下心の隠し方②
「さて、と」
翌朝のこと。
私とリタさんの二人は視察に赴く公爵一行を見送った。その後すぐに私は昨日買ってきたノートとペンをひとくくりにまとめた。
「エルネスタ様は今日は御同行されなくてよろしかったんですか?」
筆記用具一式を抱えた私にリタさんが小首をかしげる。彼女はこれから公爵が借りている離れの部屋の掃除と洗濯などのお仕事をするらしい。ほどけかけたメイドキャップのリボンをきゅっと結び直し、エプロンもお掃除用のものに取り換えている。
「昨日無理言ってついていったら、伯爵にものすごく嫌がられちゃったんですよ。これはもうだめかなって思って今日は諦めました」
「あの伯爵様、公爵様のご婚約者様に対してどういうおつもりなんでしょうねぇ」
「まあ、本当の婚約者ってわけではないので……」
「対外的にはご婚約者様なんですから。あの態度はいかがなものなんでしょう」
偽装婚約だということを知っているはずのリタさんだったが、伯爵の私への当たりの強さは腹に据えかねていたのか頬を膨らませた。
「女が無駄に教養を付けているのが気に入らないんだと思いますよ。大学でも良くありました。生意気って言われるのなんて慣れっこです」
「そうはおっしゃいますけれど……」
「大丈夫です。あと、今日はフロンテラ伯のお嬢様方のところへ行ってきます。この間お茶をいただいたお礼もかねて」
では、と会釈をするとリタさんもいってらっしゃいませとお辞儀をして見送ってくれた。
離れを出て母屋へと向かうとちょうど母屋でも仕事開始の時間だったのだろう。数人の使用人の少女たちが庭掃除や屋敷の掃除に励んでいた。それぞれが大きな箒や布巾をもって、てきぱきとお仕事をしている。
しかし無駄なおしゃべりもしない様子に私の胸がぎゅうっと苦しくなった。
屋敷の主も仕事で不在なのに。
おしゃべりしたいお年頃だろうに。
私よりいくつも若い女の子たちが、姿勢よく、きびきびと、黙々と作業を進める姿は立派だけれど、当主の娘たちの様子もそうだが何か抑圧されたものを感じてしまう。
じっとそれを見ているのもつらくなり、私はすぐさま母屋に入りフロンテラ伯の娘たちの部屋を目指した。
途中ちょっと道に迷いながらもお掃除している使用人さんに伺いながらたどり着いた部屋の扉は、やはりしっかりと閉まっていた。耳を澄ましても中からは物音がするかしないか分からないほど静かだ。
仲良くなるのはやぶさかではない。簡単な読み書きすらできないのであれば、この先あのお嬢さんたちが困ることになるのは目に見えている。だから教えてあげるのは私の希望でもある。
しかし昨日、公爵に頼まれたことを遂行しようと思うなら、この行動は下心が伴うことになる。それを思うと少しだけ心苦しくなった。
扉を叩こうか、どうしようかと数呼吸分の時間逡巡した。右手を握って振り上げてみては下し、下ろしてはまた振り上げる。
しかし何度目かに拳を振り上げると、それが叩きつけられる前に目の前を塞いでいた扉がぎいっと音を立てて開いてしまった。
「あ……」
中から姿を現した少女は、外に人が立っていたことに驚いたのだろう。目を丸くしている。
一番下のお嬢さんの、たしかビビアナといったっけ。アメリアよりずっと年下の、まだ六、七歳くらいの少女だ。少し濃いめのさらさらしたブラウンヘアが可愛らしい少女は、一瞬固まっていたけれどすぐに神妙な顔つきとなり膝を曲げた。
「よ、ようこそいらっしゃいました。ヅィックラー男爵ご令嬢様。何か御用がございましたらビビアナがお伺いいたします」
ちょっと声がひっくり返ってしまっていたけれど、年齢を考えたら十分立派な挨拶だ。ただご用件を伺うとはまるで使用人のような振る舞いではないか。
辺境の館に住んでいるとはいえ、伯爵家はヅィックラー男爵家よりずっと家格が上の貴族である。本来であればこのお嬢さんに対して、私の方がもっとへりくだる必要があるはずなのだ。
私は慌てて首を横に振った。
「おはようございます、ビビアナ様。先日はお姉様方においしいお茶をごちそうになりありがとうございました」
「とんでもございません。母は今日も不在ですが、姉たちにお取次ぎしましょうか」
立派すぎる。私が十歳の頃より立派な受け答えではないだろうか。でも逆にきちんとしすぎていて、子供らしさに欠ける気がする。
ビビアナは微動だにせず私をじっと見上げていた。私は無理やり口角を持ち上げた。おそらく不自然な笑顔になっていただろうけれど仕方ない。
「先日のお礼がてら、図々しいようですがお茶の淹れ方を教えていただこうかと思いまして。お姉様方にお取次ぎをお願いできますか?」
「はい。ではお入りになって少々お待ちください」
お茶の淹れ方を教えてもらいながら、メモを取るふりをして文字を教えてみよう作戦である。本当はかわいい絵本などを持ってきたかったんだけれど、そんなものが売っているお店には寄れなかったから仕方ない。
ビビアナはぴょこんと頭を下げて私を部屋へ招き入れると、そのまま奥の窓の傍にある扉を開けてその中へと姿を消した。
私は誰もいない室内をぐるりと見渡した。先日と同じく、白粉の匂いはするものの簡素な家具だけが並んだ部屋だった。本棚もなければ本の一冊もない。テーブル上にぽつんと置かれているのも編みかけのレースが入った籠だけだ。
殺風景、とまではいかないけれど、三人の姉妹がいる部屋にしては寒々しい。石灰だとか木材、マツヤニなんかを売りさばいていて儲けている家なら、娘たちの部屋くらいもう少し華やかに飾ったって良さそうなのに――。
そんなことを思っていると、がちゃりと部屋の奥にある扉が開いた。
「お待たせいたしました、ヅィックラーご令嬢様」
そう言って姿を現したのは一番上の娘のカリナだ。その後ろには二番目のセリナ、そしてビビアナと続く。
お辞儀をして顔を上げたカリナは、少し訝し気な表情を浮かべていた。
「突然お邪魔して申し訳ございません。先日はおいしいお茶をありがとうございました。ビビアナ様にもお伝えしたのですが、図々しいお願いがあってお伺いしました」
よし、と私はおなかに力を入れる。割り切れ、ここからはお仕事だ。仲良くなれるかどうかは分からないけれど、彼女たちにほんの少しだけでも文字を読む楽しさを伝えられたらいいとだけ考えよう。
私はそれ以上の下心をとりあえず腹の底に追いやって蓋をし、三姉妹に向かってお辞儀をしたのだった。




