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青き炎の魔竜騎士(ドラグーン)  作者: シベリウスP
6/18

6 翡翠の公女

稀代の魔女アニラから皇太子の加勢を頼まれたホルン。

そのころ、ホルンを助けるため愛弟子を送り出したロザリアは、アニラとその弟子、ルーン公国の公女と出会っていた。

 目を閉じたホルンに、アニラが語りかける。


「……冬の寒さが厳しいウラル帝国は、騒乱で天も翳るだろう。『摂理の黄昏』が来る時、人々には希望が必要だ。皇太子殿下はこの国の希望だ、ホルン殿が昔日、ファールス王国の民の希望であったように……」


 ホルンはゆっくりと目を開けた。アニラの白い顔がさらに白くなり、黒い瞳と赤い唇が際立って見えた。


「……『蒼炎の魔竜騎士』よ、力を貸していただきたい。我の仲間にも幾人か『摂理の黄昏』に対抗し得る者はいるが、ホルン殿のように終末竜と戦った経験を持つ者はいない、我も含めてな」


 ホルンはゆっくりと口を開いた。


「私に何ができると言うんだい?」


 アニラもゆっくりと答えた。


「希望を守り抜くこと」


 ホルンは一度目を閉じ、次いで目を開けるとはっきりと言った。


「アニラ殿の依頼、確かに引き受けたよ」


 するとアニラは、ほっと吐息をもらしながらつぶやくように言った。


「ふふ、太陽の皇子は蒼炎の魔竜騎士の助力を得られた。あとは……」


 そして、ホルンを見て言う。


「テーランにあの子たちがいる。イヴデリ公の魔手も伸びつつある。皇太子殿下の計画が思いどおりに進んでいない場合、ここに来るように働きかけていただきたい。その間に我は、『摂理の黄昏』に対峙できる仲間たちを集めておこう」


 それを聞いて、ホルンはすっと立ち上がると、さばさばした顔でアニラに言った。


「じゃ、私は行かせてもらうよ。アニラ殿のおかげで、また面白い経験ができそうだ」


 するとアニラは転移魔法陣を描きながら笑って答えた。


「ふふ、こちらこそ、尊敬するゾフィー殿に匹敵する役割を与えてくれた運命とやらに感謝している。すべてが終わった後、今度こそ優しい風の声を聞きながら紅茶をゆっくり嗜もうではないか」



 ホルンとガルムは、アニラの転移魔法陣でテーランの郊外にある丘に戻って来た。


「やれやれ、あの坊やとの縁はとっくの昔に繋がっていたってわけですな。それにしてもまた相手が終末竜に匹敵するような奴らとはね……」


 ぶつぶつ言うガルムに、ホルンは振り向いて慰めるように言う。


「運命の導きってものかな……そしてこれは私自身に与えられた運命でもある。だからガルムさん、気が進まないって言うのなら、あなたがこのままアイニの町に戻っても私は別に恨みはしないよ」


 するとガルムは左目を細めてニヤリと笑い、


「俺がもう少し歳を取っていたら、ホルンさんのご忠告に従っておとなしくアイニの町に戻っていたことだろうが……」


 そう言うと、遠く東の空を眺めながら笑う。


「……いかんせん、俺の心はまだ冒険がし足りないってさ。俺は50を過ぎて背中の両手剣を片手で扱えなくなったら用心棒を引退するつもりでいるが、それまではせっかくの人生だ、経験できることなら経験し尽くしたいってのが俺の信条さ」


 ホルンは、清々しい顔で言うガルムを、翠の瞳で見つめていたが、


「……そうかい。それはありがたいね」


 ただ一言言うと、テーランの町へゆっくりと丘を降り始めた。



 そのころ、アゼルスタンとバグラチオンは、故国にいるアレクセイ・アダーシェフが密かに連絡を取り合っている豪商の屋敷に匿われていた。


 二人が商人に身をやつしてこの店を訪れた時、ちょうど商会の代表者がここに来ていた。おそらくアダーシェフの連絡を受けていたものと思われた。


 しかし、バグラチオンには誰が代表者か判別しかねたため、とりあえず店の奥にいた恰幅のいい男のもとに近寄り、


「テーランはエリンスブルクにはかなわないようですね。あちらの方が活気がある」


 そう話しかけた。これが合言葉であり、アダーシェフの連絡がついているなら、相手は何らかの反応を見せるはずである。


 すると男はじろりとバグラチオンを見て、その後ろに控えた少女にも見えるアゼルスタンの姿を捉えると、薄く笑って小声で言った。


「我が主人から連絡は受けています。奥にお通りください」


 そう言うと、男は近くにいた店員に、アゼルスタンたちを奥の間に通すよう言いつけ、自分は少し離れたところにいる女性のもとに歩いて行った。


 バグラチオンは、男が女性に何かを耳打ちし、女性は満足そうにうなずくと自分たちへと視線を向けたことを確認して、アゼルスタンと共に店の奥に向かった。


 奥の間で待たされることしばし、ドアがノックされて、あの女性が男と共にゆっくりと入って来た。女性は大柄で、金髪を肩まで伸ばし、ウラル地方独特の襟の高い服を着て裾の詰まったズボンを穿いていた。


「よくおいでくださいました。私はこのモーリェ商会の代表、エカテリーナ・フォン・フォイエルバッハと申します」


 女性の声は高くもなく低くもなく、中性的だった。彼女はアゼルスタンを値踏みするように見つめると、一つうなずいて


「アダーシェフ様から話は聞いています。イヴデリ公の専横を糺すための戦いを始められるとか……」


 そう言うと、アゼルスタンはうなずいて言う。


「そのとおりだ。故国ウラルのために力を貸してくれ」


 するとエカテリーナは、クスリと笑って言い放った。


「……その前に、殿下は何故、イヴデリ公を廃そうとなさっておいででしょうか?」


「エカテリーナ殿、ぶしつけな質問は殿下に失礼だぞ」


 バグラチオンが低い声で言うが、エカテリーナはその言葉に動じもせずバグラチオンを見て笑った。


「ほほほ……いいですかバグラチオン将軍、私はアダーシェフ様とは長い間昵懇にさせていただいています。その誼で今回は人と物資が集まるのを待つ間、殿下をここに匿うことだけを了解しているのです。それ以上皆さんに力をお貸しするかどうかは私が決めること……私だってせっかくウラル帝国で築き上げた商売をフイにするかどうかの瀬戸際ですからね?」


「しかし、皇太子殿下のご依頼だぞ?」


 バグラチオンが言うと、エカテリーナは碧眼を細め、薄い唇を歪めて


「将軍、天下の権はその入手の方法如何に関係しません。いかに皇太子殿下からのご依頼であろうと、天下の権はイヴデリ公にあることは明白……そんな中で将軍たちを匿うだけでも大きな危険を背負っていることを理解していただきたいものですわね」


 そう言うと、再びアゼルスタンに向き直って訊く。


「殿下、あなたは何故、イヴデリ公を廃そうとなさっているのですか?」


 アゼルスタンは、顔を上げてはっきりと言った。


「天下の権を名実ともに正しいものとするためだ」


 そして彼は、光を灯したような瞳でエカテリーナに言った。


「天下の権は、確かにイヴデリ公が握って久しいことは認める。けれどその権は正しいやり方で手に入れるべきものと僕は信じている。名とは人々の気持ちを慮ることでもある、それがない権はやがて暴走し、人々を苦しめるだろう……」


「……だから、敵わぬまでもイヴデリ公に反旗を翻そうと、そう言うわけですか?」


 含み笑いと共に言うエカテリーナに、我慢できなくなったのかバグラチオンが言う。


「無礼だぞ、エカテリーナ! アダーシェフ様の朋友と言えど、その無礼は見逃し難い!」


 しかし、アゼルスタンは冷静な声でバグラチオンに、


「控えよバグラチオン。ここでエカテリーナ殿を脅しても何の役にも立たん」


 そう言うと、エカテリーナの目を正面から見据えて静かに訊いた。


「大貴族はイヴデリ公の手中にある。帝国の人々は、僕たちの闘争を自分たちに直接関係がないものと興味も持っていない……そんな状況であることは知っている。けれど、大貴族連中におもねるイヴデリ公がその権を揮った時、それは人々に対して餓狼のような牙をむくことだろう。僕はそれを座視できないが、そなたはそれを無駄な戦いというか?」


 エカテリーナは、うっすらと笑いながら首を振った。


「……いえ、無駄ではありません。無理な戦いではありましょうが」


 それを聞くと、アゼルスタンも薄く笑ってうなずいた。


「……無駄でなければ、戦いようはあります。商機を見るに敏なあなただ、今の言葉を十分吟味して、戦機を測ることとしましょう」


 そう言うと、真顔になって言い放った。それはバグラチオンもびっくりする言葉だった。


「けれど、あなたには加勢は求めますまい。『天下の権はその入手の方法如何に関係しない』……それは明確に僕の信条と反していますから」


「殿下!」


 そう言いかけるバグラチオンに、アゼルスタンは強い信念を感じさせる声で言う。


「いいんだ、バグラチオン。勝算薄い戦いであればあるほど、名分は正しくあるべきだ。不義の道で生きながらえるより、正しきに従って死ね……それは父陛下が折に触れて僕に言い聞かせられたことでもあるし、ホルン様もきっとそんなお気持ちであの戦いを潜り抜けられたに違いない」


 そして彼は、エカテリーナに笑いかけて言った。エカテリーナに対して、怒りや恨み、失意などは微塵も含んでいない顔だった。


「では、準備ができるまで世話になるぞ。ことが成った暁には、アダーシェフにも十分に報いてやらねばならないかな」


   ★ ★ ★ ★ ★


 王都イスファハーン、その中心にある宮殿の一室で、この国の王であるザールは静かに空を見上げていた。


(ホルン、2年振りに戻って来てくれたと思ったら、相変わらず面倒ごとに首を突っ込んで……ホルンらしいな)


 ザールはそう思って苦笑する。まだ彼女と共に挙兵する前、ガルムの依頼でダインの町に巣食ったグールを退治した出来事が、まるで昨日のことのように思い出された。


「おお、ここにおられたのか」


 ザールは、不意に背後からそう声をかけられて我に返った。静かに振り向くと、そこには紫紺の瞳を持つ目を細めて、ロザリアが立っていた。


「どうしたロザリア。何かまた面倒ごとか?」


 ザールは、ロザリアの顔色がいつもに増して白いことに気付いてそう訊く。果たしてロザリアはうなずくと言った。


「以前、私がルーン公国のアニラ殿に問い合わせていたことへの返事が届いたのじゃが……」


「……ウラル帝国で感じられたという『不穏な波動』のことだね? やはり終末竜アンティマトルだったのか?」


 ザールの左手が青白い『魔力の揺らぎ』を噴き出す。それを見てロザリアは慌てて言った。


「ザール様、落ち着いてくだされ。詳細は皆に話して聞かせるので、とにかく奥の間に来てくださらんか。ジュチたちもすでに参集しておるので」


 するとザールは、緋色の瞳を細めてうなずいた。



 奥の間には、大宰相ジュチ、大将軍リディア、驃騎将軍ガイが既に顔をそろえていた。


「みんな揃ったね? じゃ、ロザリア妃、すまないけれどアニラ殿の返事の要点をかいつまんで説明してくれないかい?」


 ジュチがそう言うと、ロザリアは一つうなずいて全員を見回して訊いた。


「その前に、みんなはチェルノボグという言葉を知っておるかの?」


「……ウラル帝国に伝わる悪神の名だな。人狼や吸血鬼を操るとともに、ひとたび目覚めれば世の摂理を変えてしまうと聞くな」


 ガイが静かな声で言う。ガイは幼い時にウラル帝国を旅したこともあり、そのような民話や神話も知っていた。


「なにそれ? 世の摂理を変えるって、アンティマトルや女神アルベドみたいな奴だね」


 リディアが言うと、ガイは青く澄んだ瞳で彼女を見つめて言う。


「アンティマトルや女神アルベドは、始原竜プロトバハムートと関係がある存在だが、チェルノボグは『外の世界』から来たと言われている」


「どゆこと?」


 リディアが頭の上に『?』マークを浮かべて訊く。ガイはザールやジュチ、ロザリアを見て、彼らもその先を聞きたがっている顔をしているのを見て、うなずいて語り始めた。



 私たちは、この『世界』はプロトバハムートが決めた摂理のもとに動いていることを知っているが、『世界の構造』についてはあまり知らない。私たちの神話に、そのことに言及したものが一つもないからだ。


 一方、私が旅の中で聞き知ったウラル帝国やロムルス帝国の神話には、『世界の構造』や『世界の外』について言及されているものがあった。


 それによると、私たちの『世界』とは世界樹ユグドラシルの幹や枝であり、星々は葉として茂り、その葉が落ちるときに星は滅する。


 プロトバハムートはその世界樹を守護し、その世界樹に対応した摂理を決め、その執行を担当している。


 だが、ウラルの神話では、『世界』の象徴たる世界樹はただ一つではないという。世界樹は『無明の海』から無数に立ち上がり、それぞれにプロトバハムートのような摂理の管理者がいて、それぞれが互いに干渉せずに時を過ごし、やがて摂理の時が来て枯れ果てた世界樹は『無明の海』に還り、再び『世界』を構成するための材料となる。


 このように、互いに干渉しない『世界』だが、『無明の海』に還った無意識の働きで、稀に複数の『世界』がつながることがある。



「……それが『異界』と言われたりするものだ」


 ガイが言うと、ロザリアが首をかしげながら訊く。


「では、チェルノボグとは、『異界の管理者』ということかの?」


 それに対して、ガイは首を振った。


「いや、『世界の管理者』は、他の『世界』とは決して干渉しようとしない。その摂理に反して、他の『世界』に干渉し、自らが『世界の管理者』となるために動く魔物、それがチェルノボグだ。その悪神が動く時、それを彼らは『摂理の黄昏』と呼んでいた」


「……『摂理の黄昏』か……いずれにしてもそのような者が動き出せば、好むと好まざるとに関わらずわが国にも影響は必至だな」


 ザールがぽつりとつぶやく。その緋色の瞳に静かではあるが強い光が灯っているのを、ジュチもロザリアも見逃さなかった。


「ザール、早まらないでくれたまえ。アニラ殿から返事が来たからと言って、その存在がはっきりしたわけではない。それに相手は他国の領内にいる。まずはウラル帝国が対処すべき事案だ。彼らにしても神話に残るほどだから、今まで何度かその悪神と対峙したことはあるだろう」


 ジュチが言うと、ロザリアもうなずいてザールに勧める。


「そうじゃ、アニラ殿にしても『不穏な波動』についてはチェルノボグの目覚めが近いのかもしれぬとは書いておられたが、それを断定されてはおらぬ。はっきりしたことが分かったら続報をいただけることになっておるから、まずはそれを待ってはどうかのう?」


「けどさあ、皇太子殿下がこの国に逃げてきているんでしょ? そんなごたごたの中でその悪神に対応できるのかな?」


 リディアが言うと、ザールはガイを見て尋ねる。


「北の皇子はどうされている? そしてホルン陛下は?」


 ガイは豊かな髪を揺らして答えた。


「北の皇子は護衛隊長と合流して、『蒼の海』方面へと旅立ちました。ホルン陛下はテーランに行くので、ザール陛下によろしくとのことでした」


 それを聞いて、ザールは苦笑しつつ一つため息をつくと、ロザリアに言った。


「やれやれ、北の皇子たちの動向も気になるし、ロザリア、君の愛弟子にはもう少し力を貸してもらわねばなるまいな」


 するとロザリアは、白く輝く髪を揺らしてうなずき、


「では、マルガリータをテーランに遣わしましょう。彼女ならば、私の指令がなくても自分で判断して動けるでしょうから」


 そう言って笑った。




「バグラチオンはどこに消えた?」


 イスファハーンの郊外に、古びた屋敷が点在する地域がある。いずれも3年前の『終末預言戦争』の時に打ち捨てられたもので、今ではその所在すら忘れられている建築物だった。


 その中でも比較的マシな建物を根城にする集団があった。皆、灰色のマントに身を包み、その中心にいる男は仮面で顔を隠している……一言で言えば異様な集団だった。


「マキシム・ブルカーエフの部隊が全滅して1週間が経った。バグラチオンはまだ宿に戻っていないのだな? クラブチェンコ」


 一つ目に二本の角がある仮面で面を隠した男がそう訊く。クラブチェンコと呼ばれた男は、金髪碧眼の端正な顔に焦燥の色をにじませて答える。


「はい。あの日奴はいつもと違ってイスファハーンの大通りを真っ直ぐ南に進み、郊外へと出ました。ブルカーエフ隊を罠にかけるためだと考えていましたが、あるいはその時『標的』と合流したか、その居場所を知ったのかも知れません」


 仮面の男はそれにうなずき、


「モローゾフ、コスイギン、君たちの考えを聞きたい。バグラチオンはまだイスファハーンにいるだろうか?」


 そう訊く。


 左目にアイパッチをした若い男が、細い声で答えた。


「私は、バグラチオンはすでにどこかに移動したと思います。方角は分かりませんが、いずれにしても彼らは故国で何事かをしでかすつもりでしょうから、北のどこかに拠点を作るつもりではないかと推察します」


 その言葉に、もう一人の男が賛成する。


「コスイギンの言うとおりでしょう。ヤツが身を隠すとすれば、テーランやダブリーズなどでしょうね。ジュルコフ様、捜索範囲を広げてみてはいかがでしょう? 念のため、私がここに残ってもいいですが」


 それを聞いた仮面の男はうなずくと


「では、悪いがクラブチェンコが指揮を執ってモローゾフ、コスイギンと共に北方を捜索してくれ。私は監視がてらいましばらくここにいよう」


 そう命令を下すと、続けて


「クラブチェンコ、君はテーランで指揮を執ってくれ。モローゾフはダブリーズ方面、コスイギンは『蒼の海』周辺だ。ひょっとしたらすでにルーン公国に逃げ込んでいるかもしれないからな」


 そう言った。



 ジュルコフの魔導士部隊が動き始めた頃、コルネフの魔戦士部隊はカラクム砂漠の西の出口であるグムダグの町にいた。ここから北のカブランカー地域を抜けて西に回り込めばルーン公国である。


「ジュルコフの魔導士部隊もバグラチオンの所在を確認できないようだな」


 魔剣士部隊を統率するイヴァン・コルネフ魔竜剣士が言うと、パーヴェル・レンネンカンプ魔剣士長が左目を細めて笑う。


「ジリンスキー副司令官殿のお気に入りである魔導士部隊も、バグラチオンにかかっては形無しだな。奴一人に振り回されて『標的』も見失ったままだ」


「そう言うなレンネンカンプ、同じ『オプリーチニキ』の仲間だ。それより我らはいずれ帝国に戻るであろう『標的』やバグラチオンをどうやって捕捉するかを考えよう」


 コルネフが静かに言う。彼は魔導士部隊の首領ジュルコフと同様、決して他の部隊を貶めたり非難したりする男ではなかった。


「私がバグラチオンの立場であれば、ルーン公国に作戦の拠点を置きたいところです。確かルーン公国の公女は皇太子殿下の許嫁だったと思いますが」


 指揮官の中では最年少のユーリー・アンドロポフが言うが、次席魔剣士であるパーヴェル・ロシチェンコは、


「いや、皇太子殿下の日頃の噂を聞く限り、殿下は関係ない人間たちを巻き込むのを控えるだろう。帝国の南部に拠点を置いて、帝都エリンスブルクを窺う体制を整えると思うぞ」


 そう、反対意見を述べる。


 コルネフの瞳は、左目の下に刀傷があるミハイル・カツコフ先任魔剣士を見る。カツコフは目を細めてつぶやくように口を開いた。


「……軍事的に見れば、皇太子殿下は一人でも味方がほしいはずです。その時ルーン公国の存在はかなりの比重を持っていますから、殿下がルーン公国に向かう可能性は低くはないと思います。最終的に拠点を帝国南部に置くとしても、ルーン公国に対して何らかの働きかけはされるでしょう」


 それを聞いて、コルネフはうなずいて


「……そうだな、『標的』もバグラチオンも見失っている今としては、それを見つける可能性が少しでも高い選択肢を選ぶべきだろう。我々はアストラハンで『標的』を待ち受けることにしよう」


 そう決断した。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ルーン公国は、『蒼の海』の北に位置し、全土が低地と草原である。


 その首府であるアストラハンは、公国の中で最も人口が密集しているとともに、唯一と言っていい都市でもあった。


 アストラハンの大部分は、市内を貫流するヴォルガ河が堆積させた三角州の上にあるが、王宮……とはいっても決して壮大とは言い難いものであったが……は河の浸食によって作られた台地の上にあった。


「……姫は、無事にイスファハーンに着いただろうかな」


 その王宮で、眼下に広がる街並みを眺めながら、そうつぶやく男性がいた。


 男は金髪碧眼で、歳は40前後であろう。たくましい身体を青と黒の刺繍がされた衣服に包み、腰には派手ではないが優美な装飾がされた剣を佩いている。


「アニラ様が守ってくださっていますから、きっと大丈夫です。それよりも、仮に陛下とイヴデリ公の間にいさかいが起こったら、公はいかがなされるおつもりですか?」


 男の後ろに控えている女性が、そう眉を寄せて訊く。この女性も数色の刺繍がされた衣服に身を包み、腰のベルトに短剣を吊っていた。


 男は、ふうとため息をついて答える。


「……イヴデリ公にも困ったものだ。陛下は何も悪いことをしてはおられない。だが、帝国の大貴族たちはそうは思わないのだろうな。帝国のために新たな施策を打ち出される陛下は、彼らにとっては既得権を奪う存在ということなのだろう」


「……姫は皇太子殿下のことを心から愛している様子。しかし、国の実権はイヴデリ公が握っている現在では、私たちも難しい立場にいます。よく姫をイスファハーンにお遣わしになりましたね?」


 女性が言うと、男は振り返って


「ソフィアの気持ちは痛いほど分かる。姫はアニラ殿からも認められるほどの術者だが、それだからこそ殿下の危機に何もしないではいられなかったのだろう」


 そう、薄く笑うと、


「ナスターシャ、私は陛下の未来を志向する施策に期待していたのは確かだ。この国は帝国の後ろ盾がないと何もできぬ。その帝国が良くなるのならばと期待していた。私はどちらにもつかず、離れずに態度を保留するつもりでいたが、姫が殿下のもとに奔ったのであれば、あるいはこの国を賭けた勝負を挑まねばならぬ時も来るだろう。その時は……すまんな」


 そう言って、女性を胸へと引き寄せた。


 ナスターシャと呼ばれた女性は、男性のたくましい胸に顔を埋め、首を振って答えた。


「私は15で公のもとに嫁いで20年、十分に幸せでした。今は公とソフィアの幸せが私の幸せです。公に悔いが残らぬよう存分になさいませ、ソフィアにそれをお許しになられたように」


「そうか、それを聞いて私は嬉しく思うぞ」


 男が腕に力をこめてそう言った時、二人の側の空間が歪み、そこから17・8歳の乙女が顔を出した。


「おや、取込み中だったか? 夫婦の時間を邪魔して悪いな、ガイウルフ殿」


 そこに現れたのはアニラ・シリヴェストルだった。彼女はトリスタン侯国にいたゾフィー・マールやレズバンシャールにいたアルテマ・フェーズと共に、その魔力を謳われた大魔導士の一人である。


「おお、これはアニラ殿。失礼しました」


 ガイウルフとナスターシャは顔を赤くして離れる。けれどアニラはそんな二人に対して何も見ていないような風で、白い髪の下にある黒曜石のような瞳を輝かせて言った。


「我はしばらくアクキスタウの家を留守にする。そのことを伝えに来た」


 それを聞いてガイウルフとナスターシャは顔を見合わせた。アニラはどちらかというと外を出歩くのを嫌い、時には何年も家から出てこない。今のように数日おきにでも姿を見せるようになったことすら近年の珍事だったのに、今度は旅に出るという。


「珍しいこともございますな、してどちらへ?」


 ガイウルフが訊くと、アニラはそっけなく答えた。


「イスファハーンだ。ソフィアが我の助けを必要としておるようだからな」


「ソフィアが? どういうことでしょう? あの子に何か悪いことでも……」


 顔色を変えて訊いて来るナスターシャに、アニラは苦笑しつつ手を振って、


「ああ、言い方が良くなかったな。別にソフィアの周りで何かが起こっているわけではない。太陽の皇子が『蒼炎の魔竜騎士ドラグーン』の協力を得た今、ソフィアも早く合流した方がいいというだけのことだ」


 そう言うと、ガイウルフの顔を見て真剣な顔で


「ただ、イヴデリ公の周りにある波動が気になる。ファールス王国の王妃ロザリア殿も気付いていたが、そのことについてもそなたやロザリア殿と少し話をしたくてな。時間を少しいただけないか?」


 そう告げる。ガイウルフもまた、真剣な顔でうなずいた。



「……『摂理の黄昏』か……まさかそれほどの大事が起きる可能性があるとはな……」


 アニラが去った後、ガイウルフとナスターシャは、再び王宮の窓から眼下に広がるアストラハンの町を見つめながらつぶやいていた。


 ウラル帝国と関係が深いルーン公国でも、帝国の伝わる神話や民話は良く知られていた。当然、『世界の構造』や『世界の外』についても共通の認識があり、『摂理の黄昏』が訪れた時どのようなことが起こると言われているかも知っていた。


「……3年前、ファールス王国では大きな戦乱が起こった。バビロンでの大災厄などについて詳しいことは知らぬが、『終末竜アンティマトル』や『女神アルベド』について伝わる話を聞くと、前女王陛下や現国王陛下がいらっしゃらねば国が滅んでいたほどの大災厄だったらしい……それに匹敵する混乱が帝国を襲ったら……」


 ガイウルフはそこで言葉を切り、遥かに広がる空を眺めて、ため息のように続けた。


「……私たちは何ができるだろうか……」


   ★ ★ ★ ★ ★


 王妃ロザリアは、王宮の奥でじっとしているような人物ではない。今日も彼女は宮殿を抜け出してイスファハーンの町をほっつき歩いていた。


 と言っても、彼女の姿は国民の誰もが知っている。『白髪の英傑』と呼ばれた国王ザールに配するに相応しく、豊かでつやのある白髪と智謀を秘めた紫紺の瞳は、彼女の正体を隠しようもなくさらけ出すに十分なものだった……お忍びの姿の時を除いては。


 彼女の真の魔力が覚醒する前、ロザリアは魔族の血が騒ぐと少女の姿に変貌していた。今でこそ魔力発動時に姿が変わることはなくなったが、逆に彼女は任意に少女へと姿を変えるすべを身に着けていたのである。


 そんなこんなで、彼女は今日も、水色のワンピースに身を包み、黒いスパッツと黒い靴を履き、頭には水色のボンネットを乗っけた姿……身長は140センチ程度で、どう見ても12・3歳にしか見えない……で、きょろきょろと辺りを見回しながら大通りを歩いていた。


 もっとも、彼女から20ヤードほど離れて、一人の女性剣士が護衛として歩いていたけれど、そのことは彼女のあずかり知らぬことである。


「ふむ、ダイシン帝国の商人が増えて来たのう。じゃがウラル帝国の商人は減っておるようじゃな。やはり国内のごたごたが関係しておるのかのう……」


 ロザリアは、目についた出来事をぶつぶつとつぶやきながら歩を進めていたが、野菜を積み上げている露店を見て、何が気になったのかすたすたとそちらに歩み寄る。


「店主、今年は玉葉菜の出来が悪いのか? 少し高いような気がするが」


 ロザリアがそう言うと、露店の店主はチラリと彼女を見て


「おお、お嬢ちゃんは詳しいな。いや、確かに作柄は去年ほどじゃないが、不作というほどでもない。その証拠に葉の巻き具合なんかは立派だろう?」


 そう言う。ロザリアは改めて手に持った玉葉菜の重さや葉の巻き具合を検める。


「……確かに、出来は上々のようじゃな。ではなぜこんなに高いのじゃ?」


 ロザリアが訊くと、店主は困った顔で答えた。


「アルボルズ山脈に山賊が根城を張ったという話でね? 街道を使った輸送量が減っているんだよ。山脈の向こう側では捨て値で売られるくらいに値崩れしているそうだが。困ったものだ」


「そうか、それは難儀なことじゃな」


 ロザリアはそう言って、玉葉菜を戻す。けれどその頬は紅潮し、黒曜石のような瞳には怪しい光が輝いていた。


(ふん、確か姫様はテーランに向かったとのことだったな。姫様のことじゃ、すでにその山賊たちを討伐しておられるかもしれんが、早くマルガリータを送った方がいいかもしれぬ)


 そう考えたロザリアは、足を速めて裏通りへと入り、転移魔法陣を描くとその中に消えて行った。



「どこじゃここは?」


 ロザリアは転移魔法陣から出て、そこが自分の予期した場所ではないことを見て取りそうつぶやく。王宮の自分の部屋へと戻るつもりだったのだが、そこは寂れた宿の一室だった。


「ちぇっ、空間が錯綜したのかのう……」


 そう言いつつ、右手の指を青くボウッと光らせたロザリアだったが、その部屋の隅に置かれた机の上に、見覚えのある書籍を見つけて転移魔法陣の発動を中断する。


 すたすたと机に近づいたロザリアは、その本を見てうなずくと


「これは、アニラ殿が書かれた魔導書……幻の魔導書と呼ばれた本がなぜここに?」


 そうつぶやく。


 その時、空間がひずむ兆候を感じ、ロザリアはとっさに魔力を隠して隠形した。相手が魔導士ならば『鏡面魔法』などの身を隠す魔法は意味がない。むしろ魔力そのものを見えなくしてしまう隠形法の方が効果があるのだ。


 ロザリアが見ていると、ひずんだ空間から17・8歳の女性が姿を現す。


 身長は160センチくらいで、体格的にはどちらかというと細身の部類であろう。白い生地に赤や青で幾何学的な文様が刺繍された上着を着て、下は同じように刺繍された巻きスカートのようである。その下にも浅葱色の細身のズボンを穿いていて、


(ふーん、どうやらルーン公国かウラル帝国南部に住んでいる女性のようじゃな)


 ロザリアはそう見当をつけ、さらに顔をよく観察した。


 金髪碧眼でかなりの美貌である。軽くウェーブがかかった金髪は肩を超すくらいの長さであり、翡翠でできたカチューシャをはめている。


(雰囲気はどことなくオリザに似ているのう。目つきは姫様に似ていなくもない)


 その女性は、姿を隠したロザリアには気付かないようで、紺碧の瞳を潤ませるとすとんと椅子に座り、顔を覆ってしくしくと泣き出した。


(……何か困ったことでもあるのかのう。けれどかなり魔力は強いようじゃから、迂闊に声をかけて不測の事態が起きてもつまらんのう)


 ロザリアはそう考えると、とりあえず彼女が落ち着くまで静観することにした。


 やがて、彼女は泣き止むと、服のポケットから水晶玉を取り出して目の前に置いた。


「……アゼルスタン様……どこにおいでなのでしょうか?」


 乙女はそうつぶやいた。それを聞いて、ロザリアは一人うなずく。


(なるほど、この娘は北の皇子の関係者か……皇子を追ってここまで来たはいいが、その行方が分からずに途方に暮れていると言ったところじゃな……うん? これはまずいぞ)


 ロザリアは、乙女とは別に、自分に匹敵する……いや、ありていに言えば自分を凌駕する圧倒的な『魔力の揺らぎ』を感じて、彼女にしては珍しく一瞬慌てた。


 けれどその魔力が間違いなくこの部屋に向けられ、そして別に害がないと見て取って、とりあえずそのまま静観する。


「ソフィア、何か意気消沈しているようだな?」


 ロザリアは、転移魔法陣から現れた人物を見て思わずうなった。このお方はただの魔導士ではない、自分の師匠だったゾフィーにも匹敵する、そう感じたのだ。


 その彼女の直感は、ソフィアと呼ばれた乙女の言葉で裏付けられた。


「これはアニラ様、ちょうどよいところに」


 するとアニラは漆黒の瞳をソフィアに向けてニコリと笑い、


「まあ待て、ソフィア。そなたはこの場に誰かいることに気付かなんだか?」


 そう言うと、驚いて碧い目を見開くソフィアを背に、静かな声で言った。


「見事な隠形だな。禍々しさがないということは敵ではなかろう。姿を見せよ」


 ロザリアは苦笑して隠形を解く、そして目の前にいる二人に名乗り、白髪で紫紺の瞳を持つ真実の姿に戻った。


「失礼しました、私はロザリア・ジュエル。お初にお目にかかります、アニラ・シリヴェストル殿」


 するとアニラの方も驚いた顔をして


「ふむ、そなたがロザリア殿か。先に『不穏な魔力』を探知したり、これほど見事に隠形したり、さすがはゾフィー殿の愛弟子だけはあるな。こちらこそよろしくお願いする」


 そう言うと、後ろの乙女を向いて、


「こちらは我が弟子でソフィア・ルーン。ルーン公国の公女でウラル皇太子アゼルスタン殿の許嫁でもある」


 そう、乙女を紹介する。ソフィアは頬を染めてちょこんと頭を下げた。


「ところでそなたは何故、ソフィアの部屋に? この子がここにいることを知っていたのか?」


 アニラの言葉に、ロザリアは首を振って答えた。


「いえ、私の転移魔法陣の空間ベクトルがどうもここの魔力と錯綜したようで。すぐに出て行こうと思ったのじゃが、アニラ殿の本を見かけたのでつい見入ってしもうて」


「ふむ、それは仕方ないな。ところでロザリア殿、ここで会ったのも何かの縁だ。先のそなたからの問いについてさらに詳しい話をしたいが、時間を取ってもらえないか?」


 ロザリアはうなずいて、


「それは願ってもないことじゃ。ぜひお話を聞きたいのう」


 そう言うと、アニラはソフィアを見つつ、


「我にはソフィアがいるが、そなたには誰か気の利いた弟子はいないか? 後述するが我は一人でも魔力の強い者の手助けが必要だ。王妃たるそなたを引っ張り出すわけにはいかんから、誰か気の利いた者を紹介してもらえればありがたい」


 そう言う。ロザリアが紫紺の瞳を持つ目を細めて、


「……危険がある仕事に本人の承諾なしで参加はさせられぬのう。話を聞いて本人に決めさせてもよいなら、私にも良い弟子はおる」


 そう答えると、アニラは屈託なく笑って言った。


「それはもちろんだ。ソフィアにしても、身の危険を感じたらすぐに我のところに戻って来いと命じている。そなたの弟子だけ危ない橋は渡らせぬよ」



「ロザリア様、アニラ様の話では、今度のウラルの事件は相当に危険なものだと拝察しますが……」


 ロザリアから呼び出され、ソフィアと共にアニラの話を聞いたマルガリータは、漆黒の瞳を持つ眼をやや伏せ気味にして言う。


「ふむ、『相当に危険』という言い方はまだマイルドじゃな。私はこの話、場合によっては先年の『終末預言戦争』に匹敵するほどのものと理解しているぞ」


 ロザリアはそう言うと、紫紺の瞳をこの愛弟子に当てて、


「私が『終末預言戦争』の時のように、ザール様の帷幕の将の一人であるならば、私自身がアニラ殿と共に戦いたい。しかし、王妃の身分ではそうもいかぬ。かと言ってそなたを行かせるのも気が進まぬ」


 そう言って笑う。


 マルガリータはその笑顔につられて笑い、


「でも、話を聞いてしまったからには知らんふりもできません。ソフィア様の力になって差し上げたいと思います。しばらくの間、お側から離れることをお許しください、師匠」


 そう言った。


 ロザリアは目を閉じてしばらく考えるふうだったが、やがて目を開けると


「……それでは行ってもらおうかのう。ただし、ソフィア殿と同じで、手に余る敵と対峙した場合、まずは生き残ることを優先するのじゃ。その約束ができるなら行くがよい」


 そう静かに言って、マルガリータの手を握った。


「そなたには、私がゾフィー殿から受け継いだ『闇』の魔法の神髄を残らず教え込んだつもりじゃ。いつかそなたも弟子を取り、その系統を他の者に伝えるのも大切な役目。そのことは忘れるな」


 マルガリータは、手に伝わって来るロザリアの心配と温かさを感じながら答えた。


「はい、お師匠」



 ロザリアはマルガリータをアニラのもとへ送り出すと、急いでザールのもとへ帰った。


「……では、ウラル帝国の状況はただのお家騒動の範疇を超えてしまうかもしれない、そう言うんだね?」


 アニラとの話の詳細を聞き取ったザールはそう訊く。ロザリアはうなずいて


「そうならねば良いが、その可能性は高いと見なければならないようじゃ。とりあえずマルガリータを姫様のもとに遣わしたし、アニラ殿も手を尽くしてくださるそうじゃから、我々は介入するタイミングを間違えぬようにしておくことじゃな」


 そう言う。


「タイミング? 本当にチェルノボグの目覚めという事態になったら、わが国だけでなくロムルス帝国にもダイシン帝国にも関係があることではないか? 悠長なことは言っていられないぞ」


 ザールが言うが、ロザリアは首を振って、諭すように話す。


「ザール様、ご自分の身になって考えてくだされ。仮に『終末預言戦争』の時に他の国が私たちに加勢を申し出たとして、それを受け入れられたかのう?」


 ザールは首を振って言う。


「いや、『終末竜アンティマトル』だけならともかく、女神アルベドはわが国だけの神、他国の容喙は受けられない。ましてやザッハークに関しては完全に王権の正しさを賭けたものだ。他国の協力など受けられるわけがない」


 それを聞いて、ロザリアはうなずく。


「おっしゃるとおりじゃ。あのザッハークも自分の陣営が不利になった時ですら、他国に救援は求めなんだ。他国の力を借りたら、その時点で王権の独立が危うくなる……その程度のことはザッハークも知っていたのじゃな」


 そう言うと、ザールの手を握って


「ウラル帝国だって同じじゃ。たとえ本当にチェルノボグの目覚めが始まったとしても、それを正直に告げて我らに助けは求めまい。北の皇子が姫様の救援を断ったのと同じじゃ。とすると、私たちができることは、できる限り正確な情報を集めて、正確に判断し、他国からもウラル帝国からも文句が出ないようなタイミングでチェルノボグの目覚めを阻止できるように介入するしかないのじゃ」


 そう言うと、少し目を伏せて、小さな声で言った。


「……そのことで、たとえ姫様が窮地に陥ろうとな……」


 ザールの手がピクリと震える。それはロザリアにもよく分かった。思えばホルンが最も会いたかった人物はザールで、ザールもホルンに最も会いたかったはずである。けれど、昔日の仲間ではザールただ一人が、ただの一度もホルンと顔をあわせていない。


(無理もない。私が同じ立場なら、会いたくてたまらぬはずじゃからな)


 けれど、ザールはしばらくの沈黙ののち、静かに言った。いやに平静で、感情がこもっていない声だった。


「……余が気にかけねばならぬのは、まずはわが国民のことだ。ロザリア、ジュチやリディアにもそのことを伝えて、対応に遺憾なからしめよ。頼んだぞ」


 それを聞いて、ロザリアは思わずザールの胸に顔を埋める。ザールは驚きもせず、ロザリアの髪を優しくなでた。


「ザール様、私は姫様の代わりには……ならんよな、やはり……」


 ぽつりとつぶやくロザリアに、ザールは首を振って言う。


「君は君だ、ほかの誰でもない。君はホルンの代わりにはならないし、ホルンだって君の代わりにはならない」


「……ザール様だけ、姫様に会えておらぬ。私はお二人の気持ちを考えると辛いのじゃ」


 くぐもった声で言うロザリアは泣いているようだった。ザールはため息を一つつくと、ロザリアを軽く抱きしめて言う。


「運命の導きというものがあるのなら、僕はそれに従わないといけない。今度のことだってそうだ。摂理が姫様にどんな運命を授けようと、姫様はそれを受け入れるだろう。僕もまたそれを受け入れて、先に進むしかない……」


 そして、ゆっくりとロザリアを引き離すと、その目を見つめて言う。ロザリアの紫紺の瞳は滲むように揺れていた。


「……君は僕の道標だ。昔、『飛頭蛮』事件の時に僕を慰め、僕のすべきことを思い出させてくれたように、僕が私情に流されず国王として正しい選択ができるように導いてくれ」


 そう言うと、ザールはロザリアの唇に唇を重ねた。ロザリアは涙も拭かず、ザールの背中にその細い腕を回した。


   ★ ★ ★ ★ ★


「おい、そこのおっさんと姉ちゃん。近ごろこの先には山賊の連中が住み着いている。悪いことは言わないから、『蒼の海』に出るのなら西のガスビーンか東のダームガーンまで行って山を越えたがいいぜ」


 ホルンとガルムは、テーランから最も近いアルボルズ山脈越えの道、チャールースの峠道に足を向けた。そしていよいよ山越えにかかろうとした時、近くに住んでいるらしい人たちからそう声をかけられたのだ。


 ホルンは、つかつかと青年たちのもとに歩み寄る。青年たちはホルンの額から斜めに顔を斬り裂いた刀傷に気を飲まれたか、誰もが一言も声を発しなかった。


「今、この先に山賊が住み着いているって聞こえたけれど、確かかい?」


 ホルンが訊くと、先頭にいた二の腕にタトゥーを入れている若者が、小さくうなずく。


「山賊が住み着いたってのはいつからだい?」


 ホルンが訊くと、先頭の男は、ごくりとつばを飲み込んで


「こ、ここひと月ってところかな? 最初に奴らと出会ったのはこいつさ」


 そう、『こいつさ』のところで後ろにいた気の弱そうな男を指さして言う。


 ホルンは、指さされた男に顔を向けて訊いた。


「相手は何人いた? 覚えている限りでいいから、詳しく話してくれないかな」


 すると男は、首を振って小さな声で言う。


「話して何になるんだい? やつらは少なくとも50人はいたし、何重もの柵を巡らした山砦にいる。テーランから討伐に出た軍団も、奴らを捕まえられなかったんだ……まさかあんたらが奴らを討伐するなんて、冗談でも言わないよな?」


 するとホルンは、ニコリと笑って言った。


「残念だけれど、私はこんな話を聞いて見て見ぬフリができない質なんだ。私はホルン・ファランドール、槍遣いの用心棒で、こちらは私の相棒、『餓狼のガルム』さ」


 その名乗りを聞いて、若者たちはどよめいた。ホルン・ファランドールの名も『餓狼のガルム』の噂も、彼らはよく聞き知っていたのだ。


「あんた……いや失礼、あなたたちは本当にホルンさんとガルムさんなんですか? だったらちょうどいい、奴らのせいで俺たちの商売も上がったりなんだ。討伐してくれないかい」


 どうやら若者たちは、山越えでの物資運送を商売としていて、山賊のせいでここひと月、旅人も絶えたうえに物資の輸送もできず困っていたらしい。若者たちのリーダー格らしい青年が、ホルンにそう依頼してきた。


 ホルンはガルムをチラッと見た。ガルムはリーダー格の若者に訊く。


「その仕事、交易会館で用心棒への依頼として申し込んでいるか?」


 すると若者は首を振った。


「テーランの軍司令部から止められているんだ。自分たちがちゃんと処理するから、用心棒に頼む必要はないって言われたよ。そう言いながら毎回軍団の出撃は空振りだから、何も解決しないのさ」


「……軍司令部の面子ってやつですね。その意気は良しとしても、抜本的な解決までには至っていないみたいですな」


 ガルムが言うのに、ホルンは唇を歪めて


「相手は山賊、山岳戦では一日の長があるし、自分たちの縄張りだから隅々まで知っているはずだよ。きっと軍団が出張ってきたら山の奥深くに隠れ、軍団がいなくなったら元どおり砦に戻ってやりたい放題ってことだろうね」


 そう言うと、小さくつぶやいた。


「まったく、リョーカやカンネーの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ」


 そしてホルンは、若者たちに顔を向けて言った。


「交易会館に依頼した場合の値段で、その仕事引き受けるよ。仕事にかかる前に、いろいろと話を聞かせておくれ。そしたら私たちの作戦も立てやすいってもんだからね」




「……ホルンさん、この仕事はちょっと胡散臭いと思わないかい?」


 若者たちから聞いた山賊の砦に向かいながら、ガルムがそう言う。ホルンもうなずいて


「ああ、あいつらはきっと山賊の手先だろうよ。私たちみたいなお節介な連中を罠にはめるためのね?」


 そう、さらりと言った。


 ガルムはくすくす笑いながら、


「ふふっ、まあそんなことだと思いましたがね? で、どうされるつもりです?」


 そう楽しそうに訊くと、ホルンはそっけなく答えた。


「山賊は討伐して、あいつらも司直に突き出すしかないね。そして報酬は何もなし……ってオチさ」


「俺たちは骨折り損のくたびれもうけってわけですな? ホルンさんとこの商売していたら、たまにはそんな目もあるってことで、俺は慣れっこになっちまいましたがね?」


 ガルムがおどけて言うが、ふと真面目な顔に戻って訊く。


「ところでホルンさん、いつあいつらのウソに気付きました?」


 ホルンはニコリとして答えた。


「最初からだよ。あいつらの後ろには輸送用の背負子しょいこや荷車があったけれど、誰一人肩にタコをこさえたヤツはいなかったし、荷車の車軸受けには錆が浮いていたし、車輪近くにはわだちが残っていなかった。つまり、あの荷車はここしばらく誰も動かしていないってことさ。本当にあいつらが輸送商売をしているのなら、別のルートで商売を続けるだろう。錆が浮いている暇なんてないはずだよ」


 そう言うと、ゆっくりと『死の槍』の鞘を払いながら言う。


「あいつらは、私たちのことを砦の連中にご注進申し上げているはずさ。そろそろお出ましの時間だよ」


 ガルムもうなずいて、両手剣と楯に手を伸ばした時、若い女性の声が聞こえてきた。


「そなたら、何者だ?」


「無礼者、道を開けなさい!」


 ホルンとガルムは一瞬顔を見合わせ、そして脱兎のように駆けだした。



 山賊たちに囲まれていたのは、どちらも17・8歳の女性だった。二人とも白い生地に赤や青で幾何学的文様の刺繍が施された服を着込んでいて、金髪の女性は魔杖を構え、白髪の女性は法器を手の上に浮かせていた。


「へっへっ、麓からの連絡では()()()()()()って話だったが、二人とも妙齢の別嬪さんとは近ごろ嬉しい誤算だぜ。おい、身包み脱いでおとなしくしな。いうことを聞けば命までは取りはしないぜ」


 頭らしいひげ面の男が言うと、周りの男たちは笑い声を上げて


「そうそう、命あっての物種だよ、嬢ちゃん」


「目をつぶっておとなしくしていたら、あっという間に終わっちまうよ」


「少ーし痛いかもしれないがな」


 そんなことを言い合っている。


 白髪の女性は黒い瞳を凍えさせて男たちを眺めていたが、


「ふう、ソフィアに怖い思いをさせるわけにはいかんからな。悪いがそなたたちには眠ってもらうぞ」


 そう言うと、右手をゆっくりと前に差し出す。その掌の上で、球体の法器がぐるぐると回り始めた。


「何だ? 手品でも始めようってか?」


 山賊たちがせせら笑って白髪の女性に突進しようとした時、


 ドカッ!

「うえっ⁉」


 バムッ!

「ギエッ!」


 突然、山賊の包囲網をぶち破って、二人の男女が頭の目の前に飛び出してきた。


「誰だ、テメェらは?」


 頭が叫ぶと、銀髪で60センチほどもある穂先を持つ手槍を構えた女性が、皮肉そうに笑って言った。


「誰って、アンタが言っていた()()だよ。私はホルン・ファランドール、槍遣いさ。まだ30前の乙女をつかまえて失礼な奴だねアンタは」


 すると、両手剣を左手一本で振り回していた男が、その隣にやってきて左目を怒らせて名乗った。


「俺はアンタが言っていた()()()()さ。天下の用心棒、『餓狼のガルム』とは俺のことだ。この両手剣は歳を取らないぜ、その首で確かめてみな!」


 そう言うと、ガルムはわき目もふらずに頭へと突進する。ホルンは頭を守ろうと蝟集している男たちのど真ん中に突っ込んで、


「悪が栄えるのは一瞬だよ!」


 ぶうんと『死の槍』を振り回すと、5・6人の男たちがただ一閃で斬り伏せられた。


 白髪の女性は、ホルンたちの思わぬ加勢にあっけにとられた顔をしていたが、すぐに金髪の乙女を振り向いて


「ソフィア、天の配剤だ。そなたは手出し無用だぞ?」


 そう言うと、改めて山賊たちを見つめてつぶやいた。頭の周りではガルムとホルンが暴れており、まだ百人に近い男たちがホルンたちを押し包もうと駆け寄ってくるところだった。


「……ふむ、それでは我はあいつらを懲らしめようかな」


 白髪の女性が魔力を込めると、手の上の法器が水色の光を放ち、ホルンたちを包み込もうとしていた男たちの周りには地面から泡が湧き出て来た。


「ぐあっ!」

「うえっ⁉」


 男たちは、その泡に飲み込まれてもがき苦しみ、やがて動かなくなる。


「おのれッ!」


 頭は両手剣を大きく振りかぶり、叩きつけるように振り下ろす。


 ガインッ!


 ガルムはそれを真っ向から楯で受け止めると、


 ぶうんっ!


 ガルムの両手剣が唸りを上げて、頭の左わき腹から摺り上げるように襲い掛かる。


「くっ! がはっ!」


 頭は危うく剣そのものは避けたが、両手剣がまとった緋色の『魔力の揺らぎ』までは避けられなかった。頭は叩きつけられるような痛みを脇腹から胸にかけて感じて呻く。


「おい、勝負はついたぜ。今ならまだ助かるが、どうする?」


 ガルムが構えを解いて言うが、頭は口から血を噴き出しながら喚いた。


「バカにするな! まだ俺は参っちゃいない!」


 そう言うと、無謀にも剣を大上段に振り上げて突進してきた。ガルムは盾の陰に身を隠して、両手剣を水平にしてそれを待ち受ける。


「だあああーっ!」


 頭は畢生の力を込めて、両手剣を振り下ろす。しかし、ガルムの剣が横一文字に緋色の軌跡を描く方が早かった。


 ズバンっ!

「がっ⁉」


 頭は両手剣を振り下ろした。その剣は空を斬り、深く地面をえぐって止まる。頭は地面に突き立てた剣に寄りかかるようにして、しばらく立っていたが、


「……ぐ……」


 そう一声挙げると、ずるずると地面へと崩れ落ちた。その胸元は見事に斬り裂かれ、鮮血が噴き出していた。


「終わったようだね」


 ホルンは『死の槍』を振り回して血振りをしながらガルムに言葉を賭ける。ガルムはただニヤリとして右手を挙げた。


「さて、二人とも無事……」


 ホルンはそう言いかけて息を飲み、白髪の女性に笑いかけた。


「誰かと思ったら、アニラ殿じゃないか。これは私たちの出る幕じゃなかったね」


 するとアニラはニコリと笑って言う。


「そうでもない、そなたとは出会うべくして出会ったのだ」


 そして、後ろに控えていた乙女を紹介する。


「この娘は我の弟子で、ルーン公国の公女でもあるソフィア・ルーン。すまないが『蒼炎の魔竜騎士』よ、この娘を太陽の皇子のもとに連れて行ってはくれまいか? 我はさらに仲間を集めねばならない」


 ホルンは、ソフィアがあからさまに心配そうな顔をしたので、慌ててアニラに言った。


「ちょっと待ってくれないかい? 私は北の皇子の居場所を知らないんだよ?」


 アニラは笑って


「ソフィアに居場所は伝えておる。なに、分からなければ彼女の水晶に訊くと良い。ソフィアだって伊達に何年も我の弟子をしているわけじゃない」


 そう言うと、ホルンの言葉が終わらぬうちに姿を消した。


「あ、まだ聞きたいことがあるんだよ……って、もういなくなっちまったのかい。そんなに急ぐことはないだろうにさ」


 ホルンは苦笑して言うと、ソフィアに目を向けて、


「あなたは、アゼルスタン殿下の居場所を知っているのかい?」


 そう訊くと、ソフィアは小さな声で


「はい」


 そう答えた。声こそ小さいが、その碧眼にはさっきまでの動揺や心配の色はなく、ただアゼルスタンに会いたいという一心のようだ。


 ホルンはうなずくと、優しく笑ってソフィアに言った。


「分かった、それじゃ私たちを北の皇子様のところに案内してくれないかい?」


(『7 紅蓮の魔女』に続く)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

明日は急遽仕事が入ったので、本日アップさせていただきました。

ホルンとアゼルスタンとの縁はやはり繋がっていました。

ザールたちが掴んでいる情報をホルンはまだ知りませんが、『ただのお家騒動ではない』ということは薄々分かっているようです。

それでは、次回もお楽しみに。

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