第八話:そして五年後。完璧なホワイト国家に舞い込んだ『特大案件』
アムール峡谷での決戦から、五年の月日が流れた。
結論から言えば、あの大人三人の交渉劇は完璧な形で結実した。宰相ボルマンの老獪な舌先三寸と、ガルド将軍の背後からの凄まじい威圧、そしてクラウスの隙のない条件提示により、帝国軍本隊はこれ以上の進軍を諦め、和睦のテーブルについたのだ。
ルビコン領を割譲するという「痛み」は伴ったものの、数千の捕虜と軍馬を交渉材料にしたことで、我がエルネア王国は見事に国家の存続を勝ち取ったのである。
十五歳になった俺は、艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、今でも一応『摂政』という肩書きを持って王宮の執務室に座っている。
だが、その実態は五年前に思い描いた理想の「ホワイト環境」そのものだった。
「――ルシエル殿下。本日は数点ほど、国政についてのご相談の儀がございまして」
執務室の分厚い扉をノックして現れたのは、宰相ボルマンだった。
私財を投げ打って国難を救い、帝国との交渉をまとめ上げた彼は、今や国民から絶大な信頼を背負う『名宰相』だ。相変わらず裏では多少の後ろ暗い交際やエグい裏金作りもやっているようだが、今やそれは私腹を肥やすためではなく、国を円滑に回すための「清濁併せ呑む」彼なりの手腕となっている。
「構いませんわ、宰相閣下。何事かしら?」
俺が優雅にティーカップを置きながら尋ねると、宰相は恭しく書類の束を開いた。
「はっ。まずは東部国境の関税についてです。現地の商人ギルドから税率引き下げの要望が出ておりました件ですが、彼らの特産品である魔石の優先買取権を国が得ることを条件に、税率を微減させる方向で既に各所と調整を終えました。ギルド長の合意も取れておりますので、こちらの書面にサインを」
「……ええ。素晴らしい采配ですわね」
いやそれ、相談じゃなくて完全なる『事後報告』じゃん、と俺は内心でツッコミを入れた。
「次に、南部の河川の氾濫対策工事ですが。これは軍の演習を兼ねて、クラウスの工兵部隊を派遣いたしました。費用は先日の魔石取引の利益から捻出し、予算内に収まっております。来月中には堤防が完成する見込みです。こちらも承認のサインを」
「……ふふ、手回しが早くて助かりますわ」
俺は笑顔で王の印璽という名のハンコをバンバンと押していく。
俺、ただの決裁マシーンじゃん。控えめに言って最高すぎる。
俺がたまに前世の現代知識を元に「こんなことできないかしら?」とアイデアを投げると、宰相をはじめとする優秀な現場の人間たちが、それをこの世界の情勢に合わせた最適な形に落とし込み、完璧に運用してくれるのだ。
これこそが、上に立つ者の究極の理想郷である。
ちなみに、他のメンバーも順調だ。
ガルド将軍はあの戦いの後、正式に軍を退いて隠居生活に入った。だが、彼の元には今でも現役の将校たちがこぞって教えを乞いに、あるいは部下の愚痴をこぼしに日参しているらしい。名実ともに軍の精神的支柱だ。
クラウスは「特例での大将昇進」が白紙に戻り、再び中堅将校からのやり直しとなった。だが、あの戦いで見せた彼の采配は軍上層部の誰もが認めるものだ。彼が異例のスピード出世を果たし、王国最年少の将軍に就任する日もそう遠くはない。
そして、俺の愛する弟、アルフ。
十二歳になった彼は、あの国難を最前線で乗り越えた経験から、すっかり肝の据わった男になりつつある。次期国王としての教養や剣術もめきめきと上達しており、天国にいる脳筋な父上や兄上たちも、さぞや歓喜の涙を流して弟の成長を称賛していることだろう。
ただ一つ玉に瑕なのは、まだ声変わりもしていないというのに、亡き三人の兄上たちの極度なシスコンという性質まで完璧に受け継いでしまったことだ。俺に近づく男という男を、笑顔の裏にどす黒いオーラを漂わせて牽制する姿は頼もしくもあり、少し末恐ろしくもある。
「……さて、殿下。国政の報告は以上ですが」
すべての書類にサインを終え、俺が伸びをしようとした時だった。宰相が、意を決したように居住まいを正した。
「実は本日の本題は、別枠でございまして。殿下個人のことで、ご相談がございます」
「わたくし個人のこと?」
宰相は懐から、一枚の豪奢な封筒を取り出し、俺の机の上にそっと置いた。それは、一目でそれと分かる釣書だった。
なるほど、そういうことか。
俺は十五歳。この世界において、王族の姫君としては間違いなく結婚適齢期、あるいは少し遅いくらいだ。王国の地盤は盤石になり、アルフも立派に育ってきた。摂政の役目を終え、政略結婚で他家に嫁ぐのは当然の義務と言える。
ようやく俺にも、優雅なスローライフのチャンスが巡ってきたか。どこか地方の、温厚で金持ちな辺境伯あたりに嫁いで、一生お茶会でもしてダラダラ過ごすのも悪くない。
俺は内心でウキウキしながら、蒼い瞳で釣書を見つめた。
「構いませんわ。わたくしも王族の端くれ、いずれこの日が来るとは思っておりましたもの。……それで、お相手は国内のどの有力貴族かしら?」
俺の問いに、宰相は酷く言いにくそうに、視線を泳がせた。
「それが……国内の貴族からでは、ございません。先日、正式な外交特使を通じて、国を挙げての熱烈な『求婚』の書状が届きまして……」
「他国から? まあ、悪くありませんわ。で、どこですの?」
「……こちらを」
宰相に促され、俺は封筒を裏返した。
そこには、分厚い蝋で封印が施されていた。そこに押されていた紋章は――黒地に金の、忌まわしき『双頭鷲』。
「なっ……!?」
俺は息を呑み、思わず立ち上がってしまった。
見間違えるはずがない。五年前、アムール峡谷で俺たちが完膚なきまでに叩き潰し、数千の捕虜を盾に理不尽な交渉を押し付けた、あの超大国。
「どうして、よりにもよって……あの『グランツェル帝国』から、皇子様が求婚してきますの!?」
「は、はい……。向こうの皇帝陛下肝いりの、正式な縁談にございます……」
宰相がハンカチで額の汗を拭う。
俺の頭の中は真っ白になった。
嘘だろ。なんでよりにもよって、五年前まで血みどろの殺し合いをしていた敵国のトップからプロポーズされてるんだよ!? これ絶対、嫁いだ瞬間に過去の恨みで暗殺されるか、人質にされるパターンのやつじゃん!!
平穏無事に終わるはずだった俺の社畜転生ライフに、再びとんでもない理不尽案件が舞い込んできた瞬間だった。




