第二話:十歳児によるネチネチ書類監査と、悪魔の囁き
俺に「無能」呼ばわりされた宰相、ボルマン侯爵は、まるで茹でダコのように顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。
「こっ、この小娘がァ! 一国の宰相たる私に向かって、無能とは何事か!」
「言葉通りの意味ですわ、宰相閣下。今のあなたの発言には、現状の危機に対する具体的な解決策が一つも含まれておりませんでしたもの。ただわたくしの年齢を理由にマウントを取り、権力を握ろうとしているだけ。それを無能と言わずして何と言いますの?」
俺は艶やかな黒髪をかき上げ、蒼い瞳で宰相を真っ直ぐに射抜いた。そこに怒りはない。ただひたすらに冷徹で、真剣な「仕事モード」の表情だ。
その気迫に一瞬たじろいだ宰相だったが、すぐに鼻息を荒くして反論してきた。
「ふ、ふん! ならば聞きましょう! 国王陛下たちを失い、帝国軍が迫っているこの状況で、軍事も内政も知らぬ十歳の姫君に何が出来るというのです!」
「そうですわね、まずは現状の正確な把握からですわ。宰相閣下、今すぐこの国の国庫の収支報告書と、直近の軍事予算の明細をここに持ってきなさいな」
前世で言うところの『財務諸表』だ。
「なっ……! そんなもの、子供に見せて分かるわけが――」
「いいから持ってきなさいな。……今すぐ、ですわ」
数十分後。俺の目の前の豪奢なテーブルに、分厚い羊皮紙の束が積まれた。
「……これが直近一年間の国家予算と、軍事費の明細です。さあ、姫殿下。どうぞ『おままごと』の続きをお楽しみください」
嘲笑う宰相を完全に無視して、俺は書類の束の一番上に手を置いた。
前世で、倒産寸前のクライアントの杜撰な決算書を嫌というほど見せられてきた俺だ。数字の裏に隠された「ごまかし」の匂いは、直感で分かる。
俺はパラパラとめくるような真似はしなかった。一枚目を開き、小さな指で項目を一つ一つなぞりながら、じっくりと、舐めるように目を通し始めた。
広間に沈黙が降りる。三分、五分……。十数分が経過した頃、俺はふと顔を上げた。
「宰相閣下。一つ教えていただきたいのだけれど」
「は、はい。何でしょうか。字が読めませんでしたかな?」
「この『第三次国境警備強化費』。昨年度と今年度で、全く同じ金額が計上されておりますわね。でも、兵の数が増えた記録もないし、新しい砦が建ったという報告もありませんわ。……これは、具体的に何に使われたのかしら?」
「そ、それは……既存の兵器の維持管理や、演習の費用に……」
「ふうん。維持管理ですのね。では、この三ページ先の別紙にある『予備兵装修繕費』って何かしら? これ、名目を変えただけの二重計上ではありませんこと?」
「あ、いや、それは管轄が違いまして……!」
「へえ。管轄ですの。では、こちらの長槍の調達先なのですけれど……『ダリウス商会』? 随分と相場よりお高いですわね。市場価格の三倍になっておりますわ。あれ? 確か宰相閣下の奥様のご実家、ダリウス家ではなかったかしら。……ただの偶然ですの?」
「っ!?」
宰相の顔から、スッと血の気が引いた。
「あ、あの、それは高品質な素材を使っているからでして……!」
「なるほど。では後で現物を全て検品させていただきますわね。あ、それとここ。国境警備隊の兵糧調達費。どう計算しても、兵士一人当たり一日にパンを三十個も食べている計算になりますけれど。うちの兵士は皆様、巨人族か何かですの?」
「あ、あわわ……っ」
先ほどまでの威勢はどこへやら。俺の放つ、無邪気さを装ったネチネチとした質問攻めに、宰相はハンカチで滝のような冷や汗を拭い始めた。
おそらく今頃、彼の胃はキリキリと錐でも揉まれるように痛んでいるはずだ。
「まだまだありましてよ。この使途不明の特別予備費、それにこちらの視察名目の交通費……」
俺はページをめくる手を止めず、淡々と、しかし確実に相手の退路を断ち切っていく。反論の隙を与えない論理の詰め。
周囲の貴族たちも異変に気付き始めていた。不正の共犯者である彼らもまた、真っ青な顔をしてゴクリと唾を飲み込んでいる。
「……ふぅん。大体分かりましたわ」
俺はパタン、と書類を閉じると、立ち上がって宰相の目の前まで歩み寄った。
「宰相閣下。少し腰を屈めていただけないかしら。背が届きませんの」
「へ? あ、はい……」
状況が飲み込めず、呆然と片膝をついた宰相。俺はその耳元に顔を寄せ、広間の誰にも聞こえないような小さな、けれど氷のように冷たい声で囁いた。
「――どうせ、この広間にいるお仲間たちと、みんなで美味しくいただいたのでしょう?」
「ヒッ……!!」
ビクンと肩を跳ねさせた宰相に、俺はふわりと甘い微笑みを向ける。
「でも、ご安心なさいな。あなただけは助けて差し上げますわ」
「え……?」
「その代わり、あなたのお仲間たちから、今まで横領した分も含めて全て没収してきなさいな。やり方はお任せしますわ。あなたなら彼らの弱みを全部握っていらっしゃるでしょう?」
宰相の目が限界まで見開かれた。信じられない悪魔の提案を聞いた、という顔だ。
「大丈夫ですわ。この国が残っていれば、あなたは裕福なまま。それに、国難を救うために貴族たちを説得し、莫大な軍資金を集め上げた『名宰相』として後世に語り継がれますのよ。……悪くない取引ですわよね?」
俺はゆっくりと体を離し、宰相の目を見つめた。
選択肢など最初からないのだ。帝国に国を滅ぼされるか、俺に反逆罪で粛清されるか、それとも――俺の手駒となって生き延びるか。
数秒間の沈黙の後。宰相はガクガクと震えながら、深く、深く頭を垂れた。
「……っ、御意に……姫殿下……」
その言葉を聞き届けた俺は、くるりと振り返り、不安そうに見守っていた貴族たちに向けて、パーッと花が咲くような愛らしい笑顔を振り撒いた。
「皆様、聞いてちょうだいな! 宰相閣下から素晴らしい提案がありましたのよ!」
ビクッとする貴族たちに向かって、俺は高らかに宣言する。
「国難を乗り越えるため、宰相閣下をはじめとする有志の皆様が、自らの私財をなげうって莫大な軍資金を『寄付』してくださるそうですわ! ねえ、閣下?」
「……は、はい。我が国の未来のため、粉骨砕身……皆様にも、ご協力を賜りたく存じます……」
引きつった笑みを浮かべ、血の涙を流さんばかりの表情で同意する宰相。
それを見た他の貴族たちの顔が、絶望に染まっていく。逃げ道はない。彼らは今、自分たちの筆頭であったはずの男に売られたのだ。
玉座の前でポカンとしているアルフにウインクを飛ばしながら、俺は心の中でガッツポーズを決めた。
よし! これで当面の軍資金は確保だ。おまけにタヌキ親父の首輪もガッチリ握った。さあ、次は手に入れたこの金で、帝国の侵攻をどう防ぐかだ。




