005 王都
王都エルダリア。その中心にそびえる王宮では、アンナ脱獄の報せが大きな波紋を呼んでいた。
「見張りは何をしていたのだ!?」
怒声を上げたのは、衛兵長だ。居並ぶ衛兵たちが、こわばった表情で立ち尽くしている。場の空気を静かに制したのは、一人の壮年の男――宰相クロード・ヴァレックであった。
「静粛に。」
低く抑えた声には、誰も逆らえない威厳があった。銀の髪をなでつけ、冷徹な灰色の瞳で全員を見渡す。
「……衛兵長、脱獄犯はどの経路を辿った? どこで見失った?」
「はっ!北門方面へ向かった痕跡がございます。その後の詳しいルートは不明ですが、東の森を抜け、川に飛び込む様子まで目撃されています。川の捜索は続けておりますが、未だ発見されておりません。」
ヴァレック卿はわずかに眉をひそめ、顎に手を当てた。
ヨドン川の水流はかなり激しい。かなり下流まで流されるだろう。そうなると、…生きていられるだろうか。
「川の捜索は下流まで行うように。」
「はっ!」
「それと、当日取り調べを担当していた騎士団調査役――セラン殿を呼べ」
「はっ!」
ほどなくセランが呼び出される。宰相は手にした調書をひらりとめくりながら、ゆっくりと問いかける。
「調書によれば、アルセアナ・グランジェは“自白の意思なし”、終始冷静に無実を訴えていたとあるが――実際はどうだった?」
セランは一瞬、目を伏せ、静かに口を開いた。
「……はい、動揺は見られましたが、彼女は一貫して無実を主張しておりました。毒の性質や解毒の可能性まで述べていました。話す内容に矛盾はありませんでした。」
ヴァレック卿はその言葉をじっと噛みしめるように黙考する。
「……ふむ。何か変わった点は?」
「いえ、特には」
ヴァレック卿は調書に目を落としたまま、ほの暗い玉座の間に沈黙が流れる。
「まずは王妃様の容態が安定したこと、せめてもの救いだ。」
ヴァレック卿は部下を下がらせると、玉座の間にただ一人、深く思案を巡らせる。
その横顔には、底知れぬ思惑が浮かんでいた。
セランは宰相ヴァレックの元を後にすると、王妃の部屋へと赴いた。王妃の容態はようやく安定しつつあった。
柔らかな陽射しが差し込む寝台のそばで、セランは静かに王妃の額の汗をぬぐった。
「ご気分はいかがですか、母上」
「ええ……まだ少し体が重いけれど、大丈夫よ。薬湯が効いたみたい」
王妃はかすかに微笑んでみせる。
「あの薬湯、口に含むとレモンの香りがするのよ。とても飲みやすくていいわ」
「それはなによりです」
セランもまた微笑んでみせた。
「あなたを呼んだ要件を言うわ。犯人を追ってちょうだい。」
「アルセアナ・グランジェの捜索は既に行われておりますが…」
「そうではないわ。」
王妃は伏せたまぶたをゆっくりと開き、セランを見つめた。
「あなたも違和感を感じたのでしょう?」
セランは否定も肯定もせずひ、ほんの少しだけ、目を伏せた。
「事件はあまりに分かりやすいわ。あの子が捕まって、すべてが片付いたような空気――まるで仕組まれているみたいね」
王妃はしばらく沈黙したあと、じっとセランを見つめた。
「……あなたが逃したのでしょう?」
セランはその問いに、静かに頭を下げた。
「貴方も大罪人ね」
王妃は子供のようにケタケタと笑った。
「母上…笑い事ではありません。」
「それでも、貴方の中に確信があったのでしょう?」
セランは僅かに顔を上げる。
「あなたの罪を正義に変える方法はただ一つ。……わかりますね?」
王妃はそれだけを残し、そっと目を閉じた。
セランは寝台をそっと離れ、王宮を後にする。
その足で“迷いの森”へ。
すでに幾度となく試している。いくら進んでも森は彼を受け入れてはくれない。
森へ探しに行く、そう約束したのにーー
道を変え、日を変えて何度も挑戦しても、気づけば森の入口。
それでもセランは、諦めずに森の奥を目指し続けていた。
色んな人物が出てきました。
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