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試してみるか。2度拳を開閉する。
台座の手形に手を置く。
何も起きないが、彫られた手形と型がピッタリと合っていた。
偶然か? だがこれには特定の力が必要そうだ。今は何もでそうにないな。
無知で愚かな奴ならこれに挑戦し続けるだろう。馬鹿は死ぬのが何かすら知らないからな。
「戻るぞ」
「はい。でも結局像だけでしたね」
「そうだな。だが高揚感が湧いて来ないか?」
「いいえ…ワクワクしてたんですか?」
「少しな」
「ンフッ」口元を手で隠し、顔を背けるイエナ。すみません。
「詮索好きだと言ったろ」
「確かに」笑みを溢しながら話すイエナ。
「何か可笑しいのか?」
「いえ、ただその…」
「はっきり言え」
「な、何でもないです…」
笑ったり、落ち込んだり。まったく。思考能力を代償に、愛嬌という名の最強の武器を手に入れているようだな。こいつの隣にいると知性が退化していく気がする。だが同時に穢れのない純粋な感情を思い出させもしてくれる。
「ふむ。はじめアンデッドを怖がっていたようだが、今は平気のようだな」
「不思議と…。同じアンデッドだからかもしれません。なんだか心が落ち着くような気がして」
「そうか。生前もアンデッドに恐怖があったのか?」
「はい。ありました。そりゃ、とても怖かったんです……。でも今は、自分でも分からないですけど不思議と平気なんです」
「ほお。良かったな」
イエナが笑みを浮かべ、2度頷く。
元のフロアへ戻る。
「さて、今度こそ先へ進むぞ。お前達は前衛につけ。お前は一番後ろだ。後方に注意しろ」アンデッド達に指示を出す「イエナ、お前は蜘蛛の前だ」
「はい」
出口を目指し先へ進む。
「外に向かうのですか?」
「ああ」
「…………」
「不安なのか?」
「正直……そうです」
「体の事か?」
「それもあります。種族は私を恐れるでしょうし…」
「いつまでもそんな体というわけではない。ある程度は種族に…生前に近付ける事も可能だ」
「本当ですか?」
「信じろ。お前の事は気に入っている。いずれマシにしてやる」
「ありがとうございます」笑みが溢ぼすイエナ。こいつの愛嬌で世界をも再構築できるかもな。
そして暫く遺跡の中を進み続ける。
左右に見えるどの通路も、瓦礫の影響で容易に行けない場所が多い。
片手を上げ拳を作る。アンデッド達が止まる。
「どうしたんですか?(小声)」
「身を隠せ」
十字路の角の壁に背を付ける。
他もそれぞれ身を隠した。
蜘蛛は不可視化で透明になっている。
静寂な闇の奥から規則正しい金属の擦れる音が木霊してくる。岩肌を叩く鶴嘴の音か、あるいは鎧が触れ合う音か。やがて、その音の源であるカンテラの灯りが揺らめく黄橙色の星のように遠くに現れた。
歩いて来るのは三人。
先頭を行く二人のドワーフは、地底の熱気と鍛冶場の焔を浴びたかのように、少し日焼けした屈強な肌をしている。その後ろには、女の獣人が静かに歩調を合わせていた。野性味の残る柔らかな足音はドワーフたちの重厚な歩みと不思議な調和を見せている。
魔法と油の匂いを漂わせながら、彼らは少しずつ、しかし確かな足取りでこちらへと近づいてくる。彼らの影がカンテラの光によって壁に長く、そして生き物のように映し出される。
一方のドワーフは立派な髭を伸ばし、全身を包むラメラー防具は、一つ一つの金属板が緻密に組み合わされている。ドワーフの背には身の丈ほどもある巨大なウォーハンマーが背負われ、その鎚頭にはルーン文字が刻印されている。さらに、左右の腰に差された2本のメイスは敵の装甲を粉砕するための専用武器だ。一歩進むごとに甲冑が重厚な音を奏でてくる。
もう一方のドワーフは一切の髭を剃り上げた顎、2本の短剣を腰に差し、背に弓を背負っている。鎧はもう1人のドワーフ同様だ。
ドワーフ達が心の奥底で危険を恐れているかのように重装で身を固める中、獣人の女だけは違った。揺らす栗色の髪の間からは鋭く世界を捉えているかのような鋭い瞳を垣間見えさせてくる。しなやかな狐の耳にその背後では、ふわりとした尾を靡かせている。獣人の女が身に纏うのは茶褐色の光沢を放つグリフィンの革鎧。重厚な鎧を纏わず、動きやすさを重視した革の装具は力ではなく敏捷さと正確さで死地を切り抜けてきたことを静かに物語っているようだ。個人的にあまり好ましい相手ではないな。その腰に差したタクトに目を向けた瞬間、翠緑の石が埋め込まれたタクトからは昏い死霊の波動を孕み、禍々しい影を帯びているのが分かった。あのタクトは死霊を帯びているな。だがあの女からは死霊術の力は何も感じない。しかし妙だな。初めて会った気がしないのは何故だ。得体の知れない既視感。 初対面のはずの獣人女の輪郭が遠い記憶の澱に溶け込んでいるのは。それに妙な短剣を持っている。嫌な感じだ。
あの女を見ていると運命を信じたくなる。これほど奇妙な相手と偶然出会うなんて、奇跡的な不運だ。
様子を伺うのをやめ魔法を放つ。
「何の魔法ですか?(小声)」
「これは生者の残響といって、死霊術の一種だ。近くの生者の声を鮮明に聞く事を可能にする」少し口を開けたまま静かに頷くイエナ。
再び様子を伺いながら会話を聞き取る。3人が立ち止まり話し始めた。
「それで、一体どこまで行くつもりなんだ? ここの空気の淀み具合はヤバイぞ。絶対何かいる。大きな槌を背負うドワーフが威勢よく話し始めた。
「ここまで来たんだから、一番奥まで行くに決まってるでしょ。もしかして怖いの?」
このクソったれの遺跡に入った瞬間から分かってたさ。ここは即席の墓場だ。手続き不要で永眠できる。3人共な。ああ、寂しくないのは唯一の救いか。
「ここへ来る時のあの落雷を見ただろ。マーラ、一体何を隠してるんだ?」
「別に何も隠してなんかいないわよ。私にも分からないからこうして調べに来てるんじゃない」
「全く信じられんな。おいゼン、お前が信用しろと言うから信用したが、もう無理だ。この女は絶対何か隠してる。それにもうここに鉱脈がない事も分かった。さっさとズラかるぞ」
「道に迷わず帰れるの?」
「これでもドワーフだ。地下は第二の故郷みたいなもんさ」
「地下と遺跡じゃまったく違うのよ」
「知るか。俺は帰る。おいゼン行くぞ」
「なあマーラ。悪い事は言わない。もう引き返そう」
「ゼンまで。どうして?」
「ロルフの言う通り、ここは何か……変だ。こんな大きな遺跡があったのに、今まで誰も気づかなかっただなんて。それに誰かが立ち入った形跡すら見当たらない。おかしい」
「だから楽しいんじゃない」
「あぁ…」
「イカれてんな。こいつの正気を探すより、出口を探した方がマシだ。魂を失う前に行くぞ、ゼン」
「ゼン、ありがとう。もう話したけど、私はどうしても行かないとけないの」
「おいゼン、モタモタすんな! 髭が伸びちまう」
「そうか…。じゃあ…気を付けてな。
「ええ」
ゼンというドワーフは少し歩いた後、思い詰めた表情を浮かべマーラという獣人の方へ振り返る
「やっぱり放っておけない!」
獣人の元へ駆け寄るゼン。
「ゼン、私は大丈夫だって。あの事なら気にしないで」
「道中、全然大丈夫には見えなかったけどな」
「それは…。んっ、リシアの事は気にしないで。あなたには家族がいるでしょ。無理しないで早く引き返して。私がリシアに恨まれるちゃう」
「リシアとそう歳も変わらないというのに……まったく勇敢だな。だがその勇敢さに溺れるなよ。必ず帰ってきて、また娘の話し相手になってくれ」
「もちろんよ」
2人は悲しそうにハグを交わす。言葉はもはや不要のようだった。ロルフが待つ元へと足を進めるゼン。その歩みは鈍く、幾度も未練を編み直すように後ろを振り返っている。奴の瞳に映るのは共に過ごした時間の断片と、拭いきれない喪失の影を思い起こさせる。
対照的にマーラはそこに凛として立っていた。 悲しみの淵にありながらも、マーラは口角を上げ、夜明けのような慈愛の微笑みを奴に贈っていた。それは行けという冷淡な拒絶ではなく、大丈夫だという祈りに似た静かなエールのようだった。
やがて、二人のドワーフの背中は小さくなり、遺跡の暗闇の中へと消えていった。
「ふー…行くわよマーラ」自らの頬を両手で叩き、覚悟を決めた様子のマーラ。マーラのその独り言は遺跡の壁に吸い込まれて消えていく。拾い上げたカンテラの火がマーラの横顔を赤銅色に焼き、揺れる影を背後の遺跡の闇へと長く伸ばした。
一歩、また一歩。マーラがこちらへ近づいてくる。
闇に潜む俺の視界に、その無防備な姿が映り込む。 あいつは本当にこちらに気づいていないのか? それとも油断させ、誘い出す為の罠なのか?
にしてもあの獣人の女。どうも引っ掛かるな。
〘⇄〙
始末という終止符。
カンテラの光が届く前に、この違和感ごと奴の息の根を止める。最も確実で後腐れの少ない方法。
対話という博打。
姿を現し、奴の魂の奥に隠された真実を問う。しかし、それは喉元を刃に晒すようなもの。危うい賭けになる。




