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連邦解体戦争から2か月後、ケルビンは連邦首都に、仮設置された事務所で客人たちと面会していた。
客人というのは、大国の外交官たちだった。
「マイヤー代表、お気持ちはお察しします。
ですが……」
外交官の一人が、ケルビンをマイヤー代表と言った時、ケルビンの目が吊り上がった。
「失礼しました。ケルビン代表
それで、代表、エレナ・マイヤーの引き渡しについてですが……」
「それが応じられないのなら、話し合いの意味はない」
「しかし、彼女は世界秩序の維持を訴えており……」
「世界秩序を壊したのは、連邦のほうだ」
ケルビンと外交団の話は平行線を行き来していた。
連邦解体戦争は周辺国だけではなく、全世界に混乱をもたらした。
世界一の大国の解体により、株価は大暴落し、人々は恐怖に陥れられた。
連邦の没落は世界の危機になりうると懸念した、他の大国たちはこの戦争に介入した。
彼らは獣人と連邦の間に平和維持軍を派遣して、休戦を呼びかけたのだ。
外交団はケルビンと連邦それぞれに対し、進撃の停止を要求した。
それに対し、ケルビンはエレナらの引き渡しを要求した。
しかし、外交団はそれに中々首を縦に振らなかった。
「代表、此処は各国からの合衆国ウェストランドへの支援金という形で、手を打ちませんか?」
「いいや、駄目だ。
何故、彼女らを引き渡してくれない?
それで、平和になる」
「我々としても、エレナ氏と交渉しているのですが……」
「交渉?
実力で引き渡せと言っているんだ」
外交団は難しい顔をした。
連邦は平和維持軍の監視下にある。
しかし、それでも、エレナたちは連邦は負けていないと要求を拒否している。
それどころか、連邦がなくなれば、世界はさらなる混乱に落ちると主張し、各国が一団となって獣人を殲滅すべきだと主張しているのだ。
各国も身勝手な連邦にはうんざりしているが、本当に無くられてもらったら困るのだ。
結果的に、今回の交渉も進展はなく、代表団は帰っていった。
ケルビンは深いため息をついて、机に突っ伏した。
「ケルビン」
「……」
「ケルビンー?」
「うん?」
ケルビンがようやく呼びかけに気づき、顔をそちらに向けようとすると、頬に柔らかい指先が当たった。
「ふふ、引っ掛かった」
「なんだ、アンか?」
「ちょっと、なんだって何? 」
冗談めかして、アンが怒る。
彼女はケルビンの座るソファに滑り込むように、横に座った。
一人用のソファに無理やり入り込んできたので、アンの柔らかい身体がもろに当たり、ケルビンは頬を少し赤くする。
「せ、狭いだろう」
「良いじゃん、別に」
アンは悪戯っぽい笑みを浮かべ、ケルビンをからかっていたが、やがて表情を曇らせる。
「ねぇ、ケルビン、どうしたの?」
ケルビンは何でもないと言おうとしたが、顔を背けた。
そんな嘘は直ぐに見抜かれてしまう。
先程、アンの呼びかけに応じなかったり、大きく寝坊したりと最近のケルビンは何処か上の空なのだ。
燃え尽き症候群だ。
ケルビンの本性は臆病で、静かな性格の人間だった。
獣人たちと共に生きると決断して、連邦の猛攻に耐え、反撃し、連邦を解体まで追い詰めたが、彼の精神面にかかる負担は限界を超えていた。
休戦交渉は難航しているとはいえ、平和維持軍の監視下にある連邦は暫くは動くことはできないだろう。
そういう安心感も、彼から気力を奪っていた。
「ねぇ、一旦、皆のところに戻ろうよ」
皆のところというのは、ウエストランドのことだ。
この連邦付近に獣人の兵力も一定数置いているが、多くの獣人たちは、始まりの地であるウエストランドで生活を送っている。
そこならば、ケルビンにとっても最適な療養地だろう。
「だが、戦争は終わったわけじゃない。
油断はできないんだ」
「休んでないのは、ケルビンだけ!
ユキノも変わってくれるはずだから」
「いや、指揮官として……」
それでも食い下がろうとするケルビンの手に、アンは自分の手を乗せた。
ケルビンはアンの手と、目尻が震えていることに気づいた。
そして、ややあって、手を握り返した。
「わかった。
来週の外交官との話し合いが終わったら、暫く、休みを取ろう」
「ほんとう!?」
ぱっと明るくなったアンと比例するように、ケルビンの胸中もスっと軽くなった。
実はケルビンの脳裏には、妥協の二文字がちらついていた。
連邦の軍事力は大きく衰え、獣人に攻撃する軍事力はない。
もっとも過激だったガブリエルは死んだのだ。
エレナのことなんて、2,3年後、連邦が完全に力を無くした後に対処すればいいのではないか。
これでいいんじゃないか、ケルビンは内心そう考え始めていた。




