第8話
――そして、今に至る。
「……後どの程度で治る」
「まだ半分程度だ……戦うまでに戻すには、それなりに時間を要する」
「そう、か」
最悪だ。
想定が甘すぎた。
爆発によって崩壊した城の瓦礫に隠れながら、俺は己が不足に拳を握りしめていた。
四年もあったのだ。
俺が寝返り、人間に奪われたものを取り戻すその時間、奴らは数の力で勝るが故に余力があった。
それを甘く見た挙句、のこのこと敵の本拠地に乗り込んだ自業自得が今の俺たちだ。
勇者と魔王。
両勢力の最強が揃えば、敵などないと思い込んでいた。
個で上回ったところで、数の力に押されることはあると、この四年間であれほど身に染みたというのに。
心のどこかに慢心があった。その結果、俺たちは頼りにしていた個ですら上回られたのだ。
姿を見てすらいない。しかし分かる。
あの男は、今や俺よりも魔王よりも強い。
並び立つ者のいない、純然たる最強だ。
対するこちらは、真っ先に逃走を選んだ元『勇者』と、手負いの魔王。
考えるまでもなく、勝てるわけがない。
「これからどうするつもりだ」
「戦う他あるまい」
「勝てるものかよ。今の俺とお前で」
「ふん、もう負け腰とはな……が、分からんこともにない。奴はいわば、我らの究極系よ」
「……どういう意味だ」
「我ら魔族は、人間の持つ魔法の力をより高める過程で生まれた不完全物だ。まだ、終着ではない。奴らの目的は、即ち人間の肉体と魔法、この二つを極限まで強化すること」
肉体と、魔法。
魔王の瞳は俺を見ていた。
言わんとすることが伝わると同時に、怖気が襲った。
つまり奴らは、自ら魔王を生み出し、それを己が身に宿そうとしていたというのか。
俺たちを戦わせながら、そんな悍ましいことを秘密裏に行っていたというのか。
「狂ってやがる……」
「あぁまさしくその通りよ。……そうなる前に、全てを終わらせたかったのだがな。これは余の責任だ。奴らの執念を見誤った……っぐ、ぁ!」
「……魔王」
「なんだ、クラウス」
「――何故俺を庇った。お前が傷を負って俺が無傷なのはおかしい。お前……自分ではなく俺を守っただろう」
誤魔化そうと口を動かした魔王を、俺は目で制した。
何度戦ったと思っている。何度背中を預けたと思っている。
今更言葉程度で誤魔化されてやるほど、俺はお前を知らないわけではない。
「お前は、魔族のことを第一に考える奴だ。いつだって、自分じゃなく魔族のために怒れる奴だ。それでも……それでも、あの時、重視すべきは俺じゃなかったはずだ。俺は駒だ。お前の駒だ。どれだけ協力者なんて言葉で取り繕ったところで、俺はお前についていくことしかできない」
「そんなことはない。其方は、余に――」
「――慰めはいらねぇ。必要なのは、何故、俺を、庇ったのかだ。俺が生き残って何になると思った? 人類の希望の次は魔族の希望になれってか? 俺を馬鹿にするのも大概にしろ。それは、お前の、仕事だろうが!」
「…………」
魔王は目を見開いて、我ながら珍しく感情を露わにした俺を見ていた。
あぁ、自分でも似合わないことをしている自覚はあるとも。
それでも、四年を共にしたお前に、滅ぼした先にある平和じゃない、新しい平和を謳ったお前に、それをされるのが何より嫌だった。
目を伏せ、しばし固まった魔王は、遂に言葉を紡ぐ。
「一度しか、言わんぞ」
「あぁ、聞いてやる」
「あの時、余は嬉しかった。この手を取ってくれた、目指す世界に共感してくれた其方の存在が嬉しかった」
「そうかよ」
「――嗚呼、余はまだこの夢を諦めずともよいのだと、何より強く肯定されたようだった」
「……そうかよ」
「……そんな其方を、どうしてみすみす見捨てられよう。余は、我が臣下と同様に、其方を『友』として、大事に思っておる。道を同じくする同志が、其方がまだいるのなら……余は、或いはもう――」
その瞬間、俺は脳が沸騰するような怒りを覚えた。
事実沸騰していたかもしれない。
そのくらい、俺は目の前の、俺のことを『勇者』じゃなく友だとか同志だとか呼ぶ魔王に激怒していた。
「――ふざけるな」
「偽らぬ本心よ」
「『勇者』なんてとっくに捨てている。俺はそんな大層なものじゃない。誰かの想いを背負うのも、背負わされるのも飽き飽きだ」
「…………」
「悪いが俺は今、魔族のことだとか世界のことだとか、一つたりとも考えちゃいないぞ魔王。俺は今――俺の心に従っている」
自身の胸に手を押し当てる。
無粋なくらいにいつも通りの心臓が、何より俺が俺である証明だった。
『勇者』でも、『私』でもない、俺の。
「何を想う、クラウス」
「我が儘なことに俺は――お前に死んでほしくないと思っている」
「…………」
「――お前が今抱えているものは、お前が背負い切れ。俺は、クラウスとして、その道を開いてやる」