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青き炎の魔竜騎士(ドラグーン)  作者: シベリウスP
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9 破邪の聖槍

ウラル帝国立て直しのため動き始めたホルンたち。その出ばなをくじこうと襲い来る特殊部隊『オプリーチニキ』。

人狼化する魔法を使う彼らに、ホルンたちはどう戦うのか。

「動き始めた!」


 近くの丘でラシュガクに駐屯しているアゼルスタンの『部隊』を見張っていたヴァシーリー・ヘイの部下は、トラヤスキー隊の進発を見てそう叫んだ。先にガルム率いる2百の部隊がここを離れ、今また150ほどの部隊が進発している。敵がこの根拠地を捨て、新たな場所に移動しようとしているのは確実と思われた。


「これは、班長殿に知らせないと」


 その班員は取るものも取りあえず、行軍するトラヤスキー隊を追い越してヴァシーリーのもとへと急いだ。


「なに、次の部隊が出撃しただと? そいつらの装備は?」


 ヴァシーリー・ヘイは、報告を持ってきた部下に訊く。部下は真剣な顔で


「はい、人数は150程度ですが、全員が背嚢と雑嚢を持っていました。ラシュガクの根拠地には資材が置かれ、5百人ほどがそれの梱包作業に当たっていましたから、敵はどこかに移動しようとしているのだと思います」


 そう報告する。


「ふむ……それでは敵将を仕留める方が効果が大きいか、それともその資材を焼き払ってやるのが良いか、ちょっと迷うな」


 ヴァシーリーはそう独り言を言いながら部下たちの顔を眺める。今や全員がその場にそろっていた。


「まずは、敵を見失わないことだ。お前たちは先頭部隊に触接し、その動向を逐一知らせてくれ」


 ヴァシーリーは二人の班員を指名すると、触接班としてガルムの部隊を尾行させる。そして再び、今後取るべき策を考え始めた。


「班長殿、いいでしょうか?」


 迷っているヴァシーリーに、一人の班員が手を挙げる。


「なんだ、ヤヴォーロフ?」


 ヤヴォーロフと呼ばれた班員は、ヴァシーリーが治安部隊に入った時から彼に適時的確な方針を示してくれた男である。治安部隊総指揮官の息子であって、歳は10歳ほど上であったが、ヴァシーリーの才能に着目し彼を引き立ててくれた。敵が多いヴァシーリーにとっては得難い親友であった。


「軍の生命線は補給です。敵がどれほどいようと、補給が続かない軍は存在しないも同然。殿下やバグラチオン将軍の名はあまり外に知られておらず、客観的に見て募兵もうまく行っていないために故国に近い場所へと移動するのでしょう。

 根拠地にある軍需物資は、おそらく苦心惨憺して集めたものだと思います。それをすべて焼き払えば、元は烏合の衆、千にも満たない軍は消えてなくなるでしょう」


 そう、ラシュガク強襲を提案した。


 いつもなら、ヤヴォーロフの言を聞くヴァシーリーだったが、今回は少し違った。ヴァシーリーは、


「ヤヴォーロフ、あなたの提案はいい案だと思う。けれど、敵の先頭部隊には問題の女槍遣いと隻眼の両手剣遣いがいる。奴らはコスイギン殿やブルカーエフ殿の仇だし、歴戦の用心棒らしい。資材は焼き払ってもまた集められるが、いい指揮官は得難い。ここは戦闘部隊を襲って二人の用心棒を討ち取ろう」


 そう自分の考えを述べた。


 それでもヤヴォーロフは、


「いえ、それはいけません。私たちはオプリーチニキ魔導士部隊の先鋒です。敵の動向を把握し、本隊に連絡するのがその務めです。敵の部隊との決戦は、本隊であるクラブチェンコ様が判断すること。資材を焼き払って敵の戦意を落とし、そこから決戦へと敵を誘導していきましょう」


 そう主張したが、


「ヤヴォーロフ、僕がオプリーチニキに抜擢されたのは、こう言った時に奇功を挙げてオプリーチニキ全体の士気を高めることを期待されてのものだと思う。今回は僕の思うとおりにやらせてくれ」


 ヴァシーリーはそう言って、班を挙げてガルム隊を襲撃すべく行動を開始した。



 そのころ、ガルム隊2百はラシュガクから北西10キロ程度のところにあるシェミラン村に到着していた。


 ここは、『蒼の海』へと続く街道が北へと方向転換する場所で、左右は切り立った崖である。アルボルズ山脈を越える道の中では比較的緩やかな方だったが、それでも峰からの比高は8百メートルはある。


 また、街道沿いに川も流れていて、


「この地形なら、私たちを襲撃する経路は限られてくるね」


 部隊を小休止させた後、ホルンは周囲の地形を確認してそうつぶやく。ガルムも左目を細めて景色を眺めていたが、


「まあ、川からの攻撃か、相手が魔導士ならあの峰からの遠隔攻撃って手もあるでしょうけれどね」


 そう、塔のようにぽつんと突っ立つ尾根を指さして言う。それは自然の作用で浸食されてできたもので、他の尾根筋からは5百メートルは低かった。


「もともと、この街道はあの峰の向こう側を通っていたようですが、もろい岩なので落石が絶えずに放棄されたようですね」


 ガルムがそう言うと、ホルンは件の峰をチラリと眺め、にかっと笑って言った。


「ふうーん、そう言うことかい。それはいいことを聞いたよ」


「なんだいホルンさん。ホルンさんがそんな笑いをするのを見たら、俺は悪い予感しかしないが」


 ガルムが気味悪がって言うのに、ホルンは笑顔のまま、


「何でもないさ。さあガルムさん、奴らをお迎えするためにバッチリと準備をしておかなくちゃだよ」


 そう言うと、先に立って部隊の方へと歩き始めた。


 二人は、小休止と聞いて背嚢も降ろさずに休んでいる兵たちの前まで来ると、ガルムが笑い顔で命令した。


「みんな、なかなかしっかりとついて来てくれたな。日ごろの訓練がものを言っているみたいで嬉しいぞ。ここから夜間行軍の予定だったが、山は陽が暮れるのも早い。初日でもあるからここで野営をする。準備にかかれ」


 それを聞くと、兵たちはホッとした顔で背嚢を下ろして一カ所にまとめ始める。それを見てガルムは、


「待て、俺が夜間行軍を取りやめたのは、敵の奇襲があるかもしれないと思ったからだ。背嚢は個人で持っておけ。それ以外はいつもの訓練と同じだ」


 そう言う。兵士たちの顔に緊張が走った。


 ガルムは兵たちの緊張を敏感に感じ取り、笑ったまま説明する。


「緊張しなくてもいい。敵は恐らく10人内外で、俺とこちらのお方を狙って襲って来るはずだ。何が起こっても班長が班員を掌握し、一人にならないことだ。敵を討つ必要はないが、目の前に来た敵は班全員が協力して退けろ。いいな」


 ガルムがそう説明すると、兵たちの顔に血色が戻ってきた。単に『敵襲がある』と聞かされたら恐ろしいものだが、敵の目標や敵襲時にやるべきことが示されると兵たちはそれだけでも安心する……ガルムは兵たちの戦場での心理をよく知っていた。


 やがて緊張の中でも滞りなく野営準備も済み、兵たちは暗くなっていく中で夕食を摂り始めた。


「……こういう時が一番危ないんだけれどね」


 ホルンは、談笑しながら食事をしている兵たちを横目に、『死の槍』の鞘を払う。ガルムも真剣な顔で辺りを見回していた。


「俺が敵の魔導士なら、この野営陣地の周囲を火で包みますけれどね」


 ガルムが言うと、ホルンも真剣な顔でうなずいた。


「奇遇だね、私もそうするよ」


 ホルンがそう言ったまさにその瞬間、野営陣地の周囲に大きな火柱が噴き上がった。


 ズドーン!


 まるで何か重いものが落ちてきたように地面が震え、それと同時にゴウッという音と共に円形に炎が地面から噴き出す。陣内にいた兵たちは地面の揺れでびっくりして立ち上がり、噴き上がる炎を見てパニックになりかけた。


「うわああ、なんだこりゃあっ⁉」

「何が起こったんだ⁉」


 兵たちの叫びが陣内に響き、統制が取れなくなりそうになった時、


「落ち着くんだよ! 死にたくないなら落ち着きなっ!」


 ホルンの声が響いた。


 それに続いてガルムの声で、


「班長、班員を点検せよ! 点呼開始だ!」


 そう命令が下ると、兵たちは落ち着きを取り戻した。


「総員異常ありません!」


 点呼を終えた各班から上がって来る報告にガルムはうなずきながら、


「敵は魔導士だ。見えない敵を相手にするときは、まず落ち着くんだ。落ち着きをなくせば敵の思う壺だぞ。各班、周囲の火が陣地に燃え移らないように注意しておけ」


 そう落ち着いた声で命令した。



「……パニックにならないようだね。敵の指揮官はかなり有能だな」


 陣地を見下ろす峰の上で、ヴァシーリーはヤヴォーロフを振り返って言う。


「どうだヤヴォーロフ、あんな指揮官に殿下の力になってもらっては、後々苦労するぞ」


「それは認めます。こうして攻撃にかかったならば、敵を徹底的に叩いて士気を阻喪させるべきです」


 ヤヴォーロフもうなずいて言う。その言葉に、ヴァシーリーはわが意を得たとばかりに笑うと、


「よし、それでは奴らには消し飛んでもらおう……Cto eta frema ne chevo Uranos hannde ye’ Ya‼」


 そう呪文を唱える。呪文詠唱が進むと、ヴァシーリーの身体は淡い黄色の光に包まれ、その光がサッと空へと立ち上った。


「食らえ、『天玉の崩壊(フレイムメテオ)』をっ!」


 ヴァシーリーがそう叫ぶと、空に隕石が現れ、それは燃え盛る火の玉となってホルンたちがいる陣地へと落ちていった。


 ドム! ズ、ズ、ズズーン!……


 隕石は爆発し、辺りを物凄い振動と爆風が包む。その振動はヴァシーリーが立っている峰も揺らし、峰からは大きな岩がいくつか旧道へと転がり落ちた。


 ヴァシーリーは、


「ふん、僕にかかるとこんなものさ。あの土煙が収まったら用心棒たちの死体を探すぞ」


 そう、大爆発が巻き上げた土煙が渦を巻くのを見ながらヤヴォーロフに言う。


 その時、


「お返しだよ。ブリュンヒルデ、あの峰にいる奴らに特大のファイアブレスをお見舞いしてやりな!」


 そう言う声が響いたかと思うと、


『承知しました、ホルン様』


 そんな咆哮と共に、体長15メートルはあるシュバルツドラゴンが空中に姿を現し、その琥珀色の瞳を持つ眼でヴァシーリーたちを睨みつけると、


『そなたたちか、小癪にもホルン様に攻撃を仕掛けた奴らは』


 そう咆哮し、ファイアブレスを放ってきた。


「くそっ!」


 ヴァシーリーは、迫り来るファイアブレスを『魔力の楯』で受け止めると、


「ヤヴォーロフ、敵陣はどうなっている?」


 そう訊く。ヤヴォーロフはようやく土煙が収まった陣地を見ると、びっくりしたように叫ぶ。


「ヴァシーリー殿、敵は無傷です! 信じられません!」

「なんだと⁉」


 ヴァシーリーは驚いてガルムたちの陣地に視線を向ける。そこには、天幕一つ吹き飛んでいない陣地がそこにあり、敵兵たちもまったく動揺していない様子だった。


「そんな、僕の、僕の魔法が……止められた?……」


 ヴァシーリーは、食い入るように敵陣を見つめてそうつぶやいていたが、やがて自分の両手に淡く黄色に光る魔力を集めながら、


「僕の魔法は絶対に破られないんだ……僕の魔法は絶対に……」


 そう、笑いと共につぶやいていたが、


「絶対に、負けるものかーっ!」

 ドウンッ!


 ヴァシーリーは絶叫と共に、身体中から淡黄色の魔力を噴き出すと、


「ヤヴォーロフ、僕はこのまま敵陣に突っ込む。援護をしてくれ」


 そう言い捨てて、峰から飛び降りようとした。


 ヤヴォーロフは慌ててそれを止めると、ヴァシーリーを諫めて言った。


「待ってください! この程度のことは今後長い戦いの中で何度となく経験することです。そのたびに冷静さを失っては敵に乗ぜられます。敵の力の一端が分かったところで撤退し、クラブチェンコ様に報告して善後策を講じましょう」


 だが、今まで自分の魔法を止められたことがなかったヴァシーリーは、よほど悔しかったのかヤヴォーロフの言葉に聴く耳を持たなかった。


「嫌だっ! このヴァシーリー・ヘイともあろう者が、用心棒ずれに魔法攻撃を止められておめおめと尻尾を巻いて逃げられるものか! ヤヴォーロフ、援護を頼むっ!」


「あっ、ヴァシーリー殿っ!」


 ヴァシーリーは、ヤヴォーロフが止めるのも聞かず、単身でガルムたちの陣地へと突進して行った。



 ホルンは、ヴァシーリーが放った『フレイムメテオ』が自陣に向かって落ちてくるのを見ると、『魔力の揺らぎ』を沸き立たせて言った。


「ガルムさん、全員を天幕の中に退避させて。それと、できればあなたの『魔力の揺らぎ』でこの陣地をシールドしてくれればありがたいよ」


「お安い御用だが、ホルンさんは何をするつもりだ……って訊くだけ野暮ってもんか」


 ホルンはガルムが承知したと見るや、あとの言葉も聞かずに空中へと移動する。その背中には『片翼の黒竜』としての翼が生えていた。


 ガルムは、天空から落ちてくる隕石に目を奪われて動けない味方に、


「何をぼさっとしている⁉ さっさと天幕に入って身体を小さくし、口は大きく開けておくんだ、急げっ!」


 そう号令すると、彼自身は両手で楯と両手剣を抜き放ち、落ちてくる魔力の塊を睨み据えながら、舌なめずりしてつぶやいた。


「ふふん、あいつの衝撃波を受け止められないのなら、俺もこの仕事しょうばいから足を洗った方がいいってもんだぜ……C’est ici, L’hotevasit Que est shelldion!」


 その呪文と共に、ガルムがいる陣地は紅蓮のシールドで覆われた。


「よし、さすがに『餓狼のガルム』だね。まだあんな魔法を使えるなんて」


 自陣がシールドで覆われたことを確認したホルンは、莞爾とした笑みを浮かべると、次の瞬間、凍えるような瞳で隕石を睨みつけ、呪文詠唱に入った。


「わが友たる炎と我が主たる風の精霊よ、『Et in Arcadia ego(死はどこにでもある)』ものなれば、その力を我に貸して、我に向けられし憤怒のたぎりを斬り払い、悪意の持ち主に『Memento Mori(死を思い出)』させたまえ!」


 呪文の詠唱と共に、60センチを超える巨大な『死の槍』の穂先は、緑青色の風を集めるとともに紅蓮の炎を発する。そして集まってくる風の圧力で穂先が緑青色に輝いた時、ホルンは『死の槍』を真一文字に振り抜いた。


 ズン、ドドーン!


 ホルンが放った斬撃波は、ヴァシーリーの『フレイムメテオ』を両断し、空中ですさまじい爆発を起こす。


 けれど緑青色の『魔力の揺らぎ』に包まれたホルンと、ガルムのシールドに守られた陣地は、傷一つ、吹き飛んだ天幕一つなかった。



「結構な魔力だったね」


 ホルンは、緑青色の『魔力の揺らぎ』に包まれながら、『死の槍』を一振りして言った。


「相変わらず凄いなホルンさんは。あれだけの魔力の塊、普通なら一撃でぺしゃんこになっちまっているところだぜ?」


 ガルムが言うと、ホルンもイタズラっぽい目をしてガルムに言う。


「あら、ガルムさんもなかなかどうして、魔力に衰えを感じさせなかったじゃないか。さすがは『餓狼のガルム』だよ」


 そして、鋭い瞳を虚空に向けて叫んだ。


「ブリュンヒルデ、あなたの出番だ! お返しだよ。あの峰にいる奴らに特大のファイアブレスをお見舞いしてやりな!」


 すると虚空にブリュンヒルデが現れ、


『承知いたしました、ホルン様』


 そう言うと、峰に向けて特大のファイアブレスを放つ。ブリュンヒルデはまだ生まれて5年にもならない子どものドラゴンだが、強大なシュバルツドラゴンの一族であり、そのファイアブレスは3千度もの高温に達する。


「……思ったとおり、大した奴があそこにいるみたいだね」


 ホルンは、ブリュンヒルデのファイアブレスを弾いているシールドを見てそうつぶやく。


「天下に名だたる『オプリーチニキ』ですからね。あの程度はやってのけるでしょうよ」


 そう答えるガルムに、ホルンは峰を見上げながら訊く。


「あいつ、ここに攻撃をかけてくるだろうか? それともいったん退くだろうか?」


 ガルムは肩をすくめて答えた。


「俺なら退きますがね、あいつならどうするかはあいつにしか分かりませんよ」


 そして、凄まじい笑みを浮かべて続けて言った。


「ま、ここに攻めてくるようなら、まだ部隊指揮官としては未熟ってことですな。その時は、俺に任せてくださいませんか?」


「あら、私は戦場を逃げないけれど?」


 ホルンが不服そうに言うと、ガルムはニヤリと笑って、


「まあそう言わずに。あの程度の奴は、ホルンさんにとっちゃ役不足ってもんです。それに俺が敗けるようなら、この先ホルンさんと旅を続ける資格もないってことですからね」


 そう言うと、峰を見上げて口笛を吹いて言った。


「ほう、こっちに来るみたいですぜ。思ったより単純な奴だったんですな」



(許せん、このヴァシーリー・ヘイの攻撃を止めるなど、あり得ないことだ。あり得ないことは認められない!)


 ヴァシーリーは、3百メートルほどもある断崖を飛び降りつつ、心の中でそう叫んでいる。神童と言われ続け、可ならざるものはなく、向かうところ敵なしを誇りにしていた彼のはらわたは、プライドを傷つけられた思いで煮えくり返っていた。


(あいつか、僕の魔法を止めた奴は)


 ヴァシーリーは、はるか上空でガルムの姿を認めると、


「許さないーっ!」


 そんな絶叫と共に、ガルムに魔力を叩きつけた。


「おっ、なかなかの魔力だな」


 ガルムはヴァシーリーの魔力を右手に構えた楯で弾き飛ばした。ヴァシーリーが思ったよりも若いことと、若いくせに魔力の質は固く、重いことを見抜いて、一瞬ガルムは


(やべぇな、こりゃホルンさんに任せた方が良かったかもしれないな)


 そう思ったが、既に戦いは始まっているのだ。後悔をしている暇はない。


 ヴァシーリーは、魔弾を弾かれてさらにエキサイトしたのか、地面に降り立つと青白いほどに怒りを込めた顔でガルムを見て名乗った。


「僕は、オプリーチニキ魔導士部隊第四席魔導士、ヴァシーリー・ヘイ。さっきはよくも僕の『フレイムメテオ』を止めてくれたな。誉めてやるぞ、おっさん」


 その名乗り方で、相手が平常心を無くしかけていることを見抜いたガルムは、苦笑しつつ自らも名乗った。


「なるほど、ちっとはできると思ったが、白面の坊ちゃんだったのか。だったらさっきの魔力がイマイチだったことはうなずけるぜ。俺は天下の用心棒、ガルム・イェーガー。『餓狼のガルム』と言った方が通りがいいかもしれないな」


 その言葉に、ヴァシーリーはカッとして怒鳴った。


「失礼な、白面の坊ちゃんだと⁉ 僕は第四席魔導士だ、そんじょそこらの魔導士と同列に考えていたら後悔するぞ、おっさん」


 するとガルムはニヤニヤして言う。


「おっさんおっさん言うなよ。お前だって俺をただのおっさんだと思っていたら怪我するぜ? 第四席魔導士だか何だか知らないが、そんな大口はおむつが外れてから叩くんだな、坊や」


 ホルンは、二人から10ヤードほど離れたところからそんなやり取りを見ていた。


(ふふ、平常心を乱すなんて、さすがは戦い慣れたガルムさんだよ。ヴァシーリーとか言う坊やも、あんなにカッカしていたら見えるものも見えなくなっちまうってものさ)


 ホルンはそう考えながら、ヴァシーリーの『魔力の揺らぎ』を観察していた。


(ふん、自分で言うだけあって確かに凄い量の魔力だけれど、質としてはまだ粗削りっていったところだね。これならガルムさんでも長期戦に持ち込まれさえしなければ勝てるね)


 そうは思ったが、相手は大帝国の皇帝護衛隊だ。そこに配属されるのであれば、質量ともに一級品の魔力の持ち主で、かつ術式に通暁してそれを精緻に編めるものであるはずである……その視点から見ると、この若者にはまだその資格はないように思える。


(それなのに、四席魔導士と言っているから下っ端魔導士ではないはず。この坊や程度でその位置にいられるはずもないはずだし、どこか違和感があるね……)


 ホルンがそう考えている間にも、ガルムとヴァシーリーは何度か魔力をぶつけ合っていた。けれどヴァシーリーは何とかの一つ覚えのように、魔弾を繰り出すだけで他の攻撃方法を取らない。


 ガルムも何かを感じているのだろう、先ほどから魔力はもっぱら防御だけに使っている。つまり、右手の楯と自分の周りに魔力のシールドを張り、攻撃には左手の両手剣だけを使っている。ガルムもまた、この坊やの能力がこの程度ではないと見て取っているようだった。


「楯の陰に隠れてばかりいないで、僕が怒りに酔う前に命乞いをした方が身のためだよ。おっさん」


 ヴァシーリーが何十発目かの魔弾を叩きつけながら言うと、


「そうは言ってもなあ、俺はまだ一度も坊やのような奴から追い詰められたことはないんでな。それに魔弾だけだと単調でいけない、何か他の攻撃を見せてくれないかい、坊や」


 ガルムは魔弾を楯で弾いて言う。


 ヴァシーリーは、冷たい目でガルムの言葉を聞いていたが、不意に笑うと、


「そうか、それなら僕は怒りに酔うことにしよう……後悔するな」


 そうつぶやくように言うと、胸の辺りから煙のように青黒い魔力が沸き立つのが見えた。


「ふむ、瘴気のような魔力だな……」


 ガルムは隻眼を細めて言う。


 ホルンもまた、ヴァシーリーの魔力が変容したことに気付き、翠色の瞳を持つ眼を細めてつぶやいた。


「……おかしいね。あんな魔力は今まで見たことも聞いたこともない……」


 その間にも、ヴァシーリーを取り巻く青黒い魔力は厚さを増していき、それが身体中を覆った時、


「うおおーっ!」


 ヴァシーリーの雄たけびと共に、瘴気のような魔力は彼の背後で狼のような形を取った。


(あれは、召喚獣?)


 ホルンがそう思うと同時に、ヴァシーリーはガルムに突進した。今までの攻撃とは全く違う、インファイトの戦いに移行した。


「うおうっ、がうっ、があっ、うがあっ!」

 ガン、ガゴン、ジャッ、ガリッ!

「速いな」


 ガルムは、ヴァシーリーが次々と繰り出す攻撃を楯や剣でいなしながらつぶやく。彼が持つ鋼の楯には、ドワーフの防御呪文が込めてある。それなのにヴァシーリーの攻撃は楯の表面を削るほどだった。攻撃力としても、速さとしても段違いだった。


(これは、私もガルムさんの加勢をした方がいいかもしれないね)


 ホルンがそう思って二人に近づこうとした時、峰の上に取り残されていたヤヴォーロフたちがこの場に駆け付けた。


(ちっ、仕方ないわね)


 ホルンは舌打ちすると、ガルムとヴァシーリーの一騎打ちの場に駆けてくるヤヴォーロフたちの前まで、風の翼に乗って移動した。


「おっ、そなたは……」


 ヤヴォーロフたちがそう言って身構えるのを見て、ホルンも『死の槍』を構えながら


「私はホルン・ファランドール。あの二人の邪魔をするというのなら、私が相手になるよ」


 そう、ヤヴォーロフたちを睨みつけた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 一方、ラシュガクの根拠地には、アゼルスタンとソフィア、そしてバグラチオンが到着して、今後の方針をマルガリータと協議していた。


 まだ23歳と若いマルガリータだが、希代の魔女と呼ばれるアニラ・シリヴェストルやロザリアからの信頼も厚い魔導士ということで、特にソフィアは彼女のことを高く評価している。


「それでは、ホルン様たちはここを見張っていた魔導士部隊と戦っているというのだね?」


 アゼルスタンが心配そうに訊くと、マルガリータは薄い笑いを浮かべて言葉少なく答える。この辺りは、彼女の師匠であるロザリアの影響を強く受けている。


「はい。ホルン様のことです、うまく敵を処置されることでしょう」


 アゼルスタンは、淡々と話すマルガリータに不気味ささえ感じて、ただ、


「そ、そうか……そなたはホルン様のことを心配していないのだな」


 そう言うだけであった。


 マルガリータは、黒い瞳を持つ眼を丸くして首をかしげる。


「あら、ホルン様に限ってあの程度の敵に苦労されることはないと思っていますが、殿下はホルン様の実力にご疑義でも?」


「い、いや、僕もホルン様の力は何度かこの目で見たことがあるから、別に心配はしていないが……」


「だったら、今後のことを話し合った方が建設的ですし、時間を無駄にもしません。いかがですか、バグラチオン将軍?」


 マルガリータがバグラチオンに訊くと、彼はうなずいて答える。


「私もそう思います。殿下の大望を実現する第一歩ですから、慎重の上にも慎重を期したいと思いますが、マルガリータ殿はどんな方策をお持ちですか?」


 すると、マルガリータはニコリと笑って


「以前にお話したとおりです。シェミランで敵の先鋒たる触接隊を叩いた後、全軍挙げてペイノイまで進みます。その間はファールス王国の版図であり、敵の攻撃は『オプリーチニキ』以外からはないでしょう。その『オプリーチニキ』も、おそらく私たちがファールス王国の版図を外れるまで攻撃してくることはないと思います」


 そう言う。


「どうしてそう言い切れるのです? 『オプリーチニキ』は特殊部隊、正規の軍隊が介入できないところに投入することを前提に編成されている部隊ではないですか? そのことは以前、マルガリータ殿もおっしゃったと思いますが?」


 バグラチオンの問いに、アゼルスタンとソフィアも同意の目を向ける。皇帝親衛隊『オプリーチニキ』は、特殊部隊としての裏の顔を持っている。三人がそう考えるのは当然であった。


 しかし、マルガリータは涼しい顔でこう言った。


「それは、アルボルズ山脈を越えたら、わが部隊の数は千を超えるからです。いかに優秀な『オプリーチニキ』と言っても、その実数は魔戦士隊と魔導士隊を合わせて3百程度……千を超えた、しかも精鋭を含む部隊に正面切って戦いを挑むとは考えにくいからです」


「千を超える? しかも精鋭? それはどういう意味ですか? まさかファールス王国の軍が私たちに手助けしてくれるとでも?」


 アゼルスタンが訊くと、マルガリータは軽く首を振って答えた。


「それはあり得ません……ファールス王国はあくまでもウラル帝国の内情には干渉しないことになっていますから」


「それではどういうことです?」


 疑問を露わにして訊くアゼルスタンの腕を、ソフィアがそっと撫でて言う。


「殿下、それ以上訊かれてもマルガリータ殿が困るばかりです。ただ、マルガリータ殿は今まで口にしたことを反故にしたことはございません。彼女を信じましょう?」


 腕を組んで聞いていたバグラチオンも、ニヤリと笑ってアゼルスタンに言う。


「殿下、今まで人手不足に悩まされていたのが、それが解消するというのならいい話ではありませんか。その増援がどういった経緯でやって来るのかは置いておいて、問題があるのならその時考えましょう」


 ソフィアとバグラチオン、信頼する二人からそう言われたアゼルスタンは、まだ疑問を問い質したい気持ちはあるようだったが、


「分かった。とりあえず僕たちはアルボルズ山脈を越えよう。どのルートで行けばいい?」


 そう訊いた。


 マルガリータは笑って答えた。


「ジャジャッドからダマーバンド、アミナーバードを経てサーリーに出ます。ホルン様たちもそのことはご存知です」


 マルガリータの言葉を聞いてうなずいたアゼルスタンだったが、ニコリと笑って言った。


「マルガリータ殿の策は了解した。しかし、ホルン様たちが心配だ。いったん僕たちもシェミランまで出てホルン様たちを収容し、それからサーリーを目指そう」


 こうして、ラシュガクにいた部隊約4百は、アゼルスタンを戴き、バグラチオン将軍の指揮のもと、シェミランの村を目指して出発した。


 しばらくすると、ヴァルター・トラヤスキーとカーヤが指揮した約2百も引き返してきて、アゼルスタン部隊に合流する。


「おお、トラヤスキー、ホルン様たちの部隊はどうだった?」


 バグラチオンがヴァルターに訊くと、彼はカーヤと顔を見合わせて、


「それが、私たちが離脱する際、とてつもなく大きな爆発がシェミランの村から聞こえて来て……」


 そう答える。


 バグラチオンは眉を寄せて、


「なに? それでホルン様たちは?」


 そう訊くが、ヴァルターは首を振って答えた。


「いえ、私たちは前方に何があっても関わることなく、根拠地に退き返せと事前に言われていましたので……確認のため引き返そうとも思いましたが……」


 縮こまっているヴァルターを助けるように、マルガリータがその場で発言する。


「はい、それでいいのです。相手は乱戦に慣れた特殊部隊、下手に関わってもスキを作るだけです。ヴァルターたちの行動は適切だったと思います」


 そして、何か言いたそうなカーヤに笑いかけ、


「もちろん、練度が上がれば話は別です。けれど現状では、『オプリーチニキ』の相手はこう言った戦いに慣れた用心棒のお二人に任せた方がいいと思います」


 そう言って、続けた。


「ペイノイに着けば、個人的武勇よりも集団戦を中心とした戦いが重きを占めてくるはずです。その時までには、各隊の練度を所望の域にまで高めておく必要があります。ヴァルター、カーヤ、しっかり頼みますよ?」


   ★ ★ ★ ★ ★


 ファールス王国の王都イスファハーン。

 その中心部にある宮殿の奥で、国王であるザール・ジュエルは中庭を眺めていた。


(まさか僕が、この国の王となるなんて考えもしなかったな)



 ザールは、前国王であるホルンの出奔を最初に知らされた時、


『まさか、どうして?』


 そう言った後絶句した。


 呆然と立ち尽くすザールに、知らせに来たロザリアは静かに側に寄ってきて


『落ち着いてくだされ、ザール様。ジュチやリディアやガイたちも、急を聞いて女王様を捜索するために軍を出しておりますので。それと……』


 ロザリアは優しく言うと、持っていた封筒をそっとザールの手に握らせて告げた。


『女王様のお部屋にございました。相国殿あてになっておりますので、誰も中は確認してございません』


 それを聞いて我に返ったザールは、ゆっくりと封筒を検める。そのあて名は紛れもなくホルンの筆跡で『ザール相国へ』となっていた。


 ザールは封筒から便箋を取り出して読み始める。ロザリアは気を利かせて、ザールから5ヤードほどの距離まで離れた。


『ザール、突然いなくなることを許してね。でも、私は預言にあったとおり、私の役割は終わったと思うの。


 私だって、本当はずっとあなたの側にいたい。女王でなくても、あなたの妃となって、あなたの治政をずっと支えていきたい、そう何度思ったか分からないわ。


 だって、ずっと一人ぼっちで、帰る場所も、守るべきものも、大事にしてくれる人も、何一つとして持っていなかった私だったけれど、そのすべてをあなたは与えてくれたから。


 私があの長い戦いを挫けずに戦って来られたのも、あなたをはじめ、素晴らしい仲間たちがいたからだと感謝しているし、その恩に報いるにはこの国をもっと素晴らしい国にして、あなたと目指した『すべての種族が互いに尊重し合う世界』を創ることだと思っていたの。


 けれど、『アルベドの剣』が抜けなくなった時、私は悟ったわ。私はもうこの国でなすべきことはなし終えたんだって。だってシャー・ローム陛下の娘である私が『アルベドの剣』を抜けなくなるということは、『アルベドの剣』がもう私を必要としていないってこと……そしてこの国の未来はあなたに委ねられているってことだもの。


 きっと私には、また別の運命が摂理から与えられているんだわ。私はそれを信じて、そしてあなたを信じて、この国をあなたに託すことに決めたの。


 短い間だったけれど、幸せだったわ。私はあの戦いの中で、そして女王としても、運命を受け入れ、時に抗ってきたけれど、今度もまた運命を受け入れようと思う。


 ザール、私は幸せよ。だってあなたとの思い出があるから。だからあなたは私を忘れて、あなたの幸せをつかんでね。


 それと、この国の未来を頼んだわ。


 私のことは探さないで。私は元気で生きて行くから心配しないでね。国に一日たりとも王がなければ民が不安がるわ。だからすぐにあなたが王として即位すべき、これは私が女王としてあなたに下す最後の命令です。


 最後に、ザール、ありがとう。何度も何度も、ありがとうって言いたいわ。


   ホルン・ファランドール


 P.S.私が愛するのは、生涯かけてあなただけ……


   ホルン・ファランドール』


 ザールは、読んでいて目頭が熱くなった。文字がぼやけてくるので、何度も袖口で涙を拭いた。


『忘れろ、だって? 探すな、だって?……そんなことを僕に言うなんて……』


 肩を震わせているザールに、ロザリアが恐る恐る訊く。


『ザール様……女王陛下は何と?』


 ザールは振り返らずに、手紙をロザリアに渡して言う。


『探すなと言っておられる。そして僕に王位を継げと……運命は何故、ホルンにかくも過酷なんだろうか』


 ロザリアも、ホルンの手紙を読んで落涙した。


 彼女もザールを愛しているひとりである。筆舌に尽くしがたい不幸の後で、幸せが手に届くところまでやって来たのに、それを諦めねばならないホルンの気持ちを考えると、ロザリアはたまらなくなった。


『……探さぬわけには参りません。たとえこの手紙が女王陛下の本心だとしても、ザール様は女王陛下をお探しするべきです』


 その言葉に、ザールはロザリアを振り向いてうなずく。


『陛下を探し当てるまで、国政はどうしたらいい?』


 ザールの問いに、ロザリアは涙が残る目で笑って言った。


『とりあえず陛下は療養のためドラゴニュートバードへ行かれたこととして、ザール様が相国として国政を総攬してください』



(それから半年、ホルンはとうとう見つからなかった。僕はジュチやロザリアの意見を入れ、心ならずもこうして王位に就いた……それから2年……)


 ザールはその当時のことを思い出してつぶやいた。


「……やっと帰って来たかと思うと、また無理難題に首を突っ込んで……ホルン、貴女あなたってひとは、どうしてひとの気持ちを考えてくれないんだ」


「それは私も同感じゃ、ザール様」


 そこに音もなく部屋に入って来たロザリアが、後ろからそう呼びかける。ザールはびっくりして、バツが悪そうにロザリアに訊いた。


「ど、どうした。何か起こったのか?」


 するとロザリアは、唐突に訊く。


「ザール様は、姫様のことをどう思っておるのじゃ?」


「ど、どう思っているか、とは?」


 ザールは思ってもいなかった時に、思ってもいなかった問いを向けられて戸惑う。


 ロザリアはそんなザールを見ながら、意地悪そうな顔をして言う。


「勘違いしないでほしい、私は王妃じゃ。姫様とザール様のことを今さら蒸し返して嫉妬したりはせぬ。私が訊きたいのは、姫様に何も助けの手を差し伸べなくてもいいのかということじゃ」


 するとザールはどことなくホッとした顔をして答えた。


「そのことか。この件については、我が国は公式には手を出せないと話をしたばかりじゃないか。ロザリアだってそのつもりでマルガリータを差し向けているんだろう?」


「それはそのとおりじゃが、事が事じゃ。宮廷内の内紛で収まらぬ場合、マルガリータだけでは荷が重かろう。仲間は多ければ多いほどよい、そのことは先の戦いで身をもって経験されていることじゃろう?」


 ロザリアは、両手に腰を当てて言うと、


「それにザール様だって、私に黙って姫様に文を付けておるではないか。『僕は決してあなたを見捨てない』と書いたことを反故にするつもりかの?」


 そう、止めを刺すような顔で言い放った。


 ザールは慌てて、


「だ、誰が僕の手紙を勝手に……そうか、アルテミスだな」


 そう言うのを、ロザリアはぴしゃりと黙らせた。


「アルテミスは職務に忠実じゃし、そんなはしたないことはせぬ。私じゃ、私がその手紙を読ませてもろうた」


 困ったような顔で黙り込むザールに、ロザリアは優しい瞳を向けて言う。


「……『復位してもらえるかと思っていたが、あなたは運命に忠実であろうとしているんだね。僕はそんなあなたを決して見捨てない。あなたが関わっている件についても、ファールス王国の立場が悪くならない限り最大限の協力をしたい』……。


 ザール様、私が何も言わずにあの手紙を姫様のところに届けるのを認めたのは、ザール様が書いておられたことが至極真っ当だと思ったからじゃ。それが姫様への愛が根底にあったとしてもな」


 ザールは苦しそうな顔で首を振って言う。


「書き過ぎた部分もあったことは認める。僕は何も申し開きはしない。ただ、僕のロザリアへの思いは疑ってほしくない」


 ロザリアは微笑と共にうなずいて、


「うむ、私はザール様から大切にされておる。そこは微塵も疑ってはおらぬ。ザール様が心苦しいというのなら、もっと私を大切にしてくれればそれでよい。それで話の続きじゃが、ジュチと既に話をしておる。その件をザール様に追認してもらいたいのじゃ」


 そう言うと、ジュチと協議したことをザールに説明した。


   ★ ★ ★ ★ ★


「おっ、そなたは……」


 ヤヴォーロフたちがそう言って身構えるのを見て、ホルンも『死の槍』を構えながら


「私はホルン・ファランドール。あの二人の邪魔をするというのなら、私が相手になるよ」


 そう、ヤヴォーロフたちを睨みつけた。


「くっ! お前たちはヴァシーリー殿を助けるんだ!」


 ヤヴォーロフはそう叫ぶと、身体中から琥珀色の『覇気』を燃え立たせた。


(ふん、かなりの『魔力の揺らぎ』だね。こいつは片手間に相手して倒せる相手じゃないね)


 そう思ったホルンは、ヤヴォーロフの魔弾を『死の槍』で弾き飛ばし、彼と戦うと見せかけて、ガルムとヴァシーリーの戦いに駆け付けようとした部下たちの方へ飛んだ。


「私が相手するって言っただろう?」


 ぶうん! ザシュッ!


 緑青色の『魔力の揺らぎ』を乗せた『死の槍』は、一塊になっていた部下たち5人を一薙ぎに両断する。


「待てっホルンッ! 尋常に勝負しろっ!」


「はっ!」

 ズドンっ!


 虚を突かれて置いてきぼりにされたヤヴォーロフは、ホルンの周囲に魔力を開放して叫ぶ。ホルンは戦場のカンに従って後ろに跳び、刹那の差でホルンが元いた場所が爆裂した。


「尋常に勝負してあげたいけれど、あいつらをガルムさんのところに行かせるわけにもいかなくてね」


 ホルンはそうつぶやくと、爆裂する地面を蹴って次の部下に躍りかかる。


 ドムッ!

「うげっ!」


 一番近くにいた敵を田楽刺しにすると、その身体を蹴り飛ばして『死の槍』を引き抜き、


「はあっ!」

 ブオンッ!

「があっ!」


 次の敵を飛び掛かりざま『死の槍』で唐竹割に斬って捨てる。残りはあと一人だ。


「ホルンッ! 俺が相手だっ!」


 鬼気迫る表情で追いすがって来るヤヴォーロフと、ガルムたちの方に急ぐ敵を交互に見やると、ホルンは『死の槍』をぶうんと部下の方に投げつけた。


「させるかっ! Kto eta ssyah Fauthukie!」


 ヤヴォーロフは、ホルンに飛び掛かりざま、右手にすべての『覇気』を集める。そして琥珀色に輝く拳を電光石火の速さで突き出した。


 ドムッ!

「ぐわっ!」


 ドゴンッ!

「くっ!」「ぬっ⁉」


 二つのことが同時に起こった。


 一つは、ヴァシーリーの部下の残り一人が、『死の槍』に胸を貫かれ、そのまま地面へと縫い付けられたこと。


 もう一つは、ホルンとヤヴォーロフの間に、凄まじい爆発が起こったことだった。


 ホルンは『死の槍』を投げつけた後、その行く先も見届けずにヤヴォーロフの方を向いた。ちょうどヤヴォーロフは、魔力を集めた右手を突き出すところだった。


(貰った!)


 ヤヴォーロフは、こちらに向き直って無防備な姿をさらすホルンを見て、勝ちを確信した。その拳は刹那の後にはホルンの胸を胸当ごと貫くはずだった。


 しかしホルンは、緑青色の『魔力の揺らぎ』を沸き立たせたまま、腰に佩いていた異形の剣を左手で逆手に抜き打ったのだ。


 ホルンは、『魔力の揺らぎ』に包まれた異形の剣の峰を左の二の腕に沿わせたまま、ヤヴォーロフの拳を受け止めた。その次の瞬間、


 ドゴンッ!

「くっ!」「ぬっ⁉」


 二人の魔力が交差した場所で激しい爆発が起きた。ホルンはその爆風で5メートルほど後ろに下がり、ヤヴォーロフは吹き飛ばされてやはり5メートルほど後退した地点に着地した。


「さて、邪魔者はいなくなったよ。望みどおりあなたと尋常に勝負してあげようじゃないか」


 ホルンは、異形の剣を右手に持ち替えると、その手を水平に伸ばし切っ先を天に向けた構えを取った。



(さすがだな、ホルンさん。あいつらを一人としてここに近づけなかったとはな)


 ガルムは、見境をなくしたヴァシーリーのめちゃくちゃな攻撃を、冷静に楯と剣で防ぎながら思った。


 ヴァシーリーは、身体中を紫の瘴気に似た魔力で覆われて、両手で殴るような攻撃を仕掛けてくる。そのたびに強烈な打撃と


 ジャリンッ!


 鋼鉄の楯を削るような音が響く。


(コイツ、ひょっとして獣人か? とても人間が出せるパワーじゃないぜ)


 ガルムは、嵐のような攻撃の中でそう思う。そう言えば、最初の頃こそ


「この野郎!」


 とか


「くたばれっ!」


 というヴァシーリーの言葉が、呪詛のようにガルムの耳に届いていたのだが、今では獣のような唸り声が聞こえるだけだ。本当に彼は獣人と化しているのかもしれない。


(今後のために、『オプリーチニキ』の魔導士や魔戦士がどの程度の魔力を有しているか、こいつで検証してみないといけないが、それにしてもまずこいつがどんな姿に変わっちまっているかを確認しないとな)


 そう思ったガルムは、


「ガウウッ!」

 ジャリンッ!

「今だっ!」


 ヴァシーリーが両手で斜めに払うような攻撃をしてきた時、それを受けざま、楯ごとヴァシーリーの身体に体当たりを食らわした。


「ゴアアアッ!」


 ヴァシーリーは、太い唸り声と共に吹っ飛ばされて地面に転がる。それも一瞬のことで、サッと立ち上がって態勢を整えた。


 けれどその間、彼を包んでいた瘴気のような魔力が薄れ、ヴァシーリーの今の姿を垣間見ることができた。


「ふん、やはり貴様は獣人だったのか。道理でオオカミ臭いと思ったぜ」


 楯を構え直しながらガルムが言う。その10ヤードほど先には、上半身をオオカミのような姿に変えたヴァシーリーが、鋭い瞳でこちらを見ていた。


「ガアアアッ!」


 ヴァシーリーは一声吠え、パッと身体の周りに瘴気を燃え立たせながら、ガルムにすごいスピードで突っ込んできた。


(ふむ、体術の素早さが増し、防御の硬さが増し、そして瘴気で相手をむしばむ……か)


 ガルムは楯の陰から、突進して来るヴァシーリーを眺めながらそう考えたが、ニヤリと笑ってつぶやいた。


「これじゃ、人間だった時の方が強えな。単調で飽きたし、そろそろ仕舞いにするか」


 ガルムはすうっと息を吸いこむと、左目をカッと見開いて、


「うおおおおっ!」


 腹の底から轟き渡るような雄たけびを上げ、彼もヴァシーリーへと突進して行った。


 ヴァシーリーは、ぐんぐんと近づいて来るガルムを見て、楯からはみ出ている右の首筋を見ると、琥珀色の目を細めて笑い、


「ガアアアッ!」


 必殺の瘴気の爪を叩きつけてきた。


「甘いぜ、甘ちゃん!」


 ジャッ! バーン!

 ドムッ!


 二人はすれ違ったまま5メートルほど駆け抜け、止まった。


「ガアッ!」


 ヴァシーリーは一声叫ぶと、瘴気の渦が薄れて元の姿に戻る。


 そして、べっとりと血がにじんだ両手を顔の前まで持ってくると、


「僕が……僕が敗けた? うそだ、嘘だ嘘だ嘘だ! 僕が敗けるはずがない……」


 そう叩きつけるように言い、わななく手で胸の内ポケットから、紫色の禍々しい光を放つ石を取り出すと、


「この『魔竜の宝玉』があるのに、僕が敗けるはずが……ぐはっ!」


 おびただしい血を吐いて、ヴァシーリーは地面へと倒れた。


 ガルムは、ゆっくりとヴァシーリー・ヘイの亡骸に近づくと、その右手に握られている紫色の小さな石を見つめてつぶやいた。


「ふむ、『魔竜の宝玉』だと? こいつぁ、やべぇ敵が後ろに控えているってことだな」



 ヴァシーリーの最期は、ホルンとヤヴォーロフからも見えた。


「ヴァシーリー殿!」


 ヤヴォーロフが悲痛な叫びを上げる。ホルンは、そんなヤヴォーロフに静かに問いかけた。


「あんたの上司は死んだよ。命を粗末にせずに、私たちに投降したらどうだい?」


 けれどヤヴォーロフは、憎々し気にホルンを睨みつけて言った。


「ヴァシーリーはいい作品だったのに、台無しにしおって! 代わりにそなたを調律者様のところに連れて行ってやる!」


 そう言うと、身体中から紫色の瘴気を噴き出し、上半身はオオカミのような姿に変わった。


「へえ、あんたも獣人だったのかい? これは面白いよ」


 ホルンはそう言うと、異形の剣を左手に持ち替え、右手を横に伸ばして叫んだ。


「わが友たる『スナイドル』よ、わが手に戻れ!」


 すると、ヴァシーリーの部下を串刺しにしていた『死の槍』は、意志あるもののようにホルンの手に舞い戻って来た。


 それを見て、ヤヴォーロフは戦闘態勢だったのを解き、


「貴様は何者だ。皇太子の味方をして我らの邪魔をし、今また調律者様の傑作であるヴァシーリーまで台無しにするとは……ただの人間とは到底思えぬ」


 そう静かに訊く。ホルンは皮肉な笑みを浮かべながら答えた。


「最初に名乗ったはずだよ。私はホルン・ファランドール、槍遣いの用心棒さ」


「そうではない! そなたの『覇気』はずば抜けている。どんな人間も敵わぬほど強く、清浄だ……そう、まるでわが調律者様のようにな。そなたはひょっとして『摂理の黄昏』のために調律者様から遣わされた『使徒』か?」


 琥珀色の眼でホルンを見据えて訊くヤヴォーロフに、ホルンは肩をすくめて答えた。


「悪いけれど、『調律者様』とか『摂理の黄昏』とか『使徒』とか、何のことやらさっぱり分からないね……」


 そして翠色の瞳を持つ眼に鋭い光を湛えてヤヴォーロフを射抜くように見つめると、『死の槍』を構え直しながらゆっくりと言った。


「……ただ分かることは、あんたたちは女神アルベドや終末竜アンティマトルに負けず劣らず危険な存在だってことさ。『摂理の黄昏』が『摂理の破壊』を意味するのなら、私はそれを聞き捨てにはできないね」


 ヤヴォーロフは目を細めて訊く。


「ほう、どうするつもりだ?」


 ホルンは答える代わりに跳んだ。


「やっ!」

 ぶんっ!

「はっ!」


 電光のようなホルンの突きは、わずかの差でかわされる。


「はっ!」

 シュンッ!

「おっ!」


 次の横殴りの斬撃も、ヤヴォーロフは身体を屈めて受け流した。ホルンはそれを待っていた。


「取ったっ!」

 ズバンっ!

「がはっ⁉」


 ヤヴォーロフは信じられないといった顔で後ろへと跳ぶ。その胸板を、ホルンの異形の剣が真一文字に斬り裂いていた。惜しくも致命傷にはならなかったが、ヤヴォーロフの後退が0.01秒でも遅かったら、そこで勝負は決まっていたかもしれない。


「……なるほど、貴様は先年、ファールス王国に現れたという女神だな。だとすると『調停者様』の敵ということになる……」


 ヤヴォーロフは傷口を押さえもせずにホルンを睨みつけて、


「ホルン・ファランドール、そなたの首は必ず、このウラジミール・ヤヴォーロフが挙げてやる。ただし、ウラル帝国内に入って来なければ話は別だ。よく考えることだな」


 そう言うと、かき消すように姿を消した。


「ホルンさん、大丈夫か?」


 ガルムが駆け寄ってくるのに手を振りながら、ホルンは


(どうやらウラル帝国の内紛には、表面に現れていないだけで、恐るべき何かが動いているようだね。これは一度、殿下やバグラチオン将軍、それにロザリアに話をして見ないといけないようだわ)


 そう考えていた。


(『10 熱砂の宝剣』に続く)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

初戦の小競り合いといったところですが、『摂理の黄昏』に続くキーワード『調律者』が出てきました。

同じ世界でありながら世界観を異にする地域はありますが、ファールス王国とウラル帝国がまさにそれです。ここからホルンたちがどんな戦略を取って行くのか、考える方も楽しいですね。

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