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ブドウ畑の少年は、物語に憧れ外を見た

「つまんないなぁ」


 サンサンと輝く太陽の下で、頼もしく育った木の影に寝っ転がる少年は深く息を吐いた後、ぽつりとそう呟いた。


 暖かい空気がゆっくりと少年の頬を撫でる。慣れきった陽気に感慨を覚えることはなく、少年は空に手を伸ばして雲の輪郭を指でなぞる。


 しばらくして、少年はそれに飽きたのか、腕を下ろした。代わりに自らの上体を起こすと、村の中心を境に、自身がいる場所と反対側のなだらかな斜面……そこに広がるブドウ畑に視線を送る。

 雨に濡れぬよう取り付けられた小さな傘の下で、小粒のブドウ達は一つ一つが十分に栄養を蓄えて、鮮やかな黒色を輝かせて実っていた。

 例年通りに。

 

 少年は別の方向を見た。ブドウ畑があり、よく実っている。例年通りだ。少年は更に別の方向を見た。ブドウ畑があり、よく実っている。これも例年通り。

 これまで生きてきた10年間、この時期に繰り返されてきた代わり映えのしない光景に、うんざりとしていた少年はため息をついた。


 少年は持ち上げていた上体を草の上に戻すと、青空を見た。収穫を待つぶどう達を前に、少年にはぼんやりと考えを巡らせるくらいしかやることはない。

 村の大人達は収穫直前のこの時期、村の外の人と交渉をしたり、お酒作りの準備をしたりと忙しい。少年もあと3年すれば、大人の世界に足を踏み入れ、この時期にも駆り出されるようになるのだろうが、今はまだ(たずさ)われる年齢じゃない。

 かといって同年代の子たちと遊ぶにも、物心つく前に父親を失い、この村で唯一片親である少年には気後れする部分があるのだ。


 一人で考えを揺蕩わせていると、彼の中にこの村の大人達の姿への────自身の将来への不満も湧き上がってくる。

 お酒を飲んで、嫌なことすべて忘れて馬鹿騒ぎするような大人になりたいとは、彼は思えなかったのだ。


「外に出れば、きっと楽しいのにな……本と同じようにはいかないだろうけど、それでも、いまよりも」


 旅商人がこの村に本として届け、母親が少年に買い与えた物語達は、彼に非日常を感じさせてくれた。


 世界を(おびや)かした魔王を、2人の幼馴染と共に打ち倒した勇者の話も


 1人の姫に忠誠を誓い、彼女を狙う悪者や魔物、そして国すらも相手にして姫を守り切った武士の話も


 愛する者を喰らった竜を討つために、機械という不思議な道具を創り出した王様の話も

 

 わくわくした。どきどきした。

 しかし本を閉じればその世界は消える。

 代わりに広がる世界は、ブドウ畑と、ブドウから作った酒を飲んで馬鹿騒ぎする他の家の大人達で構成されている。


 少年は母親が言っていた言葉を思い出した。


『亡くなってしまったあなたのお父さんはね、この村の、このお酒が大好きだったの。旅人だったあの人は私に惚れたからここに留まると言ってくれたけど、本当はお酒目当てだったんじゃないかしら……なんてね、ふふ』


「……どうでもいいよ。顔も覚えてない人が、お酒好きだったとか、どうとか」


 少年は寝っ転がったまま、空の雲の動きを眺める。思春期特有の万能感が、こんなつまらない村にずっといるのではなく、驚きに溢れた環境に身を置くべきだと彼に告げていた。


 村の外に出たい。この、どうにもならない状況から逃げ出したい。


 その思いは絶えず心の底から湧き上がる。だが、少年にはその機会が無かった。

 1人で村を出て大人の庇護も何もない状態で、外で何不自由なく暮らせると考えられるほどの愚か者にもなれない少年の胸中、湧き出てきた不満はゆっくり沈殿する。


「はぁ……機会さえあれば、なぁ」


 少年はまた1つため息をついた。


 少しして、カラン、カラァンと鐘の音が村の入り口の方から聞こえてきた。村への来客を知らせる鐘の音だ。

 少年はそれを聞いて、すっと立ち上がった。瞳には期待の輝きが、ほんの少し、本当に、ほんの少しだけ宿る。


 どうせまた、顔馴染みの旅商人の誰かで、懇願する僕を村の外へ連れ出してはくれないんだろう。


 そう斜に構えながら、少年は村の入り口へと走った。


◆◆◆◆◆◆


 村の中、村長に案内されて歩く来訪者達の姿を見て、少年の心臓が跳ねた。

 3人の来訪者達の先頭に立っているのは、すらりとした長身の青年だ。彼の腰に留められた剣が、彼は戦いの場に身を置く者だと語っていた。


 あの人達は、もしかして!


「それにしても皆さん落ち着いてますな。”討伐者”というと、もう少し血の気が多い者ばかりかと」


 彼等を案内する村長の口から出た言葉は、少年の予想と一致していた。討伐者とは、魔物狩りを主な仕事とする戦士達のことだ。

 少年の目が輝く。


 彼らに向かって、少年は駆け出した。


「こんにちわっ!」


 来訪者達は、進行方向に立ち塞がって挨拶を向けてきた少年に目を向ける。

 村長は、ギョッとしていた。


「あ、あの僕っ、外に行きたいんです! 村の外に出て、もっと……もがっ」

「クラン! 大事なお客様に向かって何をするんじゃ!」


 村長は少年────クランに駆け寄ると、彼の口を手で塞いだ。もがもが言って、首を横に振って脱出しようとする彼を腕の中に入れたまま、村長は来訪者達に向けて謝罪する。


「皆さん、お見苦しいところを見せて申し訳ない。この子は村の外への憧れが強いみたいでの。どうかこの失礼な態度、水に流してくださるとありがたいのですが」


 頭を下げる村長、その手元で荒ぶるクランに対して、来訪者達が興味深そうに目を向ける。

 彼等3人の先頭に立つすらりとした青年が、村長に対して首を横に振った。


「いえ、気にしてませんよ。それより、彼と話をしてもいいですか? 小屋に向かいながらで構いませんので」

「しかし……むっ」


 クランは村長の手から脱出すると、小走りで来訪者達3人の間に入り込む。

 村長は彼等の中に隠れたクランに対して、なにか言いたそうに眉をひそめた。しかしすぐに肩を落とすと、彼は進行方向に向き直る。


「クラン、裏口の小屋に着くまでじゃぞ。親切な彼等にこれ以上迷惑をかけたら、後でおぬしの母親(クロリエ)に叱ってもらうからな」


 この村は2つの山に挟まれている。

 山の麓であるなだらかな丘の上のこの村には、他の村への道が続く門と、森へと続く門の2つがある。裏口の小屋とはその後者、森への門前の小屋のことだ。


 今いる場所からそこまでは、歩いて10分弱……討伐者達と話す時間は十分にある。

 

 クランがコクリと頷くと、村長は歩き出した。その後ろ、距離をあけて、クランを含め4人で彼に着いていく。

 討伐者達の先頭、すらりとした青年がクランに話しかけた。

 

「こんにちは。クラン君、だね。私はセキナっていうんだ、よろしくね」


 青みがかったグレーの瞳で、じっと優しくクランを見てそう名乗った。この短髪の男の名はセキナというらしい。


 彼は、穏やかな清流のような印象を受ける人物であった。動きやすさと最低限の防御力を望んでか、革鎧に部分的に鉄の補強具を身につけているその男は、村の大人達よりも華奢な身体をしている。

 だが、ピンと伸びた背筋から、誰にも負けるつもりはないというような自信が伺える。村の大人たちにはないそれに、クランはとても惹かれていた。


「こっちこそ、よろしくお願いしますっ!」

「はいはい! わたしもっ! わたし達も自己紹介するよ!」


 クランが振り返ると、長髪の女性が彼に向けて小さく手を振っていた。大柄の男も隣に立っている。男は何かに注意するような視線を隣の女性に向けていたが、すぐにクランの方に視線を移し、ゴツゴツとした顔で笑みを浮かべた。


「わたしはコルト! コルトおねーさんって呼んでね!」

「俺はゼルだ。夢持ってるガキは嫌いじゃないぜ。よろしくな」

「は、はいっ、よろしくお願いします!」


 その2人も、野暮ったい村の大人達とはまるで異なる雰囲気を持っていた。

 明るく優しそうな女の人、力強く、多少のことを気にしなそうなワイルドさを漂わせる筋肉質な青年に言葉をかけられて、クランは彼自身が憧れていた物語の中に、本当に入り込んだかのような錯覚を覚えていた。


 コルトと名乗った女性に手招きされて、彼女の隣に位置を移したクランは、夢見心地のまま、口元を緩めてキョロキョロと3人の顔を見る。

 浮き足立つ彼が話を始める前に、彼女がいたずらっぽい笑みを浮かべて彼の名前を呼んだ。


「クランくーん、ほうら」

「……!」

 

 コルトは、腕を自身の胸の下に持ってきて小さく持ち上げる。ゆさりと揺れた彼女の胸に、思わずクランの目が引き寄せられる。


「……ぁっ」


 赤面して慌てて目を逸らす彼を見て、彼女は、にちゃりと湿った笑みを浮かべた。


「可愛いね、興味深々なお年頃だもんねッ! ぎゅっとしてあげようか? いや、なんならお小遣いあげるからぎゅっとさせてくれるかな? 絶対気持ちいい気分に……へぶっ」

「黙れ変態」


 鼻息荒くしているコルトの言動を、ゼルと名乗った大柄の男が彼女の後頭部を引っ叩いて黙らせた。少年、クランは彼女の豹変に目を丸くする。

 

 コルトは彼のそんな様子に気がつくこともなく、自身の後頭部をさすりながら、頬を膨らませてぷんすかと怒った。


「何するのゼル! 乙女に向かって暴力なんて最低だよ!」

「未成熟な少年を(かどわ)かすことに戸惑いない奴に、最低とは言われたくはねぇな」


 ため息をつくゼルの胴体を、コルトはつつくように殴る。彼女達の様子に少年クランが唖然としていると、先頭の男セキナが彼に手招きしていた。

 なんとなく身の危険を感じたクランは、彼の隣に移動する。それに気がついたコルトが、声を上げた。


「あっ、わたしのクランくんがセキナに取られたっ!」

「お前のじゃねぇだろ黙ってろ。この少年大好き懲戒免職変態女」

「なっ、失礼だなっ! 少年だけじゃなくて少女も好きだよ!」

「……お前マジで黙っててくれ。この前貸した1万チャラにしてやるから」

「…………」

「即黙るのな」


 口を横一文字にするコルトと、ため息をつくゼルの2人。クランの隣で、セキナがふふと小さく笑った。


「2人とも仲良いだろう? いつもこんな感じなんだ」

「そうなんですか……大変そうですね」

「そうでもないさ。面倒は全部ゼルに押し付けているからね」

「ゼ、ゼルさん大変そうですね」


 イメージしてたのと違う。旅の戦士っていうと、もっとこう常に真剣でカッコいい人達じゃないのだろうか。クランは内心そう思いながら、苦笑いを浮かべた口の端をひくつかせる。


「さてクラン君、君は村の外に出たいんだったね。どうして君がそう思ったのか教えてくれるかな」


 セキナの言葉に、クランはハッとして、表情を固くする。今の今まで忘れていた不満不安が、彼の胸中にぶり返してきたのだろう。

 溜め込んだものを吐き出すように、彼はぽつりぽつりと言葉をこぼし始めた。


「僕、この村が嫌いなんです」

「……いじめられたりしてるのかい」

「いや、それは違います。村の人達じゃなくて、この光景が嫌いなんです」


 クランは顔を斜面のブドウ畑に向ける。この村の敷地の半分近くがブドウ畑なのもあって、村に住む限り、どこに顔を向けてもそれらが目に入ってくる。

 少年は、それが嫌で嫌で仕方がなかった。


「もっと心が震えるものを見たいんです。本物の竜とか、お城とか、僕には想像もつかないような光景とか。ずっと、この光景を見ているのは辛いんです」

「なるほどね。私たちにしてみれば、この光景こそ竜やお城よりも素敵な景色なのだけれど。君からしてみたら、飽き飽きしているんだね」


 セキナがクランと同じ方向を見ながらそう言うと、クランはセキナの顔を見て、頷いた。


「はい、だからどうか、僕を外に連れて行ってくれませんか。他に頼れる人がいないんです。お願いします!」

「話は、わかったよ。君の気持ちも」



 セキナは正面を向いて、手を顎の下に添えて、こくこくと何度も頷いている。

 彼は返事を考えているようだ……クランは、いつもより自身の心臓の鼓動が早くなっているのを感じつつも、彼をせき立てるような真似はせずに、彼の二の句をゆっくりと待った。



 少しして、セキナの青みがかったグレーの瞳が、クランの視線と交差した。


「私は構わないよ、君を連れて行っても」

「本当ですかッ!」


 思わず、クランは声を上擦らせる。こんな突然の懇願を受け入れてくれたこと、それも、今までどの旅商人に頼んでもにべもなく断られたそれを、目の前の青年が真剣に考えこんでくれたことが、彼にとっては非常に嬉しかった。

 これまでの努力が報われたように感じて、彼の心の底から、湧水のように喜びが溢れてくる。

 セキナは後ろの2人にも顔を向けた。


「ゼルもコルトも、いいかな?」

「…………!!!」

「俺は別にいいけどよ……うーん、いいのか?」


 言葉を濁すゼルの隣、コルトは両手でサムズアップしたまま勢いよくぶんぶんと頭を上下させる。

 セキナは穏やかな笑みを向けた。


「ゼルの心配も分かるよ。勿論、彼の親御さんから許可はもらいにいくとも」

「いや、それもあるけどよ、1番の問題はこの馬鹿だと思うんだが」

「多分大丈夫じゃないかな? うん、たぶん。ということでクラン君、私たちは了承するけども、君の両親の説得はしなきゃダメだよ。流石に親御さんがダメって言う中連れては行けないからね」

「はい!」


 クランが力強く返事をするとほぼ同時、先導していた村長から声がかけられた。


「小屋につきましたよ、皆さん。クラン、これから彼等と大事な話があるから、おぬしは戻りなさい」


 気がつくとそこは村の裏口だった。森へと続く道側の門、そこの小屋の前に着いたのだ。

 話はそこに着くまでと釘をさされていたし、何より、今もらえると思われる中で最も色よい返事をもらえたクランは、3人と話し続けることへの未練はさほどなかった。これまでの冒険の話を聞きたい、という気持ちは無くはなかったが、その気持ちは一緒に旅するようになってから解消すればいい。


 クランは踵を返しながら、セキナ達に手を振った。


◆◆◆


「ありがとうございます!必ず、母さんを説得してみせますから!」


 どんどんと離れていくクランに対して、小さく手を振るセキナ。跳ねながら大きく手を振るコルトを呆れた目で見るゼルも、組んだ腕の中の片手をひらひらとさせる。

 

 ……彼が見えなくなると、先頭のセキナは村長の方を向いた。


「お待たせしました。それでは依頼について詳細を詰めましょうか」

「ええ、ええ、どうぞこちらへ」


 3人が案内されて入り込むと、小屋の中には大きめの机が1つ、そして、机の上にはいくつかの物が置いてあった。


「これらが、例の魔物の────あなた方に退治していただきたい魔物の痕跡ですとも」


 机の上にある数点、引っ剥がされた木の表皮には鋭い爪痕が残されており、紙の上には雑多なものが混じった糞が置かれている。足跡が残された土も塊で置かれている。それらは、ブドウ泥棒である魔物が残した痕跡であった。

 

 そう、セキナ達がこの村に来たのは、ブドウ畑を荒らしていく魔物を退治するためなのだ。


 それらの痕跡からどの魔物が相手なのかをある程度絞り込み、この魔物ならこの値段、この魔物なら────というふうに、報酬について村長と話し合う。


 話し合いは、終わったようだ。セキナと村長が握手をした。


「魔物のことは、私たちに任せてください。必ずや討ち倒してみせます」

「世話になるのう、よろしくお願いしますじゃ。……話はかわりますが、先程、クランが何か失礼をしませんでしたかの?」


 ここに向かう途中、距離をあけて先導していた村長は、彼等の間で行われていた会話を耳にしていなかったようだ。

 セキナは首を横に振った。


「失礼などありませんでした。むしろ、そんな視点もあるのか、というような気付きをくれましたよ」

「少なくとも嫌な気分にはならなかったな」

「わたしは久しぶりに可愛い子と話せて嬉しかったです!」

「おお、そうでしたか。それは良かった。最近あの子は、取引相手の外から来た商人様に、一緒に連れて行って、とねだるようになってのう。あなた方にまでそんな失礼な真似してないかと不安になったのですじゃ」


 セキナは目をぱちぱちとさせて、小声でゼルに尋ねた。


「あのお願いって失礼なことなのかな」

「まぁ一般的に考えると言われた側が困ることだからな。あのくらいの年齢だと旅に連れてくにはただのお荷物だろうしよ」

「……村長さんに、クラン君は失礼だった!って言い改めた方が良いかな?」

「いや、俺たちが失礼に感じたか聞かれたんだし、一般論はまるで関係ねぇよ。むしろそっちのが村長に対して失礼だわ」


 セキナが「そうだよね」と納得の声を漏らした。小声で行われた彼等の会話に気がつくこともなく、村長は話を続ける。


「それにしても、気づき、というのはもしかしてブドウ畑に関することかのう」


 セキナは小さく驚いた。村長はクランの『ブドウ畑が嫌い』発言を聞いていたのだろうか。


「えっ?

 ……その通りですが、何故そうお思いに?」

「いや、あの子の普段の働きぶりからじゃよ」


 セキナが首を捻ると、村長は補足するように話を続けた。


「というのもあの子は、誰よりも朝早くから畑に向かって、夜まで丁寧に仕事をしていてのう、その働きぶりは村の皆が認めておる。雨除けの傘だって、村の大人の誰よりも多く作ってのう……それなら、ブドウ畑に関して、あなた方を驚かせるような話ができても不思議ではないと思ったのじゃ」


 セキナは目を見開いた。

 随分とクランの実態が、話を聞いて予想していたものと違う。そういったことはサボりがちで、大きな夢に向かって背伸びしたがる少年なのかと推測していた。

 何より、『嫌い』という言葉にこもっていた彼の気持ちが、嘘だとは思えなかったのだ。


「そんな風には、見えませんでしたが」

「ああ、それは……あの子はこの時期だけは、何故かずっとむすっとした顔をしておっての。あの子の努力を讃えるように、ブドウは毎年素晴らしい実りを見せているというのに、あの子はにこりともしない。それどころか、収穫が近づくと気落ちしておる。何故かは答えてくれなくてのぅ……真面目でいい子じゃったのに、前回の収穫期以降は商人様方に迷惑をかけるようになってしまって……」


 クランについてゆっくり語っていた村長は、ハッとして、慌てて話を戻す。


「おっと、失礼。余計な話でしたな。討伐者様方、魔物退治を頼みましたぞ」

「……ええ」


 小屋を出て行く村長の背を見ながら、3人は仕事の準備を始めた。裏門の先にある森、そこへ魔物を狩りに行くのだ。

 セキナは違和感を覚えながらも、仕事である魔物退治を放ってクランに聴きに行くわけにもいかず、武器や道具の確認を行った。


 ……帰ってきたら、彼から直接話を聞いてみよう。


 そう思うセキナを先頭に、準備が終わった3人は小屋から出て、裏門から森へと向かっていった。


◆◆◆◆◆◆


 自宅に帰ったクランは、玄関の扉代わりの板を勢いよく跳ね除けた。


「ただいま!」


 母の許可がもらえれば、あの3人に同行して、このつまらない村から抜け出せる。その思いによって弾む心が打ち出したクランの声は、家の最奥まで届く。

 彼が急ぎ足でリビングまで向かう途中、クランの耳に返事が聞こえた。


「クラン、おかえりなさい」


 リビングまで着くと、椅子に座った彼の母親が、編んでいる途中の(たる)から顔を移して彼ににこりと柔らかな笑みを向けた。クランと同じクリーム色の髪が、ふわりと揺れる。

 純朴な容姿の、人の良さが顔に現れている彼女は、クランにとってたった一人の大切な肉親だ。


「母さん、話したいことがあって────」


 クランは意気揚々と、討伐者の一団と共に旅に出たい、向こうから了承は得ている。と、母に伝えようとする。

 喜びに突き動かされる彼は……母の目の下にある隈を見て、急速に自分の気持ちが萎んでいくのを感じた。


 クランの笑顔の上を、真顔が覆い被さっていく。

 

 冷や水をかけられたような気持ちになって言葉を途切らせた彼を、彼の母は心配したような眼で見た。


「どうしたの? クラン」

「母さん、まだ寝てないの?」

「……気にしなくていいのに」

「気にするよ。

 今朝、徹夜しちゃったから一度寝るって、そう言ってたじゃないか」

「いや、やっぱりもう少し進めようかなって思って」


 クランの母は誤魔化すように顔を逸らし、隈の下の頬を掻いた。

 クランはむっとした。


「母さんが、そんなに頑張る必要はないよ」


 クランの言葉に含まれる棘に、彼の母は気が付かない。彼女は自身の編み途中の樽に視線を戻して、顔を横に振った。


「ううん。樽の火入れは明明後日(しあさって)だし、遅れてお願いするのは迷惑でしょ?私が勝手にやっていることだしさ……早く終わらせて、職人さん達に渡さないといけないから」

「任せればいいじゃん、1個多めに作ってもらえば。母さんがそんなの、やる必要ないよ」


 冷たい声色のクランに、彼の母はピクリと肩を震わせる。ようやく彼の言葉に含まれる棘に気がついたようで、彼女は眠そうな眼を少し大きくして、クランに視線を戻した。


「クラン?」

「ねぇ、母さん。母さんは今年も開封式に行かないの? 1本もらってくるだけなの?」


 クランがリビングの端に目を向ける。壁の凹んでいる部分、床より少し高いところに袋が置いてあって、その前に葡萄酒の瓶が何本か並んでいる。

 それらの葡萄酒達は、彼の母が毎年の開封式の日に────1年間熟成させた葡萄酒を瓶詰めした後村の皆で飲んで騒ぐお祭りのような日に────″祭り″に参加することなく、もらってくる1本達だ。


 彼の母はコクコクと頷いた。


「う、うん。ちゃんと私が去年作った樽で熟成させたお酒をもらってくるよ。クランは去年も、ブドウのお世話、頑張ってたよね。私の頑張りと、クランのいっぱいの頑張りが詰まったお酒だから────」


 彼の母も、クランと同じく、リビングの端に目を向けた。袋と、その前に並んだ()()()()()()()達を見て。


「────お父さんも、喜んでくれると思うわ」


 クランは、ぐっと歯軋りをして、袋を睨みつけた。視線の先の袋の中には、彼が顔も覚えていない父親が使っていたナイフなどの小道具が入っている。

 魔物に食われた父親は、骨すらこの世に残っていない。リビングのその祭壇が父の墓代わりで、母はそこに毎年葡萄酒酒を捧げている。父の魂がそこにあるなら、彼は毎年お酒を口にできているのだ。


 一方で、祭りにも出ず、もらってくるお酒も開けていない母は、一滴たりとも葡萄酒を口にしていない。


 クランの中で、ぐるりと暗いものが渦巻いた。


 彼がずっと頑張って仕事してきたのは、顔も覚えていない父のためではない。

 

「母さん。僕は旅に出ようと思うんだ。村に来た討伐者の人達が、一緒に来ていいって言ってくれたから」

「……えっ?」


 クランの母は驚いて、クランの顔を見て、その表情の真剣さから冗談では無いことを読みとったようだ。彼女は困惑を取り繕うように、口を動かした。


「そ、そうなの?でも、その人たち、本当に信頼できる人達なの?」

「僕は大丈夫だと思ったよ、悪いこと考える人達には見えなかった。だから、僕は村の外に出る」


 頑固な意志が見え隠れするクランの言葉を耳にしながら、彼の母は口を微かに開閉しながら、ちらりと父親の道具袋に目を向ける。


 焦りが見え隠れする口調で、彼女は言葉を続ける。


「そう……だけど、まだ早いんじゃない? もっとクランが大人になってからの方がいいと、私は思う。あのね、冒険とかに憧れるのは良いと思うの。素敵よ。あなたは旅人だった()()()()()()()、そういうところあるのは知ってたし。でも、狩りをこなせるくらいの歳になってからじゃないと危険で────」

「もういやなんだよ! ここにいるのがッ!」

 

 クランの叫びに、彼の母は唇をぎゅっと閉じて、黙る。

 クランは涙を目に浮かべて、捲し立てるように言葉を続けた。


「母さんは毎年毎年、辛そうだ。無意味に仕事を増やしてそんなになるまで疲れて、開封式で皆がお酒飲んで騒いでる中でも、持って帰ってきたお酒も飲まずに悲しい顔してる。僕は、母さんに喜んでほしくて、頑張ってるのに」

「よ、喜んでるわ。クランが村のみんなに評価されて、ちゃんと嬉しいわよ」

「なら、泣かないでよ!」


 ぼろぼろと涙を流しながら、クランは続けた。


「知ってるんだよ。お酒もらってきた夜、僕に隠れて泣いてるよね。朝、眼赤くなってるもん、気がつくよ」

「それは……」

「そんなに辛いならさ、父さんなんて忘れようよ! 再婚とか、せめて、開封式に出て村の皆とお酒飲んでくるとかしようよ!」

「辛くなんてないわ。私は、二人と一緒に家にいられるから、幸せで。……忘れる必要なんて、ないもの!」


 クランの母はまだ30にもなっておらず、器量も良い。再婚しようと思えば、簡単だろう。にもかかわらず、彼女が夫との死別からずっと独り身なのは彼女にその気が無いからだ。


 クランは、彼女を家庭に繋ぎ止めている枷は2つあると思っている。1つは顔も知らない父親、もう1つは…………


 クランは足早に父親の遺品である道具袋まで近づくとそれを手に取り、深い悲しみの中に怒りの混じった声色で、母に告げた。


「僕、母さんが何言っても、旅に出るよ。こんな気持ちで村にいたくないし、僕も父さんもいない方が、母さんにとっても、良いから」

「クラン、待って。なんで急にそんなッ!」

「前々から思ってたんだ。もう二度とこんな機会はないから……さよならッ」


 クランは父親の道具袋を手にしたまま、家を出て行った。母親が作りかけの樽に足をつまずいて倒れる音がしても、背中を悲痛な声が追ってきても、彼は振り返らず、足を止めずに走る。

 向かう先は、あの人たちがいるであろう裏口の小屋、その先の森だ。


 彼の流れて行く視界に、たわわに実るブドウ達が映る。

 

 それらは彼の徒労の象徴であった。

 実物として鮮やかに実れど、彼の願いと努力を実らせることない。


 彼は、それらをなるべく見ないように、真正面を凝視する。


 それが、誰もが幸せになれる最も分かりやすい方法だと信じて、若い少年は、濁った日常を振り切るように、楽しそうに見える非日常に向かっていった。

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