第十九話:修羅の最期と、生涯の誉れ
皇室主催のお茶会で、第二皇子派の令嬢たちを「実益(KPI)と社長の言質」で完璧に退けた日の夜。
俺はエドワード派の武断派貴族たちが集まる内々の晩餐会に招かれていた。昼間の社交界での見事な立ち回りはすでに彼らにも伝わっており、今までソフトパワーの欠如に悩まされていた脳筋の将軍や騎士たちは、俺を救世主のように讃えて和やかな空気を作ってくれていた。
そんな歓談の最中、重厚な扉が開かれ、一人の男が遅れて部屋に入ってきた。
その姿に、場が水を打ったように静まり返る。
男は、帝国最強と名高い『魔狼騎士団』の団長、ギュンター。
歴戦の猛者であることを証明するような無数の傷跡が刻まれた顔には眼帯が巻かれ、右腕は肩の付け根から失われており、空になった軍服の袖が痛々しく揺れていた。
「遅れて申し訳ない。……あなたが、エルネア王国のルシエル殿下ですな」
ギュンター団長は俺の前に進み出ると、残された左腕を胸に当て、深く頭を下げた。
その研ぎ澄まされた気配に、俺の背筋が自然と伸びる。間違いなく、この場にいる誰よりも死線を潜り抜けてきた本物の武人だ。
同席していた貴族の一人が、重々しい口調で彼を紹介した。
五年前、帝国がエルネア王国へ侵攻した際、最前線である『ルビコン領での戦い』において、帝国側の陣頭指揮を執った男であると。
それはつまり、俺の父である先代王と、三人の兄たちを討ち果たした張本人ということだ。
一瞬にして、晩餐会の空気が張り詰めたものに変わる。
親の仇を前にして、俺が取り乱すのではないかと周囲が息を呑むのがわかった。
だが、俺の心は不思議なほど静かだった。前世の記憶を持つ俺は、戦争というものが個人の憎悪ではなく、国家という巨大な組織同士の利害の衝突であることを理解している。
「……ギュンター団長。どうか、顔を上げてください」
俺は静かに彼を見据え、ゆっくりと問いかけた。
「ルビコン領での戦い。わたくしの父と兄たちは、どのような最期でしたか」
ギュンター団長は、ただ一つの嘘も交えないと誓うように、真っ直ぐな隻眼で俺を見つめ返した。
「……包囲され、壊滅の危機にあったエルネア軍本隊を逃がすため。王と三人の王子は、自ら殿として我が魔狼騎士団の前に立ちはだかりました。その戦いぶりは、まさに修羅そのものでした」
団長の絞り出すような声が、静寂の部屋に響く。
「長兄は剣、次兄は槍、三男は斧を振るい、我々の精鋭を次々と薙ぎ払いました。そして先代王は、常人を遥かに超えた膂力をもって、持ち上げることも叶わぬ『鉄塊のような大剣』を紙切れのように振り回し、帝国の重装歩兵を鎧ごと粉砕し続けたのです。……私のこの右腕と右目も、その時に先代王の一撃で持っていかれました」
脳裏に、彼らの姿が鮮明に蘇る。
俺が武術の教えを乞うと、馬鹿みたいに満面の笑みを浮かべて喜んでくれた、暑苦しくて、極度のシスコンで、誰よりも俺を愛してくれた家族たちの姿が。
「彼らの強さは、我々の想像を遥かに絶していました。生け捕りも、これ以上の近接戦闘も不可能と判断した私は……苦渋の決断を下しました。我が魔狼騎士団の決死隊をもって彼らをどうにかその場に拘束し、味方もろとも地形を粉砕するような、過剰な戦術規模の魔法による集中砲火を命じたのです」
ギュンター団長は、悔恨を滲ませて唇を噛んだ。
「最前線で相対していた私もその爆心におりましたが、装備の質に救われ、辛うじて一命を取り留めたに過ぎません。……結果として、王族の方々の遺体すら残すことができませんでした。武人として、恥じ入るばかりの凄惨な幕引きにございます」
あまりの重さに、エドワード派の面々も言葉を失い、静まり返っている。
俺は、震える息を小さく吐き出した。
――父と兄たちは、立派に戦い、国に殉じたのですね……。
声に出そうとしたその言葉は、唐突に込み上げてきた嗚咽に遮られた。
ぽたり、と。俺の膝の上で組まれた手に、大粒の雫が落ちる。
俺の心は男だという自覚がある。前世で三十年近く生きた、擦れっ枯らしのアラサーの精神だ。こんな公の場で、感情を抑えきれずに泣き崩れるなんてあり得ない。
そうわかっているのに、どうしても涙が止まらなかった。
「……っ、あ……」
生まれてから十年間、俺に注がれた無償の愛。泥だらけになって共に汗を流した記憶。
不器用で優しかった彼らが、死の恐怖に微塵も怯むことなく、国と、残される俺やアルフのために命を燃やし尽くしたのだという事実が、俺の心を激しく揺さぶっていた。
俺は顔を覆い、声を殺して、ひたひたと泣き続けた。
誰も俺を止める者はいなかった。武断派の荒くれ者たちは皆、静かに目を伏せ、敵国の王族のために流される高潔な涙を、ただ厳粛に見守ってくれていた。
どれほどの時間が経っただろうか。
やがて心の整理をつけた俺は、そっとハンカチで目元を拭い、顔を上げた。
「……ギュンター団長」
「はっ」
「愛する家族を奪われたわだかまりが、わたくしの胸から生涯消え去ることはないでしょう。……ですが、一つだけ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
俺は王女としての矜持を奮い立たせ、潤んだ瞳で真っ直ぐに団長を射抜いた。
「最前線で刃を交えたあなた方にとって、わたくしの父と兄は、いかなる存在にございましたか?」
その問いに対し、ギュンター団長は背筋を限界まで伸ばした。
そして、残された左腕を力強く胸に打ち付け、帝国武人としての最高位の騎士礼をとって、大音声で言い放った。
「生涯にわたる、誉であります。王であり、騎士であり、勇者……! 二度と、あのような傑物たちと相見えることはないでしょう!!」
ザッ、と。
その言葉と同時に、晩餐会に同席していたエドワード派の面々――かつてルビコン領の戦争に参加していた全ての将兵たちが一斉に立ち上がった。
彼らは無言のまま、かつて自らの前に立ちはだかった偉大な敵兵の娘である俺に向けて、一糸乱れぬ完璧な騎士礼を捧げた。
それは、立場や国境を超えた、命懸けで戦った者同士にしか通じ合えない、絶対的な敬意の表明だった。
俺は、涙で濡れた頬に、誇り高い微笑みを浮かべた。
ああ。お父様、お兄様たち。あなたたちが命を賭して戦った相手は、こんなにも立派な武人たちでしたよ。
「……あなた方のような誇り高き武人が、父と兄の最後の敵であったこと、本当に喜ばしく思いますわ」
俺は深く頭を下げ、静かに告げる。
「エルネアの王族として……ルビコンの地で散った全ての者たちの死と武威を、わたくしの生涯の誉れとして、永遠に語り継いでゆくことをお約束いたします」
静寂に包まれた夜の部屋で、帝国と王国の間に横たわっていた深く暗い溝に、初めて確かな敬意という名の橋が架かった瞬間だった。




