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001 アンナと毒味

 ――王都・朝の薬師見習い宿舎。


 アンナは薄明かりの差し込む小さな部屋で、父の形見であるノートをそっと撫でた。薬草の香りが染みついた指先で、窓辺の鉢植えの花に触れる。


(今日も、ちゃんと自分でいられるかな)


 “名誉薬師の娘”――けれど、村の出身で、王都ではどこか浮いた存在。

 誰もが一度は彼女の名前を知っているのに、誰も本当のアンナを知らない。親の七光りと揶揄されたり、逆に密かに期待されたり。その間で、アンナはいつも「本当の自分」を探していた。


 部屋の外からは、仲間の見習いたちの声が聞こえてくる。


「おい、アンナ。今日は王宮から依頼があるんだってさ!」

「例の“毒見”だろ。アンナの出番かもな」


 くすくすと笑う声とともに、誰かが軽く扉をノックした。


 アンナはノートを本棚にしまい、そっと立ち上がった。深呼吸をひとつ。

「いってきます」と誰にも聞こえない声で呟き、扉を開けた――。





 朝霧の残る王都エルダリア。

 薬房の扉を開けると、乾いたハーブや薬草の香りがふわりと立ちのぼった。

 アンナは赤い髪をきゅっと後ろで束ね、いつもの白衣のような服に袖を通す。清潔な白の布地が、薄く日焼けした肌と鮮やかな髪色をいっそう引き立てていた。


 アンナはいつものように、棚に並んだ瓶や乾燥葉の点検から一日を始める。

 薬草棚の前に立つと、アンナは丁寧にガラス瓶の埃をぬぐい、乾燥ハーブの束を一本ずつ確かめていく。

 白衣の胸ポケットには、小さなハサミと折り畳まれた布のメモ帳。薬房長から教わった手順通りに、仕分けと在庫チェックを進める。


 薬房には次第に仲間たちが集まってきたが、誰もが忙しそうに声をかけることはなく、アンナだけが静かな島のように棚の前で働いている。


 棚の奥、古い瓶に残っていたラベンダーをそっと取り出し、ふと父の面影を思い出す。


(父さんなら、どんな朝も明るく挨拶してたな…)


「おはよう、アンナ」


 薬房長があいさつに回る。


「今日も薬草の仕分け頼むよ。王宮から大口の注文が来ているからね」

「承知しました。」

「それと話があるから、手が空いたら薬長室に来なさい。」

 薬房長の言葉に、アンナは不思議そうに瞬きをしたが、すぐに「わかりました」と返事をした。

 しかし、これから起こる事件でアンナはすっかり約束を忘れてしまうのだった。


 アンナは丁寧に葉を選り分け、小瓶に詰める。慣れた手つきで分量を量るたび、心が落ち着いていく。



 昼時に差し掛かるころ、

 薬房に、王城からの使者が現れた。

 重々しい空気をまとい、薬房長は恭しく頭を下げる。


 その日は、王宮で春の宴が催される日だった。


 薬房にも緊張が走っていた。王族の食事に関わる者たちは全員、毒味役の候補として呼び出されていた。


 毒味役に選ばれることは、「名誉あること」とされていた。

 王家の食卓に直接関わる重要な役目。万が一にも不手際があれば、その責任は重い。古くから“信頼のおける者”が任命されるのが慣例だったが、実際には王族や貴族の身内が危険を避けるため、主に薬房出身の庶民や下級の従者が選ばれることが多かった。


 一応、任命されるのはある程度の功績や信頼を積んだ者に限られる。

 毒味役を務めることは、功労として記録に残り、褒賞が出ることもある。

 そのため、薬房の中でも「名誉ある仕事」と捉える者もいれば、「ただの危険な役回りだ」と警戒する者もいた。


 薬房長はうなずき、使者の伝言を全員に伝える。


「今回は、陛下・王妃・皇太子殿下、それぞれに毒味をつける。今から呼ぶ三名は、支度をしてすぐ王宮へ向かいなさい」


 薬房長が一人ずつ名前を呼ぶ。


「……そして、3人目はアンナだ。」


 その瞬間、空気がざわついた。


「え? あの子が?」

「若すぎるだろう」

「まだ見習いだったはず…」


 薬房内の空気がざわつく。

 アンナはまだ年若く、家柄にも華があるわけではない。

 薬房長の厚意で選ばれたのか、それとも他に理由があるのか――

 誰もが訝しげな視線を向ける。


 だがアンナは静かにうなずき、

「承知しました」と、凛とした声で答えた。






 王宮へ向かったアンナたち3名は、広々とした回廊を通され、重厚な扉の奥――宴の場へと案内された。


 春の宴は、王都エルダリアでも年に一度の盛儀。

 金糸の刺繍がきらめく天蓋、豪奢なテーブル、咲き誇る花々。貴族たちが華やかな衣装をまとい、笑い声と音楽が響いている。


 だが、毒味役の席は舞台の裏。

 アンナたちは給仕長の指示で、それぞれ王・王妃・皇太子の背後に静かに控えた。


 運ばれてきた料理は、すべて彼女たちが一口ずつ毒見することになっている。

 アンナの役割は王妃の食膳だ。


 彼女は緊張しつつも、慎重に一品ずつ味見をした。

 香り、温度、舌触り――異常はない。

 見届けた給仕が小さくうなずき、その料理が王妃のもとへ運ばれていく。


 宴が進み、杯が進む。

 ふいに、王妃が手にしていたグラスを落とした。


「……ぐっ」


 会場が静まり返った。


 王妃が胸を押さえ、苦悶の表情を浮かべ、ゆっくりと椅子から崩れ落ちる。

 貴族たちのざわめき、従者の叫び――


 場内は一瞬で騒然となった。


「侍医を呼べ!」

「毒だ、毒を盛られたのか!?」


 王妃の側近たちが駆け寄り、侍医がすぐさま脈を取り、薬房長も呼ばれて診察に加わる。

 アンナは、その場で硬直したまま立ちすくんでいた。


「毒味役は誰だ?」


 王宮の衛兵が鋭く声を上げる。


「私です」

 アンナは自分でも驚くほど冷静な声で答えた。


 貴族たちの視線が一斉にアンナへ向く。


「毒味役の子か…」

「若いのに何かやったのか?」


 ささやきが波のように広がる。


 薬房長がアンナの前に出る。


「私の責任です。直ちに調査を――」


 その時、侍医が王妃の意識を確認しながら叫んだ。


「陛下、王妃様はまだ息があります。

 しかし、痙攣と意識混濁。すぐに手当が必要です!」


 薬房長はアンナの手元と口元を調べるよう衛兵に指示される。

 アンナは手も口も清められ、直前に食べた料理や飲み物も確認された。

 だが異常は見つからない。


「どうして…全部確認したのに…」


 アンナの心臓は早鐘を打つ。

 脇で薬房長が小声で囁く。


「アンナ、今は何も言うな。王妃様の容態が落ち着くまで、下がっていなさい。」


 アンナは王宮の奥、控えの間へと連れられた。

 王妃の命を奪うようなことは、決してしていない。

 だが――

 薄暗い控え室で、アンナはただ手を固く握りしめていた。

読んでくださりありがとうございます!

週1-2本のペースでゆっくり更新しますので、ぜひブックマーク登録よろしくお願いします。

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