第3話
「よく来たな――勇者よ」
少しずつ意識が覚醒する。
まるで殻を破るかのような、生物としての原初のそれに近い。
途端、私は目を開けていたらしく、光に目を細めた。
聞こえてきた声を理解するのに、脳が時間を要した。
言うなればそう、起きた直後。
朦朧とした意識は不安な立ち上がりだった。
ただ、遅れて脳が嚥下した聴覚の働きに、目を見開いて先を見る。
「我が臣下を退け、よくぞここまで辿り着いた。その力、賞賛に値する」
「……魔王」
荘厳な、それでいて不気味な装飾。
無機質さを思わせる煉瓦の壁。
私が今いる位置よりも一段高い場所には玉座。
そして、そこに鎮座するは魔族の王。
故に魔王。
歳は、二十程に見える。
若々しくも凛々しいその顔の、鋭い切れ長の双眸が私を捉え、睨み殺さんと射貫いていた。
不吉の象徴とされる黒の髪は長く、負を周囲にばら撒くかのよう。
高い身長に長い手足は高圧的である。
黒を基調とした装いも相まって、目の前の人物はまさしく敵であった。
何よりも、私にはない赤の角が人でないことの証明である。
こここそ魔王の城、その最奥。
玉座の間にして、決戦の地。
しかし、その扉が突如として開かれる。
「魔王様! 申し訳ございません! 我々が不甲斐ないばかりに!」
「よい。今は休め、我が臣下よ」
「そっ、そんなことはできませぬ! 我々魔王様の忠実なる僕たち、魔王様と共に勇者と戦います!」
「必要ないと言ったのだ。よもやこの魔王が負けると思っているのか」
「い、いえ……しかし」
発される圧に萎縮する魔王の臣下のうちの一人。
恐らく、本当に彼女の言う通り忠誠心でかけつけたのだろうが、魔王には呆気なく拒否される。
事実、私を相手にするのなら彼女らでは力不足だ。
「それに……この魔王に汚い真似をさせてくれるな」
「ですが……」
「くどいぞ。見て分からぬか。いや、戦った貴様たちこそ最も知っているはずだ」
魔王が何を言わんとしているのか、察しがついた私は二度目のやり取りであるにもかかわらず。
というよりも、戦場であるにもかかわらず、呆れて目を細めるに至った。
「――勇者は、たった一人でこの城に攻め入り貴様たちを打倒してここまで来たのだ」
「…………」
「それほどの強者を前に、血が滾らぬ余ではない」
「で、では……やはりお一人で……」
「うむ、信じるがいい。貴様らの信じる魔王が勝利することを」
言葉に散りばめられる英雄性。
人々にとって勇者がそうであるように、魔族にとって魔王こそがそうなのだ。
そこまで言われてしまえば、忠誠深い彼女らは大いに身を引く。
「は、はい! 我らは、魔王様の勝利を信じております!」
再びただ二人だけの玉座の間。
未だ座ったままの魔王は圧を放ちながら、それでも尚平然と立つ私に目を細めていた。
「動かなかったな。増援を恐れはしなかったのか」
「……事実意味がない」
と、口にしてから。
私は自身が想定していたよりもぶっきらぼうな言葉が口を突いて出たことに驚いた。
いくらここが戦場で、目の前にいるのが魔王であったとしても、この先の未来を知っている私であればもう少し柔らかい言葉が話せると思ったのだが。
ともすれば、精神が身体に引っ張られているのかもしれない。
無駄に取った歳のおかげか無視できていたが、そういえば湧く闘争心が確かにある。
若い頃に戻ったようだが、その実戻っているのだからややこしい。
思わず頭をかきながら。
「ここまで息も切らせず、苦戦らしい苦戦もしなかったのが良い例だ」
思ったことを口にすれば、魔王は片手で顔を覆い、天を仰いで笑った。
「違いない。奴らには悪いが、勇者を相手に我が臣下が加わったところで、大した戦果は挙げられんだろう」
「分かっているなら、下手な茶番に付き合わせるな」
「茶番、か。それを言うなら其方だろう、勇者」
「…………」
「何故、奴らを殺さなかった? 其方ほどの力があれば簡単に殺せるはずだ。そうすれば先の茶番もそもそも無いぞ」
見透かすような視線。
試すようなその瞳に、私は目を逸らすことなく正面から向かった。
前回はどうだっただろうか。
あぁ、確か。
どうでもよかったから、無感動に魔王を見ていただけだったか。
「それだけではない。これまでの戦い、其方は一度たりとも我が臣下を殺さなかった。殺しを行うのはいつだって人間の兵士どもだ」
「何が言いたい」
「ならば問おう、勇者よ。最も力を持つ、勇気ある人間よ。其方は戦いを望んでいないのではないか?」
記憶が刺激される。
思い返せば、前回もそんなことを言われた気がする。
そして過去の私は何を言うでもなく、魔王の次の句を待ったのだ。
けれど、実のところそんな大層で高尚な思いがあったわけでは断じてない。
今の私なら、それを包み隠さず言える。
「――死にたかった」