エピローグ 『5年越しの休暇』
4万キロ㎡。
これは合衆国ウエストランドが連邦解体戦争後に最終的に獲得した領土だ。
獣人の反乱当初は、ケルビンが口にしていた『9千キロ㎡』ですら、人々は失笑していたのに、蓋を開けてみれば、その四倍の以上の獣人達は領土を手にしていた。
ただ、ケルビンはそもそも9千キロ㎡で獣人国家を建国することを考えていたため、バルタニス連邦の領土の大部分は元の所有国の元へと戻った。
それを踏まえると、その気になれば、連邦の全領土を掌握することができたことになる。
彼らの要求に真摯に向き合い、不毛な開拓地『9千キロ㎡』を手放していれば、連邦の人々は後悔してもしきれなかった。
また、常勝国家の連邦の軍隊は長らく、地球上の軍隊の最たる模範として君臨していた。
『戦死者が多い部隊こそが、もっとも勝利に貢献している』、『大砲撃と大軍での突撃戦法こそが、最強の戦術』という連邦軍の考えは、世界の軍隊の常識であったが、連邦の敗北と共に神話と共に崩れ去った。
特に、後者はともかく、前者は完全に狂った常識であり、我に返った各国の軍隊は挙って人命重視のケルビンの軍隊を参考にし始めた。
そうして、獣人を学んでいく中で、人々の獣人への差別意識は薄れていった。
世界は変わった。
変わりゆく世界の中、やはり、変化を受け入れられない者たちが居た。
ケルビンら獣人連隊は、連邦消滅から5年間の間に大小含めて32回あった暴力的な反獣人運動を鎮圧した。
時間が過ぎていくと共に、そうした運動の規模は小さくなっていき、今更、時代に取り残されて、獣人を差別している方がどうかしていると世間の人々の目も冷たくなっていき、反獣人運動は無くなっていった。
また、獣人達のマンパワーとガンスミス・ギルドを始めとした人々の技術は技術革新を起こし、ウエストランドは急成長を遂げ始めた。
そして、そのタイミングでケルビンはウエストランドの代表を退いた。
政治面での代表として、かつて、獣人との無益な争いを止めようと提唱した元市長、アレクサンダーが指名された。
軍事面の指揮官としては、ユキノが昇格した。
そして、ケルビンとアンは表舞台から姿を消した。
◇
ウエストランドの極東、かつて、連邦との最後の戦いが起きた地のあたりに獣人連隊の本部があった。
もう絶滅危惧種とはいえ、稀に元連邦人が、テロを企てることがあるのだ。
「連邦人が絶滅危惧種とはな」
かつて、獣人こそが絶滅の危機のに追いやられていたことを思い出し、現指揮官ユキノはふっと笑う。
彼女の執務室は上層にある質素な和室であり、床の間に、幾多の弾丸を叩き切った刀が飾られている。
ユキノはこの高みから、世界中に睨みを聞かせるのが使命だ。
ケルビンから受け継がれたその役目を果たすことで、彼女の胸には誇りで満たされていた。
そして、窓枠から眼下を眺めていると、下の通りを行きかう小さな子供と目が合った。
4歳くらいの女の子だろうか、遥か高みのユキノと目が合うと、にっこりと微笑んだ。
その頭には、ユキノと同じく狐の耳があった。
幼女を追うように、息を切らしながら走ってきた父らしき男性には、獣の耳はなかった。
もはや、獣人と人間のパートナーは珍しくない。
大きく手を振る幼女に、ユキノは小さく手を振りかざした後、ゴホンと咳払いし、執務机の前に戻る。
そして、引き出しから大切そうに一枚の写真立てを取り出した。
今でも、カメラに映ることを極度に嫌う彼女だが、その写真だけは大事にし、何度も見返していた。
以前、半壊した衣服屋で撮った写真で、ユキノ、そして、アンとケルビンが映っていた。
「……偶にはな」
会いに行こうと、彼女は珍しく、休暇を取ることを決めた。
ケルビンとユキノの現在の所在を知っているのは、ユキノを始め、獣人でもほんの一握りしかいないのだ。
◇
ウエストランド第5地区の外れの山の麓、そこに一つのログハウスがひっそりとたっていた。
ケルビンとアンが自らの手で組み立てたのだ。
かつて、獣人が作ってくれたログハウスは、今は世界各地で保護された獣人達の孤児院となっている。
獣人達に頼めば、豪邸の一軒や二軒、喜んで無償でやってくれると思うが、ケルビンは自ら建ててみたかったのだ。
アンがいるとはいえ、二人で一から作るとなると、かなりの時間を要したが、今のケルビンにはゆっくりと時を過ごす為の幸福な時間があった。
他にも畑や鶏小屋がこしらえてあり、二人は此処で自給自足の生活をしていた。
涼しい林の木陰の中、ケルビンはリビングデッキのハンモックに揺られながら、数か月前に人里で購入してきた情報雑誌を読んでいた。
ファッションの流行、街のグルメ等の記事を流し読みしながら、ページをめくっていたケルビンの指はあるところで止まる。
『ケルビンの反乱 歴史に名を遺した男の半生』
ケルビンはそのページを……読み飛ばした。
「えっ、読まないの!?」
ケルビンの元に、珈琲を持ってやってきたアンは驚きの声を上げる。
連隊を抜けた後、彼女は髪を肩まで伸ばし、背も少し伸びた。が、自由奔放で、言いたいことを言う性格は変わっていなかった。
「記者が妄想で書いた半分フィクションのオリジナル戦記だ。気持ちは嬉しいが、読む価値なんてないよ」
「でも、ケルビンが言っていた通り歴史に名を遺したんだよ。もっと、こう、目に焼き付けとかなくていいの」
「それはそう、なんだけどな……待て、待て」
アンがぐいぐいとケルビンの目前に雑誌を押し出してきて、ケルビンは言葉に詰まる。
ケルビンは何とかそれを押し返した。
「確かに昔はそう思っていたよ。亡くした戦友たちのように塵芥に消えたくない、じゃあ、人類史に残る悪名でも良いから名を遺したいと。
でも、幸い名前以上のものを遺すことが出来た」
ケルビンが皆まで言う前に、アンはケルビンの目で立ち、自分のことを指さして首を傾げた。ケルビンは恥ずかしさを覚えつつも、首を縦に振った。
――彼が勝ち取った獣人の未来は、消え去ることのない、確かに残り続けるものだろう。
「ねぇ、ケルビン」
アンは、木陰から差し込む光に照らされながら、微笑んだ。
「ありがとう」




