20 不可思議とおっさんたち
よろしくお願いいたします。
その日は、どんよりと曇っていた。
いつも通りの授業であったが、先生方がどこかそわそわとしていた。
朝のHRで聞かされたのは、弥魔国の政府に相当する弥魔裏閣の術科省、学術局に所属している役人が視察に来ているということ。
来校するのは数人で、基本的に生徒には何も影響はないらしい。
しかし、もしも客人から何かを聞かれたら、正直に答えておけばいいと言われた。
三時間目と四時間目の間の休み時間に、それらしい人たちが中庭にいた。
そして、黒っぽい袴姿の大人たちに囲まれた涼介が見えた。
中庭に出る戸口からは悠真や海斗が覗き込んでいたし、あちこちの窓から生徒たちが見下ろしていた。
何か聞かれて困っているのではないかと思いきや、どちらかというと涼介が大人たちに丁寧な態度をとられているようだった。
そして不機嫌な表情の涼介と、なだめるように話しかける大人。
さっさと立ち去らないところを見ると、涼介は不本意ながら相手をせざるを得ないと考えているのだろう。
まぁあれなら手助けもいらないだろう、と考えた紅雨は、さっさと次の授業に向かった。
放課後は、いつも通り屋上へ向かった。
その日はたまたまなのか誰もおらず、紅雨は屋上を独り占めして訓練を始めた。
火を使う弥魔術はなかなか危険なので、人がいないのは好都合だ。
三十分ほどすると、涼介が一人でやって来た。
どう見ても疲れ切っていたので、もしかすると何度も大人たちから話を聞かれたのかもしれない。
「紅雨、ちょっと時間もらえるか」
「ん?練習してるだけやから大丈夫やで」
「じゃあ、こっち」
言われて近づくと、シートの上に座るように示された。
端の方に足を投げ出して座ると、涼介が一人分程度離れてこちらに背を向けて座った。
そのまま、背中をゆったりとこちらに倒した。
涼介の頭の着地点には、紅雨の太ももがあった。
ごろりと寝転んだ涼介は、頭の位置を少しずらして顔を外に向けた。
くたびれ切っているように見えたので、紅雨は黙って涼介の頭を撫でた。
まぁ、あんなふうに見ず知らずのおっさ……おじさんたちに囲まれて話しかけられれば疲れるだろう。
紅雨は、片手を涼介の頭に添えたまま、逆の手で弥魔術の練習を繰り返した。
危険なので、できるだけ小さな火を使うように調整した。
黒朱も思うところがあるのか、紅雨の腕に巻き付いたまま黙っていた。
「なぁ、紅雨はどう思う?母親っていうものは、子どもを嫌うこともあるのか?」
しばらくして、涼介が口を開いた。
その内容はあまり穏やかではない。
けれども、都会の端っこに住んでいた紅雨には、いろんな友達がいた。
たとえば、つい最近両親が泥沼離婚して母と二人暮らしになったり、生まれてすぐに母を亡くして父と二人だったり、両親にほとんど放置されて祖母に育てられていたり、両親とも優しそうに見えていたのに子どもの意見など聞かず親の希望を押し付けていたり。
ただ、一つ言えるのは、相手をきちんと見てみないことには何もわからないということだ。
「普通の母親やったら、一瞬無理って思うことはよくあるみたいやで。イヤイヤ期とか大変やったってうちのお母さん言うてたもん。あと、本気で嫌うこともまぁなくはないけど、そういう場合は大概、親が大人になられへん自己中な感じの人やな」
「……見てきたみたいに言うんだな」
「そら、いっぱい見てきたから。大阪って割と人多いし、住宅街やとさらにな。でもまぁ、基本的にはその親次第で人によるわ。なんでそんな話になるん?」
紅雨は、ちらりと涼介の黒髪を見た。
「あぁ……今日、弥魔裏閣のおっさんたちが来たのは知ってるだろ」
「うん。中庭で話しかけられてたなぁ。大変そうやなって思っててん」
「視察っていう形を取ってるけど、つまりはお偉いさんが俺の様子を見に来てるんだ。で、今年も母親に連絡してみたけど拒否されたってわざわざ伝えてきてな。そこまで母親が会いもしない子どもを嫌うこともあるのかと思って」
紅雨は眉を寄せ、黒朱はにょろりと頭をもたげた。
「なんそれ?え、おっさんがわざわざそんなこと言いに来たん?うそやん。お母さんから直接聞いたん?理由も聞かへんかったん?伝書鳩しかでけへんねんやったら、役人のおっさん役立たずやん。そのおっさんほんまに役人か?それともコネで入ったなんちゃってか?」
黒朱も同意見なのか、不機嫌そうに舌をしゅるりを震わせた。
「ぶっ!!ふ、はははは!いや、確かに、窓際っぽい禿のおっさんだけどな」
「やっぱり。信憑性ゼロやん」
「まぁでも、外に出られないから聞きに行けない俺にはわからねぇんだよな。会ったこともない、住所も名前も知らない相手に手紙なんか送れない。おっさんたちは母親の許可なく勝手に個人情報を教えられないの一点張りだし。昔調べようとしてくれた人は、次から来なくなった。スマホは手に入るが外には出られないから、弥魔国に監禁されてるみたいだ」
(くそやん。虐待やん。マジであり得へんねんけど)
そう言ってしまいたかったが、紅雨は別の言葉を選んだ。
「おっさん、腐っとるな。廃品回収もしてもらわれへんやん」
考えていた言葉よりも酷いセリフになった。
涼介の頭に置いたままの紅雨の手が、彼が震えるのに合わせて動く。
そして弥魔術の練習を再開しようと扇を一間開き、ふと思い出したことがあったので脳内にメモしておいた。
そんな二人を見守る影があった。
紅雨たちは気づいていなかったが、黒朱と、上空から眺めていた夜天、物陰で日向ぼっこしていた大河はしっかり見ていた。
読了ありがとうございました。
続きます。