『最後の頁はめくられない』
世界という名の不条理な劇場において、私たちが手にする台本は、常に誰かの手によって都合よく書き換えられている。私たちは己が主役であると信じて疑わずに舞台に立つが、ふと気がついたときには、背景の書き割りの一部、あるいは道端に転がる名もなき石ころに引きずり下ろされているものだ。そこに一切の救いも、哀れみすらも残されてはいない。
言葉の核を融解され、輪郭を失ったあの白濁の街。
他人の羨望という名の泥水を啜り、自らの形を融かしていった哀れな少女。
親友を救うという美しい欺瞞の裏で、己の罪を隠蔽するために狂奔した無限の輪廻。
自らの犯した殺戮の記憶に耐えかね、知性と感情を引き裂いて築き上げた虚構の図書館。
そして、信じていた絆に完璧に裏切られ、百万ドルの夜景の底でただ無残に敗北した少年の絶望。
これらはすべて、同じ一つの結末へと収束していく。私たちはみな、自らの傲慢と「承認」という名の病によって、現実を歪められた同じ檻の囚人であり、そこから逃れる術など初めから与えられてはいなかったのだ。
その日、私はかつて激しい炎に包まれてすべてを灰にしたはずの、しかし今なお焦げ茶色の冷酷な沈黙を保ち続ける、古びた図書館の最深部にいた。
高窓から差し込む朝の光は、宙に舞う無数の埃の粒を白く、残酷に照らし出し、まるで過去の記憶の死骸が空気中を永遠に浮遊しているかのような錯覚を覚えさせる。手元には、あの不可解な事件の数々を記録した一冊のノートがあった。ページの余白には、かつて私自身が書いたはずの、しかし今はもう意味の思い出せない、不揃いで歪んだ文字が並んでいる。
「美しきものは、常に自らを喰らう」
その文字をなぞる私の指先は、ひどく冷えていた。湿った空気と、カビの生えた古書の匂いが混ざり合い、肺の奥を重く、息苦しく満たしていく。私の背後から、衣擦れの音が静かに、しかし確実に響いた。
「先生、まだそんなものの記述を追いかけているのですか」
声をかけてきたのは、私の古い助手であった。いや、彼は本当に私の助手だっただろうか。私の脳髄に穿たれたあの名詞の陥没穴は、彼の本当の名前さえも綺麗に削り去ってしまっている。
「これらはすべて、繋がっているのだよ」
私は振り返らずに答えた。
「あの街でハサミという言葉が消えたとき、同時にある少女の心から『分相応』という概念が完全に消滅した。そして、ある少年が親友のために偽りの記憶を肯定したとき、この図書館の歯車が回り始めた。すべての悲劇は、人間が『自分を見てほしい』『自分を肯定してほしい』という歪んだ願いを、世界に押し付けたことから始まっている」
助手は引きつった笑みを浮かべ、ロッカーの影から、見覚えのある「白いボトル」を取り出した。ラベルのないその容器の中で、泥のように濁った黒い水が揺れている。窓からの光を一切屈折させず、すべての色彩を吸い込んでいくその暗黒は、まるで人間の底なしの欲望そのもののようだった。
「だとしたら、私たちはもう手遅れですね。この水が透明に見えていた時代は、とうの昔に終わってしまった」
彼はその水を一口、喉を鳴らして飲み干した。その瞬間、彼の瞳の奥に、ぞっとするほど純粋な歓喜の光が宿るのを私は見た。それは、スマートフォンの画面に貼り付いて「もっと見て」と喘いでいた、あの哀れな少女の眼差しと寸分違わぬものだった。
脳裏に、激しい不協和音が鳴り響く。
私はポケットから、あの密室に転がっていた『二つの刃が交差する金属の塊』を取り出した。かつてそれをハサミと呼んだ気もするが、今の私の知性ではその用途さえ判然としない。ただ、冷たい重量感だけが手のひらに残る。私はそれを助手の首筋へ突きつけた。しかし、彼を脅したところで、この世界の崩壊は止まらない。
「おい、何をしている!」
暗闇の中から、老刑事の叫び声が聞こえたような気がした。いや、それは十五年前の四月十七日に、私を突き飛ばして去っていった少年の叫びだったかもしれない。時間の境界線が、インクを零したように滲んでいく。四月十七日の朝が、この閉ざされた書庫の中で何度も、何度も繰り返される。
「先生」
助手は首筋に冷たい金属を押し当てられたまま、穏やかに、しかし残酷に微笑んだ。
「あなたは百回、この世界を救おうとした。だが、本当に救わなきゃいけなかったのは、あなた自身の『誇り』だったんだ。あなたは親友に裏切られ、函館山の山頂で完璧に敗北した。その惨めな現実から逃れるために、この壮大な虚構の迷宮を脳内に創り上げた。そうでしょう?」
心臓が音を立てて縮み上がった。
函館山の百万ドルの夜景。私のすぐ後ろを通り過ぎていった、恋人たちの足音。「大丈夫だよ、気にする必要はないさ」という、絶対的な無関心の言葉。
そうだ。私は負けたのだ。恋愛からも、友人関係からも、現実という名の舞台からも、完全に閉め出されたのだ。その圧倒的な無力感と無残なプライドの崩壊に耐えきれず、私は自らの知性を「探偵」に、恐怖を「逃亡者」に、正式な罪を隠すための「芸術家」として再構築した。言葉を消し去る装置も、心を濁らせる水も、時を止める嘘も、すべては私が私自身を許すために用意した、あまりにも精巧な「言い訳」の道具に過ぎなかった。
「やっと本当のことを言えたな」
暗闇の中から、もう一人、缶コーヒーを持った少年が歩み寄ってくる。彼の顔は、かつて私を裏切った親友のようでもあり、私を救ってくれたはずの本物の仲間のようでもあった。
私は手にした金属の塊を床に落とした。カチン、と高い音がして、それは暗闇の奥へと転がっていく。
ロッカーの上の小箱――名詞を消し去るあのデバイスが、最後の過負荷を起こして静かに煙を吹き始めた。世界から、すべての輪郭が失われていく。
手帳の文字がかすれて消える。ボトルの黒い水が霧散する。函館の夜景の煌めきが、一つ、また一つと、蝋燭の火を吹き消すように闇に没していく。
「これで、物語は終わる」
私は、自分の中に渦巻くすべての傲慢と、すべての敗北を受け入れた。
嘘で塗り固められた四月十七日は終わり、世界は容赦なく、冷たい雨の降る四月十八日の朝を連れてくる。そこにはもう、私を慰めてくれる劇的な謎も、私を特別にしてくれる怪しい水も存在しない。ただ、裏切りの事実と、自分の無力さだけが横たわる、退屈で残酷な「現実」が待っている。
だが、その現実さえも、私にはもう許されてはいなかった。
私の背中を強く揺さぶるはずだった、あの無骨で温かい手の感触を探して、私は暗闇の中で必死に手を伸ばした。
「おい、早くしろよ! 置いてっちゃうぞ!」
その声は聞こえていた。確かに聞こえていたはずだった。しかし、それはどこまでいっても遠く、引き裂かれた虚構の隙間から漏れ出る、ただの幻聴に過ぎなかった。トランプの擦れる音も、くだらない冗談も、不器用な慰めも、すべては融解していく概念の濁流に呑まれ、形を失っていく。
私は大きく息を吸い込もうとしたが、肺に満ちたのは冷たい灰の味だけだった。
燃え尽き、形を失っていく脳内の図書館。床板は底が抜け、私は果てしない暗黒へと落下していく。
次に消えるのは、「私」という名詞ではない。私を私たらしめていた、すべての記憶、すべての傷、そして私を呼んでくれるはずだった友人たちの存在そのものだ。
名をもたぬ暗闇が、静かに、しかし確実に、私の世界のすべてをこの身から奪い去り、完全な静寂へと塗り潰していく。
そこにはもう、回り出すべき歯車すら残されてはいなかった。私はただ、自分の名前さえ失くした暗黒の底で、終わりのない絶望の頁をめくり続けることしかできなかった。誰もその終わりを知る者はなく、その喪失を惜しむ者さえ、この世にはもう一人も残されてはいなかった。




