第7話
「…………クラウス」
「喋るな、治療に専念しろ。俺と違って自己治癒能力なんてたかが知れてるだろ。魔法に集中してろ」
「……すまぬな」
「それは何に対しての謝罪だ」
「……すまぬ」
舌打ちを堪えたのは、この極限の状況下においては中々の忍耐力だと我ながら思う。
いつもの尊大な様子は見る影もなく、塩らしく謝る魔王など、俺は見たくなかった。
――俺が魔王の手を取ってから、四年の時が経った。
泥沼と化した戦場に、それでも足掻き続けた俺たちは、遂に国王の待つ城へまでやってきた。
思えば城に入った瞬間に気づくべきだったのだ、俺は。
人の気配のしない城内の違和感にも、最終決戦だというのに迷ったような顔をしている魔王の不可解にも。
すんなりと足を踏み入れた玉座の間には、国王がいた。
いや、国王のような『何か』がいた。
全身から魔族のような角を生やした国王は、数多の口で俺を呼んでいた。
脳裏にこびりついたその声は目をつぶれば今にでも思い出せる。
『クラウス』
『……クラウス』
『……『勇者』ならざる者よ……』
『人間であることを諦めた人外よ』
『魔王に与する反逆者よ』
『死せよ……滅びよ……もはや貴様の存在は無用……』
『世界は『勇者』を必要としない……新たなる――『英雄』の誕生を以て、この世は人間だけの理想郷へと、生まれ変わるのだ』
『世界とは、人間のためのみに存在する箱庭よ』
襲い来る国王を前に、俺と魔王は戦った。
苦戦こそしなかったものの、その異形からは尋常でないものを感じ取れた。
少なくとも、気分が良いものではなかったな。
『……貴様は、やはり……『勇者』などでは……人間の、希望、など……では――』
……今更、何を当たり前のことを。
俺は自身で王の器ではないと考えたように、無理やり着せられた『勇者』という名もまた、似合わなかったに過ぎないだろうに。
こんなことを思い出している暇はなかった。
問題は、むしろその後だったのだから。
俺が空に溶ける国王を見ていると、魔王は何やら玉座を弄り出した。
何かの絡繰りを作動させたのか、大仰な音と共に玉座が動き、その下に隠された隠し階段が姿を現した。
魔王は、迷いなくその奥へと進んでいった。
ついていった先にあったのは――なんと呼べばいいのだろう。
今でも、あの光景をどう言葉にすればいいものか、判断に困る。
ただ、その光景を見る隣の魔王の視線が、酷く懐かしいものを見るように感じられたことで、俺はその場所の意味を悟った。
きっとここは、奴の生まれた場所なのだろう、と。
――魔族とは、人間がこの世に生まれ、繁栄を遂げたその時に、突如として現れたとされている。
種族として魔法を得手とし、生物としての強度は人間に劣っている。それをして余りある魔法という超常が、魔族という種を脅威に捉えるだけの力を持っていたのだが。
そして、当然の疑問が生まれた。
魔族とは、いつ、どこで、どのようにして生まれたのか、ということ。
人間と同じように、神によって作られたのだろうか。
いや、そう結論付けるには、あまりに魔族は人間に似通っている。
人間と同じような姿で、人間と同じように食べ、人間と同じように眠り、人間と同じように繁殖する。
異なるはずの種であるにもかかわらず存在する類似点には、どこか人為的なものを感じ取れ――
――と、そこまでで、研究は閉ざされた。
何でも、過去には魔族についてその成り立ちを研究する研究者が当然いたらしい。
だが、いつの間にやら消えていた。痕跡一つ残さず。
それ以降、魔族の研究は禁忌とされ、ただ『魔族こそは人類の敵である』という嘘か真かも分からない認識だけが残った。
しかし、あの光景を目にした後なら、理解できる。
魔族とは、作られたのだ。他ならぬ人間の手によって。
それも、連綿と続く王家の血によって。
なるほど、と俺は得心がいった。
自らが創り上げた生物に、自らを超えるだけの力を宿した個体が現れれば、滅ぼさんとするのも自然というものだろう。
しかし、何のために……?
そう考える俺とは裏腹に、魔王はその隠された部屋の各地を手で触れ、慈しむように眺めていた。
郷愁の思いが、その血なまぐさい空間に対しても存在するのは場所に対してのものでなく、その場所で友となった者に対してだからだったのだろう。
しばらくそうしている魔王を見ていると、ふと嫌な予感が走った。
魔王も同じであったらしい。
見事な手際で防御魔法が俺と魔王の周囲に張られると同時。
――視界が、赤い熱に染まった。
膨張する空気と炸裂する音は絶え間なく続き、気が付けば曇り空を見上げていた。
爆発。
いつぞやかと同じ手を二度も喰らったか。
不甲斐ない……が、五体に問題はない。
感覚にも支障はない。
ここはもとより奴らの敵地。何か仕掛けがあることは百も承知である。
仰向けに寝ていた身体を一気に起こし、空ではなく前を見た瞬間に、俺はやはり違和感を覚えた。
第一に、目に入った魔王の傷。
魔王は遜色なしに世界を支配できるだけの力を持つ。言わずもがな魔法によって。
その魔王が、傷を負っている?
奴は自ら、『技術によって生まれる爆破に負けることはない』と豪語していた。それは防御魔法においても同様だ。
つまり、今奴が負っている傷は、爆発物によるものではなく――魔法によるものということになる。
魔王を傷付けられるほどの、上回るほどの。
第二に、思い出す空模様。
おかしい。
俺が城へ乗り込んだ際、空は雲一つない晴天であったはず。
この短時間で、雲が覆うようなことはあり得ない。
第六感が離れろと告げていた。
何故なら、その予感の正体こそが――
『――久しいな、クラウス』
聞き覚えのある声を、背後に受けた瞬間に、俺は己が出せる全速力で以て、魔王を連れてその場を離脱した。