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青き炎の魔竜騎士(ドラグーン)  作者: シベリウスP
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7 紅蓮の魔女

ホルンはルーン公国の公女とともにアゼルスタンのもとに向かっていた。

一方、王妃ロザリアは自らの弟子、マルガリータをホルンの護衛に派遣することにする。

アゼルスタンの蹶起を前に、敵味方の動きが加速する。

 ホルンは苦笑しながら金髪の美少女に目を向けて、


「あなたは、アゼルスタン殿下の居場所を知っているんだね?」


 そう訊くと、その少女……ソフィアは小さな声で


「はい、今テーランの『モーリェ商会』というお店で、今後の準備中と聞いています」


 そう答えた。声こそ小さいが、その碧眼はただアゼルスタンに会いたいという一心でホルンにひたと向けられている。


 ホルンはうなずくと、優しく笑ってソフィアに言った。


「分かった、それじゃ私たちを北の皇子様のところに案内してくれないかい?」

「はい!」


 ソフィアが目を輝かせて答える。ホルンは優しい瞳をソフィアに当てたが、ふと、何かに気付いたようにソフィアに訊いた。


「そう言えばあなたはイスファハーンにいたと聞いたが、アゼルスタン殿下はテーランにいるって話じゃないか。なぜテーランに留まらずにアルボルズ山脈(こんな所)まで足を延ばしたんだい?」


 するとソフィアはニコリと笑って答えた。


「それは、私は一度故国に帰って、両親に無事な姿を見せた方がいいと殿下がおっしゃったからです。そしてルーン公国で自分の挙兵の知らせを待っているようにと……」


 それを聞いて、ホルンは薄く笑うとため息と共に言った。


「ふーん、殿下は優しい人だね」

「はい、私のことを本当に心配してくださいます」


 それを聞いて、ホルンは少し考えていたが、


「……あなたがルーン公国に帰ることについて、アニラ殿は何か言っていたかい?」


 そう訊くと、ソフィアは


「いえ……ただ、『殿下が言うのなら、会うべき人に会うまではルーン公国に戻ってもいいのでは?』とはおっしゃいましたが」


 そう答える。ちょっと不思議そうに首をかしげているが、その幼そうなしぐさの中に大人びた雰囲気を感じて、ホルンは訊いた。


「話は変わるけれど、ソフィアさん、あなた今幾つだい?」


 するとソフィアはびっくりした顔で答えた。


「えっ⁉ じゅ、18歳ですけれど。それが何か?」


「殿下はお幾つだい?」


「今年、15になられたとお聞きしています。もっと年上には見えますが」


 頬を染めて答えるソフィアだった。


 ホルンは銀色の髪をわしゃっとするように頭をかいて、


「18と15かい……参ったね、歳の差は私とザールと同じじゃないか」


 そうつぶやくと、それが聞こえたのかソフィアはうなずいて訊く。


「そうですね。ホルン様とファールス国王様のお話は漏れ聞いています。でも、なぜホルン様はファールス国王様とご結婚なさらなかったのですか?」


 ホルンはそれが聞こえないように、


「参ったね、私が元女王だってことも知っているんだね?」


 そうソフィアに訊く。ソフィアはうなずくと、


「はい。アニラ様からホルン様のことはうかがっていましたから。それにホルン様が殿下の大望を助ける『蒼炎の魔竜騎士ドラグーン』であるということも。ここでホルン様と出会ったから、アニラ様は私に殿下のもとに戻れとおっしゃったのでしょう」


 そう言う。ホルンとザールのことは再びは訊かなかった。いろいろな事情があることを悟ったのだろう。


(この、おっとりしているようでなかなか気は回る子みたいだね。それに魔力もかなり強いようだし、殿下に首ったけみたいだし、本当は故国には帰りたくなかったのかもしれないね)


 ホルンはそう考え、


「つい長話しちまったね。さて、テーランの『モーリェ商会』だったかい? 早速そこに言ってみようじゃないか」


 そう言うと、それまで黙っていたガルムが左目を細めて訊いた。


「それはそうと、ホルンさん、麓の奴らはどうします?」


「ああ、私たちを山賊たちに襲わせた奴らだね? おそらくここから逃げたヤツの話を聞いて、今頃は風を食らってトンズラしているはずだよ。放っておくに限るさ」


 ホルンは『死の槍』を肩に担ぎながらそう笑った。



 そのころ、ソフィアをホルンたちに託したアニラは『モーリェ商会』にいるアゼルスタンたちを訪ねていた。


「……それではソフィア殿はホルン様と共にこちらに向かっているって言うんですね?」


 アゼルスタンが金髪の下の碧眼に当惑の色を現して言う。


 当てが外れて困ったような顔をしているアゼルスタンに、アニラはうなずくと上機嫌で言った。


「なあ、殿下。我はそなたがソフィアの身を案じてルーン公国に送り返そうとしていたことは知っている……」


「それをご存知だったら、なぜソフィア殿を……」


 思わず声を大きくするアゼルスタンに、アニラは皆まで言わせず、


「落ち着くのだ。我もあの時はまだ殿下と『蒼炎の魔竜騎士』との縁が結ばれていないと感じたから、ソフィアの身を第一に考える殿下の言葉を支持した。

 しかし我は偶然にもホルン殿と出会ったのだ。その偶然は必然だと感じたから、急遽ソフィアの身はホルン殿に預けてこちらに向かわせることにした。ソフィアは『魔竜の宝玉』に対抗できる数少ない魔導士、決してそなたの足手まといにはならん」


 そこまで一気に言って、後は優しい声でゆっくりと続けた。


「この戦いにもし勝ちたいのであれば、そなたはいかなる犠牲も甘受せねばならん……それが最愛の人だとしてもだ。

 けれどホルン殿がいれば、あるいはその運命を変えることができるかもしれぬ。彼女がファールス王国の元女王だったとしても、今は一介の魔戦士だし、彼女もそのつもりでいる。力を貸してくれるなら借りた方が、そなたにもソフィアにとっても幸いだろう」


「……」


 アゼルスタンは黙ったままだ。彼は


(帝国の運命を握る戦いに他国の人士を、ましてや元女王陛下だった人物を関わらせるわけにはいかない。それにソフィアはルーン公国の公女、僕の婚約者だったとしても、彼女とその国に迷惑はかけられない)


 そんなことをまだ考えているようだった。アニラにはそんなアゼルスタンの心理が手に取るように分かった。


「……殿下は、この商店の代表にも力を借りぬと言われたようだな?」


 アニラが訊くと、アゼルスタンはハッとして顔を上げ、


「……あ、ああ。エカテリーナは僕と大事な部分で意見が食い違ったからだ。彼女の考えでは天下の権を恣意的に使うことまで是とされてしまいかねない。そのような人物とは、僕は手は組めない」


 そうはっきりと言うアゼルスタンだった。


 アニラはそれを聞いてニッコリと笑って、


「ふふ、殿下は純粋だな。我はそんな純粋さはキライではない。けれど、殿下の立場であれば、清濁併せ呑む気概が必要になる。そのことも理解しておくがいいぞ?」


 そう言う。アゼルスタンは神妙な顔でそれを聞いていた。


「純粋な心は時として世界を狭くする。ホルン殿があの『終末預言戦争』を仲間と共に生き抜けたのは、彼女には清濁を気にしない優しさがあったからだと思っている。そういう意味でも、彼女は殿下にとってはいい師表だ」


 そう言い終わるとアニラは、


「さて、大事なことは伝えた。我は引き続き、『摂理の黄昏』に対処できるように準備を進めねばならぬ。殿下、我が必要な時は心に念じよ。もっとも、我が必要だと思った際には、こうして我からお邪魔することもあろうがな」


 薄い笑いと共に姿を消すアニラだった。


「バグラチオン、純粋なことはいけないことなのか?」


 アニラが去った後、アゼルスタンは側にいた亜麻色の髪をした戦士に訊く。バグラチオンと呼ばれた戦士は、紫紺の瞳でアゼルスタンの瞳を真っ直ぐに見て答えた。


「純粋さは情熱を生みます。殿下にとっては大事なものでしょう。ホルン様を見て、その長所を吸収されれば良いかと思います。純粋な心のまま、清濁併せ呑むことができれば、それは殿下が成長なさったということですから」


「……では、僕はホルン様やエカテリーナの力を借りた方がいいということか?」


 アゼルスタンがつぶやくように言うと、バグラチオンは首を振って励ますように言う。


「殿下、それは殿下がいつかおっしゃったではありませんか。『運命の導きには従う』と。ホルン様にしてもエカテリーナにしても、運命の導きがあれば好むと好まざるとに関わらず殿下の運命と交差します。その出会いを見極めて大事にしろとアニラ殿は言われたんだと思います」


 それを聞いたアゼルスタンは、窓の側に歩み寄り、突き抜けるような空を眺めてつぶやいた。


「運命の導きか……どんな運命であろうと、僕は受け入れて進んで行かねばならないということだな」


   ★ ★ ★ ★ ★


 テーランはファールス王国の中でもにぎやかな町の部類に入る。


 もちろん、王都イスファハーンやトルクスタン侯国の首府サマルカンド、トリスタン侯国の首府カンダハール、その他ダマ・シスカス、バビロン、カラチなどの主要都市ほどではないが、北部では鉱業の中心地であり、第9軍の司令部が置かれていることもあり、一日中たくさんの人でにぎわっている。


 そのテーランの北方、『蒼の海』南岸のチャールースからの街道がテーランに入る辺りに小さな集落がある。


 その集落の一軒に、数人の男たちが集まっていた。みな灰色のマントを着て、金髪碧眼である。見た目には誰が誰やら区別がつかないこともあり、一種異様な集団でもあった。


「ダブリーズのモローゾフや『蒼の海』のコスイギンからの報告はないか?」


 一見して指揮官と分かる、貫禄がある若い男が、配下を見回して訊く。


「モローゾフ殿の班からは目ぼしい報告はありませんが、コスイギン殿の班からはいくつか気になる報告が入っています」


 一人の若者がそう言うと、指揮官は


「気になる報告? どんな報告だ」


 そう訊く。


「はい、以前の報告で、チャールース街道にはいくつかの山賊が鹿砦を作っているとあったのですが……」


 部下の言葉に、指揮官はうなずいて


「そんな報告もあったな。山賊をどうするかの問いについては、攻撃を受けた時に限り殲滅せよとの指示を出していたはずだが?」


 そう言うと、部下は


「はい、クラブチェンコ様のご指示を返送した覚えがあります。幸いコスイギン殿の班は山賊とは出会わずに任務地に展開していますが、山賊が消えているとの報告が入っています。ファールス王国の軍団が動いたという情報は入っていませんので、50人を超える山賊たちが消えたのは不思議に思います」


 そう指揮官であるクラブチェンコに言う。


「単に縄張りを変えたんじゃないのか? チャールース街道はテーランと『蒼の海』をつなぐ大切な道だ。いつまでもそこに根を張っていたら、いつかは軍団から叩き潰されるだろうからな」


 クラブチェンコが笑いながら言うと、部下は納得しない顔でうなずいて、


「はい、その可能性もありますが、山中でかなり強力な『覇気』の残滓を感じ取ったという報告もありますし、長い銀髪で変わった手槍を持った女と、片目で長剣を背負った男を見たという報告が今しがた寄せられています。この二人は、魔剣士隊がてこずったと言う用心棒たちではないでしょうか?」


 そう続けて言う。そちらの言葉には、クラブチェンコは鋭い反応を見せた。


「銀髪で槍遣いの女と隻眼で長剣使いの男だと? その報告はいつ入った?」


「はい、つい今しがたの伝書鳩報告です。コスイギン殿が緊急信として送って来られました」


「見せろ」


 部下が差し出す通信紙をひったくるようにして取ったクラブチェンコは、


『長い銀髪で変わった手槍を持つ女と、隻眼で両手剣と楯を背負った男が、小柄な金髪の女と共にテーラン方面へ向かったことを報告します。本部隊は一部の班をもってその男女を追跡中です。特段の指示を乞います』


 そう、コスイギンの直筆で書いてあるのを見て、


「うん、この三人は魔戦士隊の邪魔をした用心棒たちの可能性が極めて高い。至急、コスイギンに全班員をもってこの男女を追跡し、その行き先を特定せよと伝えてくれ」


 そう指示する。


「分かりました!」


 班員はさっそく返信を鳩に括り付け、窓から空に放った。


「ふむ、『蒼の海』方面にも一応網を張っておく必要がある。モローゾフの班は至急、『蒼の海』方面に移動して捜索を続行するようにと指示を出せ」


 クラブチェンコは二つ目の指示を出すと、


「私はこの状況をジュルコフ様にお知らせしてくる。私が帰るまで目標を見失うな。そして目標には何があっても手を出すんじゃないぞ」


 クラブチェンコはそう言うと、転移魔法陣を使ってどこかへと姿を消した。



 そのころ、ホルンたちはテーランに近いところまでアルボルズ山脈を降りてきていた。ここはチャールース街道に入る前、山賊がいるからと注意を受けたところだった。もっとも、その注意してきた男たちは山賊とグルになって、旅人たちを山賊の方へと向かうよう仕組んでいた奴らだったのだが。


「……思ったとおり、もうだーれもいないね。逃げ足だけは速い奴らだよ」


 ホルンは、背負子や荷車がそのまま置きっぱなしになっているのを見て笑って言う。


「奴らだって命は惜しいでしょうからね。それにしてもホルンさんや『白髪の英傑』がこの国を立て直したって言うのに、まだ山賊をやっている連中がいるのはやり切れませんな」


 ガルムが言うと、ホルンもうなずいて少し小さな声で言う。


「ああ、人間、一度人生を踏み外したら元に戻るのは困難なんだろうな。それを考えると、リョーカやカンネーたちは本人たちの心性もさることながら、運もよかったんだろうね」


 それを聞いていたソフィアが、案外としっかりした声で言った。


「それは違います。改心した人たちを受け入れるような社会をつくり、その人たちに生きるすべを与え、その人たちへの社会的な期待を感じさせれば、運に頼ることも少なくなると思います」


 ホルンは、思わずソフィアを見た。彼女はキラキラした目で未来を見ているようであった。


「……そうだね、ソフィア姫の言うとおりさ。私はまだそこまでこの国を引っ張っては来られなかった。ザールにいつかその言葉を聞かせてやれればいいね」


 ホルンが自嘲気味に言うと、ソフィアは慌てて首を振って言う。


「い、いえ、私は別にホルン様のことを悪く言ったわけではなく……」


「分かっているよ、あなたがそんな悪気でものを言うお姫様じゃないことは。ただ、私は私がすべきことであった仕事に、手を尽くしていなかったなと思い知らされただけだよ。気にしないでくれないかい」


 ホルンがそう言った時、ガルムが左目を細めてホルンに言った。


「ホルンさん、この魔力はどこかで感じたことがないかい?」


 ホルンはサッと辺りを見回し、翠色の瞳を持つ眼を虚空に走らせる。それまでの悔恨や哀しさもどこかに吹っ飛んでしまい、獲物を探る女豹のような鋭い視線に変わっていた。


「これは……イスファハーンの郊外で叩いた魔導士の奴らに似ているね」


 ホルンが言うと、ガルムがうずうずしたように言う。


「相手はこちらに気付いていませんぜ」


 ホルンも周囲に気を配った。これはガルムもそうだが、戦場を長い間往来すると、魔力とはまた別の感覚が磨かれてくる。危機に対する感覚と言うものもそうだし、第六感と言われるものもそうだ。相手の位置や状況すら手に取るように分かる場合もある。


 当然、魔力ではないので魔導士たちには感知できない……もっとも、その魔導士たちが戦場往来する千軍万馬の戦士だったら話は別だが。


 そして、クラブチェンコの班員たちには不幸なことに、彼らは合戦経験がある千軍万馬の兵からは多分に遠かった。


「確かに、何人かの魔導士がいるね。戦場経験がない奴らだね。今後のために、あいつらの組織についてちょっと話を聞かせてもらおうか」


 ホルンがそう言うと同時に、ガルムは音もなく、そして魔力も発せずに目標の家へと突進していき、


「ちょっと話を聞かせてくれないか、なあに、一人でいいからよ」


 そう叫びざま、両手剣を抜刀してその家のドアをぶち破り中に飛び込んだ。


「なんだ⁉」

「何事だ?」


 そこにいた4・5人の魔導士たちは総立ちになる。そして、目の前に突っ立った男がついさっきまで自分たちの隊長が気にしていた男だと知って、魔導士たちは戦闘態勢を整えようとした。


「とろいぜ!」


 ガルムは全身に緋色の『魔力の揺らぎ』を燃え立たせながら、左手に持った両手剣を無造作に振り抜く。たったそれだけで、四人の魔道士は首と胴を異にした。


「ひっ!」


 ガルムは、右端の一人だけには剣が当たらないように手加減していた。目の前を真紅の『魔力の揺らぎ』に包まれた両手剣が通り過ぎるのを見ただけで、その魔導士は戦意を喪失していた。


「あんたたち坊やじゃ、まだ俺の敵じゃない。戦友のようになりたくなければ、言うことを聞くんだな」


 ガルムはその男の胸に両手剣を突きつけながら、そう言って笑った。



 ホルンたちは、その男から聞き取れるだけのことを聞き取ると、


「ご苦労だったね。約束どおり命だけは助けてやるよ」


 そう言って男の脳天に『死の槍』の柄を打ち下ろす。男はものも言わずに昏倒した。


 それを見て、ソフィアは顔を手で覆っていたが、


「ホルン様、そんなに手荒な真似をしなくても、記憶を隠してしまう魔法がありましたのに」


 非難するような声でそう言う。


 ホルンはちょっと苦い顔をして、


「ああ、知っているけれど、ちょっと記憶を無くすってことにはトラウマがあってね?」


 そう答えると、わざとイジワルな顔をしてソフィアに言った。


「じゃ、こいつの記憶を無くしてあげておくれよ。ついでにケガも治してあげればいい」


「分かりました。お任せください」


 ソフィアはそう笑顔で言うと、床に伸びている男の側に座って、


「Ja sedern zonnde im Frauen Zich van Re-Commennde, Uber zete sur haben An」


 そう呪文を唱える。すると男の身体は白い光に包まれ、その光が消えた時、男はぐっすりと寝入っていた。もちろん、頭の傷は消えている。


「たいしたもんだ。それに私が聞きなれている呪文とは違うね。それはウラル帝国の言葉かい?」


 ホルンが訊くと、ソフィアは首を振って答えた。


「ウラル帝国の庶民の言葉はスラヴ語ですね。公用語はファールス王国と同じロマン語です。私たちルーン公国ではその他に独自のゲルマニア語を使っていますが、呪文のほとんどはゲルマニア語です」


「ふーん、なかなか興味深かったよ。ジュチやロザリアが喜びそうだね」


 ホルンはそう言いながら、床で寝ている男を見て心の中で、


(幸せそうに寝ていやがるね。ソフィアの属性はザールと同じ『光』だね。優しい光を放つ魔法を使うもんだね)


 そうソフィアの力量を素直に認めていた。


「けれどホルンさん、こいつの言うことが正しければ、皇太子殿下はウラル帝国が誇る特殊部隊『オプリーチニキ』の全部隊を敵に回しちまっているってことですぜ。こいつぁ、想像していたよりずっと状況は厳しいですぜ」


 腕を組んで言うガルムに、ホルンはからかうように言う。


「そう言いながら、ガルムさんは楽しそうじゃないか」


「ふふ、そう言わないでくださいよ。こんな事件に巻き込まれてワクワクしている自分をちょっと意外に感じてもいるんですからね。いい歳をしてってさ」


 頭をかきながら言うガルムに、ホルンは


「いいことじゃないか、『餓狼のガルム』は未だ老いずってことにしとこうよ。それにしても、アニラ殿の話では皇帝位を狙う摂政が黒幕って話だけれど、そいつが皇帝直属の親衛隊を動かしているってのはかなりヤバい状況だね」


 そう言って考え込む。


「帝国内部の詳しいことは分かりませんが……」


 ソフィアがホルンにおずおずと言う。


「……少なくとも、アゼルスタン様の所に行けば、準備がどの程度進んでいるかは分かります。それに父に訊けば、政治的なことも少しは分かるかと思います」


「……殿下の所に行くことが最優先事項ってわけだね? けれどそのためには十分に気を付けなきゃいけないことがある」


「気を付けること?」


 ホルンの言葉に首をかしげるソフィアに、ガルムが笑って言った。


「こいつらみたいな連中が、殿下を探し回っているってことだ。俺たちのこともマークしているだろう。こういう奴らに見つからないようにするか、見つかったらその都度始末しなきゃいけないってことさ」


 ソフィアは、ガルムの『始末する』という言い回しに眉をひそめたが、


「……そうですね、相手もなりふり構っていないのですから、こちらもそのくらいの覚悟がないといけませんでしたね」


 そうつぶやくと、ホルンたちを見て言った。


「分かりました。ホルン様やガルム様のご意見に従います」


   ★ ★ ★ ★ ★


 王都イスファハーンの北側に、古い城塞がある。


 ここは、ザッハーク時代には『七つの枝の聖騎士団』という魔導士たちの根拠地になっていた所だが、最新の魔導書や魔術用の実験器具などがそろっていたため、王妃ロザリアの所有となっていた。


 ロザリアは、今でこそ王妃と言う身分であるが、もとはトリスタン侯国公認魔導士であるゾフィー・マールの弟子で、『千年に一人の鬼才』とゾフィーからも可愛がられていた。現在のトリスタン侯アリーはロザリアの姉アザリアを妃としており、ロザリアの妹ラザリアはトリスタン侯国魔導士長シンの妻となっている。


 ロザリアは、師ゾフィーの遺志を継ぎ、『闇』の魔法を極めることと、才能ある魔導士たちを指導するため、ザールにねだってこの城を手に入れたのである。


 そのロザリア門下で、一番弟子であり俊才を謳われているのは、トリスタン侯国出身でロザリアがまだザールと出会う前から弟子入りを希望していたマルガリータ・ルージュである。


 『ロンバルディア三姉妹随一の天才』と呼ばれたロザリアを心の底から敬愛していたマルガリータは、ホルン挙兵時には念願かなってロザリアの弟子となり、そしてロザリア率いる魔導士部隊の副将として『終末預言戦争』を戦い抜いた。


 ロザリアが録尚書事となった時は配下の尚書令付参事となってロザリアの密命を遂行しており、ロザリアが王妃となった今は表向き官を辞し、魔術の研究・研鑚を進めながらロザリア城や門下生たちの管理を行っている。


「さて、そなたをアニラ殿のもとに派遣するに当たって、注意したいことと意見を聞きたいことがある」


 その日、久しぶりに自ら門下生を指導したロザリアは、塾頭格でもあるマルガリータを自室に呼んで話をした。


「はい、何でしょうお師匠」


 マルガリータは、昔日のロザリアをほうふつとさせる長い黒髪を揺らし、黒曜石のような瞳をロザリアに当てて言う。


「まずは注意事項じゃ。そなたはあくまで私の弟子として『魔術研究』の名目でアニラ殿に預ける形となる。そなたのすることにファールス王国はいかなる便宜も、助けも、必要以上には与えられぬ。そのつもりでいてくれ」


 その言葉に、少しの哀しさを感じ取ったマルガリータは、ことさらに明るく答えた。


「お師匠、それは分かっています。それに危なくなったら迷わずここに戻ってきます。ご心配なく」


 ロザリアは、慈しみの色を眉宇に浮かべてうなずくと、先ほど以上に言いづらそうに、


「それで、そなたの意見を聴きたいのは……」


 そこでロザリアは言葉を切る。そして、目を閉じて何かを振り払うようにしてから訊いた。


「そなたのいない間、代理塾頭は誰に任せればいいかのう?」


 その質問があることは、マルガリータも予期していた。塾頭には城の管理や門下生の統率といった事務能力もさることながら、ロザリアの密命遂行のためにそれなりの魔力と術式に対する知識を要求される。


 ただ、ロザリアがこの言葉を言いよどんだことをマルガリータは、


(師匠は、誰かが帰って来ないことを前提にする話がお嫌いだったわ。いつもは『魔導士には冷酷さも必要』とおっしゃるけれど、実際にはご自分が一番お優しいお方ですものね)


 そう思っていた。それなら、自分が帰ってくる前提で話をすれば、お師匠も気が楽になるはずね。


「……事務処理と任務遂行を別にやらせてはどうでしょう? 私がアニラ様のもとで研究している間、アンに事務を、ボニーに任務をやらせては? 二人とも私に次いで師匠の下に来た子たちですし、それぞれの能力は門下生では一番です」


 マルガリータの言葉に、ロザリアはふむといった感じで腕を組む。


「ふむ……アン・クルーガーにボニー・マックラスキーか……」


 そうつぶやいていたが、やがて顔を上げてうなずいた。


「うむ、その二人にやらせてみよう。何事も経験が大切じゃからな」


 そして、おもむろに立ち上がると、自分の机から一冊の真新しいノートを取り出した。そしてロザリアはそれをマルガリータに手渡して言う。


「それは、私がお師匠様から伝えられた魔法の体系図を書き写したものじゃ。ところどころは私の工夫も加えてある。最後のページには私の『毒薔薇の牢獄』についても書いておる。そなたにこれを伝える故、ぜひ自分でも工夫して、さらに精緻な術式へと仕上げてほしいものじゃな」


「お師匠……ありがとうございます」


 マルガリータは、震える手でノートを受け取ると、言うことを聞かない手でページをめくる。感激で心臓がどきどきして、目頭がうるんできた。


 師の魔法体系図を受け継ぐことは、独自の魔法を編み出す喜びと共に、魔法使いを志した誰もが夢見ることである。師から一人前と認められたも同然のことだからだ。


「いや、そなたにはもっと早くそれを授けようと思っておった。自信を持ってアニラ殿のもとで励んでほしいぞ」


 ロザリアが優しく言うと、マルガリータは涙でくしゃくしゃになって顔を上げてうなずいた。



『あちらに立つ前に、中書令のアルテミスを訪ねるとよい。必要な情報を教えてくれるはずじゃ。アルテミスには私からすでに話を通しておる』


 マルガリータは、城を離れるとアニラのいるルーン公国に向かうのではなく、ロザリアの指示どおりいったん南下して王都を目指した。


(ウラル帝国の状況はアニラ様から聞いてある程度知識はあるけれど、それを取り巻く情勢なども知っておかないとね。特に裏事情を知っておかないと、敵味方が入れ替わることもあり得るから、思わぬところで不覚を取るわ)


 マルガリータがそんなことを考えつつ王都の政務棟へ向かうと、確かに話は通してあったらしく、彼女は丁寧に迎えられ、政務棟の人目につかない会議室へと通された。


 待つことしばし、


「お待たせしたわね」


 そう言いながらドアを開けて入って来たのは、中書令アルテミス自身だった。いや、その後ろからは大宰相たるジュチも、ニコニコしながら入って来たではないか。


 マルガリータは思わず席を立った。大宰相たるジュチ自身が足を運ぶとはただ事ではない……もちろん、マルガリータの真の任務を考えると当然だったかも知れないが、公式にはファールス王国はウラル帝国で起こりつつあることとは無関係のはずである。


「硬くならなくていいわ、ゆっくり座って。後ろのクズエルフは気にしなくていいから」


 アルテミスは、椅子に座るとそう気さくに笑ってマルガリータに言った。マルガリータはうなずいて椅子に腰かける。


「さて、あなたがロザリア妃の許可を得てアニラ・シリヴェストル様のもとで研究されることは聞いています。そのことに関して、特にあなたが気にかけていた方がいい情報をお伝えするわね?」


 アルテミスはそう言うと、彼女に『気にかけておいた方がいい情報』を話し始めた。


 その情報は、ウラル帝国やルーン公国の地理や歴史、そして現在の国の状況から国の指導者とその親族についてまで多岐にわたった。


 中でもマルガリータが、


(こんなこと必要かしら?)


 そう思ったのは、ウラル帝国の地域による国民性と慣習の違いや、代表的な料理についてだった。


 そんなマルガリータの顔色を読んだのだろう、不意にジュチが、


「ふふ、国民性と慣習は、独自の料理と共に切っても切れない関係にある。それを知っておくことは、交渉の仕方や戦い方のヒントを事前に知っているのと同義だよ」


 薄く笑いながらそう言う。


 マルガリータは、ジュチの言うことがその時はしっかり理解できなかったが、とにかく伝えられる情報を一つ残らず頭に叩き込もうと努力した。


 苦行のような2時(4時間)が過ぎ、アルテミスが


「お疲れ様、提供する情報は以上よ」


 そう言った途端、マルガリータは緊張の糸が切れて思わず机に突っ伏してしまった。


「大丈夫? まあ、これだけの情報を一度に伝えられても混乱するわよね? でも、あなたが任地に発つまで時間があまりないと聞いていたから。駆け足でごめんなさいね?」


 アルテミスが気の毒そうに言うと、


「いいえ、このくらいのことはお話を受けた時から想定済みです……」


 マルガリータは憔悴しきった顔を上げて言う。


 その顔を見てジュチはクスリと笑い、


「いや失礼。あのロザリアの弟子にしては可愛らしいところがあるものだと思ってね? それにキミは努力家だ。ロザリアから譲られたものもあるうえに、アルテミスの難解な話を何時間も聞かねばならないなんて、ボクには到底真似できないよ」


 そう言うジュチに、アルテミスはムッとして


「何よ、だったらアンタが説明してあげたらよかったじゃない」


 そう言うのを手で制して、ジュチはマルガリータに言った。


「まあまあ、キミのことをバカにしたんじゃないよアルテミス。ボクはこのお嬢さんの頑張りを誉めただけだ……さて、そんなお嬢さんには、ボクからも一つ餞別をあげよう」


 ジュチはそう言うと、ゆっくりと右手を広げる。そこから金色に輝くアゲハチョウが飛び立ち、マルガリータの右肩に止まった。


「ふむ、Ce’ Lica seoqe les Lepus-Derme L’hote ici, Ce Que doal.」


 ジュチはそう呪文を唱えると、詠唱が終わった瞬間に左手をアゲハチョウに向ける。


 すると、金色のアゲハチョウはマルガリータの肩に吸い込まれるように消えた。


「痛かったかい? 痛くないようにしたつもりだけれど」


 ジュチがそう訊くと、マルガリータは首を振って答えた。


「いえ、大丈夫です。何をしてくださったのですか?」


 ジュチは金色の前髪を形のいい手でかき上げ、流し目でマルガリータを見ながら片方の眉を上げて答えた。


「ボクのトモダチを少しの間使えるようにしてあげた。ボクのトモダチは偵察からトラップまでさまざまに使える。少し練習すれば君にも使いこなせるだろう。さて、ボクは先に仕事に戻るとするか」


 そう言って立ち上がると、ジュチはドアの方に歩いて行ったが、ふと立ち止まって振り返ると、ニヤリと笑って言った。


「そうそう、忘れるところだった。ボクのトモダチはグルメだ。質のいい魔力を持った敵がいたら、忘れずにトモダチにご馳走してあげてくれ」


 ジュチが席を外した後、アルテミスは困ったように笑ってマルガリータに言った。


「ごめんなさいね、ジュチ様(あのひと)はああ見えて決して悪い人じゃないから……それよりマルガリータ、アニラ様の所に行く前に一度ホルン様に会ってもらえないかしら? 陛下から預かった大事な伝言があるのよ」


 マルガリータはくすくす笑いながらうなずいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 『モーリェ商会』は貿易商である。総本店はロムルス帝国の帝都レムスにあり、ウラル帝国の帝都エリンスブルク、ダイシン帝国のルオヤン府、ファールス王国のダマ・シスカスとテーラン、トリスタン侯国のカンダハール、トルクスタン侯国のサマルカンド、マウルヤ王国の王都デリーに地区本店を持ち、大陸では3千を超える支店と関連店舗を持つ世界でも指折りの大商店であった。


 代表はエカテリーナ・フォン・フォイエルバッハ。ゲルマニア地域にあるプルシアという小さな国で商売を始めた彼女は、ロムルス帝国とダイシン帝国の間で交易を成功させて今の地位をつかみ取った。


 彼女がウラル帝国への足掛かりをつかんだのは、ほんの数年前である。


 それまで帝都レムスから海路を使ってダマ・シスカス、テーラン、サマルカンド、ルオヤン府というルートで行っていた貿易を、別のルートと商品開拓のためにウラル帝国へと目を向けたのが始まりである。


 折良く、ウラル帝国ではアレクセイ・アダーシェフが国内の開発と対外交易を強力に推し進めており、エカテリーナは大金を投資するだけでなく本名であったゾフィーをウラル帝国風に改名までしてアレクセイやディミトリー2世の信頼を得た。


 そして『モーリェ商会』は、ウラル帝国を西から東に横断する貿易街道を優先的に通行する権利と、途中の関税を免除される特別待遇を得た。


「ウラル帝国への投資は大きかったが、そのリターンも大きかった」


 とは、帝国指定交易商になった時に、エカテリーナが満足げに漏らした言葉である。


 そんな彼女は、通常はプルシアのアルトシュタットにある小さな店舗にいた。


 世界に3千を超える店舗を持ち、10万を超える店員を抱え、年商は2万5千タラントンを超える、ちょっとした国家に等しい組織を率いる彼女が平生そこにいるのは、初心を忘れないためと、アルトシュタットの静かなたたずまいが気に入っているからだそうである。



「そう、殿下はおとなしくしているのね?」


 静かな時間を愛するエカテリーナではあるが、商売のためならあっちこっち忙しく飛び回ることも仕方ないと割り切れる女性であった。彼女は最初にアゼルスタンたちをこの店に受け入れてからわずか半月で、エリンスブルクとレムスを回り、再びテーランのこの店に戻って来ていた。


「……準備の進み具合はどうかしら?」


 エカテリーナが恰幅のいい男性に訊く。その男は表情一つ変えずに答えた。


「人数としては、たいしたことはありません。バグラチオン将軍の目論見とは裏腹に、千人も集まってはいないようですね」


 エカテリーナは、冷たい瞳でそれを聞いていたが、


「人数としては、と言ったわね? 軍事的要素に人数より大事なものがあるかしら? バグラチオン将軍もまだ若いし、アゼルスタン様も大衆には知られていない……私たちもどこかで降りないと、この賭けは高くつくわよ?」


 そう、冷ややかに訊く。


「ゾフィー様、アニラ・シリヴェストルという魔女をご存知ですか?」


 男が訊くと、エカテリーナは鼻にしわを寄せて笑い、


「マンフレート、ウラル帝国では私のことをその名で呼ぶんじゃないわよ? アニラのことなら知っているわ。食わせ物じゃない本物の魔女って噂ね、それがどうかした?」


 そう訊く。


 マンフレートは小さくうなずいて


「はい、世界には本物の魔女がいる……ルーンのアニラ、ファールスのロザリア、そしてダイシンのヤン・テンチュエン。そう噂される三人の筆頭たるアニラ殿が、殿下の後押しをされています」


 そう告げる。エカテリーナは胡散臭そうな顔で聞いていたが、マンフレートの顔が余りに真剣なのでかえって胡散臭さが増したのか、突然噴き出して言った。


「ふふふ、魔法で何かが変われば、誰も苦労はしないわ。そんな荒唐無稽な話じゃなく、もっと現実的な指標はないの? 私が殿下に味方をするかしないかを決めるような指標は」


「元ファールス国光輝聖女王、ホルン・ジュエル様……今はホルン・ファランドールの名で用心棒をなさっているとの話ですが、このお方が殿下に合力されるようです」


 ホルンの名を聞いて、エカテリーナの顔が引き締まる。そこにさらにマンフレートが


「ルーン公国公女ソフィア様も、殿下のもとに合流される予定と聞いております」


 そう付け加えた。


「ホルンはファールス王国を立て直した女王として、大陸に名が知られている。嘘か本当か知らないけど、『終末竜アンティマトル』という怪物を退治したという武勇伝と一緒にね。彼女が殿下の側に立てば、殿下の名は一気に諸国に知られることになるし、ファールス王国も場合によっては介入してくる可能性もある……ルーン公国という小国が立つのとは、また意味が違って来るわね」


 エカテリーナは、ついさっきまではアゼルスタンを見捨てる気でいた。というよりも、


(たった千や2千集まったくらいじゃ、話にならない。それだけしか人望がない殿下なら、かわいそうだけれど私は手を引かせてもらうわ。私にだって商会に身を捧げてくれている従業員たちの生活がかかっているもの)


 そんな気持ちだった。


 けれど、『ホルン・ファランドールが殿下の側に立つ』と聞いて、エカテリーナの中の針はまた支援する側に傾いた。


(ホルン個人ではどうとも出来なくても、彼女の『元女王』と言う立場が天下に波乱を巻き起こすかもしれない。それにファールス国王はホルンを見捨てはしないはずだし、ここは私たちにとってもチャンスかもしれないわね)


 そう考えたエカテリーナは、マンフレートに


「……そう、それならもう少し様子見していてもいいかもね? マンフレート、ホルンやソフィアが訪ねてきたら、私にすぐに知らせなさい」


 そう言うと、上機嫌で店を出て行った。カンダハールの地区を視察する予定があったのだ。



「……尾行けてきているね……」


 テーランの大通りを歩きながら、ホルンはそうつぶやく。その言葉に思わずキョロキョロと首を動かしたソフィアを、ホルンは苦笑して注意する。


「ソフィア姫、そんなにあちこち見るんじゃないよ。相手に気付かれてしまうからね」


 するとソフィアはとっさにガルムの腕をつかみ、


「あっ、ガルム様。あの変わった形をした剣はどう思われますか?」


 そう剣を売っている露店を指さして言う。


「うん、あれはククリだな。接近戦で無類の強さを発揮するが、ちょっと扱いが難しい。姫様にはもっと素直な短剣がいいと思うぜ」


 ガルムもうまく話を合わせる。


「そうだね、そもそもソフィア姫は魔法使いだから、白兵は必要ないんじゃないか?」


 ホルンもそれに加わってそう言うと、低い声でソフィアに指示した。


「いいかい、郊外に私たちを誘導するんだよ。相手に悟られないように順路はめちゃくちゃでいい。適当なところで後ろにいる奴らを巻くか叩くかしないと、殿下のところに死神を連れて行くことになるからね?」


「分かりました」


 ソフィアが小さくうなずく。


「じゃ、作戦開始だよ」


 ホルンの合図で、一行はソフィアを先頭にまた歩き出した。



「見つけたぞ。クラブチェンコ様の厳命もある。あいつらの一人でもいい、捕まえて指揮所まで引っ立てろ」


 テーランの町でホルンたちを見かけた『オプリーチニキ』……皇帝直属特殊部隊の魔導士部隊に所属する魔導士たちは、現場指揮官であるグローズヌィ・コスイギンがそう言うのを聞いて奮い立った。


 それまでも、目標であるアゼルスタンを見失い、その腹心であるバグラチオン尾行中にはブルカーエフとその配下をすべて失っていた彼らは、


「今度こそ、我ら光輝ある『オプリーチニキ』魔導士部隊の真価を発揮するときだ」

「ブルカーエフ殿たちの仇を討て」

「われわれをかわいがってくださるイワーナ・ジリンスキー副司令官殿のためにも」


 と、腕を撫していたのである。


 最初、この方面を任された筆頭魔導士コンスタンチン・クラブチェンコは、魔導士諸隊を実質的に統括する大魔導士ゲオルグ・ジュルコフの意を受けて、ホルンたちに直接手出しをするつもりはなかった。

 ただその動向を監視し、アゼルスタンやバグラチオンと接触したら、その位置を魔剣士部隊に知らせ、『標的』の確保に協力する……そのつもりだったのだ。


 けれど、自らの班員の全滅という異常事態を受けて、彼は方針を変え、イワーナ副司令官の同意のもと、コスイギン部隊をホルンたちの『拘束又は処置』のために派遣したのだった。


「どこに行くつもりだ? いやにルートがジグザグだが」


 コスイギンはそう言いながら、罠にはめられたブルカーエフ隊のことがチラリと頭をかすめる。


「罠かもしれませんね」


 班員が言うと、


「コスイギン様、先頭にいる小娘はどこかで見たことがありませんか?」


 別の部下の一人がそう問いかける。


「……いや、新顔だな。誰かあの娘を知っている奴はいないか?」


 すると、副班長が


「……他人の空似かもしれませんが、あの娘はルーン公国の公女、ソフィア殿に似ていますな」


 そう言いだした。


「……ネタニエフ、それは確かか? 本当ならばルーン公国は摂政殿下に楯突いたことになるぞ」


 驚いて言うコスイギンに、ネタニエフ副班長は自信なさげに答える。


「ソフィア公女は皇太子殿下の許嫁と聞いております。皇太子殿下を助けたいという気持ちはお持ちでしょう。ただ、あの娘が確かにソフィア公女かと聞かれれば、私には自信はありません」


 それを聞いたコスイギンは、


(仮にあの娘がルーンの公女だとしたら、それを囮に罠を仕掛けるはずがない。いや、我々が尾行している間にそれらしいそぶりはなかった。ルートがめちゃくちゃなのは尾行者を警戒しているからに違いない)


 そう考えたコスイギンは、班員に


「あの娘は殺すんじゃない、できれば無傷で捕獲しろ。それからディアドロフ、君はクラブチェンコ殿に『件の用心棒たちとルーン公女が協力している可能性あり』とお伝えしろ」


 そう指示する。


「了解しました!」


 指名されたディアドロフ班員は、すぐさまその場から指揮所へと走り去った。


「……作戦を変えよう。ネタニエフは3人を連れて後から掛かれ。用心棒たちは俺の隊が相手をする。あの娘を保護したら、用心棒たちには構わず指揮所へと引け」


 コスイギンがそう言うと、ネタニエフはうなずいた。


「よし、では奴らが人気のないところに出たら、作戦を発動する」


 その言葉を受けて、コスイギン班はコスイギン指揮の5人とネタニエフ指揮の4人に分かれて尾行を継続した。



「……奴ら、二手に分かれましたね」


 ガルムが後ろも見ずに言うと、ホルンはうなずいて、


「……奴らは何を考えているんだと思う? ガルムさん」


 そう訊く。


 ガルムは笑いながら答える。


「俺たちを捕まえることは諦めて、単に始末することにしたんじゃないですかね? 考えてみたらホルンさんがあの坊やを助けてから、俺たちは奴らの邪魔ばかりしてきましたからね。そろそろ鼻についてきたんでしょう」


 それを聞いて、ホルンは横を歩くソフィアに訊いた。


「お姫様、あなたは自分の顔が『オプリーチニキ』の奴らに知られていると思うかい?」


 するとソフィアは首をかしげていたが、


「国の行事に何度も参加したことがありますから、知られていても不思議ではありません」


 そう答えた。それを聞いてホルンはニヤリと笑い、


「そうかい、じゃ、姫様が奴らにつかまったら、アゼルスタン殿下には非常にマズいことになるね」


 そう言うと、ガルムに言う。


「ガルムさん、奴らが襲ってきたらお姫様の護衛を頼むよ。私は……って、なんで笑っているのさガルムさん?」


「いや失礼した。考えてみたら女王が公女を護衛するってのも凄い絵面だなと思ってね。分かったよホルンさん、お姫様の護衛は任されたから、そうふくれっ面をしないでくれ」


 ガルムが慌ててそう言うと、ホルンはふくれっ面のまま言った。


「まったく、あの坊やのことがなければ、ブリュンヒルデと二人で気ままな旅をしているところだよ」


 そこに、ブリュンヒルデからの警告が入った。


『ホルン様、敵は左から5人、右から4人です。右の敵は少し遅れてかかってくる可能性があります』


「分かったよブリュンヒルデ。ありがとう」


 ホルンはそうつぶやくと、ガルムに


「ブリュンヒルデから警告があったよ。右からの敵に注意しておくれよ」


 そう言った時、左からコスイギン隊5人がものも言わずに襲い掛かって来た。


「じゃ、お姫様、ガルムさんの側を離れるんじゃないよ」


 ホルンは『死の槍』の鞘を払いながらそう言うと、コスイギン隊へと突っかかっていった。



「私はホルン・ファランドール、槍遣いの用心棒だ。私たちに何の用事だい!」


 ホルンは、突進して来るコスイギン隊に向かってそう名乗りを上げる。もちろん、返事などは期待していない。ただ、そう言う間に敵の陣形や気息を計っただけだ。


 コスイギン隊は見事な動きをしていた。中央にいるコスイギンは、剣を回してホルンに突きかかろうとしているし、その左右の二人はそれぞれホルンの両側に回り込もうとしている。


 そして一番端にいる二人は、一人がホルンの後ろを、そしてもう一人はガルムにかかろうという気配を見せていた。


(そうはさせないよ!)


 ホルンは15歳の時から足掛け15年も戦いの中で育った。相手は軍隊だったり、殺し屋だったり、あるいは魔物だったりした。いずれも簡単な敵ではなかったが、その都度ホルンは持ち前の機動力と天賦ともいえる戦闘カンで数々の死線を潜り抜けて来た。コスイギンたちの陣形にしても、その意図するところを看破するのは容易かった。


 ホルンは、コスイギンまであと5ヤード、『死の槍』の攻撃が繰り出せる数瞬前に、風の翼を使って、右に回り込んできた敵すら無視し、ガルムへと向かっていた敵の前に立ちはだかった。


 ドシュッ!

「うげっ!」


 突然現れたホルンに、敵はなすすべもなく『死の槍』の餌食となる。


「くそっ!」


 思いもよらないホルンの機動に、コスイギンはすぐさま、右へと回っていた班員と後ろに回りこもうとしていた班員にホルンへの攻撃を指示し、自らと左に回っていた班員とでその後ろから二段の挟撃を仕掛けた。


「しゃらくさいよっ!」


 ホルンの『魔力の揺らぎ』を乗せた『死の槍』が、空間を薙ぎ払う。挟撃をかけようとした二人のうち、右からの一人は緑青色の『魔力の揺らぎ』を避けられず、胸を深々と斬り裂かれて地面に転がった。


 一瞬、突進を止めた左からの班員は、コスイギンたちがかかるのを感じ取ってホルンの正面へと回り込む、しかし、その大事な一瞬を無駄にした報いが来た。


「『風神・突』!」


 ホルンは右手に集めた『魔力の揺らぎ』を放つ。それは緑青色の槍となって班員の頭を刺し貫いた。


 そこに、指示はなかったが状況の不利を見て、ネタニエフは攻撃を開始した。


「ふん、おいでなすったな」


 ガルムは薄く笑うと数歩ネタニエフ隊の方に歩み出て、ゆっくりと背中の両手剣と楯を抜き放って構えた。


「用心棒には構うな、お前たちはあの娘を保護せよ!」


 ネタニエフも剣を抜いてガルムに斬りかかる。


「やっ!」

 ガイン!


 ガルムはネタニエフの剣を楯で受けると、その楯を前へと押しやる。


「くっ!」


 斬撃を警戒していたネタニエフは、楯の圧力をもろに受けて後ろへと跳び下がった。転倒しなかったのはさすがである。


 けれど、その一瞬で


「だあっ!」

 ズバムッ!

「がはっ!」「うぐっ!」


 ガルムの『魔力の揺らぎ』を乗せた両手剣は緋色の軌跡を描き、ソフィアへかかろうとしていた三人のうち二人を仕留めた。


「しまった」


 ガルムは両手剣を左手一本で遣う。そのリーチは普通の両手剣を超えていたが、それでも僅差で一人には届かなかったのだ。


「シュルツ、こっちは任せて娘をさらえ!」


 ネタニエフはそう叫んで、ガルムの背中に斬りかかる。ガルムは本能的にその剣を楯で受け止めた。


 ガッ!

「くそっ」


 ガルムは、自分かホルンが助けに向かうまで、ソフィアの善戦を祈るしかなかった。



「いけない!」


 コスイギンたちの鋭い薙ぎ払いを、ジャンプすることで避けたホルンは、着地の際に仕掛けられた攻撃も『死の槍』を振り抜くことで弾き飛ばした。


 しかし、20ヤード向こうでは、ガルムの斬撃を辛くも避けた一人が、ソフィアに肉薄しているのを見た。


「ホルン・ファランドールとか言ったな。今までよくも我々『オプリーチニキ』魔導士隊の邪魔をしてくれたな」


 コスイギンが剣を構えて言う。その構えから、彼が尋常に立ち会うのならば決して気を抜けない相手であると見抜いたホルンは、後ろに回りつつあるもう一人の班員を、


「やっ!」

 バムッ!

「くわっ⁉」


 コスイギンに攻撃の隙を与えない回転攻撃で、その首を斬り飛ばす。そしてそのままソフィアの救援に向かおうとしたが、


 ボンッ!

「うっ⁉」


 突然目の前に火柱が噴き上がったので、ホルンはそれを後ろに跳んで避けた。


「……そう言えば、あんたたちは魔導士隊って言ってたね」


 ホルンはそう言うと、『死の槍』を構え直した。ホルンにしても、本気を出したコスイギンを真っ向勝負で瞬殺する絶対的な保証はなかったのだ。



「下がりなさい!」


 ソフィアは、ガルムとホルンがネタニエフとコスイギンとの一騎打ちに入ってしまったにもかかわらず、自分に向かってきた隊員に気丈にも魔法攻撃を仕掛けた。光の魔弾がシュルツに降り注ぐ。


「ふん、小娘のくせになかなか魔力は高いな」


 シュルツはそうつぶやくと、シールドで降り注ぐ魔弾を防ぎながら、ゆっくりとソフィアに近づいて行く。


「来ないでください!」


 ソフィアはそう言うと、シュルツから離れようとした。


「Cto yorsdje!」

「えっ⁉」


 ソフィアは、いきなり足が動かなくなったことに驚いて、自分の脚を見た。強張ったように引きつる脚の周りに、不思議な文字がどす黒い光を放ちながら浮かんでいる。


「……これが、『魔竜の宝玉』の魔力ね……」


 ソフィアは、師であるアニラから聞いていた知識を思い出し、急いで解除の呪文を唱えようとするが、焦りの余り呪文を思い出せない。


(ウソ、こんな時に動揺してどうするの? 落ち着け、落ち着け私……)


「どうした小娘、解除ができないのか? そのなりを見るところお前も魔導士だろう? この程度の魔力を解除できないなんて情けないぞ」


 ソフィアは、ニヤニヤと笑いながらそう言って近づいて来るシュルツを見ないように目をつぶり、一心に解除の呪文を思い出そうとする。けれど、焦りのためにいろいろな呪文が頭の中を駆け巡って思い出せない。


(ダメ、アニラ様、助けて!)


 ソフィアがそう叫びそうになった時、


「そこまでだ! 『毒薔薇の牢獄(ウィッチプリズン)』!」

 ザザザザッ!

「おっ⁉」


 ソフィアは、シュルツの当惑の声を耳にして目を開ける。すると自分の10ヤードほど先で、自らのシールドごと、真っ黒く咲きほこるバラの生垣に捕らえられているシュルツを見た。


「間に合ってよかった。姫様、落ち着いて呪文を。姫様ならできます」


 突然、異次元から湧いたように現れた黒髪を長く伸ばした女性が、黒曜石のような瞳をソフィアに当てて微笑む。ソフィアは、その眼差しで不思議と心の落ち着きを取り戻し、


「……Kto eta ne yorsdje」


 そう、解除の呪文を唱える。すると脚の回りに浮かんでいた魔力封印も消えた。


「ありがとうございます。あなたは?」


 そう訊いて来るソフィアに、その女性は微笑むと、鋭い視線をコスイギンとネタニエフに向けて言う。


「その前に、あの二人を捕らえましょう。姫様、『眠りの呪文』を」


 ソフィアはうなずいて、


「では私はホルン様の敵を……Ja preiden uber enemert, sie handern troyme An!」


 同時にその女性も


「では、私も……Ce le’hoterein ici, Recrail zwant!」


 そう呪文を唱える。


 すると、コスイギンもネタニエフも、


「ぐっ……何だ?」

「……不覚っ!」


 そうつぶやきながら、ズルズルと地面に崩れ落ちた。


 ホルンとガルムは、それぞれの得物を血振りして仕舞いこんで、


「マルガリータ、危ないところを感謝するよ。ロザリアからの遣いかい?」


 ホルンがそう訊くと、マルガリータは首を振って答えた。


「私は師匠の命でアニラ殿の術式を学ぶことになりました。一緒にお供させていただければ幸いです」


 ホルンは渋い顔をしていたが、念を押すように訊く。


「それは大魔導士ロザリアとしての命令だね?」


「はい、そのとおりです。ですから私には国からの特別待遇依頼状や紹介状もいただけませんでした。まだ辺境は女一人で旅をするには不安な地域、護衛もしていただければ幸いです」


 マルガリータの言葉に、ホルンは頭をかきながら言う。


「うーん、用心棒としてはそう言われると断れないね。分かったよ、マルガリータ。アニラ殿のもとまで一緒に行こうじゃないか。ただその前に……」


「分かっています。殿下と姫様が会われるときは、私は別の場所にいることとしましょう。ところでこれは中書令様からお預かりした陛下からの書簡です。お検めを」


 そう言って、胸元から一通の書簡を取り出した。


 マルガリータの言葉を聞き流して何気なく受け取ったホルンは、その文字を見てパッと顔を赤くする。そして封すら開けずにその書簡を自分の胸元へとしまい込んだ。


(な、なんで今頃ザールが私に手紙なんか……ロザリアにバレたらどうするつもりだい? 本当に困ったお方だね、ザールは……)


「……せっかくのお便り、読まれないのですか?」


 不思議そうに訊くソフィアにホルンは


「あ、ああ、後で読むわ」


 そう慌てて言うと、


「じゃ、今度こそ殿下のところに行こうじゃないか」


 そう言って歩き出す。


「あっ、ホルン様。ご案内します」


 ソフィアも慌ててホルンの後から駆け出す。


 そんなホルンたちを、ガルムもマルガリータも、微笑んで見つめていた。


(『8 回天の端緒』に続く)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

一旦は縁が切れたかに見えたホルンとアゼルスタンでしたが、運命はホルンを再び嵐へといざなっているようです。

次回もお楽しみに。

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