逃避行
ヒカリの家は市内の高級マンションであった。
家に帰りたくない流はヒカリの帰宅に付き添うことになったのだが、ヒカリはそれを煩わしく感じることはなく、むしろ喜んでいるようだった。
付き添うとはいえほとんどバスでの移動であり、公園の近くのバス停から約二十分程で交通量の最も多い、市内のとあるバス停で降りた。
そこからは十分程でヒカリのマンションに着くことになるのだが、バスの中ではお互いいろいろな話をした。
ヒカリは両親と弟とマンションで四人暮らし。父親は体育教師、母親もまた体育教師、そして弟は陸上部のエースだという。
ヒカリはと言えばスポーツが大嫌いで、料理と編み物が好きで、部活は美術部に入ったが今はイジメが原因で参加していないという。
アイドルグループの台風が好きで中でも桜井潤の大ファンだという。
将来の夢はまだ曖昧だが「女」として生きていきたいし、そのことだけは絶対に譲れないという。
最近テレビでは昔よりもオネエ系タレントがたくさんいるので彼らに憧れはするものの自分にはテレビに出れるような特別な才能があるようには思えないのでとりあえずはオネエ系のスナック等でアルバイトでもできないかと思っている、接客もできるかわからないが興味はあるという。
一方ヒカリの方も流についていろいろと興味があるらしくいろいろと値掘り葉掘りと質問を繰り返した。
混んでいるバスの後部座席で肩を寄せ合い語り合う二人は周りの人には間違いなく高校生カップルに見えたことだろう。
バスを降りて十分ほどでヒカリの住む高級マンションに着いた。
この辺りはマンション街であり、たくさんの巨大マンションが並んでいる。その中ではヒカリのマンションはまだ小さい方だったが、街のど真ん中であり生活にはまるで不便しそうにない。
「ここか…」
「…うん」
「じゃあ、何かあったらいつでも連絡くれ、電話でもメールでもいいから。俺も何かあったらするから」
「…うん」
「俺達、世間から爪弾きにされた仲間だからな…」
「うん」
「もうお互い一人で悩み込むのはやめようぜ。男と男の約束だぜ」
ヒカリがほっぺを膨らませていたずらっぽい表情で、
「もう!男と女の約束でしょ!」
「まあ、そういうことにしとくか」
二人は目を見て笑い合う。
流はまたヒカリの可愛らしさに戸惑いを覚える。そして『俺はそんな趣味はない!』と自分に言い聞かせる。
「じゃあな…」
「うん、またね」
二人はお互いの顔を見ながら手を振り、流はヒカリに背を向け、歩き出した。
流は正直もう少し話していたかった。相手が男だろうと女だろうとオネエだろうと関係なかった。
世間に爪弾きにされ、馬鹿にされ、いじめられ、笑いものにされているもの同士、このままどこかあてのない旅にでも出かけたいとさえ思った。
なぜなら流が帰るところはアル中淫乱と化した醜い母親が住む家。そして明日だって学校では嫌がらせを受け、笑われるに決まっている。
朝が来たところで迫害を受けることがわかっているような人生の何が面白いのか。
絶望的な気持ちの流は仲間を見つけたというささやかな喜びもあったが、やはり一人家路に帰るとなるとなんとも寂しい気持ちになるのであった。
歩いて五分もしないうちに突然夕立が降ってきた。
梅雨明けはまだと聞いていたが、いきなりの夕立は流をさらに憂鬱にさせた。
「なんだよこれ…」
流がバス停まで走ろうかとしたとき、雨が突如頭に当たらなくなった。上を見上げるとピンク色の傘が自分を覆っている。
振り向くとヒカリがいた。
「あ、雨が降ってきたから…」
流はヒカリを見て胸が熱くなるのを感じた。
違う!今胸が熱くなったのは濡れないようにとわざわざ傘を持って駆けつけてくれた「友情」に感動しただけだ!などといちいち言い訳する流。
よく見るとヒカリは自分の傘を持っていない。
「あ、ありがと…ってお前、自分の傘は?」
「私の傘、これ一本しかないの。両親は傘を職場に持っていったみたいで、傘はもうないの。大丈夫、私はマンション近いから」
そして「じゃあね」と手を振り、走り去ろうとするヒカリ。
十メートル程離れた辺りに、流が叫んだ。
「おい!」
ヒカリは立ち止まり振り返る。
流はヒカリのところまで駆け寄り、言った。「なあ!いかねえか?どこかは知らねえけど…」
「え?」
「お前だって本当は家なんか戻りたくねえんだろ?」
傘の中にヒカリを入れながら、真っ直ぐヒカリの瞳を見て言う流にヒカリは驚きの顔を隠せなかった。
「俺はこんな世界、うんざりだ。お前は?」
ヒカリはうつむきながらつぶやいた。
「私もうんざり…。でも逃げることなんか」
「できるよ!いや現実社会からの逃避はできないかもしれない。でも俺は逃げるなら今しかできないような気がするんだ。いずれ捕まるかもしれない。いずれ自らの馬鹿さ加減に呆れる時が来るかもしれない。でも今、今逃げないとどうにかなりそうなんだ。逃げるって言葉は弱虫とか負け犬とかそういう印象しかないかもしれない。でも逃げるならとことん逃げたいんだ。捕まるかもしれないけど逃げたいんだ。むしろ今逃げることはある意味勇気がいるとさえ思っている。俺の言っていることはわけがわからねえかもしれねえけど、でもヒカリ、俺たちは仲間だ!どこでもいいからとにかく逃げようぜ!」
ヒカリは顔を上げた。そして凛々しい表情で眉を釣り上げ、唇を噛み締め、
「うん!」
と言った。
二回ほどデタラメにバスを乗り替え、二人は約二時間後、結局ぐるぐると行き来した結果、流の住んでいる平和町の隣町にたどりついた。
時刻は早くも午後七時。いつまでもバスばかりに乗っているわけにもいかないと思った二人はとりあえず降りることにした。
本来もっと遠くへ行くつもりだったが、そもそも流はまだ転校ホヤホヤでこの辺のバス路線や地名・地理に全然詳しくはなかったのだ。
バスを使って当てのない遠出をするはずが思いのほか近くに降りることになり、しかもそれが隣町だと言うことをヒカリから教えられた時、流はなんだか情けなくなりガッカリした。
雨は止んでいた。
コンビニに入り、流は焼きそばパンと缶コーヒーを、ヒカリはおにぎりと野菜ジュースを買った。
その際ヒカリは財布からカードを出し、ATMで現金を引き出した。
「そうか、考えてみたらどこかに逃げるにしても金がないことには話にならないしな、いくらぐらいおろしたんだ?」
「十万」
「マジか!そんな大金どうしてもっているんだ?」
「私、ずっとお年玉とか小遣いとかを貯金してきたの。いつか本物の女になるための手術を受けるために…」
「それならそのお金はそのためにつかうべきだろう」
「ううん、貯金ならまだあるからこのくらいならなんとかなる。このお金でどこかへ逃げましょう」
十万はたしかに大金だが、失踪する資金としては少ないことぐらい流にだってわかっていた。
しかしその十万というお金には夢がたくさん詰まっているように感じた。
何をするにも金がいる。
くだらない日常から逃げるのだって金がいるのだ。
「なんかお前の金に依存してしまうのが悔しい気がする。考えてみたら俺、金のことなんか全然考えてなかった、ホント馬鹿だな俺って」
「気にしないで、だってこんなに、こんなに刺激的なことって生まれて初めてだもん」
そう言い頬を膨らまして笑うヒカリ、その表情がいちいち可愛らしく、流はどう対応していいのかわからなくなり、思わず目を背けて咳払いする。
さてこれからどうするのか。正直流は少しだけ焦っていた。
どこかに逃げようなどと、カッコイイことを言ったまでは良いが、休む場所はもちろん、座る場所すらも見当たらない。
今晩一体どこでどうやって過ごせばいいのか?
六月末とはいえ、夜は少し寒い。
かといい二時間ちょっとでもうギブアップしてしまうのはあまりにも情けない。
二人は無言であてもなく街をさまよった。
交通量は多く、落ち着きのない街だった。
ガソリンスタンドの角を曲がると、大きな建物を見つけた。
大型デパートのようだったが、電気がまるでついていない。アスファルトには雑草が生えている。
どうやら潰れた百貨店のようだった。
「こんなでかい店でも潰れるのか…。なあ、今晩ここで一晩過ごせねえかな?」
「え?いくら潰れたお店といっても中に入れるとは思えないけど…」
「まあ、ダメ元でこの店の周りを一周してみようぜ」
「う、うん」
戸惑うヒカリを連れて、元百貨店らしき巨大建物敷地内を一周する。
どうやらこの百貨店は誰でも知っている某大手デパートのようだった。
正面玄関に張り紙が貼ってある。
どうやら潰れたのはつい二ヶ月近く前のことらしい。
「ねえ、ここから中に入れないかしら?」
「ん?ここって、屋上駐車場入口?」
二人の目の前には屋上駐車場に行くための車専用のらせん状スロープがあった。
流とヒカリは本来車以外通れないそのらせんスロープを上がっていく。
歩く音がだいぶ響き、暗さもあってなお不気味さを感じさせるが、二人共得体のしれない好奇心に支配されているように、どんどんと進んでいった。
屋上に付くと、そこは先ほどの悪天候が嘘のように満天の星空だった。
車専用のスロープをずっと上がってきたため流はくたくたであり、ハアハアと荒い息をしていたが、意外にもヒカリは息を切らすことがなかった。
ヒカリは満天の星空をみて「きれい!」などと言い喜んでいた。
屋上にはもちろん車一つなく、明かり一つなかった。防災用の火災通報機があったがランプはついていなかった。
蛇口のようなものが隅っこにあったためひねるとやはり水は出なかった。
「さて、どうすっかなあ」
「とりあえずご飯食べましょう」
二人は屋上の空調設備付近のコンクリートに腰掛けてそれぞれ購入したものを食べた。
食べ始めて、改めて自分たちが空腹であることを知った。
「問題は今晩のねぐらだな。旅館とかビジネスホテルだと完全に怪しまれるよな。どう見ても高校生の男女だしな」
「ラブホテルなら顔が見えないで入れるって聞いたことがあるわよ」
「おい!頼むからそれだけはやめてくれ!俺は男と一緒にそんなところは入りたくねえ!
それだったらネットカフェでいいよ!」
「ええ~?私ふかふかのベッドで寝たい」
「失踪者が贅沢だろ!」
「シャワーも浴びたいし」
「ネットカフェにもシャワーぐらいある!」
拗ねた様な顔をするヒカリに対し、流は自分の性癖がおかしな方向にいかないかが一瞬心配になった。
ヒカリは男とはいえ、見た目はどう見ても女の子だったため、会話中もいちいち脳が目の前の存在を女性というふうに誤認識してしまうのだ。
「ネットカフェでいいよ、いや待て」
考えてみたら高校生の制服を来た男女が夜の時間帯からネットカフェを利用し、そのまま泊まれるとは思えない。
「無理っぽいでしょ?だから流君、ラブホにしよ!」
うふふと笑い、顔を近づける女の子のような男に、
「何考えているんだお前!いちいちボーイズラブの世界に俺を誘おうとするな!」
「ボーイズラブ?私女の子だからボーイズラブじゃないわ」
そう言いまた不敵に微笑むヒカリに流はいままでにない妖艶な雰囲気を感じ、焦りすら覚え始めた。
「どこか、どこか泊まれるところがあるはずだ。ラブホだけは勘弁だ!」
「待って!」
そう言い、ヒカリは固まったように屋上のフェンスの辺りを凝視している。
「おい、どうしたんだ?」
「流君、あれ…」
流がヒカリの凝視する方向をみると、フェンスの外側に白い服を着た男の子がいるのを発見した。
「な、なんだよあの子、いつからあんなところにいたんだ?しかもフェンスの外側って、ここ屋上だぞ、自殺する気か?」
男の子は立ったまま、後ろに手を伸ばしてフェンスを掴んでいる。
傍から見ると自殺をしようとしているがなかなか決心がつかない人の様に見える。
「ど、どうしよう」
「どうしようって…とりあえず言えることは、あの子を助けられるのは俺らしかいないってことだろ、ここには他には誰もいないんだから」
「でも、私たちが下手に話しかけたせいで刺激して衝動的に飛び降りたりしないかしら」
「だ、だけど、俺らがここでごちゃごちゃ話している今だって、いつ飛び降りるかわからないんだぜ、その前に、そもそも俺達結構大きな声で会話をし合っていたんだ。俺らがここにいることぐらいあの子にはわかっているはずだ」
流とヒカリは男の子の自殺?を止めに行くことにした。