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誰かが呼ぶ声が聞こえ、ケルビンは目を覚ました。
窓から差し込む光の加減を見て、ケルビンはぼんやりと呟いた。
「夕日?
寝過ごした……?」
「ケルビン!」
突然、誰かに飛びつかれて、ケルビンは驚いた。
アンが寝ている彼の腕に飛びついてきて、顔を埋めて、すすり泣きを始めた。
「アン、どうしたんだ?
いや、待て……ここは?」
そして、ようやくケルビンが異変に気が付いた。
白い天井に、白いベッドに、カーテン……病室ではないか。
そこに、先のガス爆発作戦で世話になった医者が現れた。
「頭を上げるな。
君は2日間寝込んでいたのだ」
その言葉と、頭に巻かれた包帯に気づいて、ケルビンは思い出した。
「……ケリーは?」
「それは、その……」
顔を上げたアンが言い淀んでいると、カーテンの向こうから現れたユキノが静かに告げた。
「大きな瓦礫に挟まり、手の施しようがなかった。
残念だ」
「そうか」
「指揮官、0号作戦の発動条件は満たしたと考える。
すでに連隊は動いている。
これだけの仕打ちを受けては……もう、止まれと言っても止まらぬぞ」
「許可する、行け」
ユキノは直ぐに去っていく。
ケルビンはケリーの死に、動揺する様子を見せず、逆に氷のような表情で指示を飛ばした。
アンはケルビンを、心配そうに覗き見る。
「ケルビン?」
「アン。
始まりが訪れないなら、終わらせるしかないと思うんだ。
命令だ、人間どもに緊急会議を招集するよう伝えてくれ」
◇
国際連盟、世界各国が加盟する国際問題解決の為の組織は臨時総会を開いた。
場所は、一度獣人に制圧された旧連邦中央首都の連邦議会だ。
ケルビンが到着する前から、怒号が飛び交っていた。
「一体、なんてことをしてくれたのですか!?
サマエル・ベリアル殿! 」
「僕は何もしていないじゃないか?」
「何を、我が国から派遣された平和維持軍の兵士を殺害しおって!」
「連邦残党派に資金を提供していたこと、広告代理店などを使い、世間を扇動していたというのは分かっているのですぞ!」
連邦代表として出席した富豪サマエル・ベリアルは、多くの非難の言葉を投げつけられるも、余裕の笑みを崩さなかった。
「当然のことをしただけじゃないか。
この国際連盟も人間の為の組織であって、獣人の為の組織ではない。
人間を差し置いて、獣人が豊かになるなんてあってはいけない。
みんなもそう思っているようだけど」
ベリアルはエレナの動きと同時に、世論を扇動し、「獣人達の台頭を許すな」「人間を尊重しろ」「獣人の仕返しが来るぞ」などのデモを各地で起こした。
連邦だけで勝てなかったら、世界でひねりつぶせばよいエレナがたどり着いた答えだった。
「むしろ、ケルビン・マイヤーのやり方にも問題があった」
「ああ、人間社会に対する礼儀が足りなかったのだ」
「株価も安定することでしょうな」
「では、これまでの戦争は何だったんだ!?」
各国の代表がそれぞれの思惑をぶつける中、議場門番の衛兵の声が響いた。
「ウエストランド代表のご到着!」
恭しい態度で大扉が開かれるのを、皆が固唾をのんで凝視する。
しかし、そこにケルビン一人が立っているだけだと気づくと、安堵のため息をついた。
国際連盟総会の規則として、武器の持ち込みは固く禁じられているのだ。
それを逆手にとって、ケルビンは身体能力の高い獣人達を連れてきて威嚇、場合によっては実力行使するのではないかと思われていたのだ。
「これで、全員がそろったようですな。
これより、議場を閉鎖します。
再度確認しますが、議題が終わるまでは人の出入り、並びに一切の情報のやり取りを禁止いたします。
健全な国際問題解決の為、ご協力を」
厳格そうな高齢の議長がそう宣言すると、議場につながる全ての扉が閉鎖された。
◇
円状のコロシアムを思わせる議場の中央で、ケルビンとベリアルは初めて向き合った。
だが、ベリアルが最初に取った行動はケルビンに対する要求ではなく、謝罪でもなかった。
彼は立ち上がり議場を見渡しながら、両手を上げて宣言した。
「政治家諸君。市場の乱高下にうんざりしている頃だろう?
民衆の機嫌を取るのも、そろそろ限界じゃないか?
だが、朗報だ。
連邦が復活すれば、この混乱も、株価も、支持率すらも──私が安定させてみせよう。
ベリアル財団の名にかけて、ね」
「静粛に!
この場は休戦条約違反を話し合う場であって、ビジネスの場ではありませんぞ!」
議長が声を荒げるが、ベリアルは聞く耳を持たなかった。
「他の財団の友人たちも同意見のようだ。
生憎、獣が表通りをうろうろするなんて、どこの企業の事業計画書にもないものでね。
皆様の国家戦略だって、そんなご予定ないでしょう?
それに、この者どもが復讐だなんだといい、皆さまのお国に攻め込まない理由が何処にあるので?」
ベリアルはあくまで国家代表者たちばかりに話しかけ、目の前のケルビンには一切話しかけなかった。
格下相手とは喋らない。それがベリアルの信念だった。
ベリアルは自身を特権階級と認識しており、全人類は自分の家来とすら思い込んでいる。実際、彼の出す札束の前に首を横に振る人間はまずいない。
人間ではない獣人は彼の世界にいるべきではないイレギュラーなのだ。
だから、見ない。
相手にもしない。
「ま、世界経済……いや、平和の為。
世界の帝王連邦の復活、ねぇ、皆さんもそっちの方がいいでしょ?」
連邦が復活すれば、貴族たちはベリアルにより逆らえなくなり、連邦は彼のモノになる。
そうなれば、ベリアルは世界の神だ。
ベリアルがほくそ笑みながら、議会の面々に同意を求めた時、今まで沈黙を保っていたケルビンが突然口を開いた。
「バカバカしい。最初から人間との共存なんて無理だったんだ」
「……へぇ、ようやく気付いたのか、まぁ、その鈍さが」
「もういい、どうにもならない。
此処まで歪み切った世界は、リセットするほかない。
獣人を存亡の危機に追い詰めた人類に、罪を贖わせる。
第三獣人連隊は、全力を以て――全人類を全滅させる」




