 東條がグラスを飲み干し、再度ウイスキーを注ごうとしたとき、ヒカリが、

「東條さん」

 そう言って、いきなり東條を抱きしめた。

「お、おい!」

 思わず声を上げたのは流だった。東條は声をあげることもできず、ただ抱きしめられていたが、驚きの表情は隠せなかった。

「東條さん、もっと泣いていいんだよ。辛かったでしょう?」

 驚いている東條は震えだし、瞳が次第に涙で溢れ始めた。そしてやがて堰を切ったかのように号泣し始めたのであった。

 東條は十分程、ヒカリに抱きしめられながら泣きじゃくっていた。

 流はヒカリのいきなりの行動に衝撃をうたたものの、殺人犯をも包み込むその優しさに母性のようなものを感じ、抱きしめられている東條への嫉妬すら感じたくらいであった。そして案の定、ヒカリは男であることを自らの脳みそに言い聞かせ、理性的になるように自らを戒めるのであった。


 三人共眠ろうとするものの、ベッドはサトシのも合わせて三人分しかなかった。

流は最初から自分が床で寝ることに決めていたが、ヒカリはサトシと一緒に寝ると言い出した。

「だって、私はこの子の母親だから」

 そういいヒカリは別室で浴衣に着替え、サトシの布団に入り込んだ。

 ヒカリの浴衣姿は女子高生の姿とまたちがい、改めて男性とは思えないほどの色気があり、流も東條もあっけにとられていた。

 流と東條も浴衣に着替え、それぞれのベッドに着いた。

「じゃあ寝るか」

「おう、オイラもさすがに寝るぜ」

「おやすみなさい」

 十分程経ち、それぞれが眠りについたかに思えたその時、

「お母さん」

サトシが突然、声を出した。

「お母さん、僕も、僕も泣いていい?」

 ヒカリはふふっと笑い、

「いいよ。ずーっと寝ているふりをしていたんでしょ?」

「えっ…知ってたの?」

「お母さんがサトシのことを忘れているとでも思っていたの?」

 部屋の中はテレビの脇の照明がうっすらと明かりを灯していたため真っ暗ではなかった。

薄明かりの中、ヒカリはサトシを包み込むように抱きしめていた。

 流はヒカリの母性に神秘的なものを感じていた。世の中の辛い出来事を全てリセットしてくれるような不思議な力があるのではないかと思わずにはいられなかった。


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