第十七話:可憐なる妹皇女との交流と、大義名分という名の役得
圧倒的な威圧感を放つ覇王との最終面接(社長面談)を無事に乗り切り、俺は帝国の後宮エリアにあてがわれた豪奢な客室で、ようやく長い息を吐き出した。
ここから先は、アウェー環境での本格的な外交戦だ。
隣の控え室(前室)には、我が国の優秀なリエゾン(連絡将校)としてクラウスが控えており、帝国側からの面会要請や情報のスクリーニングを完璧にこなしてくれている。一人になった空間で、俺はピンと張り詰めていた王女としての背筋を少しだけ緩め、ふかふかのソファに深く腰を沈めた。
今後の宮廷内政治におけるロードマップを脳内で組み立てていた時、控え室とを繋ぐ扉から、クラウスの落ち着いた声が響いた。
「ルシエル殿下。クロエ皇女殿下がお見えになられております。面会をご希望ですが、いかがなさいますか」
「クロエ皇女殿下……。ええ、お通ししてちょうだい」
俺が姿勢を正して応えると、重厚な扉が静かに開かれた。
クラウスの案内に従い、おずおずと部屋に入ってきたのは、年齢は十二、三歳といったところの可憐な少女だった。
月光を紡いだようなプラチナブロンドの髪に、潤んだヘーゼル色の瞳。透き通るような白い肌をした、壊れそうなほど華奢な美少女だ。質素ながらも上質なドレスを着ているが、どこか自信なさげに身を縮こまらせている。
「……あ、あの。初めまして、ルシエル殿下。私、クロエと申します」
クロエ。その名前に、俺の脳内データベースが即座に事前レポートの情報を引っ張り出してくる。
クロエ皇女。エドワードと同母の妹だ。武力で併呑された従属国出身の妃を母に持ち、しかも彼女自身には帝国で絶対視される『武の才』が全く発現しなかった。そのため、古参の同盟国派閥からは「血の濁った役立たず」と冷遇され、この巨大な宮廷の片隅でひっそりと生きてきた少女である。
「お初にお目にかかりますわ、クロエ殿下。立ち話もなんですし、どうぞこちらへ」
俺は極上の営業スマイルではなく、心からの優しさを込めた微笑みを浮かべて対面の席を勧めた。クロエは小さく頷き、子犬のような歩みで近づいてソファの端にちょこんと腰を下ろした。
「エドワードお兄様から、伺っておりました。とても強くて、優しくて、素敵な方が婚約者になったと……どうしても、お顔を拝見したくて、ご挨拶に参りました」
「まあ。エドワード殿下からわたくしのことを? それは光栄ですわ」
なるほど、仲の良い同母の兄経由で俺の話を聞き、好奇心と期待を持って訪ねてきてくれたというわけだ。
俺はティーカップに温かい紅茶を注ぎ、彼女の前にそっと置いた。
「エドワード殿下から、あなたのことも伺っておりましたよ。とても心優しく、兄思いの素敵な妹君だと。……この広い皇宮で、あなたは一人でよく頑張ってこられましたね」
母親の身分が低く、実力主義の社風にも適合できない。そんなアウェーの職場で、唯一の庇護者である兄も派閥闘争や鍛錬で忙しいとなれば、彼女の抱える孤独や重圧は計り知れない。
大人の包容力と、社畜時代のメンタルケアの経験を総動員して紡いだ俺の言葉に、クロエのヘーゼル色の瞳が僅かに揺れた。
彼女はギュッとドレスの裾を握りしめ、ふっと安堵したような、柔らかい笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます、ルシエル殿下。なんだか、少し、元気が出てきました」
その儚げな笑顔は、荒みきった俺の心に一筋の癒しをもたらすには十分すぎる破壊力を持っていた。
それからの数日間。
俺はエドワードの婚約者として、彼の派閥に属する貴族たちとの交流や情報収集を精力的にこなしていった。そしてその傍らには、常にクロエの姿があった。
最初は控えめだった彼女だが、俺が本物の姉のように接して温かく庇護するうちに、急速に懐き始めたのだ。
「ルシエルお姉さま!」
後宮の庭園を散策していると、クロエが小走りで駆け寄り、ごく自然に俺の腕にギュッと抱きついてくる。
「今日もお綺麗ですね。あ、お姉さま、すっごくいい匂いがします……」
俺の肩口に顔を埋め、すりすりと頬を擦り寄せてくる可憐な皇女。
最近では日中のスキンシップに留まらず、夜になれば「一人では心細くて……」と枕を抱えて俺のベッドに潜り込んでくる始末である。
もちろん、警備がザルになっているわけではない。最初にクロエが泣きそうな顔で夜の客室を訪ねてきた時点で、俺はクラウスや護衛の武官たちに「クロエ殿下の来訪は、過度に形式ばって止めなくて結構ですわ」と先に通達してある。
どうせ帝国が本気で俺たちを亡き者にするつもりなら、ルビコン領での会談と違って、この皇宮のど真ん中で小娘一人の出入りを締めたところで逃げおおせる段階ではない。ならば、こちらとしては来る者拒まずで受け流す方がまだマシだ。
帝国側もまた「どうせ顧みられぬ皇女だ。ルシエルが気に入ったのなら好きにさせておけ」とでも思っているのか、驚くほど露骨に見て見ぬふりを決め込んでいた。
……とはいえ、いくらなんでも、距離感が近すぎないか? 行き過ぎていないか?
腕に押し当てられる柔らかな感触と、甘い花のようないい匂い。俺の脳内で、理性を司る前世のアラサー男が「このままでは理性が吹き飛ぶぞ」と強烈なアラートを鳴らしている。
中身が成人男性である俺が、同年代の無垢な美少女にここまでベタベタと甘えられるのは、倫理的にマズいのではないか。
――いや、待てよ?
俺は冷静に、為政者としての論理的な思考を巡らせた。
クロエは、本妻派閥から冷遇されている『従属国出身』の皇女だ。その彼女を、エルネア王国の第一王女である俺が公の場で堂々と甘やかし、絶対的な庇護下に置く。
これが周囲の貴族たちにどう映るか。
『エルネア王国は、エドワードの派閥を血筋ごと全面的に支持し、重用する』という、極めて強烈な政治的メッセージになるではないか!
そうだ。これは決して俺の個人的な趣味(百合好き)を満たすためではない。派閥闘争を有利に進めるための、高度な外交戦略の一環なのだ! 大義名分は完璧に成立している!
ならば、何の遠慮もいらない。冷遇されている皇女を全力で甘やかしても、何の問題もないじゃないか!
「ふふっ、甘えん坊さんですね、クロエ。わたくしも、あなたと一緒にいられて幸せですよ」
俺は完全に覚醒した男のサガを『政治的配慮』という名目でコーティングし、満面の笑みを浮かべてクロエの銀髪を思う存分に撫で回した。
血みどろの派閥闘争が渦巻く巨大企業の本社ビルで、俺は合法的に手に入れた特大のオアシス(妹)をしっかりと抱きしめ、心からの役得を享受するのだった。




