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青き炎の魔竜騎士(ドラグーン)  作者: シベリウスP
5/18

5 忠臣の剣尖

王都で皇太子を無事、護衛隊長に引き渡したホルンたち。

昔日の戦いに関係する場所を巡っていたホルンは、魔導士アニラに出会い皇太子への助力を依頼されるのであった。

「イヴァン・パブロフが捕縛されただって?」


 王都イスファハーンの北にあるうち捨てられた古城の中で、女の声が響いた。金髪碧眼で美女の部類だが、目つきが非常に鋭く、険がある女性である。


「はい、『標的』をいぶりだす作戦を開始する直前、正体を見破られました」


 同じく金髪碧眼で、まだ子ども子どもした美男子が直立不動の態勢で答える。


 女性はその男を睨むように見て、


「ユーリー・アンドロポフ、あなたは同志が危機に陥るのを黙って見ていたのかい?」


 そう棘のある言葉を吐く。


 けれど青年はそれを気にした様子もなく、


「作戦失敗を察知されたパブロフ殿から、隊員を連れて離脱するようにとの指示がございましたので……パブロフ殿なら大丈夫だろうと思ったのです」


 そう言い訳をする。


 それを聞いてさらに何か暴言を吐こうとする女性に、水際立った美しさの男がとりなすように言う。


「イワーナ・ジリンスキー副司令官殿、私も報告を受けましたが、アンドロポフ四席魔剣士の処置は妥当だと感じています。カツコフやロシチェンコの部隊も展開を終えましたので、次の手を打った方がより早く『標的』を見つけることができるでしょう」


 それを聞いて、イワーナはフンと鼻を鳴らし、


「アンドロポフ、今度は命拾いしたわね。ではイヴァン・コルネフ魔竜剣士よ、そなたの卓越した指揮による魔剣士隊の活躍を見せてもらおうかしら」


 そう皮肉たっぷりに言うと、コルネフの隣に畏まっている灰色のフード付きマントを着た男に、声の質から変えて言う。


「ジュルコフ大魔導士、魔導士隊の展開は終わったかしら?」


 するとジュルコフは、低い声でつぶやくように答えた。


「ブルカーエフの部隊を配置しました」


「そう、『標的』を手に入れたら、私のところに持ってきて」


 イワーナはそう機嫌のいい声で笑って言う。


「御意、私は現地に参ります」


 ジュルコフは深々と身体を屈めると、その場からかき消すようにいなくなった。


 イワーナはジュルコフがいなくなった空間を見つめて微笑んでいたが、


「わが魔導士隊の頼もしさよ。それに引き換え……」


 そう言うと、冷たい瞳をコルネフたちに当てて、


「……そなたら魔剣士隊の不甲斐なさはどうなの? とても同じ『魔竜の宝玉』を授かった者たちとは思えないわね」


 そうさげすむように言うと、


「さっさと配置につきなさい! 作戦開始よ!」


 そう突き放すように言って姿を消した。




「……副司令官殿は、今日は特にご機嫌が悪かったようだな」


 イワーナが消えた後、コルネフは苦笑しながら言う。けれど若いアンドロポフは哀しそうにコルネフに訴えた。


「副司令官殿は、私たち魔戦士隊に恨みでもあるのですか? 危ない任務は我々だけに割り振って……パブロフ殿の任務も本来は魔導士隊がやるべきことじゃないですか」


「副司令官殿は魔導士上がりの指揮官だ。ポクルイシュキン司令官殿やニンフエール司令監察殿は魔剣士上がり。上層部でただ一人の魔導士だし、就任して日も浅いから、気負っておられるところもあるだろうな」


 コルネフが言うと、アンドロポフは腹に据えかねたように


「でも、副司令官殿には、前副司令官殿であるトロツキー様を暗さ……」


 そう言うが、


「それを言ってはならん! 確証がないのだ。トロツキー様は確かに不審な亡くなり方をなされた。そなたのような疑念を持っている魔剣士隊員も多い。だからこそ、確証をつかんで司令官殿に提出しなければならないのだ」


 というコルネフの言葉にさえぎられた。


 厳しいコルネフの言葉と表情に、アンドロポフは縮こまって


「すみません、軽率でした」


 そう謝る。コルネフは表情を緩めて、優しく言った。


「分かればいい。そなたは指揮官だ、確証もないことを激情に任せて部下の前で口にしないようにな。さあ、配置に就こうか」


 そう言うと、ゆっくりと古城から出て行った。


   ★ ★ ★ ★ ★


 王都イスファハーンの大通りを、一人の戦士が歩いていた。


 年の頃は25・6歳、亜麻色の髪を短く刈り込み、藍色の瞳が周囲を油断なく見つめている。総じて線が太く、ごつい感じを受けるが、決していかつい顔ではなかった。


 身に着けているものは青灰色の詰襟で胸の前に2列に金のボタンが並んだ上着と、同色のズボン。革の長靴を穿き、服の上から丈の長い熊の毛皮でできた白いチョッキを着込み、腰には太いベルトに長剣を吊っている。


 これらの装い、特に白熊のチョッキはファールス王国や隣のマウルヤ王国、ダイシン帝国で見られるようなものとはまた違った風合いのもので、この辺りではなかなか見られないものだった。


『皇太子殿下はあるお方の助力で、ある場所に匿われている。そのお方の遣いがそなたを迎えに来るだろう』


 男は、ファールス王国驃騎将軍であるガイがそう言った言葉を信じ、あれから毎日、城内をこうして歩き回っているのである。


(今日こそ、皇太子殿下を匿ってくださっている人たちからの遣いに会えるだろう)


 この男は、それを心待ちにしているのだが、もう一つ、


『バグラチオン、最後の忠告だ。『摂理の黄昏』が来るぞ、貴様も摂政殿下に忠誠を誓え』


 そう言って消えた女……ウラル帝国皇帝親衛隊『オプリーチニキ』の副司令官イワーナが言った言葉も忘れてはいなかった。


(奴らはしぶとく、ねちっこい。殿下にお会いする前に、できれば奴らを始末しておきたいところだな……)


 彼……アリョーシャ・バグラチオンはそうも思っていた。


 そんな彼の姿が、イスファハーンに紛れ込んだ『オプリーチニキ』の目に入らないわけがない。


(見つけたぞ、バグラチオンだ)


 行商人や大道芸人に姿を変えてイスファハーンの町のあちこちで網を張っている『オプリーチニキ』の魔剣士隊員たちは、バグラチオンの姿を見ると三々五々彼の後を付け回し始めた。


(ふん、やはり『オプリーチニキ』の奴らが入り込んでいたか……)


 バグラチオンは若いが、その歳で大帝国の将軍位にまで昇った男である。自分を付け回す不審な気配を感じ取ることは造作もなかった。


(奴らは大通りで俺に斬りかかるほど考えなしでもあるまい。少しからかってやるか)


 そう考えたバグラチオンの姿は、薄れるように見えなくなった。『身隠しの石』の力を発動させたのだ。


 彼は、隠形のまま脱兎のように駆けだすと、大通りから左の路地に駆け込み、今自分が走って来た道路を振り返る。何人かの大道芸人や商人が、慌ててこちらに駆けてくるのが見えた。どれも普通の身のこなしではない。


 バグラチオンは姿を現すと、駆けてくる彼らには気付かないように路地へと入る。


 尾行していた男たちは、突然バグラチオンが消えたので慌ててその場所まで駆け付けた。すると30ヤードほど先をバグラチオンが路地へと曲がるのが見えた。


「追うんだ! ここで見失っては、いつまた奴を見かけられるか分からないぞ!」


 その小集団の長らしき男が言うと、全員が路地へと駆けこむ。バグラチオンの姿が一瞬見えなくなったのは何かの錯覚だと思い込もうとしているようだった。


 ……バグラチオンには気付かれていない。


 その考えが間違っていたことを男たちが知ったのは、路地を曲がった所にバグラチオンが剣を片手に待ち受けていたことを見た時だった。そしてもう一つ、彼らには誤算があった。路地だと思っていたのは袋小路だったことだ。


「おっ⁉」


 男たちはその姿を見て立ち止まる。バグラチオンはニヤニヤ笑いながらゆっくりと男たちに近づきながら、


「俺に用があるんじゃないのか?」


 そう言うと、紫紺の瞳を輝かせて薄い黄色の『魔力の揺らぎ』を燃え立たせた。


「ひっ、退けっ!」


 隊長らしき商人がそう言った途端、


「逃すかよ?」


 バグラチオンはそうつぶやき、あっという間に男たちの反対側へと移動して


 ズバン!

「がっ!」


 商人に扮装していた隊長を斬り下げる。


「くそっ!」


 逃げ場を断たれた男たちは、手に手に剣や短剣を抜いてバグラチオンに斬りかかる。それなりの腕だったが、武芸を皇帝から見込まれて皇太子の護衛を任されたバグラチオンの敵ではなかった。


「やあーっ!」

 ヒョンッ!


 バグラチオンは、先頭の男の斬撃を左に身体を開けてかわすと、


 ドムッ!

「ぐっ!」


 剣を無造作に振り上げて、男の首を斬り裂く。


「だあっ!」

 シュッ!


 前に出ようとしていたバグラチオンを牽制するように、次の男は横殴りに剣を振り向いた。その剣先をわずか3センチほどでかわして、


「たっ!」

 ズバンっ!


 バグラチオンの剣は、男の顔面を縦に斬り裂く。


 残りの3人は、それぞれに剣を構えてじりじりと後退していく。反撃の隙を窺っているようだが、何しろ狭い路地だ。3人並んで斬りかかるほどの広さはなかった。


 バグラチオンは、ゆっくりと前進しながら言う。


「どこまで下がる気だ? 後ろは建物だぞ?」


 3人には、それは言われなくても分かっていた。しかし目の前であっという間に二人の仲間を斬り捨てたバグラチオンの腕を見て、前に出る気力すら失ってしまったのだ。


「ふん、この俺を狙うのならば、こうなる覚悟を決めておくべきだったな」


 バグラチオンは唇を歪めて言うと、


「はっ!」

 ドバン、ズシャッ、バムッ!

「あがッ!」「ぐはっ!」「あっ!」


 一息で二人を斬り伏せた。


 そして、わざと両足を斬った一人に近づくと、呻いている男の顎を剣先でくいっと上げて訊く。


「貴様たちの仲間は何人いる?」


 男は、痛みもあって悲鳴のような声で答えた。


「し、知らない。俺たちはただ、お前を襲って捕まえろとの依頼を受けただけだ」


 バグラチオンは冷たい紫紺の瞳を男に当てて、


「誰からの依頼だ?」


 そう訊くが、男は哀願するように


「し、知らないんだ。ちょうどアンタのような服を着た男たちがやって来て、俺たちの頭と話をして、前金を渡して帰って行った。そいつらも余計なことは何も言わなかったんだ。信じてくれ!」


 そう顔を歪めて言う。


「お前たちのような奴らが、イスファハーンにどのくらいいる?」


 バグラチオンが訊くと、出血で弱って来たのだろう、男は肩で息をしながら答えた。


「し、知らない。ただ、俺たちみたいに商人やらに化けている奴らは結構見かけた。正確な数は知らないが、アンタを狙っているのは50人や百人じゃないだろう……頼む、これだけしゃべったんだ、命だけは助けてくれ」


 バグラチオンは、剣に血振りをくれると鞘に納め、


「お前の運にかけてみろ」


 そう言うと、男に止めを刺さずに袋小路を出て行った。


   ★ ★ ★ ★ ★


(……ホルン様は、いつまでこうしていらっしゃるつもりだろう……)


 白い空間で目覚めたアゼルスタンは、マントにくるまって寝息を立てているホルンを眺めながらそう思った。


 ここには時間を感じさせるものは何もない。『世界』とは隔絶された空間だ。頼れるものは自分の感覚だけだが、一度眠りに落ちたアゼルスタンには、ここに案内されてどのくらいの時間が経ったか、はっきりとは分からなくなっていたのだ。


(お腹が空いてきたから、ここに来て1時間や2時間じゃないのは確かだけれど……)


 ホルンや、左側の壁にもたれて眠っているガルム、その向かい側で眠っているカンネーたちを起こそうかとアゼルスタンが迷っていると、突然、みんなが目を開けて、アゼルスタンの向かい側にある壁を見た。


「……遅かったじゃないか」


 ホルンが言うと、向かいの壁を通り抜けて、若い女性が姿を現した。灰色のボンネットに隠れて顔は見えないが、漆黒の髪を長く伸ばし、浅葱色のワンピースの下には灰色の裾の詰まったズボンを穿いている。


 彼女はすたすたとホルンの近くまで歩いて来ると、


「お久しぶりです、王女様」


 そう、透き通った声であいさつしてボンネットを脱いだ。漆黒の瞳が丸っこい目の中で優しい光を放っている。


 ホルンは、彼女を見て笑ってうなずくと、


「久しぶりだね、マルガリータ。お師匠様(ロザリア)に似て、いい魔導士になったみたいだね?」


 そう言うと、全員に彼女を紹介した。


「このお嬢さんは、マルガリータ・ルージュと言って、この国の王妃であり大魔導士でもあるロザリアの弟子だよ。先の戦いでもロザリアと共に頑張ってくれたのさ」


 そう紹介されて、マルガリータは薄く笑うと、


「過分なお言葉です……それはそうと、ガイ将軍からの伝言です。『バグラチオン将軍をイスファハーンの南方平原に呼び出しました。時刻は今日正午』とのことです」


 それを聞くと、ホルンはうなずいて立ち上がり、


「ご苦労だったね、マルガリータ。あなたが私との連絡役かい?」


 そう訊く。マルガリータは首を振り、微笑のままで答えた。


「いいえ、私はロザリア様からのご命令で、王女様の護衛として差し向けられました。そのついでにガイ将軍から伝言を言付かったのです」


「ロザリアの? その命令は取り消しだよ。王妃の命令を受けた者を連れて歩くわけにはいかない。ことによってはこの国に迷惑がかかるからね」


 ホルンが言うと、マルガリータは再び首を振り、


「それは王女様の認識違いです。私は師匠から言われてここに来ました。決して王妃様からご命令を賜ったわけではございません」


 そう言うと、急かすように言う。


「待ち合い場所には私がご案内いたします。ガイ将軍も表立って動くわけにはいかないそうですので」


 ホルンは、難しい顔でマルガリータを見つめていたが、腕組みを解いてアゼルスタンを見ると言った。


「……まあいい、バグラチオン将軍とこの子を無事に会わせると言うのが約束だったからね。アゼルスタン殿、準備はそれでいいかい?」


 アゼルスタンも立ち上がってうなずく。その彼を見てマルガリータは、


「皇太子殿下には正式な御身分でバグラチオン将軍にお会いしていただく必要がございます。お着替えをお持ちしていますので、隣の空間でお着替えください」


 そう言うと、虚空からウラル帝国の服を一式取り出してアゼルスタンに手渡す。アゼルスタンはうなずいて、服を抱えて隣の空間へと消えた。


「……ずいぶんと手回しがいいね。さすがはジュチと共に智謀を謳われたロザリアだよ」


 ホルンが言うと、カンネーが不思議そうに訊く。


「あの坊やは、その何とかって将軍に引き渡すまで女装のままがいいんじゃないですか?」


 するとホルンは首を振って答えた。


「バグラチオン将軍は始終『オプリーチニキ』から見張られている。アゼルスタン殿を女装のままで会わせたりしたら、奴らに見られた時、今後その手が使えなくなるじゃないか。ロザリアはそこを見越して服を持たせたんだと思うよ」


 そしてマルガリータに訊いた。


「マルガリータ、イスファハーンに入り込んだ『オプリーチニキ』たちの動向は分かっていないんだろう?」


 マルガリータはうなずいて、


「はい。彼らに雇われてバグラチオン将軍に張り付いている者たちは、ジュチ様やガイ将軍の手によってほぼ一掃されましたが、彼らを雇ったおおもとの人間はまだ誰も捕まえていないそうです」


 そう答えた。


 ホルンはそれを聞くと、鼻にしわを寄せてニヤリと笑い、ガルムやカンネーたちを振り向いて言った。


「聞いたかい? どうやら現場では一波乱ありそうだ。みんな、ひと暴れするつもりでいておくれよ?」


   ★ ★ ★ ★ ★


「……遂に殿下とお会いすることができる」


 バグラチオンは、イスファハーンの大通りを南に急ぎながら、小さな声でそうつぶやく。



 路地で5人の尾行者を始末したバグラチオンは、とりあえず自分の部屋に戻った。


 もちろん、まだ尾行の気配は消えていなかったが、自分をつけ狙っているのが『オプリーチニキ』ではなく、彼らに雇われた者たちばかりと知った今は、それを気にする必要はないと判断していたのだ。


『やあ、キミがバグラチオン将軍かい? なるほど、いい腕を持っているみたいだ』


 バグラチオンが部屋に入ると、金髪碧眼で水も滴るような美男子が、人懐っこい笑いを浮かべて彼に問いかけてきた。


『何者だ⁉』


 思わずバグラチオンが剣に手をかけて言うと、美男子はニコニコ笑いながら、彼が思いもよらない名前を名乗った。


『ボクはジュチ・ボルジギン、世界で最も高貴にして有能なハイエルフだ。今日はキミに大切なお方の消息を知らせに来た』


『ジュチ・ボルジギン……この国の大宰相殿ですか⁉ これは失礼いたしました』


 バグラチオンは、目の前のジュチがニコニコしながらも恐るべき量と質の魔力をその身にまとっているのを見抜き、即座にジュチを信じた。


 ジュチはうなずきながら、


『ふん、ボクの魔力が見えるんだね? だとしたらキミは見どころがある。ボクの言葉を疑わなかったことは褒めてあげるよ』


 そう、機嫌よく言うと、


『早速だが、今日の正午、キミの大切な人がイスファハーンの南の平原においでなる。そこで君臣の再会としゃれこむといい。ボクのトモダチを案内に残すから、その後を追っていけばいい』


 右手から淡く翠色に光るアゲハチョウを出して、ジュチはそう言った。


『……ありがたい仰せですが、私は『オプリーチニキ』から見張られています。だだっ広いところで殿下ともども彼らに囲まれては……』


 バグラチオンがそう言いかけると、ジュチはうなずいて続けた。


『当然の心配だね。もろちん、ボクたちもそれは知っている。けれどキミの大事な人の側には、そんじょそこらの魔戦士や魔導士が束になって掛かっても敵わないお方がついている。そこは心配せずに、安心して大事なお方を引き取りたまえ』


 そう言うと、アゲハチョウをその場に残したまま、パッと光の粒子が弾けるように姿を消した。



「……もうすぐ、南門だな」


 バグラチオンは、前後左右から感じる視線を無視して、南門からイスファハーンの郊外へと出た。気が付くと彼が感じていた視線は消え、その代わり今までとは比べ物にならぬくらいの魔力が感じられるようになってきた。


「いよいよ、『オプリーチニキ』のご登場か」


 彼が感じている魔力の主たちは、全部で二つの集団となっているようだった。左右から感じるということは、彼らにその気があれば即座に自分を包囲できるということでもある。


(罠ではないか? ……しかしあの魔力、そして姿は確かにエルフだった。この国の大宰相自らが俺をペテンにかけるってことはないはずだ)


 バグラチオンは、一瞬浮かんだ疑惑を、そう考えて振り払った。本当に皇太子殿下と会えるのであれば、その後何が起ころうと、自分は皇太子殿下を護るだけだ……そう思い直したのだ。


 バグラチオンは、目の前に自分を誘導するように飛んでいるアゲハチョウの後を力強い足取りで歩きながら、イスファハーンから南下する街道を歩いて行った。



「バグラチオンが動きました。恐らく今度こそ『標的』のもとに向かっているものと思われます」


 イスファハーンの北側一角にある古びた建物に、灰色のマントを着た人物が音もなく入ってくると、広い室内にいた男たちにそう告げた。


「アンドロポフ四席魔剣士、そなたがそう感じた理由を聞こう」


 部屋の隅にいた、左目の下に刀傷がある男がそう言うと、アンドロポフは敬礼して答える。


「はい、バグラチオンはイスファハーンの大通りを真っ直ぐ南に向かっています。今までは当てもなく城内をさまようような歩き方でしたが、今回ははっきり目的がある歩き方をしています」


 それを聞いて、部屋の左端にいた、落ち着いた雰囲気の隊長が、最初に質問した男に言う。


「カツコフ先任魔剣士殿、これはバグラチオンが我らを誘っているのではないでしょうか。本当に『標的』のもとに行くのなら、我らの見張りを警戒して、もっと隠密に行動するのではないでしょうか? 彼は帝国でも名の通った魔剣士、ブルカーエフ殿の魔力を感じ取ることはそう難事ではないはずです」


 それを聞いて、カツコフはアンドロポフに言う。


「アンドロポフ、私もパーヴェル・ロシチェンコ次席魔剣士と同じことを心配している。ブルカーエフが雇った者たちを易々と返り討ちにする男だ、用心に越したことはない」


「しかし隊長殿、バグラチオンは機転がきく男とも聞きます。『標的のもとを目指すならもっと隠密に行動するはず』という私たちの心理を逆手に取っているのかも知れません。ここで私たちが手を拱いていたら、副司令官殿が何と言われるか分かりません」


 アンドロポフがそう言って出撃を乞うが、カツコフはニコリと笑って言った。


「ジリンスキー副司令官には、好きなことを言わせておくといい。それに私たちはコルネフ魔竜剣士様から、『活動範囲はイスファハーンの中に限る』との厳命も受けている。ここはブルカーエフ殿の部隊に任せよう」



 その30分ほど前、魔導士部隊を率いたマキシム・ブルカーエフは、


「バグラチオンの行動はいつもと違っている。『標的』のところに向かっているのかも知れん。全員、彼に気付かれないように彼の後を追え」


 そう、配下の魔導士たちに命令を出し、自らも4人ほどの部下を伴ってバグラチオンの尾行を開始していた。


「ブルカーエフ様、今日に限ってヤツは一直線に南に向かっていますね?」


 部下の一人が言うと、ブルカーエフもひげを引っ張りながら


「うむ、今朝までは城内を当てもなくうろつくだけだったが、行動パターンを変えるには唐突過ぎるな」


 そうつぶやく。


「私たちの存在が邪魔になるので、おびき出して叩こうって腹じゃないですかね?」


 別の部下が言うと、ブルカーエフはその言葉にもうなずいて、


「そうも考えられるな。一応、その線も頭に入れて、『標的』を確認するまでは手出しを禁じると他の班にも伝えておけ」


 そう命令を下す。


 やがてバグラチオンはイスファハーンの城壁を抜け、南の平原へと出て行く。


「どこまで行くつもりですかね?」


「まさか『標的』はすでにファールス王国南部まで行ってしまっているとでもいうのか?」


 ブルカーエフたちに疑心暗鬼が萌した時、突然バグラチオンの姿が消えた。


「消えた?」


「まさか、奴は何をしたんだ?」


 ブルカーエフの部下たち、特にバグラチオンに最も近づいていたミハイル・フルーコフの班は、思わず駆け出してしまった。


「待て、落ち着け!」


 後ろから続いていたユベンスキーがそう叫ぶが、彼の班員たちもフルーコフ班を見て駆け出したため、慌てて部下の後を追った。


「……いない、魔力の残滓すら見えない……」


 バグラチオンが姿を消した地点まで来たフルーコフは、すぐに魔力視覚で周囲を観察するが、不思議なことにあれほどの魔剣士であるバグラチオンの魔力の尻尾すら捉えることができなかった。


「フルーコフ、ユベンスキー、奴はどうした?」


 遅れてやって来たブルカーエフからそう聞かれても、


「バグラチオンは消えました。魔力の残滓すら残っていません。不思議なことです」


 そう答えるのがやっとだった。


「……確かに奴はバグラチオンだったのだな?」


 ブルカーエフが訊くと、最初にバグラチオンを見つけた班員が前に出てきて、


「はい、確かに本人です。誰かがヤツのフリをしていたとは考えられません」


 そうキッパリと言う。


「ふーむ、魔力を使って作ったコピーとも考えにくいし、そもそも奴は魔剣士だから、そんな手の込んだ術式を使うとも考えにくい」


 考え込むブルカーエフの周囲に、彼の部隊全員が集まった。その時である。


「ウラルから来た招かれざる客よ、探し人は見つかったかい?」


 そんな声が空から聞こえたのは。


「誰だっ⁉」


 ブルカーエフは反射的に魔杖ワンドを握りしめて空中を見上げ、そして絶句した。


 いや、それは彼の部下全員がそうであった。空中には体長15メートルもあるシュバルツドラゴンが翼を広げて滞空し、その琥珀色の瞳で彼らを睨んでいる。


 そして、その背中には、銀の髪を長く伸ばした女性が、槍を携えて翠色の瞳で彼らを見つめていた。


「あれは、ジュルコフ様がおっしゃった、謎の女槍遣いに違いない」


 ブルカーエフがやっとそのことに思い当たった時、その女性は高笑いと共に言った。


「はっはっはっ、何千マイルもの旅の終わりがこれじゃ気の毒だけれど、コソコソと王都で何かされても困るんだ。ブリュンヒルデ、やっちまいな!」


『はい、ホルン様』


 シュバルツドラゴンは一声咆哮すると、その口から灼熱のファイアブレスを噴き出した。



 そのころ、少し南にあるくぼ地では、アゼルスタンを護衛したガルムとカンネーたちがバグラチオンと向かい合っていた。


「殿下、よくぞご無事で!」


 バグラチオンは、ニコニコとしているアゼルスタンの顔を見るなり、脱兎のごとく駆けてきてその膝下にひざまずいた。


「心配かけたな、バグラチオン。途中で『オプリーチニキ』の奴らに捕まりかけたが、ホルン様たちのおかげで無事、そなたに会えた」


 アゼルスタンが言うと、バグラチオンはひどく驚いた顔で


「なんと! 私が一緒にいたらそのような目には一刻たりともあわせはしなかったものを……アニラ殿の言に従ったばかりに……」


 そう言って唇をかむ。


 しかしアゼルスタンは首を振って諭すように言った。


「アニラ殿のことを悪く言うものではない。彼女は真剣に僕のことを考えて言ってくれたのだ。それに、その言葉に従ったのは僕の意思でもある。そこを間違えてはいけない」


 それを聞いて、バグラチオンは頭を下げ、


「はい、殿下のお言葉、肝に銘じておきます。それで後ろの方々は?」


 そう訊く。アゼルスタンは笑顔と共にガルムたちを振り返り、


「こちらの方々は、ホルン様のご家来でガルム殿、そしてカンネー殿とその仲間だ。彼らにはとても世話になった。そなたとも同じ武人として肝胆相照らすものがあるだろう、お近づきになっておくがいい」


 そう言うと、アゼルスタンの右後ろにいた体格のいい中年の男が、左目を光らせて名乗った。


「俺は天下の用心棒、『餓狼のガルム』ことガルム・イェーガーだ。バグラチオン将軍の名は俺が前将軍だった時から聞こえていた。お会いできて光栄だ」


 続いて、左後ろにいた茶髪に碧眼の男が名乗った。ガルムほど体格には恵まれていなかったが、一見して歴戦の戦士だと分かる身のこなしだった。


「俺はカンネー・イレーサー。元王国軍兵士だが辺境で自警団をやっていた者です。こちらの二人、アズライールとディーンはその時以来の部下であり戦友でもあります。以後よろしいお願いします」


 二人の名乗りを受けて、バグラチオンも立ち上がって優雅なしぐさで名乗った。


「これはご丁寧に……私はアリョーシャ・バグラチオン。ウラル皇帝陛下から皇太子殿下の護衛隊長を仰せつかっている若輩者です。こちらこそよろしくご指導をお願い致します」


 そう言い合っているところに、シュバルツドラゴンが現れた。


「やっ、魔物か!」


 バグラチオンが剣に手をかけた時、ガルムがニヤリと笑って言った。


「心配しなさんな。アイツはホルン様の仲間のシュバルツドラゴンだ」


 バグラチオンは空を見上げて不思議そうに訊く。


「ホルン様? シュバルツドラゴンが仲間?」


 その言葉に、空中から


「そうだよ、ブリュンヒルデは私の仲間さ。そんなに驚かなくたっていいよ」


 そう言う声と共に、サッとシュバルツドラゴンの背中から身を躍らせた女性がいる。


「おおっ!」


 バグラチオンが驚く中、その女性は彼らから10ヤードほどのところに見事に着地した。身長は168センチ程度と女性にしては高く、銀の長い髪に金でできた精巧な彫り物のある髪留めをしている。


 その瞳は翠であり、白い顔には額から右頬にかけて斜めに傷がついていた。


 彼女は、穂先が60センチはある手槍を身体の横に立てて、クスリと笑って名乗った。


「名乗り遅れて失礼するよ。私はホルン・ファランドール。この国で用心棒をやっているんだが、おたくの皇太子ツァレーヴィッチ殿下が何者かに襲われているのをたまたま見かけてね? ちょっとした縁ってやつかね?」


 バグラチオンには、『ホルン・ファランドール』という名に聞き覚えがあった。今から3年ほど前、ファールス王国は大きな戦乱に見舞われたが、その戦乱を収め、王国に新たな秩序と平和をもたらした女性がいた……そのお方の名は……。


 それを思い出すと、バグラチオンは再びサッとひざまずいた。自分の今の身分では到底親しく話をすることはかなわぬほどのお方だと気が付いたのだ。


 それを見て、ホルンは優しい声で君臣の二人に言った。


「改まる必要はないよ。私と殿下が出会ったのも何かの縁だ……私はそこに運命の計らいを感じたから、殿下に手を貸そうと申し出た。でも殿下はそれを断られたので、せめてもの力添えとしてここまで護衛をしてきただけさ。幸い殿下もそなたと無事に合流できたことだし、約束どおり私はここでお別れするよ」


 そして歩き出そうとしてふと立ち止まり、


「そうそう、殿下たちとのことは、死ぬまで口外しないから安心しておくれ。じゃ、アゼルスタン殿下、後はあなたの運命と能力次第だ。詳しくは知らないが、あなたの抱えているものはあなた一人のものではない気がしている。そうだとしたら、決して生きることを諦めちゃいけないよ。でないとその剣を抜くことは決してできないからね」


 そうニコリと笑うと、再び振り返りもせずに歩き出した。


「殿下、あなたはいい目をしている。きっといい皇帝になるだろう。自分と仲間たちを信じて、行くべき道を行けばいい。縁があったらまた会おうぜ」


 ガルムもそう言うと、


「カンネー、行こうぜ」


 彼もまた、ホルンを追って速足で歩きだした。


 最後に残ったカンネーは、人懐っこい笑顔でアゼルスタンに言った。


「クリスタ、お前、結構美人だったぜ。どんなことをしても生き延びて、自らの運命をつかみ取るんだぜ」


 そう言うと、アズライールとディーンを連れて歩き去った。


 君臣の二人は、ホルンたちの姿が見えなくなるまで頭を下げていた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ホルンたちと別れたアゼルスタンたちは、その足でイスファハーンを離れ、北方の軍事拠点テーランを目指すことにした。バグラチオンの隠れ家はすでに『オプリーチニキ』たちに知られてしまっている。


 『オプリーチニキ』は、その魔導士たちの一部が壊滅させられたことを知れば、全力を挙げて自分たちに襲い掛かってくるだろう。それを逃れるためには、イスファハーンをできるだけ早く離れるに越したことはない。


「アダーシェフ様の指示で、テーランには武器と装備が送られてきているはずです。そしてイヴデリ公の専横を快く思っていない者たちも、テーランに集まることになっています」


 バグラチオンはそう説明し、アゼルスタンに心の準備を促す。


「僕の心は、エリンスブルクを出た時から固まっている。それより計画に齟齬が出ないようにしっかり頼むぞ」


 アゼルスタンは笑ってそう答えた。


 けれど、アゼルスタンには一つだけ、大事なことを見落としているような気がしてならなかった。


(アニラ様が言われた、『蒼炎の魔竜騎士ドラグーン』とは、いったい誰のことなんだ? アニラ殿の話では、僕はイスファハーンに来る前には彼と出会っているはずなのだが……)


 アゼルスタンが考え込んでいるのを見て、バグラチオンもうなずいて


「殿下、アニラ殿の言葉を私なりに解釈しましたが、『蒼炎の魔竜騎士』とは、ホルン陛下のことではないかと思います」


 そうズバリと言った。


 アゼルスタンは、びっくりした目で彼を見て、


「バカなことを言うのではない。相手は今でこそ用心棒をなされているが、この国の女王を務められたほどのお方だぞ? そなたはどうしてそう思うのだ?」


 そう訊く。


 バグラチオンは、紫紺の瞳でアゼルスタンを見て答えた。


「私がこう言うと不遜に聞こえるかもしれませんが、ホルン様は現在を大事にされるお方だと拝察しました。彼女は運命の変転の中で、自分のなすべきことをなし終えたために王位を『白髪の英傑』に譲られたのでしょう。彼女が国王であったことを気にする必要はないと思います」


 それを聞いて、アゼルスタンは血相を変えて言った。


「何を言う、バグラチオン。ホルン殿がそう思われていても、彼女がファールス国王であった事実は未来永劫変わらぬし、その経歴故に彼女に対してはそれなりの敬意と待遇があらねばならない。彼女を仲間にするためにいろいろとこじつけるのは止めよ。それに僕は、我が国のことは我が国の人士で決着をつけるべきだと思っている」


 しかし、バグラチオンは譲らない。相手は国の実権を握り、大貴族たちの支持を受け、そして民衆はそんな権力闘争には無関心である。皇帝親衛隊である『オプリーチニキ』すら、相手の意のままになっている今は、一人でも力のある仲間がほしかった。


「殿下のお気持ちは判ります。しかし、ホルン様がシュバルツドラゴンから降りて来られた時、私はホルン様こそアニラ殿の言う『蒼炎の魔竜騎士』であると確信したのです。今の世の中、『竜騎士』と言いながらドラゴンを従えられる者がどれだけいるでしょうか? アニラ殿はホルン様が殿下を助けるように、殿下をキルギス街道へと連れて行かれたのだと思います。これは運命だとお思いになりませんか?」


 アゼルスタンの脳裏には、チラリとガルムのことがよぎった。彼もまた、ホルンと同様に経験豊富で腕の立つ用心棒であり、ホルンからも信頼されている様子がうかがわれたからだ。けれど、『魔力の揺らぎ』を見ることができるアゼルスタンは、彼の『魔力の揺らぎ』は真紅だったことを思い出した。『蒼炎の魔竜騎士』というからには、ホルンの緑青色の『魔力の揺らぎ』こそ、それには相応しい。


(バグラチオンが言うとおり、ホルン様がアニラ殿の言う『蒼炎の魔竜騎士』かもしれぬ。しかし、彼女が女王だったからこそ、帝国の軋轢には首を突っ込んでいただくわけにはいけない)


 アゼルスタンはそう心に決めると、バグラチオンに厳しい瞳を当てて言った。


「バグラチオン、僕は運命の計らいに任せることにする。ホルン様が僕たちを助けてくれる運命であれば、僕の決意如何に関わらず物事は進むだろう……まずはテーランに参り、仲間を集めて物資を受け取ろう」


 バグラチオンはなおも何かを言いかけたが、


「……僕も天下のために立ち上がるのだ。運命が導くのであれば、それに逆らう理由はない」


 アゼルスタンの言葉を聞いて、


「分かりました。まずはテーランに参りましょう」


 そううなずいたのだった。




 テーランの町は王都イスファハーンの北にあり、『蒼の海』とはアルボルズ山脈で隔たっている。


 古くからの町でもあり、第9軍が駐屯する軍都であると同時に、王国の中央北方の交通や物流、産業の中心でもあった。平和を取り戻したファールス王国は、年々外国との商取引が従来の賑わいを取り戻しつつあったが、王都を始めサマルカンドやカンダハール、そしてここテーランなどの主要な都市では、すでに20数年前の賑わいに匹敵する復興ぶりを見せていた。


「ふーん、2年の間にここまで復興するとはね。人間のたくましさってやつかね?」


 町の人々でごった返すメインストリートで、ホルンがそうつぶやく。


「まあ、ザッハークの時代でも、辺境で暮らす人々はいましたからね。たくましいと言えばそうですね」


 その少し後ろを歩くガルムも、油断なく人混みを眺めながら言う。


「ところでどうしてテーランに? 仕事ならせっかくイスファハーンに立ち寄ったんだから、王都の交易会館で探したってよかったでしょうに?」


 ガルムが訊くと、ホルンは


「別に仕事を探しているわけじゃないよ。カンネーたちもトルクスタン侯国に戻ったし、マルガリータもロザリアに首尾を復命しているころだろう。久しぶりにこの国に戻ったから、あの戦いに関係がある場所を見てみたくてね?」


 そう答える。ガルムはうなずいて、


「なるほど。だから平坦な南から街道に出るんじゃなくて、わざわざ峠越えをしたってわけですね? あそこはホルンさんたち『6英傑』が『七つの枝の聖騎士団』の連中と手合わせしたところだと聞きましたが」


 そう言う。ホルンは遠い目をしてうなずくと、


「ああ、ガイもロザリアもリディアもジュチも、そしてザールも頑張ってくれたよ。特にザールは思い入れが深いだろうね」


 そう、懐かしさが混じった声で言う。


 『七つの枝の聖騎士団』とは、まだザッハークが王位にあったころ、彼の腹心であったパラドキシアという女傑子飼いの魔導士たちで、『一人で百万人に匹敵する』と謳われた戦士たちである。ホルンはその副団長たる『嘆きのグリーフ』と、そしてザールは団長である『怒りのアイラ』と、互いの存在を賭けた激闘を交えた。


(その戦いにしても、その後の女神アルベドや終末竜アンティマトルとの戦いに比べたら、物の数ではなかったけれどね……)


 ホルンはそう思い、自分を女神ホルンとして覚醒させてくれたゾフィー・マールのことを懐かしく思い出した。


(ゾフィー殿には、ザールが記憶を無くした時も世話になったね……一度、ダマ・シスカスの神聖生誕教団本部に立ち寄ってみるかな。法王様にもお会いしたいし)


「……さん、ホルンさん」


 とりとめのない考え事をしていたホルンの耳に、ガルムの声が飛び込んできた。少しの緊張とあふれる好奇心が詰まったその声に、ホルンはすぐに我に返って、


「どうしたんだいガルムさん、何か面白いものでも見つけたかい?」


 そう訊くと、ガルムは左目を輝かせてうなずき、身振りで20ヤードほど先の露店を示して、


「……ホルンさん、あの露店をのぞき込んでいる娘、どう思う?」


 そう、低い声で訊いた。


 ホルンは言われた方向にゆっくりと視線を向ける。何の変哲もない露店があり、その店先に積まれた野菜や果物を、一人の娘がのぞき込んでいた。


 その乙女は、身長150センチほどで、17・8歳だろうか。次々と野菜などをその手に取り、商人と何やら話しながら品定めしている。その表情は豊かで、白い生地に赤や黒で幾何学的な模様が刺しゅうされた厚手のワンピースを着込み、その下にはキルティングの裾の詰まったズボンを穿いている。


 しかし、何よりも特徴的だったのは、その頭髪が真っ白く、そして身体の周りに人間とは思えないほどの『魔力の揺らぎ』が揺蕩っていたことだった。


「……ルーン公国辺りの服を着ているね。とてつもない魔力を秘めているところを見ると、ただの娘っ子じゃないようだね」


 ホルンはそう言いながら、すたすたとその乙女の方へと歩いていく。


「お、おい、ホルンさん。素性が分からない娘に無暗に近づかないでくれ」


 ガルムが慌ててホルンを追いかけて言う。けれどホルンは首を振った。


「あの魔力には禍々しさがない。見ていて心が安らぐ優しい光だ。あんな魔力を持つ人間が悪いヤツのはずがないさ」


 そう言いながら、娘の5ヤードほどまで近づいた時、不意にその娘はホルンの方を向いて、ニッコリと笑って言った。


「……来られたな、『蒼炎の魔竜騎士』よ。少し話があるのだが、時間をいただくわけにはいかんかな?」


   ★ ★ ★ ★ ★


「ブルカーエフ隊が全滅だって⁉」


 イスファハーンの郊外にある古びた家の中で、金髪碧眼の美女が険のある目を怒らせて叫んだ。その前に膝まずいた灰色のマントに身を包み、二本の角と一つ目という怪しげなマスクをかぶった男が、くぐもった声で答えた。


「はい、バグラチオンを尾行中、突如として魔力が消えました。彼の班員も同時に魔力を消していますから、おそらくあっという間に全滅させられたものと思います」


「確かここではカツコフ先任魔剣士が魔剣士隊の指揮を執っていたね? そのときカツコフ、お前たちはどうしていたんだい⁉」


 彼女はそう叫び、怒りの表情でマントの男の隣にひざまずく戦士を見つめた。


 右目の下に刀傷があるが眉目秀麗と言ってもいいカツコフは、


「バグラチオンは城壁の外に出ました。私たちは命令で城下を離れるわけにはいかなかったのです」


 そう答えた。


 仲間の死に微塵も感情を動かしていないカツコフを見て、女性は


「命令順守にもほどがあるよ! バグラチオンなら『標的』の持ち主に会いに行ったんじゃないのかい? なぜお前たちは出撃しなかった?」


 そう、青筋を立てて喚いた。


 だが、カツコフはあくまでも静かに答える。


「バグラチオンが城壁の外に出たのは初めてです。彼ほどの魔剣士なら、私たちの存在に気が付かないはずがございません。私たちは、彼の動きから罠を仕掛けていると見て、追跡を打ち切ったのです」


 落ち着き払った彼の様子に、遂に堪忍袋の緒が切れたのか、


「あんたたち魔剣士隊は本当に役立たずだね! ブルカーエフと力を合わせていれば、少なくともバグラチオンの目的は分かったはずだよ! 仲間が窮地に陥っても高みの見物とは恐れ入ったよ。このことはポクルイシュキン司令官殿にも報告しておくから、覚悟しておくといい!」


 そう、カツコフを憎しみの眼差しで見て叫んだ。


 そこに、仮面の魔導士が静かに訊く。落ち着いて、冷静な声だった。


「……ジリンスキー副司令官殿、まずはバグラチオンを探さねばなりません。次のご指示をお願いいたします」


 その声に、ジリンスキーは怒りを鎮め、仮面の男に上機嫌で言った。


「うむ、そなたはいつも冷静で頼りになるわね。ジュルコフ、ブルカーエフは残念な結果となったが、そなたが指揮を執ってバグラチオンのそっ首を私のもとに持っておいで」


 そして、カツコフにはむさい物を見るような目つきで言い放った。


「何をしている? そなたたち魔剣士隊にはもう期待をせぬ。早くコルネフのもとに戻り、今回の件のご沙汰を首を洗って待っておれ!」


 そう言うと、転移魔法陣を描いて消えて言った。


「……副司令官殿は激情家、いつものことだ。気にするな」


 唇をかんでいるカツコフに、ジュルコフは慰めるように、


「私も今回の件は、魔剣士隊にコルネフから活動範囲制限の命令が出ていることは知っていた。それをブルカーエフに注意しなかった私の落ち度でもある。コルネフの命令はポクルイシュキン司令官殿も了承されている。そなたたち魔剣士隊が出撃できなかったことは仕方ないとお考え下さるだろう」


 そう言うと立ち上がり、


「そなたたち魔剣士隊は、われわれ『オプリーチニキ』の表の顔。副司令官殿が何と言おうが、私は魔剣士隊には期待している。次の作戦もよろしく頼むぞ」


 そう言うと、彼も転移魔法陣を描いて消えていった。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ここは、『蒼の海』の北岸にあるアクキスタウという村である。


 ホルンとガルムは、テーランの町で見かけた魔力が強い少女に近づくと、その少女はニッコリ笑ってこう言った。


「待っていたぞ、『蒼炎の魔竜騎士』。少し話があるので時間をいただいても構わないか?」


 ホルンが翠の瞳を持つ目を細めて不思議そうに訊く。


「『蒼炎の魔竜騎士』? 誰かと人違いしていないかい?」


 すると娘は首を振り、天を指して言う。


「我にはあのシュバルツドラゴンが見えておるぞ? そなたはこの国の女王だったホルン・ジュエル殿ではないか?」


 ホルンはうなずいて


「ああ、そうだけれど、その様子じゃ私を誰かと人違いしているようじゃなさそうだね? ぶしつけだが、あなたの名前を聞かせてくれないかい?」


 そう訊いた。


 娘はうなずくと、笑いながら名乗った。


「我は名乗るほどの者じゃないぞ。ゾフィー殿やアルテマ殿と比べたらまだ子どもだ。我はルーン公国のアニラ、アニラ・シリヴェストルと言う者だ」


 それを聞いてホルンは慌てた。アニラ・シリヴェストルと言えば、トリスタン侯国公認の魔女であったゾフィー・マール、レズバンシャールの魔女ことアルテマ・フェーズとともに希代の魔女と呼ばれた大魔導士だったからだ。


「これは……知らぬこととは言え失礼いたしました。それで、私に何のご用事ですか?」


 珍しく狼狽するホルンを見て、アニラは笑って


「ふっふっ、さすがに育ちの良さがこんな所で出てくるな。過ちを正すに躊躇せぬあたり、さすがそなたは『摂理の申し子』だな、ホルン殿」


 そう言うと、


「ま、道端での立ち話もなんじゃ。わが家でゆっくり話を聞いていただきたいな。『蒼の海』を渡る風が優しい詩を紡ぐいいところだから、気に入っていただけると思うぞ?」


 と、二人を転移魔法陣でアクキスタウの村へと連れて来たのである。


「話とは何でしょうか?」


 アニラの一風変わった家に入り、椅子に腰かけたところでホルンが訊く。ガルムはホルンの後ろに佇立していた。


「まあ、少し落ち着け。今茶を煮るから、ゆっくりと目を閉じて『蒼の海』を渡る風のささやきでも聴いているといい」


 アニラは、土間に降りてかまどに火を熾しながら言う。ホルンは呆れた顔でガルムを振り向いた。ガルムは左目を閉じて風の音に耳を澄ましていた。


「……騒乱の哀しみか……」


 ガルムがつぶやくと、アニラは振り向いてうなずく。


「おお、そのとおりだ。そちらのお供は武辺者かと思っていたが、結構繊細な心的構造をしているようだな。さすがはホルン殿のお供と言ったところかな?」


 そう言うと、紅茶を陶器のポッドに移し替えて、ホルンたちが座るテーブルによっこらしょと置いた。


「茶はいいものだ。気持ちがのびやかになる。そちらのお供も席に着くといい」


 アニラはそう言ってガルムにも紅茶を勧めた。


 そしてホルンを見て訊く。


「すでにホルン殿はあの子に会われたようだが、どれくらいまであの子の事情をご存知かな?」


 ホルンは薄く笑って答えた。


「あの子は私の協力はいらないってさ。いい覚悟だったが、まだ背伸びしている感じがするね。詳しい事情は何も言わなかったよ」


「ふむ、あれほどあの子には『蒼炎の魔竜騎士』の協力を得よと言っておいたのだが……ホルン殿はあの子の置かれた状況をどう感じたかな?」


 腕を組んでつぶやいたアニラは、再びホルンに問う。


「皇帝直属の親衛隊が皇帝の身内を狙っているってことだけで事態が切迫していることは分かるけれど、そう言うことは『お家騒動』ではありがちなことじゃないかい?」


 ホルンが答える。現にホルンの実父たるシャー・ローム3世も、異母弟ザッハークからしいされている。確かに『よくあること』ではないとしても、それほど異常と言える事態ではないとも思える。


 するとアニラは首を振り、さらに訊いてきた。


「ホルン殿は、我がロザリア王妃に伝えた情報をお聞きになっていないのだな?」


 ホルンはサッと今までのことを思い出しながら答えた。


「ロザリアからの情報は何も聞いちゃいないね。マルガリータが何か知っているかもしれないけれど、あの子は今、ロザリアとの連絡で王都に残しているし」


 ホルンか答えると、アニラは紅茶を一口含み、それを飲み下すと言った。人が変わったような目つきだった。


「現皇帝ディミトリー陛下の実弟に、摂政でイヴデリ公イヴァン・フョードルがいる。彼が帝位を乗っ取ろうとしていることが今回のゴタゴタの発端だが、問題は彼が何のためにそのようなことをしでかそうとしているのかだ」


「……『盗人にも三分の理』って言うじゃないか。そのイヴァンとやらにも自分なりの理想ってものがあるんじゃないのかい?」


 ホルンが言うと、アニラはうなずいて、驚くべきことを言った。


「そうだ、彼には野望がある。『自らが摂理となる』というな……」


 ホルンは思わず目を細めてアニラを見る。アニラは嘘や冗談を言っている顔ではなかった。


「……ロザリア王妃は我に、ウラル帝国で起こりつつあることを訊いてきた。彼女はさすがにゾフィー殿の愛弟子、北方で『面白くないものの波動』を感じたと言って寄越した……」


 そこでアニラは再び紅茶を一口含む。


「それは我もここ数年感じていたものだ。チェルノボグの目覚めの気配……ホルン殿の国で言えば終末竜アンティマトルに相当する悪神が目覚めようとしていると我は見た」


 それを聞いたホルンは、すうっと目を閉じた。この家に吹き付ける風の声を聴くために。


 風は、激しくはなかった。


 けれど、ひゅうっという哭くような声が、これから来る嵐を告げているように感じられる。ざわざわとした『蒼の海』のざわめきとはまた違う、心の平穏を乱すような不協和音が、ホルンの気持ちをいら立たせた。


「……ゾフィー殿は、女神ホルン様を目覚めさせてその人生を全うされたと聞いている。次は我の番かもしれぬと思い続けてきたが、チェルノボグを我一人で叩けると思えるほど、我の頭はお花畑ではない……」


 目を閉じたホルンに、アニラが語りかける。


「……冬の寒さが厳しいウラル帝国は、騒乱で天も翳るだろう。『摂理の黄昏』が来る時、人々には希望が必要だ。皇太子殿下はこの国の希望だ、ホルン殿が昔日、ファールス王国の民の希望であったように……」


 ホルンはゆっくりと目を開けた。アニラの白い顔がさらに白くなり、黒い瞳と赤い唇が際立って見えた。


「……『蒼炎の魔竜騎士』よ、力を貸していただきたい。我の仲間にも幾人か『摂理の黄昏』に対抗し得る者はいるが、ホルン殿のように終末竜と戦った経験を持つ者はいない、我も含めてな」


 ホルンはゆっくりと口を開いた。


「私に何ができると言うんだい?」


 アニラもゆっくりと答えた。


「希望を守り抜くこと」


 ホルンは一度目を閉じ、次いで目を開けるとはっきりと言った。


「アニラ殿の依頼、確かに引き受けたよ」


(『6 翡翠の公女』に続く)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

アゼルスタンは無事にバグラチオン将軍と出会えましたが、彼の企図を達成するには、まだ前途多難と言ったところです。

次回もお楽しみに。

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