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元聖女はお忍びをしてみたい②

 半ば無理やり引き留められる形で私は公爵が泊まる離れの一部屋で休むことになった。

 一日着ていたドレスを脱ぎ、リタさんによって手早く整えられたベッドへ体を横たえると、その寝心地の良さに驚かされる。

 ふっかふかなのだ。

 温かいし、そして上にかける毛布も軽くて暖かい。待遇の違いに驚いたけど、ここが賓客のための離れだと思えばそれも当然なのかもしれない。

 使用人部屋のベッドは、まあちょっと固いけど眠れなくはないという程度のものだっただけに、この寝心地の良さに私はすっかりリラックスして手足を伸ばした。

 灯りを消した天井をぼんやりと眺めながら、公爵の話を振り返る。

 

「……屋敷を移して、景色が変わるほどに山や森を崩すなんて、一体何が目的なのかしら」

 

 話を聞けば聞くほど、一体何を考えてフロンテラ伯がこんなところまで公爵を呼びつけたのか分からない。王位継承順が繰り上がった公爵を実際に見てみたいというのであれば、下位である自分が王都へ赴くのが礼儀じゃないだろうか。

 おまけに婚約者もぜひご一緒に、という割には私への当たり方がキツい。

 いや、キツいのは構わないんだけれど、なんか理不尽すぎやしないだろうか。私だってせっかく王都以外の土地へ来たんだから、じっくりフロンテラ領を見て回りたいというのに。

 景色が変わるほど掘削された山、丸刈りにされたという森が一体どうなっているのか、実際に見てみなければその目的を推し量ることもできやしない。

 気になる話だけ聞かされた私は、なんとなくうずうずと落ち着かなくなってきた。

 王都からかなり離れたこの土地なら、独特の虫や生き物がいるかもしれない。卒業時に論文にするもととなった虫なんかは王都で捕まえたものばかりだったけれど、こちらの地域では一体どういう虫たちが勢力を持っているのだろう。

 はー、とため息が漏れる。

 外に行きたい。

 ここ数日、フロンテラ伯がいい顔をしないからといって公爵に言われていた手前もあり自制していたものがふつふつと湧き上がってくる。

 外に行きたい。

 外の空気を吸って、この土地ならではの生き物や風土を見たり感じたりしてみたい。それをまとめたらアメリアへも良いお土産になるし、王都に戻った時に生き物の生態を比較する資料になるし。

 

「明日、言ってみようかなぁ……」

 

 あまり確執を作りたくないという公爵の言い分はもっともだけれど、一度火がついてしまった気持ちがなかなか治まってくれない。私はベッドの上ではね起きた。

 フロンテラ伯にはまた嫌味を言われるかもしれないけれど、明日は一緒に連れて行ってくれって言ってみようと決意する。

 

「だって、公爵一人の目だけじゃ視察の資料作るのに情報が不足するかもしれないし。二人、三人の目があったほうが細かく観察できるよね」

 

 うん、と私は一人でもっともらしい言い訳を口にしながら拳を握った。いつまでも閉じ込められているのは性に合わない。本や資料でもあれば別なんだけれど、それも十分な量がないのが悪いのだ。

 と、思ったところでふと我に返る。

 そう言えば、この屋敷の奥様や娘たちは文字が読めないのではないかという疑惑を思い出したのだ。

 フロンテラ伯の大学を出た私に対する攻撃的な言動と照らし合わせれば、彼が女性に教育は不要だと考えていることが分かる。

 それにしたって極端だ。十代の少女が文字の一つも読めないなんて、今の時代には考えられない。市場にいる下働きの子たちだって最低限の単語や数字は読めるものなのに。

 屋敷の母屋にはあったけれど、端っこの方に追いやられるように与えられている部屋。レースの編み物はあったけれど、本や筆記具は一つもなかった。それを思い出すと胸が痛む。私だったら耐えられない。

 その反面、少女たちは質素ながら清潔な部屋に住み、目が揃ったレース編みをし、適切にお茶を淹れることができた。古くから言われるような家事は仕込まれているということなのだろう。

 古臭い、良妻賢母となるためだけの教育はばっちりというわけだ。

 それだけでも十分私の反発心がむくむくと湧き上がってくるが、もう一つ気になることがあった。完璧なマナーで動く少女たちが時折父親である伯爵を怯えたような目で見ていることだ。

 よほど厳しくしつけられたということだろうか。自我を消し去らなくてはいけないくらいに。

 

「だとすると、腹が立つわ。今どき、女の子だって高等教育を受けて羽ばたけるっていうのに」

 

 蔑むように私を見るフロンテラ伯の目と、嫌味ったらしいセリフを思い出して私は唇を噛んだ。

 女だからといって、知識や教養を求めてはいけないなんてことは絶対にないのだ。

 

「滞在中になんとかできたらいいんだけれど……仲良くなれるようにして、文字、教えるとかできるかしら」

 

 うーん、と私はベッドの上で腕を組んで考え込んだ。アメリアの初等教育の教科書にしている本は全て王都に置いてきてしまった。けど、文字自体が読めないほどであれば、教科書を使う以前にまず「文字」を覚えてもらわなくてはいけない。であれば、文字の表と簡単な単語集のようなものがあれば十分だ。

 

 ――作っちゃおうか。

 

 我ながらおせっかいだとは思ったけれど、このままにしておくにはちょっと心残りになってしまいそうな気がしたのだ。

 伯爵に見つかったらうるさそうだし、あの人たちが外出している最中にこっそり教えればバレないだろう。筆記用具も明日公爵に外に連れ出してもらったときに補充すればいい。

 こっそりと教えようと思うと、心にぴりっとした緊張が走ると同時にわくわくとする気持ちが湧いてきた。

 私はベッドから降り卓上ランプを付けると、早速手持ちのノートを広げてペンを取ったのだった。

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