女子高生ヒカリ
絶望と敗北に満ちた気持ちで、コンビニの路地裏に通りかかったその時、四人の女子高生が一人の女子高生を取り囲んでいる場面に遭遇した。
流にとって今は自分のことだけで精一杯だったが、女子高生四人が一人の女子高生を取り囲んでいる様子はどう見てもなんらかのいじめ的な代物に違いないということくらい、心の余裕をなくしている流にもはっきりわかった。
だからといって自分にはもちろん関係ない。
それは「やめろ!」というのはカッコイイことだろう。でも彼らの間に何があったのかもわからない赤の他人が、一方的な思いで介入するのはどう考えてもおかしい。
しかしよくよく見ると囲まれている女子高生はたいそうルックスが良い。少し茶髪で肩までのパーマがかった髪、色白の顔、小柄な体格…流にとっては目を引くタイプの女の子であった。
もちろんだからといって首を突っ込む理由はどこにもない。
流はその場を素通りすることにした。
素通りするとは言えども、彼らの会話にだけはちゃっかり耳を傾けていた。
何食わぬ顔で素通りしようとする流に聞こえてきた会話は次のようなものだった。
「アンタさ、気持ち悪いからもう学校こないでよ」
「ご、ごめんなさい」
「ウザイし、あんた見ると吐き気するんだよねマジで」
「………」
「じゃあさ、もし明日も学校来たいならまたお金貸してくれない?一万円でいいからさ」
「ご、ごめんなさい…もうお金が…」
「ええ~じゃあもう学校来ないでよ。アンタなんか『生きているだけで恥ずかしい存在』なんだから!」
生きているだけで恥ずかしい存在…。
無論彼女たちのやり取りの前後に一体どのような事情があったのかは知らない。
しかし「生きているだけで恥ずかしい存在」というそのセリフはどうにもこうにも聞き捨てならなかった。
流は別に正義感の強い人間などではなかった。しかし今まさに「生きているだけで恥ずかしい存在」にされている自分にとって、同じようにけなされている人間をただ黙って見過ごすわけには行かなくなったのである。
しかも相手はか弱い女の子、一見するとどう考えても彼女が何か悪いことをしたとは思えなかった。
もちろんそれには何の根拠もないが。
しかし流の足はいつの間にかUターンをし始め、彼女たちの後ろで立ち止まった。
「あのさ…」
流に気づいた女子高生達が一斉に振り向き、皆怪訝そうな顔で睨みつける。
ニキビだらけで染め方を失敗したかのように汚らしい茶髪の女子。狐のような細い目の女子、黒縁メガネで太っている女子、やたらと肌の黒い厚化粧女子…。流にとっては四人とも魅力的な女子高生ではなかった。
一見すると因縁を付けられている女子が可愛らしいために嫉妬からいじめられているのではないかとさえ思えた。
「何よあんた」
「いや、その…何があったのかわからないけど…いじめとかはよくないから…」
「はあ?だってキモいんだもん、いいじゃん」
すると四人の女子高生はクスクスと笑い出す。
因縁を付けられている女子は目に涙をため、震えながら流を見ている。子猫のように愛らしい瞳だ。
「ど、どこがキモイんだよ?俺には全く理解できねえよ」
すると四人の女子高生は一斉にゲラゲラと笑い始めた。
「あんたあ…こいつのこと全然キモくかんじないのお?ヒカリちゃ~ん、良かったねえ。正義の味方が現れて」
いじめられている女子の名はヒカリというらしい。
四人はまたまたゲラゲラ笑い出す。
無論流にとっては何がそんなにおかしいのか全く理解できない。
ただでさえ自分の置かれた不幸な環境で苛立ちに満ちていた流はつい叫んでしまった。
「この子がおめえらに何をしたのかはわからねえよ!何がキモいのかも俺には全くわからねえ!だけどな、生きているだけで恥ずかしい存在なんてこの世にはいねえんだよ!人間なんてみんなそんなに大して変わらねえんだよ!」
大声に威嚇された四人の女子高生は一瞬体を硬直させたものの、結局また笑い出し、しまいには、
「よかったねえ、ヒカリちゃん、いい彼氏ができて…幸せにねえ」
そういうと四人の女子高生はあっけなくその場を立ち去ってしまった。
しかしクスクス笑いながら何とも後味の悪い退散法だった。
なにはともあれ、もっとやっかいなことになるのではと思った流だったので、拍子抜けしたような形になったのであった。
流は改めてヒカリという名の女子を見る。
小柄で、色白、肩までのややパーマ掛かった茶髪、大きなビー玉のような瞳、少なくとも流にとっては相当可愛い部類に入る女子高生であった。
ヒカリはしばらく流の顔を見つめていた。流は思わず顔が熱くなる。
するとヒカリは目から大粒の涙を流しはじめた。
「あ、そ、その…なんていうかさあ…」
「……」
「いっつもあんな風にいじめられているのか?」
するとヒカリはこくんと首をかしげる。
「正直全然理解できないんだけど…君のどこがキモイの?」
するとヒカリは泣きじゃくりながら、かすれた声で「存在…」と答えた。
流はそれからしばらく何も口を開かず、彼女が泣き止むのを待った。
ヒカリがようやく落ち着きはじめた当たりに流は言った。
「よくわかんねえけど、何があったの?」
「…こんなキモイの子の話しを聞いてくれるの…?」
「キモくなんかねえじゃん!さっきのあいつらのツラの方がよっぽどキモいだろ!」
するとヒカリはうつむいて、時折上目遣いで怯えた子猫のような瞳で流を見つめる。
その仕草が流にとってはいちいち可愛く思えた。
「でも、私の話を聞くと、きっと貴方も私のことを気持ち悪いって避けると思う…」
このヒカリという子ももしかしたら俺と同様にものすごく世間から白い目で見られるような事情を抱えているのではないかと思った流は、ヒカリに対し、同情の気持ちが一気に湧き上がり、深い関心を持たずにはいられなくなった。
ただでさえ孤独を感じていた流にとって彼女と知り合えたことは非常に重大な出来事なのではないかと思えた。
とはいえ、下手に舞い上がろうとする自分をどこかで抑えている自分もいた。
可愛い子とお近づきになれたからといって、この子の抱えている「キモイ」という内容が取るに足りないくだらない物である可能性もあり、また彼女がもし流自身の抱えている問題を知ったとき、思いっきり拒絶反応を示してしまう可能性は充分にあったからだ。
草野球ができるくらいの広い公園の隅のベンチで流は缶コーヒー、ヒカルはミルクティーを飲みながら話をしていた。
子供たちが野球ごっこをしたり、フリスビーで遊んだり、中高年らがウォーキングをしたりと平和そのものの風景であったが、彼女の表情は暗く沈んでいた。
「あのさ…」
「……」
「何がキモいのか言いづらいんだろうけど、たぶん俺の方が君よりよっぽどキモイ存在だから…」
「え…?」
流は缶コーヒーを一口飲み、
「君がどんな事情なのか、すごく興味…っていうと変だけど…まあ興味だな。とにかく知りたい」
「…教えたら絶対に貴方の態度がガラリと変わる。だから言うのが怖いの…」
その後も流はそのことについて追求するもののヒカリはなかなか話してはくれなかった。
しかし流にとってはヒカリが実は言いたくて仕方がないのに言えないという葛藤があるのではないかと感じていた。なぜなら彼女は言えないとは言いつつも、この話題を避けようとしている感じが見受けられなかったからだった。
こうなったら奥の手を使うしかないなと流は思った。
自分自身がなぜ白い目で見られる存在なのかについて話そう、そうすればヒカリも自分のことを話してくれるだろうと思い始めたのである。
「じゃあさ、俺がなぜ世間から白い目で見られるキモイ人間なのかを話すよ。ああ別に交換条件ってわけじゃない。ただ、俺の事情に比べたら君の事情なんて大したことじゃないんじゃないかって思ってね」
流はあえてこのような言い方をした。
下心があるにも関わらず「交換条件じゃない」と安心させ、さらに「君の事情なんて大したことじゃないんじゃないか」と言うことで相手が余計に自分の事情を言いたくなるように挑発したのである。
案の定ヒカリの眉が若干「ハ」の字になり眉間にわずかにシワが寄った。少し気に障ったようである。
「君こそ、俺の事情を聴いて、急に態度を変えるなよ」
「う、うん」
横目で流を見るヒカリに淡々と語りだす。
「俺のオヤジさ、君だけに話すんだけど…」
君だけに話すなどと言ってヒカリの親近感を得ようとする卑しい流は話を続けるが、
「俺のオヤジ、…その…」
いざ話そうとすると急に情けなくも感じてくる。
ヒカリは流がどんな苦悩を抱えているかについてそれなりに興味を示しているようである。にも関わらず、苦悩の答えが『オヤジが下着ドロボー』というのは逆に拍子抜けしてしまうのではないかと思えたのである。
しかしもう後には引けないし、実際この問題のせいで流がかなりの試練を与えられているのは事実だ。
改めて深呼吸して一気に話す。
「俺のオヤジ、下着ドロボーで逮捕されたんだ!」
「…!」
一瞬風が吹く。ヒカリの髪が風に靡く。
目を丸くするヒカリ。口もぽかんと開けている。
流は続けて語りだす。
「最低だろ!結構地位も名誉も稼ぎもあった大の男が下着ドロボー、そのせいで家庭崩壊、俺はわけもわからないまま母親に連れられて優雅なマイホームから一転、ボロいアパートに住むことになってさ、もちろん高校は転校。でも新しい高校に入ってわずか二ヶ月程で、なぜかオヤジが下着ドロボーだってことがクラスの中でも知れ渡ってさ、っていうかそれがまさに今日なんだけど…。机に『下着ドロボー』なんて落書きされて、ああもう新しい高校での生活は終わったなって思って、嫌になって家に帰ったらすっかり酒浸りになった母親が今度は男を連れ込んでいてさ、イイ年してその、ベッドインしちゃっているわけ。そんな家なんか帰りたくもないだろ。そんで街をうろついていたら偶然君のいじめられている場面に遭遇したってわけさ…。だからさ、そのなんとなくほっとけなくてさ、あの四人の女どものうちの一人が君に言っていただろ『生きているだけで恥ずかしい存在』だって…それって俺のことかよって思ったらつい口出ししたくなってさ…」
気づくとヒカリの表情が先ほどの曇った状態からみるみるうちに晴れ晴れとしたものになっていた。
瞳には輝きすらも現れている。これは一体どういうことなのだろう。
流れは咳払いをして言った。
「はい!俺の話は終わり!キモイか?」
するとヒカリは首をブンブンと強く振って言った。
「貴方は何も悪くないのに…!」
「加害者家族っていうのは地獄だよ。殺人犯の息子ならなおさらだね。世間からは白い目で見られてさ。俺の青春は、少なくとも高校生活はもう終わったなって思ってね」
するとヒカリは真剣な表情でやや語気を強めて言った。
「貴方は何も悪くないのに…どうしてそんなしてまで世間の目を避けなければいけなくなるの…?なんかそれって…うまく言えないけど、悔しいね!」
真剣な表情で同情してくれるヒカリの顔を見て、流は自分がこの子に徐々に惹かれているのを感じずにはいられなかった。
自分の身に襲いかかった突然の不幸を第三者に話したのは初めてだったので、何かホッとしたものも感じ、少しだけ目頭が熱くなるのを感じた。
「じゃあ、私の秘密も話しちゃおうかな…」
「え?」
「…たぶん、これ言ったらもう友達にもなってくれないと思うけど…」
「と、友達?な、今友達って言ったか?逆に聞くけどこんな俺と友達になってくれるとでも言うのか?」
「え?あ、ごめんなさい。初対面で友達なんてありえないよね…貴方の名前も知らないのに…」
「ああ、そうか!お、俺は西山流っていうんだ。ながれは川が流れるとかの流れ」
「にしやま、ながれくん…」
「あ、君は…?」
「私…川村ヒカリ…ひかりはカタカナ」
そう言うと初めてヒカリは微笑んだ。その笑顔はヒカリという名前そのもののように輝いており、流の心臓の鼓動は早くなっていた。
そして流は言った。
「俺、君が何を言っても驚きもしないし、ましてやキモイなんて絶対に言わない。俺でよかったらなんでも言ってくれよ、初対面で友達が変ならメル友からでもはじめようぜ!」
「本当?うれしい!」
そう言い白い歯を見せて満面の笑みで微笑むヒカリに流はすっかり体が熱くなるのを感じた。
「じゃあさっそくメール交換でもしようか?」
「うん!」
流とヒカリは互いの携帯を近づけ、赤外線送信で互いの電話番号、メールアドレスを交換した。
流はこのあまりにも急な出来事にとまどいつつも、これはきっと苦労している自分に神様が天使を与えてくれたんだと思い、すっかり舞い上がってしまった。
メールアドレスと電話番号を交換後、ヒカリは先ほど中断していた話を再開した。
「あのね…私…その…みんなから…男子からも女子からもいじめられているの…」
「女子だけからじゃないのか?男子からも?信じられない!だってこんなにかわいいのに」
流はごく自然に「かわいい」という言葉が出た。決して彼女の気をひこうと計算したわけではなかった。
「か、かわいい…?」
潤んだ瞳で流を見つめるヒカリ。流は有頂天になりそうになる。
もはや自分が下着ドロボーの息子と呼ばれ世間の笑い者になることなどどうでもよく感じるくらいの可愛らしさであった。
「あ、ああ。君はもしかしたら可愛いからいじめられるんじゃないか?」
「ううん、気持ち悪いからいじめられるの」
「全くもって理解できない。どこがどう気持ち悪いんだ?授業中にいきなり叫んだりでもするのか?肌に何かブツブツでもできているのか?それとも怪しい宗教の信者なのか?」
「みんな違うわ。私の体にはその…普通だったら無いはずのモノがあるの…」
「何か持病を持っているのか?」
「持病と言えば、持病なのかも…」
「言ってもいいよ、どんな病気なんだ」
「私…女の子なのに…胸が大きくならないし、その…パンツの中身が女の子のソレじゃなくて…男の子のソレなの…私、女の子なのに…少なくとも自分ではそう信じているのに…」
流は思わず飲みかけたコーヒーを食道側と反対の方に流し込み、むせるというなんともわかりやすいリアクションをとってしまった。そしてその後、凍りついたように口を開けて全く身動きが取れなくなってしまった。
目の前にいるヒカリという人間を見て、脳内のドーパミンがあれほど分泌されていたのが一気に消滅していくのを感じ、心臓の鼓動は別の意味でのドキドキへと変化していった。
今まで熱く火照っていた体は急に冷や汗だらけになり、さっきまで神様に感謝していたはずの信仰心が一気に消え失せ、世界中に馬鹿にされたかの様な気持ちになっていた。
流はどうコメントしていいのかわからなかった。気の利いた言葉が全く出てこない。
そして『自分は全然驚いてないよ』といった仕草を演じる自信もなかった。
「引いた?」
「よ、要はお前、オトコってこと?」
さっきまでの「君」はすぐさま「お前」に替わり、優しそうな声かけは一気に悪友との会話を思わせるような乱暴な口調となる流。
「…自分では男の子だと思っていないの。小さい時から女の子とばかり遊んでいたの。でも父親はラグビーのコーチをしていたからそんな私が嫌だったみたいで、無理やり小さい頃からラグビーとか野球とかをさせられたんだけど私が嫌がって全然興味を持たないし、お母さんの口紅をつけたり、お人形さんで遊んだりしていたの。そしたらお父さん、自分の指導がまだまだ甘いからこんな女みたいななよなよした男になっているんだって思い込んだらしくて、そこからはもうほとんど虐待に近い状態で、殴る蹴る、ボールを激しくぶつけられるの連続で、どんなスポ根アニメよりも激しくしごかれて…。一方でおかあさんはもう私が普通の男の子じゃないとわかっていたらしくて。それでも高校に入るときには両親共私がいわゆるオカマ、オネエだってことを充分理解、いや、理解ってよりも諦めね、その事実を受け入れてくれて。入学時、『女子高生』になることに憧れていた私が『高校はどうしても女子高生の制服を着たい』って強くお願いしたの。両親はなんとか高校に事情を何度も何度も話して、ようやく私は女子高生として高校に通うことができるようになったの。でもオカマの事実を隠しておいたところでいずれはバレることだし、他の生徒とその親への説明義務というものも感じてか、校長先生が全校集会で生徒の前で『ヒカリさん体は男子だが心は女性というハンデを持っている。でも君たちと同じかけがえのない生徒なんだからみんな理解して受け入れて欲しい』っていうようなことを話してくれたの。その時はみんな拍手をしてくれてステージで頭を下げる私を受け入れてくれたかのように感じたんだけど、一ヶ月もしないで激しいイジメが始まって、男子にも女子にもいじめられ、孤立して…。でも折角両親が苦労して入れてくれたこととか、受け入れてくれた高校に対しての恩があるから、いじめられているなんてなかなか言えないし、それにいじめられていることを言ったりしたら『チクったな』って言ってもっとひどいイジメが始まることも怖くて、私、もうどうしていいのかわからなくて…。それだけじゃないの。家に帰ると両親がいつも喧嘩をしていて。私が女子高生の格好で高校に通っているっていう話を父方の親戚に知られてから両家の関係がすごく悪くなってしまって…
父方の祖母が母方の祖母に『私たちの血筋ではこんな子が生まれるとは思えない。あんたらの血筋が悪いんじゃないか』みたいなことを言ってからが関係が最悪になって。そのうち両親まで私がこうなってしまったのはお前のせいだ、貴方のせいよって毎日毎日喧嘩して…もう私には帰るところもなくて…」
堰を切った様に一気に今までの苦悩を言い続けたヒカリはボロボロとまた泣き出した。
「わかった、わかった。お前のことはだいたいわかったよ。まああれだな、ひとつだけ言えることがある」
「…言えること?」
「俺もお前も、『世間から爪弾きにされた人種』だってことだ。もちろん事情は違うけどな。お前と俺は『イレギュラー』なんだ。『仲間はずれ』って言う意味では俺とお前は『仲間』だ」
潤んだ瞳でまっすぐに流を見つめ、「仲間…」
とつぶやくやまた体を震わせて泣き出しそうになるヒカリ。
「頑張ろうぜ、いや何頑張るんだって感じだな。このままでいいじゃねえか、っていうかこのままじゃなくてどのままになれっていうのか。もう一つ共通しているところがあった、俺たちは二人共『何も悪いことをしていない』ってことだ」
そういうと流は自然に左手をヒカリにさしだしていた。
「…え?」
「仲間だ。握手握手」
ヒカリは流が差し出した左手と流の顔を交互にみつめて戸惑った表情をしている。
流は戸惑っているヒカリの様子を見て、握手は少し唐突過ぎたかな、馴れ馴れしすぎたかな、と握手を求めたことを後悔しかけたが、
「…うん!」
震える体で笑顔を作ったヒカリは流の手を両手でそっと包み込んだ。
その手は冷たく、幼い女の子の手のように弱々しかった。
その力ない握力はとても男のそれとは思えず、いかにも守ってあげたくなるようなシロモノであり、流は一瞬ときめきそうになった。『バ、バカ!男にときめくな!』と脳の誤作動に心の中でムチを打つ流。
流の目を見つめながら微笑むヒカリに対し思わず顔を赤らめ、視線をそらす流は、やがて手を離すと咳払いをして言った。
「と、ところでお前、これからどうするんだ?」
「え?」
「もう家に帰るのか?帰るんだったら途中までなら付き添うぞ。俺はできるだけ遠回りして家に帰りたい、っつーか家になんか帰りたくねえし!」
するとヒカリは数回瞬きをして、下を向きながらつぶやいた。
「私も家には帰りたくない…」
「帰りたくないって言ったって…」
するとヒカリはまっすぐ流の目を見て、
「貴方も帰りたくないんでしょう?私もできるだけ遠回りして家に帰りたい…っつーか家になんか帰りたくねえし!」
流の口調を真似して言ったヒカリは次の瞬間突然人懐っこい満面の笑みを見せた。
不意打ちとも言われるその明るい笑顔に流は脳の誤作動を起こしてときめきのドーパミンを放出させる。
こいつ本当に男なのか?冗談なんじゃないのか?こんな可愛い男っているのか?
流はもう一度ヒカリのことを疑ってみることにした。
「なあ、もう一度聞くけどさ」
「なに?」
「お前…その…マジで…いわゆる生物学的に言うと本当にオトコなのか」
「うん」
「本当にオトコなんだな?」
「嘘じゃないよ、だってこんな嘘をついてもしょうがないし」
「ごめん…正直とってもそうは思えないんだけど…」
「それはよく言われるけど…でも本当だよ」
「な、なんていうかその…じゃあさ、例えばそのお前の胸のふくらみはどうなってんだよ」
「テニスボールを二個、ブラジャーで包んでいるの」
「…試しに触らせろって言ったら?」
するとヒカリは顔を真っ赤にして胸を両手で覆い、体をよじらせて、
「いや~ん!さっきも言ったでしょ!私は体はたしかにオトコかもしれないけど、心は女の子なのよ!だから触るとかは、その…もっと流君と深い関係にならないと…」
「ふ、深い関係ってなんだよ!わ、わかった。っつーことは股間はいうまでもなくNGだろ?」
次の瞬間、胸を覆い隠していたヒカリの両腕が思いっきり流の体を押し、流はその力に思わずよろめいてしまった。
「あ、当たり前でしょう!エッチ!」
こいつ結構力あるんじゃないか、やはりオトコなのか?流はある意味納得しそうになった。
「じゃあ、これだけ約束してくれ。オネエと見せかけておいて、実は本物の女でしたってオチは無しだぜ」
「も~う、じゃあこれ見せてあげる」
そう言い、ヒカリは学生鞄の中から猫のキャラクターの財布を取り出し、そこから一枚のカードを見せた。
内科の病院の診察券だった。
『川村ヒカリ 性別:男』
流はそれを見てようやくヒカリが本物の男だと納得した。
「わかったでしょ?だから、私の胸を触るのは、流君と私がもうちょっとお互いのことを知って仲良くなってからね!」
そう言い頬を赤く染めるヒカリに流は焦ったような表情で、
「おい!悪いが俺はオトコの胸を触って喜ぶ趣味はねえ!」
流が拒否反応を見せると、ヒカリはいたずらっぽい笑みでクスクスと笑った。
ヒカリは第一印象で感じた暗さとは違い、根は思ったよりも人懐っこいようだった。
「照れちゃってえ、正直になっていいのよ。私たち今日から仲間でしょ?」
「世間から仲間はずれにされているって意味ではな!」
するとヒカリは急に上目遣いになり、
「私、もっと流君のこと知りたい…」
「その潤んだ瞳をなんとかしろ!」
こうして下着ドロボーの息子、流と、オネエのいじめられっ子、ヒカリは仲間となったのであった。