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彼女の微笑み  作者: 豆狸


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3/3

後編 彼女のようには微笑めない

 私は家に入り、応接室の長椅子で夫と抱き合いました。

 夫の広い胸の温もりに包まれ、優しく髪を(くしけず)られていると、心から恐怖が解けて流れていくのを感じます。

 ダヴィデ殿下のことはもうどうでも良いのです。王宮を出るときも従者ひとりつけられない立場に落ちぶれた彼のことは、やがて私だけでなくこの王国のすべての人間の頭から消えていくことでしょう。


 私が今も恐怖を感じているのはセポルトゥーラ様です。殿下を見たことで、彼の隣に立つ彼女の姿を思い出してしまったのです。

 いいえ、工作員に様付けなど必要ありませんね。

 彼女が工作員だったことが怖いのではありません。


 王太子の婚約者という立場だったときは、他国から送られてきた工作員を何人も発見して秘密裏に始末してきました。

 ええ、私の手は清らかではありません。

 だからこそ当時の私は愛を求めていたのです。自分の手を穢しても殿下を支えようとしていたことが間違いではないと信じるために。


 もちろん自分で選んだことです。

 私の判断の結果を殿下に押し付けるつもりはありませんでした。

 私の罪は私の罪です。その罪ごとの私を愛して欲しかったのです。


 セポルトゥーラ工作員は、本当に邪心がなく清らかだったのでしょう。

 すべては隣国のテーテン大公のためだったのでしょう。

 私は思うのです、彼女のテーテン大公への想いはなんだったのか、と。


 愛でしょうか?

 いいえ、私は愛ではないと思います。

 私が彼女の立場でテーテン大公を愛していたならば、ダヴィデ殿下との結婚披露宴で狂乱したりはいたしません。


 テーテン大公は俗物でした。

 彼にはなんの野望もなく、セポルトゥーラ達工作員達の行動は単純な利益を得るためだけのものでした。

 しかし大公という権力を利用して利益を奪うのでなく、工作員を使って悪事が表に出ないようにしていたことで、表面は取り繕って善人ぶりたかったのだということはわかるではありませんか。


 愛していたのなら、その望みを叶えたいと思うでしょう?

 私なら自分が彼の工作員だったことは秘密にして、ほかの工作員が口を割りそうなら始末して亡きテーテン大公の名誉を守ります。

 セポルトゥーラ工作員はきっと、自分だけを愛していたのでしょう。愛しく大切な自分を褒め称える道具として、テーテン大公を求めていただけなのです。だから失って狂乱したのです。


 あのとき学園の卒業パーティで私が見た彼女の微笑みには、罪悪感も歓喜もありませんでした。


 ──テーテン大公の命令で公爵令嬢()を貶めたのだから自分(セポルトゥーラ)は悪くない、だから罪悪感など抱かない。

 テーテン大公の命令で王太子(ダヴィデ)を篭絡したのだから自分(セポルトゥーラ)が望んだことではない、だから歓喜など感じない。

 欲しいのは自分(セポルトゥーラ)を褒め称えるテーテン大公(道具)の言葉だけ。愛しているのは褒め称えられる自分だけ。


 やはり彼女は怪物だったのでしょう。

 テーテン大公に洗脳されていたのだとおっしゃる方もいるかもしれません。

 ですが工作員としての教育に異常を感じて逃げ出した人も、篭絡相手に情を感じて裏切った人もいると聞きます。セポルトゥーラ工作員は自分で自分の生き方を選んだのです。


 穢れた罪もなく、愛を求めて苦しむこともなく、だれかの言いなりになって褒め称えられるだけの人生を。


「……それは幸せなのかしら?」

「エヴァンジェリーナ?」

「なんでもないわ、貴方」


 王太子の婚約者だったころに私が犯した罪は消えていません。

 結局彼を見捨てたことも罪かもしれません。

 夫の愛を感じながらも、父や兄に私のことを頼まれたからではないか、愛というよりも同情なのではないか、そう疑ってしまう心はいつまでも消えないことでしょう。愛の裏にはいつも苦しみが潜んでいるのです。


 それでも、どんなに美しいとしても、私は彼女(セポルトゥーラ)のように邪心のない清らかな微笑みを浮かべるよりも、穢れて苦しんで傷ついてあがいて生きることを選びます。

 (自分)以外のだれかを愛しながら──

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