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墓地の奥、気配の根源へ近づくにつれ、不器用だが必死な詠唱が耳を打つようになった。
そこは後方が開け、先ほどまで通ってきた広大な樹海を一望できる崖際だった。吹き抜ける風に乗って、幼い声がはっきりと届く。
一人の少女が、大木の下にある古びた墓に向かい、恩恵の懇願を執拗に繰り返していた。
黒く貧相なローブを纏った、人間の少女だ。背中には不格好な刺繍でスケルトンの顔が描かれている。茶色の長い髪は胸元で遊び、毛先は癖が強く巻いている。彼女は木の枝のように細いタクトを、空を切るほど激しく振り回していた。
「ヴォイドよ。我に力を貸し……いや、与えたまえ! この者を我の前へ、不死者として復活させたまえ!」
一呼吸の沈黙。だが、土の下からは何の反応もない。少女は苛立ったように片足で地面を強く踏みつけた。
「もう! どうしてなのよ! 私が最初のネクロマンサーになって、あなたの教団を復活させてあげようって言ってるのに! どうして! なぜ何も答えをくれないのよ!」
一見すれば子供の癇癪だが、空気に混じる魔力には僅かな魔力の輪郭がわずかに整っている。だが、その独りよがりな呼びかけでは、ヴォイドはおろか下級のスケルトンですら目覚めはしないだろう。
「それは君の知り合いの墓か?」
背後から声をかけると、少女は飛び上がらんばかりに驚いた。
「あっ!? ビ、ビックリさせないでよ……。まあね。そんなとこかな。ん?」
少女は不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、ふと、俺の顔をじっと見つめてきた。覗き込むように、首を傾げ、こちらの正体を探るような視線。
「あなた、どこかで会わなかったっけ……?」
記憶の糸を辿るように凝視し続けたが、やがて思い出せなかったのか、諦めたように肩をすくめた。
「死霊術とはな。衛兵のことは怖くないのか?」
「フッフッフッ~、むしろ怖がってるのはあいつらの方よ! だって私はヴォイドに祝福された、偉大なるネクロマンサーですもの! えっへん!」
少女は両手を腰に当て、これ見よがしに胸を張った。
「それはそれは。筋が良いな、ネクロマンサー殿。だが、その練習はよした方がいい」
「はんっ!」
少女は片手を顔の横で跳ねさせた。
「もう、お説教ならゾーナだけで十分なのよ。さあ、ネクロマンサー様は忙しいんだから。用がないならあっちに行ってよ」
手であしらわれた。少女は再び墓に向き直ると、無意味な、けれど必死な神への懇願を再開した。
少女の元を去ろうとすると、一人のドワーフの女兵士がこちらへ向かって歩いてきた。
「俺に何か用か?」
「あの子と話していたみたいだから」
「君の子か?」
「いいえ。あの子は……孤児なの。それより、あの子と何の話をしていたの?」
「死霊術を唱えるのをやめるよう言っただけだ。まあ、聞く耳を持たなかったがな」
「はぁ~、良かった……」
ドワーフの女は胸に手を当て、安堵の吐息を漏らした。「この街にもまだ、あんな風に子供を気にかけてくれる人が、私以外にもいたのね」
「君があの子の面倒を見ているのか?」
「そのつもりなんだけど……。嫌われちゃってて。でもなんだか放っておけなくて。だからこうやって、誰もやりたがらない墓地の警備に志願したんだけど」
「他にも街に孤児は大勢いるだろう。なぜあの子なんだ」
「そんな冷たい言い方しないで。あの子を知ってしまった以上、いてもたってもいられなくなってしまったのよ。どうにか助けてあげたくて」
「養子にしたらどうだ?」
「そうしたいけど、無理よ。私はこんな仕事しかできないし、いつ戦いで命を落とすかも分からない。またあの子を傷つけることになるかもしれないかと思うと……無理よ」
彼女は自嘲気味に口角を上げた。「それに、嫌われちゃってるしね」
「死霊術を咎めたからだろう」
「当然よね? あの子はまだ十二よ。死霊術の恐ろしさを分かってないのよ。でも周りは誰も気にしていない。ここの墓守のスザンカさえ、気にしていないのよ」
「お前は良い奴そうだから、一つ教えておいてやる。あの墓守には気を付けておいた方がいいぞ」
「どうして?」
「どうしてもだ。……まあ、聞かなかったことにするのもお前の自由だ」
「ゾーナ」
「なんだって?」
「ンフフ、私の名前よ。あなたは?」
「ロルフだ」
「話を聞いてくれてありがとう。私はそろそろ巡回に戻らないと。意外と担当区域が広いのよね。それじゃあ、またね」
ゾーナは軽く手を振って去っていった。
墓地を去ろうとしたその時、不意に、奇妙な声が直接頭の中へ響いてきた。
「良く聞きなさい。私はまあ、この街の女王よ。聞こえているのなら私の元へ来なさい。さあ! あなたの運命は……ちょっと!? どこへ行くつもりなの? 話はまだ終わってないわよ! 戻って来なさい! ……あら? もしかして聞こえていない?」
足元に、ピンク色の長毛猫が現れた。首回りだけが白い、不自然な毛色の猫だ。
「聞こえていたんでしょ」
猫は鋭い視線でこちらを睨みつけてきた。
「女王って言ったでしょ? 無視するなんてどういうつもりなの? 信じられないわ」
「用件は何だ。猫」
「猫じゃないわ。ジャスミン王女よ!」
「ああ、では女王陛下。聞くだけは聞いてやろう」
「聞いて驚くんじゃないわよ。私には特別な力があるの。だから、あなたが他人の皮を被ったアンデッドだってこともすぐに分かったわ」
「ほう」
「心底驚いたでしょ。私は死霊術のにおいを嗅ぎ分けられるのよ。でもそれだけじゃないわ。同時にアンデッド個々のにおいさえ嗅ぎ分けられるんだから。凄いでしょ?」
「確かに、それは凄いな」
「分かるわ~。驚いて言葉に詰まってしまうのも、十分理解できるわ」
ジャスミンは満足げに目を閉じ、立てた尾を優雅に靡かせた。
「それで、なぜ声をかけた?」
「あなたは話しのできるアンデッドだし、まあファッションセンスも良い。そしてとても頭が切れそう。だから私から任務を与えたくてね」
「良い褒め殺しだ。だが、俺は忙しいんだ。女王陛下。尾を踏む前にそこを退いてくれ」
「その皮肉も笑えるわね。そして、あなたほどの力を持ったアンデッドは引く手あまたでしょうね~。でも……あなたと同じにおいがするアンデッドがいたと言ったら、どうする?」
ジャスミンはしたり顔でこちらを見上げた。
「……それは、気になる情報だな」
「でしょ? 交換条件よ。私の依頼を受けてくれる?」
「内容によるがな」
「アッアッアッ」
ジャスミンは目を閉じ、右前足を上げて地面を軽く三度叩いた。「感じる、感じるわ〜。あなたがこの提案に、ヒジョーーーーに興味を持っていることを。もう少し条件を厳しくしてもいいかもしれないわね~。そうね~、た・と・え・ば〜♡ お金とか!」
「恐ろしい猫だ。身を窶したか?」
「ンフ、面白いわね」
どうやら、猫も随分と知性を付けたらしい。
「俺がお前の情報を必要としているように、お前も同じくらい俺を必要としているんだろう?」
「……や~ね~、お金は冗談よ。そんな真に受けないで。聞く気になってくれて良かったわ」
「詳しく聞こうか」
「じゃあ、ついてきて!」
ジャスミンのピンクの影を追い、俺は再び街の深淵へと足を踏み入れた。




