第二十九話:筋金入りの突撃と、捕虜の自爆
「……あの先頭を突撃している奴、凄いですわね。鬼気迫る表情ですわ」
大河を見下ろす丘の上。双眼鏡で戦場の様子を観察していた俺は、思わず感嘆の声を漏らしていた。
無数の矢が降り注ぐ中を、ただ一人、矢を避けるでもなく真っ直ぐに走り続けている農民上がりの男がいる。その顔面は恐怖や苦痛を通り越したような、まさに修羅の如き引き攣った表情(※本人は矢が怖くて祈っていただけ)だった。
「ええ。重騎兵に味方が蹴散らされる中でも突撃を敢行するとは……戦術的な意味を見出すことはできなくとも、その度胸は筋金入りですな」
隣で戦況を見守っていたクラウスも、感心したように頷いている。
狂信とは恐ろしいものだ。あそこまで死を恐れずに走れる人間など、正規軍にもそうそういないだろう。
しかし、どれほどのクソ度胸があろうと、戦術の差という冷酷な現実は覆らない。俺たちが丘の上から男の突撃を評価している間に、平原の戦闘はエルネア・帝国連合軍の完勝という形で呆気なく幕を下ろした。
「さて、ここからはわたくしの仕事ですわね。戦後処理に移りますわよ」
俺は双眼鏡を下ろし、参謀本部特注のスカートタイプの軍服のシワを軽く手で払った。
タイトなシルエットの軍服に、足元は動きやすさを重視した磨き上げられた革のブーツ。前世でイメージされるような敏腕キャリアウーマンとしての冷徹さと、前線の女性将校としての威厳を併せ持った出で立ちで、俺は護衛を連れて戦場へと降り立った。
血と泥の匂いが立ち込める平原には、後ろ手に縛り上げられた反乱軍の捕虜たちが、絶望に満ちた顔で座り込まされている。
その集積所を見回っていた俺の目に、ふと、先ほどの『筋金入りの突撃男』の姿が飛び込んできた。
彼は顔面を殴られて鼻血を出している以外は無傷で、地面にうずくまりながら「神様ありがとう、助かった……」などとブツブツ呟いて完全に気が抜けている様子だった。
どうしても気になった俺は、革のブーツの靴音を響かせ、彼の目の前で立ち止まった。
「あなた。あれほどの突撃を見せておきながら、あっさりと降伏しましたのね。名前はなんと言いますの?」
見下ろす形で問いかけると、男はビクッと肩を震わせ、俺の軍服姿と威圧感に完全に呑まれたような情けない声を出した。
「あ、ザックです」
「……ザック?」
俺とクラウスは、思わず顔を見合わせた。
「……まさか、反乱軍の首魁の?」
俺が訝しげに目を細めた瞬間。
男――ザックの顔面から一瞬にして血の気が引き、彼は縛られたまま地面の上でバタバタと暴れ出した。
「違います! 違います! 違いますって! ザックって名前が同じなだけです! 俺、ただの農民ですから! 決して玉座に座ってふんぞり返って偉そうになんてしていませんから!!」
ものすごい勢いで捲し立てる男。
誰も『玉座』などという具体的なディテールは聞いていないのに、自らペラペラと情景を喋ってしまっている。あまりにも見事な自爆(セルフ開示)だった。
俺はジト目でその必死すぎる姿を見下ろし、小さくため息をついた。
「……うーん、とりあえず確保ですわね。他の捕虜と混ざらないように、こいつは厳重に別管理しておきなさい」
「はっ!」
俺の指示を受けた兵士たちが、ザックの両脇を抱え上げて引きずっていく。
「違います! だから違いますってばーっ!」
遠ざかっていく情けない絶叫を聞き流しながら、俺は再び平原を埋め尽くす捕虜たちへと視線を戻した。
「さて、クラウス。まだガレリア国内での残党の掃討戦は続くでしょうね」
「ええ。とはいえ、主力が壊滅した以上、時間の問題です。むしろこれからは、周辺の国々が弱体化したガレリア王国の領土を蚕食しにくるでしょうな」
「ええ。ですから、我が国は美味しいところ――資源と防衛線になり得る土地だけを早急に貰い受けますわ。そのためには、ロジスティクス強化のための巨大なインフラ整備が必要です」
俺は、縛り上げられた数万の捕虜たちを、まるで『便利な資材』でも見るかのような冷徹な目で見つめた。
「これだけの数を処刑するのは手間ですし、何より人的リソースの無駄です。彼らには『労役刑』として、我が国の道路や橋の建設工事で死ぬ気で働いてもらいますわ」
「なるほど。ただの口減らしではなく、労働力として消費すると」
「ええ。ただし、あまりにもアカ臭い思想に染まりきった過激な連中は、現場の士気を乱すので即座に処刑します。ですが……熱狂の夢から覚め、大人しく従う者には『刑期が終われば平民として解放する』というアメを与えますわ」
アメとムチによる完璧な労務管理。
全員が平等だと夢見て立ち上がった彼らに、身分制度という現実と、資本主義(成果と対価)の合理的な恐ろしさを、骨の髄まで叩き込んでやるのだ。
「フッ……素晴らしいですな。反乱軍の連中も、ルシエル殿下という真の支配者に出会えて本望でしょう」
クラウスが底知れぬ笑みを浮かべて同意する。
だが、俺は内心で深く、深くため息をついた。
真の支配者、なんて冗談じゃない……。
好き好んでこんな血生臭い戦争の指揮を執ったり、数万人規模の捕虜の労務管理なんて巨大なプロジェクトをやりたかったわけではない。すべては、あの忌まわしき『アカ』が平穏な市場(日常)を破壊しようとしたから、仕方なく徹底的な防衛策に出ただけなのだ。
「……アカなんて湧いてこなければ、こんな面倒なことせずに済んだのに」
俺は誰にも聞こえない声で恨み言を呟きながら、革のブーツの爪先で苛立たしげに黒土を小突いた。
こうして、理外の狂信を完璧な計算ですり潰したエルネア王国は、ガレリア西部の肥沃な大地と膨大な労働力を飲み込み、さらなる飛躍(と、終わりの見えない残業地獄)の時を迎えようとしていた。




