第三十二話:不良債権と、ギャグ漫画みたいな名前
先ほどの口論での完全敗北の余韻が冷めやらぬまま、御前会議は引き続き、獲得したガレリア西部の肥沃な土地の『分配』についての協議へと移っていた。
気を取り直した俺は、作戦地図を指し示しながら諸侯に語りかけた。
「繰り返しになりますが、手に入れた土地の配分についてです。王家直轄領と、大街道の要となる交易ハブ拠点は確保しました。残りの広大な農地や街道沿いの街は、宰相を含めた諸侯の皆様で、恩賞として適当に分けてくださいませ」
いくら激務(ブラック労働)の丸投げだと宰相がキレたとはいえ、土地を欲するのは貴族の本能だ。少しは食いついて来るだろう。宰相自身は限界で手が回らなくとも、その派閥のお仲間の中には、多少の無理をしてでも領地拡大を狙う欲深い者もいるはずだ。
領地という最高のアメを与えれば、結果的に俺の実務負担も減る。
そんな目論見は、しかし、次の一瞬で脆くも崩れ去った。
「殿下のお心遣いは感謝いたしますが、我々が拝領するのは、自領に隣接するごく一部で十分でございます。全体の半分程度で構いません」
宰相ボルマンをはじめとする諸侯たちが、顔を見合わせて一斉に渋い顔をしたのだ。
欲深い貴族たちが、目の前に積まれた広大な土地を辞退するという異常事態。俺が訝しげに眉をひそめると、ボルマンが冷酷な現実を突きつけてきた。
「お忘れですか、殿下。あの土地は『赤き暁』の反乱によって、現地の地方貴族や官僚が文字通り『根絶やし』にされた場所です」
その言葉に、俺はハッとした。
そうだ。あの狂信者たちは「貴族も官僚も皆殺しだ!」と叫んで、統治機構を物理的に破壊し尽くしていたのだ。
「つまり、肥沃な土地と数万の人民はいても、税を徴収し、戸籍を管理し、法を執行するための『官僚機構』が完全に消滅しているのです。我々が自分の領地に組み込もうとすれば、自前の有能な文官を大量に派遣し、治安を回復し、一から行政システムを構築しなければなりません。……初期投資と労力が青天井の、とんでもない不良債権ですぞ」
ボルマンの指摘は、まさにビジネスの急所を突いていた。
箱(土地)だけあっても、中身がゼロ。そんな実務のブラックホールみたいな土地、今のカツカツのエルネア貴族たちに管理できるはずがない。
「そ、それでは、残りの半分以上の広大な土地は、一体誰が……?」
俺が引き攣った顔で尋ねると、ボルマンは口角を吊り上げ、極悪人のような笑みを浮かべて国王アルフに向き直った。
「陛下。此度の偉大なる戦勝を記念し、余った広大な土地を新たに『ヴィクトリア(勝利)』と命名し、特別な軍管区として創設してはいかがでしょうか」
「良い名ですね。しかし宰相、統治機構がないのなら、誰がそこを治めるのですか?」
「もちろん、この巨大プロジェクトの発起人であり、先ほど『実務の一部を分担する』とご自身で仰られた、我らがルシエル殿下しかおりますまい!」
会議室の諸侯たちが、一斉に「おお、適任だ!」「殿下万歳!」と拍手喝采を送る。
エドワードまで「おお、ルシエル! お前ならあの荒野を黄金に変えられるぞ!」と無邪気に喜んでいるが、てめえの負担にもなるんだぞ!
アルフは深く頷き、玉座から立ち上がった。
「分かりました。では姉上には、この広大なヴィクトリアの地を治めるための権限を与えましょう」
弟の口から、流れるように俺の新たな役職が決定されていく。
「まず、国境防衛の要となるため『辺境伯』の地位を与えます。さらに、王族からの臣籍降下の意味も伴い、新たに家を興すため『公爵』の位を。そして、現地を一からご自身で管理運営していただくため、『総督』の権限を付与します」
アルフの宣言が会議室に響き渡る。
そして、彼は最後にトドメを刺すように言った。
「姉上の新たな家名は、領地と同じ『ヴィクトリア』とします。これより姉上は、ヴィクトリア公爵家当主、ヴィクトリア辺境伯にして、ヴィクトリア総督です」
えっ、ちょっと待て。
前世のビジネス感覚でこの三段構えの肩書きを翻訳すると、その恐るべき意図が透けて見えてくる。
『公爵』という王族に近い最高位の称号を与えて体面を保たせつつ、『辺境伯』という軍事権限で国境防衛(現地の警備責任)を義務付け、さらに『総督』という行政職で戸籍管理やインフラ整備といった泥臭い実務(現場監督)をすべて丸投げする気だ。
要するに、「親会社から独立した子会社の名誉会長と、最前線の支社長と、現場のプロジェクトマネージャーを全部一人で兼任しろ」という、逃げ場のない完璧なブラック労働の押し付けである。
ということは、俺の正式なフルネームと肩書きを繋げると、どうなる?
ルシエル・エルネアに、ヴィクトリア公爵・ヴィクトリア辺境伯・ヴィクトリア総督が付く。
だからこうか? ……『ルシエル・エルネア・ヴィクトリア・ヴィクトリア・ヴィクトリア』!?
なんだよそれは! ギャグ漫画のキャラの名前かよ!
俺は心の中で激しくツッコミを入れたが、声には出せなかった。
歴史的に見れば、家名と領地(貴族位)と役職名が被ってやたらと長くなるのはよくあることだ。だが、かっこいい響きの名前と目も眩むような広大な領地、そして三つもの大層な肩書きの実態は、「部下が一人もいない状態で、数万人規模のインフラ整備と戸籍管理と行政を一からやらされる」という究極のデスマーチの始まりに過ぎない。
「フッ……ヴィクトリア公爵閣下。これからの領地経営、大いに期待しておりますぞ」
俺にすべての不良債権(実務)を押し付けることに成功したボルマンが、これまでの恨みを晴らすかのように、この世の春を謳歌するような清々しい笑顔で一礼した。
前世のビジネススキルを駆使して国を動かしてきた俺が、まさかブラック企業の社長側から、法的に一切逃げられないこんな見事な丸投げのカウンターを食らう日が来るとは。
ヴィクトリア・ヴィクトリア・ヴィクトリア。
仕事量が三倍になっていることを如実に表すような、この新しくもあまりに間抜けな響きの称号を脳内で反芻しながら。俺はそのまま白目を剥いて、会議室の床に崩れ落ちそうになるのだった。




