第十六話:創業四十年のメガベンチャーと、実力主義のトップ
弟との感動的な(そして極めて物理的な)和解を経て、俺とエドワードの婚約は正式に結ばれた。
こうして俺は、エルネア王国の王女として、そして帝国第三皇子の婚約者として正式な挨拶を行うべく、エドワードと共にグランツェル帝国の帝都へと足を踏み入れた。護衛として同行するのは、すっかりエドワードの『軍学の先生』として板についてしまったクラウス大佐である。
ガルド将軍は「可愛い弟子との別れが辛い」と涙ぐみながら本国に留守番として残った。あのお爺ちゃん、完全に情が移りきっている。
帝都へ向かう豪奢な馬車の中で、俺はクラウスに向けて静かに口を開いた。
「クラウス大佐。帝都に入る前に、念のため帝国皇室の内部事情について『おさらい』をしておきましょうか」
「はっ。グランツェルが『帝国』を名乗るようになってから、およそ四十年。元々は武力に秀でた強豪の中小国同士が対等な同盟を結んで合体したのが始まりです。そこから周囲の小国を次々と武力で併呑し、現在の巨大な版図を築き上げました」
クラウスが理知的な琥珀色の瞳を細め、淡々と事実を述べる。
「問題は、その後宮です。帝国は拡大の過程で、同盟国の王族はもちろん、滅ぼした従属国の姫君たちをも次々と後宮に囲い込みました。ゆえに、皇室の子供たちは見事に全員、腹違いの兄弟なのです」
前世の記憶を持つ俺の脳内で、即座に組織図が変換される。
要するに、複数の企業が対等合併してできた巨大グループ企業(帝国)が、さらに四十年間、周囲の競合他社を敵対的買収(武力併呑)しまくって大きくなったメガベンチャー企業ということだ。
当然、社内(宮廷)には「創業メンバー(同盟国・本妻)」の血筋を絶対視する強固な古参派閥が存在する。彼らにとって、買収された子会社(従属国)出身の妻やその子供たちは、血の濁った格下の存在というわけだ。
「ですが、現在のトップである現皇帝陛下ご自身は、その『従属国の妻』の出身です。古参の同盟国派閥からの激しい冷遇と権力闘争を、ご自身の圧倒的な武力と戦功のみでねじ伏せ、玉座を実力で奪い取った御仁なのです」
「……だから、皇室ってのは面倒なんだよ」
向かいの席で林檎をかじっていたエドワードが、ふと真顔になってぽつりとこぼした。
「父上が実力主義を敷いているおかげで、俺の出自や剣の腕に期待して担ぎ上げようとする派閥もある。俺自身は、皇帝の座にそこまで興味はないんだけどな。……でも、理不尽な権力闘争から自分の立場や、大切なものを守るためには、派閥という『盾』が必要なのもまた事実だ」
十四歳の少年らしからぬ、大人顔負けの冷徹な現状認識だった。
俺が少し驚いて彼を見つめると、隣のクラウスが「うんうん」と深く頷き、完全に師匠の顔になっていた。
「素晴らしい現状認識です、殿下。自らの立ち位置と、組織の力学を客観視できている証拠ですな」
「へへっ、クラウス先生の講義のおかげだよ」
どうやら、ただの剣術バカだと思っていたクライアントは、俺の部下の手によって立派な次世代のリーダーへと成長しつつあるらしい。
派閥闘争が渦巻く血みどろの本社ビルに飛び込むのは胃が痛いが、この頼もしい『盾』が一緒なら、案外悪くないビジネスになるかもしれない。
馬車はいよいよ帝都の心臓部、巨大で無骨な皇宮へと滑り込んだ。
通された謁見の間は、華美な装飾を削ぎ落とした、力と威圧感を象徴するような質実剛健な造りだった。
玉座に腰を下ろしていたのは、巨大な体躯を持つ初老の男。
白髪交じりの髪をオールバックに撫でつけ、鋭い眼光は獲物を狙う猛禽類そのもの。彼がただそこに座っているだけで、謁見の間の空気が重くのしかかってくるような錯覚を覚える。
グランツェル帝国現皇帝。実力で玉座を奪い取った、正真正銘の覇王だ。
「よくぞ参った、エルネアの王女よ」
地鳴りのような低い声が響く。
俺は背筋をピンと伸ばし、ゆっくりと美しいカーテシー(淑女の礼)を披露した。
「拝謁の栄を賜り、光栄の極みに存じます、皇帝陛下」
「ふん。五年前のアムール峡谷……功を焦り突出した我が軍の精鋭部隊を見事に絡め取り、撃滅せしめたそうだな。最前線の軍略のみならず、わずか十歳の小娘が、より後方で完璧に政務と兵站を回し、あの罠の土台を作り上げたという事実には舌を巻いたものだ」
皇帝の言葉に、周囲に控えていた帝国貴族たちがざわめく。
敗戦国の姫として見下すのではなく、過去の戦功を正当に評価しての牽制。やはりこの男、血筋や見栄ではなく、徹底した『実力』で人間を測るタイプの経営者だ。
「過分な評価でございます。わたくしはただ、持てる資源を最適に運用したに過ぎません。……此度の縁談も同じこと。我がエルネア王国が持つ『価値』は、必ずや帝国の益となると確信しております」
怯むことなく、俺はビジネスパートナーとしての価値を堂々と提示した。
沈黙が下りる。皇帝は値踏みするように俺をじっと見つめ……やがて、その獰猛な口元をニヤリと歪めた。
「元々、この縁談は貴様のその手腕を帝国に取り込むための、我が方からの熱望であった。当のエドワードは随分と渋っていたというのにな。……それが今や、奴の方から『絶対に婚姻を結びたい』と熱烈にねだってくるとは」
「父上!」
エドワードが顔を真っ赤にして声を上げるが、皇帝は愉快そうに喉を鳴らして笑った。
「理由が分かったぞ。温室育ちの同盟国の姫君どもにはない、修羅場を潜り抜けた為政者の面構えだ」
「お褒めにあずかり、光栄に存じますわ」
どうやら、最終面接(社長面談)は無事に合格のようだ。
俺は内心で安堵の息を吐きながら、優雅に微笑んだ。
ドロドロの派閥闘争が待ち受ける本社の役員陣に対し、まずはエルネア王国の底力と、エドワードの婚約者としての存在感を完璧に叩きつけることに成功したのだった。
だが、俺の本当の『特大ボーナス』は、この息の詰まる謁見の後に用意されていたことを、この時の俺はまだ知らなかったのである。




