第二十六話:軍神と、大河の防衛線
「報告します! 先遣隊、壊滅! 敵の悪辣な軽騎兵部隊による波状攻撃を受け、文字通り一兵残らず蹂躙されたとのことです!」
血の匂いが未だ染み付くガレリア王宮の玉座の間。
伝令がもたらした絶望的な凶報に、広間を埋め尽くしていた『赤き暁』の幹部たちや、鞍替えした元・地方貴族の官僚たちは、顔面を蒼白にしてパニックに陥っていた。
「ば、馬鹿な! 我らの革命軍が、一方的に敗れるなど!」
「同志たちの無念を晴らさねば! だが、敵の戦術はあまりにも非道……!」
阿鼻叫喚の騒ぎの中。玉座にどっかりと腰を下ろしている首魁――ザックは、ただ一人、極めて冷静にその報告を聞き流していた。
(……まあ、そうなるよな)
内心で、ザックは冷ややかに納得していた。
何せ、意気揚々と出撃していったあの先遣隊には、まともな指揮官が一人もいなかったのだ。インテリ崩れの連中が「これからは皆の身分が平等! 指揮官も兵卒もない、それが新時代の軍隊だ!」という謎のノリと熱狂だけで編成した、ただの食い詰めた農民の集まりである。
これまでの連戦連勝は、ヤケクソの突撃が奇跡的に噛み合ったか、正規軍が勝手に自滅しただけのこと。彼らは、戦争というものが冷徹な『技術』であるという事実を全く理解していなかった。
もしくは、熱狂の渦に巻かれて頭の隅に追いやっていた。
「……軍神、ザック様」
騒ぎを掻き分けるようにして、官僚団の長である元ガレリア貴族の青年が進み出てきた。彼はすがるような、狂信的な瞳で玉座を見上げている。
「もはや、小手先の戦術など無意味。絶対的なカリスマを持つ、軍神たるあなたの出番です。どうか、我らを勝利へとお導きください……!」
その言葉に、ザックは「ふん」と鼻を鳴らし、鷹揚に頷いてみせた。
「……全軍、出陣の支度をしろ」
低く、地を這うような短い命令。
たったそれだけで、パニックに陥っていた広間の空気が一変し、「おおおっ! 軍神様が出陣なされるぞ!」「我らに敗北はない!」と、割れんばかりの熱狂的な歓声に包まれた。
だが、ザックの頭の中は、すでに『どうやって逃げるか』という算段でいっぱいだった。
(一番先頭になって突撃させられるんだろ? ……それって、両軍がぶつかって乱戦になったら、一番うやむやに逃げ出せるポジションだよな?)
しかも、赤き暁の軍隊には「将と兵の区別」がないため、軍神たるザックも豪奢な鎧など着ず、兵士たちと同じボロボロの平服で出撃することになる。そして彼のトレードマークは、ずっと握りしめている使い込まれた『鍬』だ。
(混戦のどさくさに紛れて鍬を捨てて、その辺で頭を抱えて震えていれば、ただの哀れな徴用農民としてエルネア軍も見逃してくれるはずだ……!)
ザックは、農民特有の図太さと、持ち前のクソ度胸で腹を括っていた。
半分は自暴自棄であったが、決して生還ルートを諦めたわけではない。一か八か、自分が殺される前にこのイカれた連中がサクッと負けてくれれば、自分はこの神輿から解放されるのだ。
ザックは妙な気迫(逃走への執念)を全身から漂わせながら、玉座からゆっくりと立ち上がった。
――一方、その頃。
ガレリア西部を制圧した俺たちエルネア王国・帝国連合軍は、南北を流れる大河を天然の防衛線として陣を構えていた。
対岸には、王都から出陣してきた敵本隊の圧倒的な気配がある。どこかの橋か、あるいは水量の少ない浅瀬で、間もなく総力戦の戦端が開かれる状況だった。
「……どうやら敵は、軍神たる首魁ザックを先頭にして、全員が平服のまま進軍してきているようです」
参謀本部の陣幕にて。
前線の斥候からの報告をまとめたクラウスが、どこか呆れたように息を吐きながら言った。
「なるほど。これでは我々にとって『指揮官を狙い撃つ』という定石が使えません。そして『首魁先頭』の突撃は、兵の士気を極限まで引き上げる。……後先を全く考えない馬鹿のやり方だからこそ、ガレリア王国軍も負けてしまったということですか」
「どういうことですの?」
「ガレリア王国軍の敗残兵から事情聴取をした結果が見えてきました」
クラウスは手元の作戦地図を指差し、淡々と状況を口にした。
「ガレリア軍はセオリー通りに反乱軍を包囲殲滅しようと陣形を広げたのですが……その薄くなった中央を、死を恐れぬ群衆の突撃によって強引に食い破られ、指揮系統が瓦解したのだそうです。戦術も何もない力技ですが、民の熱狂からくる衝撃力というのも……いやはや、侮れませんな」
クラウスの呆れ混じりの報告を聞きながら、俺の脳裏には前世の記憶がまざまざと蘇っていた。
ソ連の政治将校の中には、クソ度胸で最前線に立ち、「ウラーッ!」と指揮官先頭で突撃して兵を引っ張ったという逸話があったはずだ。
自ら真っ先に死地に飛び込むことで、後続の兵士たちに恐怖を忘却させ、圧倒的な暴力の波を作り出す狂気の戦法。なんとまあ、やり口がそっくりなことか。
異世界でまで、ここまで綺麗に『アカ』の歴史をなぞらえなくてもいいだろうに。俺は内心で一人毒づいた。だが、だからこそ、その狂信の恐ろしさと、それがもたらす凄惨な結末を誰よりも理解している。
「ええ。クラウスの言う通り、理屈の通じない狂信と熱狂こそが、奴らの最大の武器ですわ」
俺は陣幕の隙間から、大河の対岸――赤黒い旗が蠢く敵陣を冷徹に見据えた。
「だからこそ、決して生かしてはおけない。……アカは、この大河で一匹残らず殲滅しますわよ」
俺たちと敵陣営は、静かに大河を挟んで睨み合っている。
いよいよ、二つの国とイデオロギーの存亡を懸けた総力戦の火蓋が、俺の目の前で切られようとしていた。




