第5話
――俺を王にする戦い。
理屈の上では理解できた。
魔族という存在を認めさせ、戦いを終わらせることを目的とする魔王。
それに協力することを決めた元勇者こと俺。
そういう意味では、俺を人間側の長に据えたいという思考は分かる。
が、それはそれ、これはこれである。
俺に王としての素質なんてない。
人をまとめ、国を統べる力なんてあるわけがない。
戦うことしか能のない強いだけの一般兵には、不相応の役職だ。
そう主張し続けたのだが、結局のところ魔王が考えを変えることはなかった。
奴は、俺以外の人間を心のどこかで信用し切れていないのかもしれない。
そう思えば、何故俺が信用されているのかは疑問だが。
……ともすれば、行く行くは操り人形に、とでも考えているのかもしれない。
魔王がそう考え、そうすることが最良と判断したなら俺としてはそれでも構わないが。
……と、こう考えている時点で、俺はやはり王には向かないのだろうな。
「……ぁ……意識、飛んでたか」
途切れかかった糸を手繰り寄せるように、体を起こす。
崩れた瓦礫の山々の中に埋もれた俺は、抜け出すと同時に酷い光景を目の当たりにした。
火の海。
木造の建築群が燃え、盛る赤が目に刺激となっていた。
散り散りに吹き飛んだ家のそれが、二次災害を引き起こし、見るも無残な有様だ。
「ここまでするか……」
――これを過去には共に戦ったはずの兵士たちが行ったというのだから、嫌な胸の痛みを覚える。
俺が魔王の手を取ってから、一年の時が経っていた。
勇者が寝返ったことはすぐに知れ渡り、そして国王の取った次なる手は早かった。
『勇者は魔の手に堕ちた。今やその剣に我らに振るわれる脅威であり、奴はもはや魔族と変わりない』
明確な敵としての認定。
当然と言えるその一手は、しかし現場に立つ兵士にとっては混乱を招くものだった。
仮にも最高戦力として戦場を駆け抜けた俺を前に、そう易々と剣を向けられる薄情者が少なかったことは、俺だけでなく、魔王にとっても複数の意味で救いであった。
こちらとしても無駄な血を流す必要はないとの考えから、殲滅ではなく制圧の方針を取ることで少しずつ俺たちが奪っていた生活圏を取り戻し、国王のもとへ向かう準備を着々と整えていた。
そんな矢先。
およそ半年ほど前のことである。
兵士たちの動きが急激に変わったのだ。
ただ、俺に剣を向けることに躊躇いを無くしただけであればどれほど良かったか。
奴らは――同族を狙うこととしたのだ。
俺たちに、人間を傷付ける意図はない。
争いは起きたとしても、それは力を見せつけるためのものであって、殺すためのものではない。
魔族に簡単に手を出すことのできない状況を作る。
そして、誰より魔族を敵対視している国王を退け、俺を王とすることで終戦に導く。
それが魔王の描く光景だった。
よりにもよって、そこを最悪の形で突かれたのが今の状況だ。
方針を悟るや否や、あろうことか人間を人質とすることで優位に立とうとしてきたのである。
これまでの、というか俺がいた頃では考えられない逸脱ぶり。
その点に関し、何やら魔王は知った素振りを見せるものの……俺は深くは聞いていない。
しかし俺の中でそれを為すに足る頭脳に心当たりはある。恐らくは、騎士団長。
ともあれ、俺たちはどういうわけか、攻撃戦と防衛戦。そのどちらもをこなす戦いを強いられている。
これまでを超える泥沼。
その無理強いに耐え忍んだこの半年間。
「……遂に限界が近づいてきた、か」
もはや奴らの手はどこへなりとも伸びている。
元より個の力で人間に勝り、逆に数で劣る魔族では、どうしようもない規模なのだ。
俺も休みなく駆けずり回った結果が、このざまだ。
「村ごと爆破……正気の沙汰かこれが」
木の焦げる匂いと、肉の焼ける臭いがする。
思い出したくもない、戦争の感覚。
それを思い出させたのが人間であることが、何より腹立たしい。
「生き残り、探すか」
幸い、爆発を直撃しても動ける程度に身体は頑丈だ。
片手は使い物にならなくなり、右の足は引きずるしかないが数分もあれば少しは治るだろう。
止まっている暇はない。
せめて一人でも生存者を探し、保護しなければ。
「……無事か」
それから時間をかけて、俺はようやく生存者を発見した。
小さな子どもだ。
奇跡的に瓦礫が屋根のように組み合わさり、圧し潰されることなく座っていた。
見たところ怪我もない。
「…………」
座り込んだまま、子どもは何も答えなかった。
ただ、俺をまっすぐに見つめている。
「勇者、様……?」
「……いいや」
久しぶりに言われたその呼び名に、初め、何と答えていいものか分からなかった。
俺はもう、その名を捨てたのだから。
「ねぇ、勇者様。……どうしてこんなことになったのかな……」
「……戦いが、終わらないからだ」
否定しても尚、俺を勇者と呼ぶ子どもに、今一度の否定をくれてやる気にはならなかった。
この子供の中では、俺は希望を与える英雄のままなのだろうから。
幼さは、時として鋭利なのだと俺は強く感じた。
「…………」
「不満なら後で聞いてやる。ここは危険だ。裏切り者の俺を信じられなくてもいい。とにかく離れるぞ――」
「――終わらないのは、王様のせいだよ」
「……何故、そう思う」
言って、俺は俺自身に驚いた。
聞いて何になるというのだ。時間の無駄でしかない。
今はここから離れることが何より先決であり、子どもの話など後で聞けばいい。
なのに何故だが、俺は目の前の子どもの言葉に惹かれていた。
「この村を襲ったのは、兵士さんたちだよ。兵士さんたちにそんなことさせられるのは王様だけだよ。なんでそんなことするのかはわからないけど……王様は、この戦いが終わってほしくないんだ」
何を捉えているのかも分からない瞳のままそう言った子ども。
俺は立ち尽くした。
魔王に言われた時と、同じような衝撃。
それが全身に走り、微かな高揚が全身を満たした。
「……お前は、どうすればいいと思う。この地獄のような戦いを、どうすれば終わらせられると、そう思う」
「そんな難しいこと、わからないけど……」
子どもは考える素振りもなく一瞬の間を空けて、続けた。
それが異端である自覚があったのだろう。
だからこそ、俺は子どもに更に惹かれた。
「――魔族と人間が、仲良くできれば一番いいのにな、って……思う」
「――――そう、か」
俺は、子どもの頭を優しく撫でた。
こんなことは初めてだったものだから、不慣れなまま拙く。
これでいいのかと不安になりながら、それでも撫でた。
「ここで、待っていられるか」
「……? 危険なんでしょ?」
「あの言葉は撤回する。もう、ここにいた方が安全だ」
「……勇者様?」
「安心しろ」
不安げな色を宿す目を向ける子供に、俺は言ってやる。
「――過去に勇者と呼ばれた男が、守ってやる」