2 魔手の予感
宿から抜け出した謎の少年は、カンネーの自称自警団と巡り合う。
その頃ホルンたちは、少年を追う男たちと遭遇していた。ホルンは北の大帝国からの魔手が伸びていることを予感する。
ホルンは、アゼルスタンが去って行ったであろう闇を見透かすように、翠色の瞳を持つ目を細めて言った。
「何か、大変なことが起きている気がするんだ。ただのお家騒動では済まない何かがね?」
「では、追いかけますか?」
ガルムが言うと、ホルンは首を振って言った。
「先回りするんだよ。ブリュンヒルデ、すまないが私たちをサマルカンドまでひとっ飛び運んでおくれ!」
『承知いたしました、ホルン様』
隠形していたブリュンヒルデがそう言いながら姿を現す。ホルンとガルムを乗せたドラゴンは、闇の中を西へと飛び去って行った。
その頃、部屋を抜け出したアゼルスタンは、暗い森の中を走っていた。
「くそっ、やはり走りにくいな」
アゼルスタンはそうつぶやく。女装なのでスカートが足にまとわりつくのだ。けれど、寝間着のままホルンたちに保護され、その後に与えられた衣服がこれしかなかったから仕方ない。
おまけに、暗い中で道を見失ったらしい。いつのまにか彼は、獣道すらない場所に迷い込んでいた。森はうっそうとして、月の光すら差し込んでこない。まさに真の闇であった。
「……このまま歩き回っても仕方ない。朝になるのを待つか」
アゼルスタンはそう決心すると、人目につかないように草むらに隠れ、木の幹に寄りかかってつぶやいた。
「ホルン・ファランドール……いやホルン・ジュエル陛下……今は王位にはないとはいえ、僕も帝国の内部事情を他国の方に話すわけにはいかないのです」
そして、疲れが出たアゼルスタンは、そのまま眠りに落ちて行った。
……どのくらいそこで横になっていただろうか。アゼルスタンは不意に、
「おい、嬢ちゃん。ここで野宿するとは大した度胸だな」
そう言う声で目が覚める。彼が飛び起きると、周りを武装した男たちが取り囲んでいた。
「君たちは?」
アゼルスタンは、油断なく剣の鞘に左手を添えて訊く。その姿を見てニヤニヤしている男たちの向こうから、隊長らしき男が出てきて言った。
「そんなに脅えなくてもいいぜ、嬢ちゃん。お前がホルン陛下の仲間だって知っているからな。手荒な真似をするつもりはないぜ」
アゼルスタンは、その男に見覚えがあった。
「そなたは、確かカンネーとか言う……」
するとカンネーは、苦み走った顔を緩めてうなずいた。
「おお、覚えていてくれたかい。俺はカンネー・イレーサー。ここらを縄張りにしている自警団だ。まあ、他人は俺たちのことを山賊って言うが、俺たちは人様の命や財産を無暗に奪っているつもりはねえ」
そこまで言うと、不思議そうな顔をしてアゼルスタンに訊く。
「……まあ、そんなこたどうでもいい。お前は何故、こんな所で野宿している? 陛下とはぐれて道にでも迷ったか?」
アゼルスタンは言葉に詰まった。いい説明が浮かばないのだ。
(ホルン陛下にすら話せなかった事情だ、話すわけにはいかない……しかしどう言えばいいんだ?)
アゼルスタンが逡巡していると、カンネーがハッとしたように彼の後ろを見て、
「嬢ちゃん、危ないっ!」
「わっ!」
ヒュンッ!
カンネーがアゼルスタンを突き飛ばすようにして転がるのと、アゼルスタンがいた場所を矢が通り過ぎるのとが同時だった。
「誰だっ!」
カンネーが飛び起きると、彼の部下たちが弓を持った男に突進していくところだった。
「貴様、誰だっ!」
部下たちが弓を持った男を包囲して怒鳴るが、何も言おうとしない。男の顔はフードの下に隠れて見えないけれど、口元はニヤニヤしていて、かなり場数を踏んでいることが覗えた。
「おい、俺はこの辺の自警団団長のカンネー・イレーサーってもんだ。この嬢ちゃんを狙ったのか? それとも俺たちに用があるのか?」
部下たちの人垣を割って現れたカンネーが訊くと、男はフードを取り払い、初めて言葉を発した。金髪碧眼で鼻筋が通り、かなりの男前だった。
「そなたらに忠告する。たかが自警団の分際で、私たちの仕事の邪魔をするなとな」
その声は無機質で、感情を感じさせないものだった。それによってカンネーはこの男がこの手の荒仕事専門に生きて来た類の人物だと見破った。
カンネーはチラリとアゼルスタンを見る。その顔は蒼白で、目が据わっていた。
「この嬢ちゃんに用があるってんなら、俺たちは見過ごすわけにはいかないな。何せこの嬢ちゃんは、俺たちの恩人の知り合いだからな」
それを聞いて、襲ってきた男は改めてアゼルスタンを見つめた。良く見ると確かに女物の服を着ている。そこで男に迷いが出た。
(ふむ、容貌は殿下に似ているが、女だと言われるとそうも見えぬこともない。それにあの『箱』も持っておらぬ……)
「その娘、確かに娘だな?」
男が訊くと、カンネーは薄く笑って答えた。
「人違いか? この娘にここで裸になってもらうわけにいかんだろう? この娘は……」
カンネーが振り返ると、アゼルスタンはか細い声で
「クリスタ・ハイマンです」
そう答えた。
「……だ、そうだ。納得してもらえたか?」
カンネーが言うと、男はフードで顔を隠し、サッと身を翻すと、カンネーの部下たちの包囲網を破って遁走した。
「止めろ! 追うな!」
思わず追いかけようとした部下たちをカンネーは押し留めると、身をすくませているアゼルスタン……クリスタの方に歩み寄った。
「安心しろ、嬢ちゃん。俺たちが陛下の所に送ってやる。それにしてもなぜお前はあんな男たちに狙われているんだ?」
アゼルスタンは、いよいよ説明に困った。あの男の正体も明かすわけにもいかないのだ。
その様子を見ていたカンネーは、一人で合点して言った。
「陛下のご気性とお前の美貌を見ると、お前、どこかの春をひさぐ宿に囚われていたのを陛下から救い出されたクチだな? まあ、それなら足抜けを消しに来るのも合点がいく」
そして、有無を言わさぬ口調で、
「あんなのがまた来やがっても面倒だ。俺たちが陛下の許に送ってやる。陛下は今どこにいらっしゃるんだ?」
そう言う。アゼルスタンは心の中で、
(サマルカンドにはホルン様がいる。イスファハーンまで護衛していただければ、バグラチオンに会えるし、その後は何とかなるはずだ。それまでこの人たちの世話になろう)
そう考えがまとまると、ニコリとして言った。
「ホルン様は、サマルカンドに行かれたはずです」
それを聞いて、リョーカはその人懐っこい顔をほころばせて言った。
「分かった、それじゃ俺たちも用事を済ましついでにお前を護衛してやる。無論、ロハでな」
★ ★ ★ ★ ★
一方、一足先にサマルカンドに到着したホルンたちは、予想した時刻を過ぎてもアゼルスタンの姿が見えないので首をかしげていた。
「あの子が宿を出て行ったのは夜明け前だ。もうとっくに着いてもいい頃だけれど……」
ホルンが言うと、ガルムも難しい顔をして、
「……なかなか剣呑な奴らでしたからね。捕まっていなければいいですが」
そう言う。
「……先回りしたのは失敗だったかな。だがあの子のことだから、尾行しても気付かれただろうしね」
ホルンは独り言のように言うと、
「ブリュンヒルデ、すまないが街道沿いにあの子を空から探してくれないかい?」
そう、虚空に向かって言った。
『承知いたしました、ホルン様』
虚空からホルンに答える声がして、何かが東の方に飛び去る気配がした。
「ブリュンヒルデは目がいいからね、きっと見つけ出してくれるさ」
ホルンは、東の空を見つめてそうつぶやいた。
ガルムはその言葉にうなずくとともに、
「ホルンさん、あの子がどういう立場にいるのかはよく分からないが、せっかくサマルカンドに来たんだ、この件は一応、サーム様の耳に入れておいた方がいいと思うが?」
そう言う。アゼルスタンの正体を知らないガルムではあるが、彼がただの少年ではないことを薄々感じている様子であった。
(サーム様か……ザールとのことを考えると、会うのは正直、気後れするね……)
ホルンはそう思ったが、アゼルスタンのことを考えるとそうも言ってはいられない。場合によっては北の大帝国と一戦交えねばならない事態にもなりかねないからだ。
「うん、ガルムさんの言うとおりだ。あの子が私たちの手を借りないつもりでも、ここまで関わったからには相手もこの国に対して含むところがあるかもしれないからね」
ホルンはそううなずいて言うと、吹っ切れたような顔でサマルカンドの町を歩き出した。
「なに、ホルン陛下が?」
サマルカンドの城府では、『東方の藩屏』と言われたサーム・ジュエルが、ホルンの訪問を聞いて思わずそう言った。
「はい、容貌は少し変わられましたが、確かにホルン陛下です。ガルム殿も一緒です」
門衛の報告を受け、最初に二人と接触したジェルメが、どことなく興奮した面持ちで言う。サームはそんなジェルメを見て、自分もいつもに似合わず興奮気味なのを自覚して苦笑する。
(ホルン陛下はザールのことを気に入っておられた。ザールもまんざらではない様子だった。二人は結ばれるものと皆思っていたが、2年前に突然陛下はいなくなられた。その陛下が再び戻って来られたと聞けば、ザールも、いや国民も皆喜ぶだろう。興奮するのも無理もない)
サームは、ホルンの来訪は復位のためだと思い込んでいた。彼女が王位から降りたのは何かしらの理由があり、その理由がなくなったために戻って来たものと独り決めしていた。ザールもホルンの後を受けて王位に登るに当たり、
「僕はホルン陛下から王位を預かっているだけだ。いつの日かお戻りになられた時には王位はお返しするつもりだ」
と言っていたほどなのだ。
「陛下が見えられたと聞いてはここで待っているわけにはいかんな。迎えに上がらねば失礼になる。ジェルメ、皆を集めよ」
サームはそう言うと、自分も第一級の軍装に着替えるために自室に戻った。
「ホルン陛下、よくお戻りになられました。みな待ちわびておりました」
ホルンは、城門の中にある詰所でサームとの接見のための手続きが終わるのを待っていたが、突然、サームその人が重臣たちを連れて詰所を訪れたのにびっくりした。
「ちょ、ちょっと待って。私はもうこの国の女王じゃないんだよ? くすぐったくなるような挨拶は止めてくれないかい?」
ホルンは慌てて言うが、サームをはじめボオルチュ、ポロクル、ムカリ、チラウン、ジェルメ、チンベ、クビライ、スブタイといった『終末預言戦争』……ファールス王国ではあの戦いのことはそう呼ばれていた……を共に戦った懐かしい面々が顔をそろえて目を輝かせていた。
「……ホルンさん、サーム殿を始めみな興奮しきっている。しばらく時間を置かないと話を聞いてもらえないと思うな」
ぼそりとガルムがつぶやくのを聞き、目の前でニコニコしているトルクスタン侯国の幹部たちの顔を見て、ホルンも仕方なくうなずいて言った。
「はあ……仕方ないね。トルクスタン侯殿、私を国王として扱うことは大目に見るから、その代わり話を聞いてくれないかい? ことによったら大事件になりかねないから、ザールにも話を通してもらっときたいんだ」
するとサームは、驚くべきことを告げた。
「ザール陛下にはすでに早打ちを出しました。ホルン陛下は私たちトルクスタン侯国軍が護衛いたしますので、すぐにイスファハーンへとお戻りいただきます」
ホルンはそれを聞いてさらに慌てた。サームですら会いに来るのに勇気がいったのに、ザールと面と向かって話をするなんて考えられない。
(ザールはロザリアと結婚しているって言うじゃないか。私もザールも、今さらどの面下げてどんな話をすればいいってんだい?)
仕方なく、ホルンは『強権を発動』することにした。そうでもしないと話が自分を置き去りにしそうだったからだ。
ホルンは、腰に佩いた『異形の剣』をサッと引き抜き、顔の前に立てて叫んだ。
「われ、剣に誓って言う。汝ら真の戦士たち、謹んで我が言を聞け!」
これは『剣士の作法』の一つで、緊急時に大事なことを相手に伝えようとするときに使われる。こう言われたならば真の戦士たる者、相手の立場の如何に関わらずその言わんとするところを拝聴することが作法だ。
思ったとおり、サームをはじめとして群臣はぴたりと口を閉ざし、ホルンの言葉を拝聴する姿勢を見せた。まあ、相手は元ファールス国王だ、通常の精神状態だったなら、わざわざ『剣士の作法』を持ち出さずともホルンの話を聞いてくれただろう。
ホルンは、静まり返った面々を見て笑って言った。
「やっと話ができるね。けれどここじゃ話せない。城内でサーム殿を始め左右軍幕僚の皆に話したいことがあるんだ。そして緊急に頼みたいこともね。手を貸してくれるかい?」
サームは笑ってうなずいた。
「ウラル帝国の皇太子が?」
ホルンはサマルカンド城内、もと自分が寝起きしていた部屋に通された。そしてそこでサームと差し向かいで話をし始めた。この場にいるのはホルン側はガルムだけで、サーム側にはボオルチュとジェルメが控えていた。
「ああ、そうだよ。どうやら国内で何か起こっているらしいのさ。力を貸そうかって申し出たが断られた。子どもにしてはいい覚悟だったよ」
ホルンはそう言うと、アゼルスタンの顔を思い出して目を細める。自分がデューン・ファランドール様を失って一人で生き始めたのは、ちょうどあの子の歳くらいだったな。
「陛下、他国の内情に迂闊に首を突っ込まれると困ります」
サームが血相を変えて言うのに、ホルンはニヤリと笑って答えた。左の額から右の頬にかけて、ホルンの美しい顔を斬り裂いた刀傷が、その笑顔に凄味を添えた。
「だから、断られたんだよ。けれどあの子の危急を救ったことは確かだし、あの子を襲ってきた奴らから見たら、私やガルムさんは正体不明の敵ってところだろうね」
「あるいは、奴らの本当の敵から雇われた用心棒……そう思われているかもしれませんがね?」
ガルムが言うと、ホルンはサームの目を見たままうなずいて言った。
「私もそう思われていた方がいい。それならこの国に迷惑は掛からないからね。
だから私たちに対して護衛なんかつけなくていいよ。下手な動きをしたら国として何か言ってくるかもしれない。そうなったら助けられるものも助けられなくなるからね。サーム様にとっては不本意だろうけど、この国のためを思って言うことを聞いていただきたいね」
それを聞いて、サームは笑って答えた。
「分かりました。ただし、我がトルクスタン侯国は旅人を大事にします。旅人に対して不埒な行動をするものがあれば、それが何人であろうと容赦は致しません。そこのところはお含みおきを……」
そう言ったあと、真顔になって訊いた。
「それで、頼みたいこととは何でしょうか?」
ホルンは、翠色の瞳を持つ目を細めてたった一言、
「人探し、さ」
そう言った。
その夜、ホルンは3年前まで自分が使っていた部屋で、窓の外を見つめていた。久しぶりに軍装を解き、青く澄んだ色のドレスをまとったホルンは、月の光の中では妖精と見まがうような美しさだった。
サームとアンジェリカは、ホルンがザールの妻になることを望んでいたが、そのことは自分が使っていた衣装や道具が片付けられもせずに残っていたことからも察せられた。
「……すみません、アンジェリカ様。あなたの期待に応えられなくて……」
ホルンは満天の星空を眺めながら、サームの奥方であるアンジェリカとの会見の様子を思い返していた。
アンジェリカは、3年前の挙兵時に会った時と、ちっとも変わっていなかった。息子のザールがもう26歳だから五十路に近いはずなのに、まだ30歳代と言っても通りそうな肌のつやと瑞々しさだった。
「……変わりないようで安心しました」
アンジェリカは、ホルンの顔を斜めに走る傷に少しびっくりしたようだったが、そのことには触れずにそう言うと、
「……あなたには、我が息子の生涯を預けたつもりでしたが、運命とやらはなかなか思い通りにはならないようですね?」
そう、寂しそうな笑いと共に続ける。
ホルンは、胸が締め付けられる思いだった。確かに運命が認めていたら、自分はザールの妻となり、アンジェリカ……叔母に当たるこのひとも義理の母となっていたはずだった。
ホルンは、翠色の瞳を持つ眼を細めると、静かに答えた。
「……すべては摂理です。私が生まれたのも、ザールが王となったのも、すべて歴史の必然です。そして私は摂理の計らいを信じています」
それを聞いて、アンジェリカはため息と共につぶやくように言う。
「……ザールは摂理の計らいを待ちきれず、ロザリア殿を妃に迎えてしまいました。いえ、ロザリア殿がザールの妃に相応しくないというわけではないのですが、シャー・ローム陛下のことを考えると、あなたと結ばれてほしかったと今でも思っています」
心底残念そうに言うアンジェリカだったが、ホルンは微笑と共に首を振る。
「……運命は、その人に相応しい摂理を与えるものです。ザールとロザリアはお似合いだと思います。私には彼に縛られない運命が与えられたのでしょう。それが運命が私に何を期待してのものかは分かりませんが……」
アンジェリカは、微笑と共に言うホルンをじっと眺めていた。ホルンもザールのことは心底から愛していたのは知っている。ただ、時が熟さないだけ……そう思っていたが、運命はこの二人を引き離すことによって、さらに何かを期待しているようだった。
(不憫な……けれどホルン殿もこの2年でさらに苛烈な運命を受け入れる覚悟ができたようね)
アンジェリカはそう思うと、不意に花のような微笑と共に言った。
「そう言えば、ロスタム殿は元気そうですよ」
それを聞いて、ホルンはかすかに頬を染めたが、軽くうなずいて笑って言った。
「それは喜ばしいことです。ザールも世継ぎができて安心したことでしょう」
それに、アンジェリカは慈しみのこもった眼で答えた。
「そうですね。私も何とかシャー・ローム陛下に許していただけそうです。あなたのことを除いては、ね?」
それはアンジェリカなりの心遣いだった。ホルンはそれに気が付くと、温かい微笑と共に言った。
「世の中には、秘密にしておいた方がよいことがございます」
「それは無論のこと……ロザリア殿自身がそう言っているのですから、私とて何かを言う資格はありませんよ?」
(秘密……か。ロザリアには気を遣わせてばかりだったわね……)
『おや、ホルン様、そのお召し物も久しぶりですね』
窓の外を見つめていたホルンは、不意に姿を現したシュバルツドラゴンからそう言われて、ハッと我に返った。
そして、少しはにかんで
「うふふ、何だか懐かしいわね。あの頃は運命を受け入れてばかりで、運命に逆らいたいと必死だったけれど、結局私は運命に流されるばかりだったわ」
そう静かに言うと、気持ちを切り替えたようにシュバルツドラゴンに訊いた。
「ブリュンヒルデ、あの子は見つかったかい?」
するとブリュンヒルデは、琥珀色の瞳を持つ眼に鋭い光を湛えて答えた。
『はい、今はサマルカンドから東に10マイル程度の所にいます。いつぞやのカンネーとか言う山賊たちに守られているようですね』
それを聞くと、ホルンはさっさと自分の寝室に引っ込んだ。そして1分もしないうちに彼女は元どおりの軍装に、『死の槍』を携えて出てきた。
『あの子が居る場所までご案内すればいいのですね?』
ブリュンヒルデが先を取って言うと、ホルンはニコリと笑ってうなずいた。
「話が早いね。さすがはいい仲間だよ」
そこに、ドアを叩く音がした。ホルンはブリュンヒルデと顔を見合わせて笑うと、
「……さすがは元・前将軍だよ。開いているから入ってきて構わないよ、ガルムさん」
そうドアの外に声をかける。ホルンたちが想像したとおり、ガルムが左目を光らせて部屋に入って来た。
「ここまで来て、水臭いことはナシにしようぜ。俺もあの坊やには興味があるんでね」
ガルムの言葉を聞いて、ホルンはクスリと笑って答えた。
「置いてきぼりなんて食わせないよ。奴らの正体がまるで分らないんだから、力を合わせるに限るからね」
『では、参りましょうか』
ブリュンヒルデはそう言って翼を広げる。ホルンたちが身軽にその背中に飛び乗ると、ブリュンヒルデは空高く舞い上がり、物凄いスピードでまだ暗い東の空に消えた。
★ ★ ★ ★ ★
「『標的』が見つからないままサマルカンドに入ってしまったら困るな」
街道から5マイル(この世界では約9キロ)ほど離れた尾根筋に、一団の男たちがたむろしていた。男たちは全員、フード付きの黒いマントを身にまとっていたが、その中で隊長らしき男が、一人の男に訊いた。
「街道筋の宿屋には、『標的』が泊った形跡はなかったんだな?」
すると、カンネー山賊集団の重囲からいとも易々と抜け出した男が、うなずいて答えた。
「はい、街道から少し離れた宿屋もしらみつぶしに当たりましたが、それらしい少年は見つかりませんでした」
隊長は眉を寄せて考え込むと、
「最後に『標的』が確認されたのはアイニの町中だ。ジュルコフ殿が奇襲をかけられたが、その時一組の男女がジュルコフ殿の相手をしたといいます。その男女は何者でしょう? レンネンカンプ魔剣士長殿は、何か心当たりはございますか?」
そう、向かいにいた隻眼の男に訊いた。
隻眼の男は左目を光らせて
「リュスコフ隊を壊滅させたのも、その槍遣いの女性だったという。ジュルコフ殿の話によれば年の頃は三十路前後だそうだ。銀髪に翠色の瞳を持ち、額から右の頬にかけて刀傷がある。槍の腕も立つし、魔力も大したものだったらしい」
そうつぶやいた。
その時、空間が歪み、そこから出て来た一人の男が、鋭い声で隊長に声をかけた。
「レンネンカンプ、今の話をもう一度聞かせたまえ」
レンネンカンプと呼ばれた隻眼の男が慌ててそちらを向くと、筋骨たくましい身体を革鎧で覆った男が立っていた。
「これは司令官殿。司令官殿直々にお運びとは恐れ入ります」
レンネンカンプが言うと、司令官は鋭い目のまま再度訊いた。
「今の話をもう一度聞かせてみよ」
「今の話とは?」
レンネンカンプが面食らって訊き返すと、司令官は口元を歪めて
「次はないぞ。槍遣いの女の容貌をもう一度言ってみよ」
そう冷え冷えとした声で言う。レンネンカンプは冷や汗をかきながら答えた。
「はい、ジュルコフ殿の話ではありますが、年の頃は30前後、銀髪に翠色の瞳を持ち、額から右の頬にかけて刀傷があるとのことでした」
「そして槍の腕も立ち、魔力もかなりのもの……そう言うのだな?」
「はい、そのように聞いております」
レンネンカンプが答えると、司令官は何かを考えていたが、
「ふむ……これは厄介な人物が関わり合いになったのかもしれぬ。私は摂政殿下と急ぎ協議することができたので首都に戻るが、『標的』の側にその女性がいた場合、下手に手出しをすることを禁じる。ただその動向を見張っておけ。分かったな、レンネンカンプ魔剣士長、カツコフ先任魔剣士」
そう言った。
「承知いたしました。しかしその女性は何者です?」
カツコフが不思議そうに訊くと、
「今は確証もないし、そなたたちがそれを知る必要もない」
司令官は首を振ってそう答え、転移魔法陣の中に消えた。
「……司令官殿は、何か命令を持って来られたのではなかったのか?」
カツコフがそうつぶやくと、
「命令を急遽変更せざるを得ないほど、その槍遣いの女は剣呑な相手だということだろうな。とにかくカツコフ、司令官殿直々のご命令だ。引き続き『標的』を捜索するとともに、その女槍遣いのことも調べておけ」
レンネンカンプ魔剣士長はそう言うと、別の部隊に今の命令を伝えるために姿を消した。
その頃、アゼルスタンはカンネーたちに守られてサマルカンドの城壁が遠望できるところまで到着していた。
「お嬢ちゃん、サマルカンドに誰か知り合いがいるのか?」
月明かりの中で馬の手綱をさばきつつカンネーが訊くと、アゼルスタン……この場では『クリスタ』と名乗っているため、その名乗りに従うことにしよう……クリスタは、危なげなく馬を御しつつ答える。
「いえ、私の故郷はまだ遠くにありますので……」
「ふむ……」
カンネーは、ここまでクリスタを護衛してきて、いくつかのことに気付いていた。
まず、クリスタが女性ではないこと……このことに気付いたのは、クリスタが謎の男に襲撃された時だったが、クリスタの女装が謎の男の目を晦ます方便であることに気付き、そのまま女性で押し通したのだ。
次に、クリスタが佩いている剣である。柄頭から鐺まで1メートル超、鞘は80センチ近くあるクリスタの剣は、どう見ても由緒ある宝剣であると思われた。そんな剣を持っているクリスタはただの少年ではないはずで、ホルンが彼を助けたのもそれなりののっびきならぬ事情があったはずだと考えていた。
そしてクリスタの身のこなしや目の動かし方も、ただの少年ではないことを物語っている。剣や馬術もそれなりに練習し、それなりの腕に到達している者であることは、戦場を駆け巡って来たカンネーには容易に見破れた。しかもクリスタを襲ってきた男に見せたように、時にはそれを韜晦するすべまで知っているのは驚きだった。
最後に言葉遣いである。クリスタの言葉には各王国間で公用語として話されているロマン語のなまりがあった。ロマン語は庶民にはほとんど縁がない言葉である。それが話せるということは、クリスタはそんじょそこらのお坊ちゃんではないということだった。
(少なくとも、大貴族の息子……あるいはどこかの王室につながる身だな)
カンネーはそこまで見抜きながら、それをおくびにも出さずにクリスタに笑って言う。
「まあいい、お前の身の振り方はホルン様がきっと何とか考えてくださるだろうからな」
「ホルン様ですか……あのお方はどういうお方なのですか?」
クリスタは何も知らないふりをして訊く。それにカンネーは小声で答えた。
「知らなかったのか? かのお方はホルン・ジュエル様、この国の元女王様だ。今はホルン・ファランドールの名で用心棒をされているらしいがな」
「ええっ! 女王様ですか? そんな風には見えなかった」
わざと驚いて言うクリスタに、カンネーは首を振りながら、
「ホルン様が気さくな方でよかったな? 今のことは内緒だぞ」
そう言うと、クリスタもうなずいた。
そしてクリスタは、ふと気づいたようにカンネーに訊く。
「確かホルン様は、あなたが献上した剣を易々と抜かれましたね? あれは本当に抜けない剣だったのですか?」
するとカンネーは大きくうなずいて答えた。
「もちろんだ。あれほどの剣であることを知っていたら、俺の佩剣にしているさ。ダイシン帝国の商人の話では、あの剣には剣をこしらえた鍛冶の祈願が籠っていて、その祈願を叶えてくれる相手の言うことしか聞かないらしい」
「不思議な話ですね、剣が人を選ぶなんて」
クリスタが言うと、カンネーは笑って、
「ふふ、確かに不思議だが、長く武人をやっているとそんな話にはよく出くわすものさ。現にホルン様が『終末預言戦争』の時に佩かれていた『アルベドの剣』も、王室伝来の宝剣で、剣が認めた者しか抜くことができなかったらしいからな」
そう言うと、チラリとクリスタの剣を見て、
「お前さんの剣も、その類の剣じゃないかな?」
そう言いながら、クリスタの顔色を窺った。
思ったとおり、クリスタは慌てた顔をしたが、すぐに表情を引き締めて、
「さあ、そんな話は聞いていませんが……」
そう答えて、悔しそうに唇をかんだ。
(なるほど、クリスタの剣も何かの制約がかかっている宝剣らしいな……そんなもの持っているんだから、こいつはやはりただ者ではない。ホルン様に無事にお届けしなければな)
クリスタの様子を見て、カンネーは心の中でそう思うのであった。
「とにかく、あと一時(2時間)もすれば東の空が白むし、そうすれば城門も開く。それまでゆっくりと休んでおくことだな。俺たちが見張りをしておくから、遠慮せずに横になれ」
カンネーが言うと、クリスタは薄く微笑んでうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★
「いないね。カンネーたちのことだ、夜目が利くだろうから、早手回しに城門近くまで進んでいるのかもしれないね」
ブリュンヒルデがクリスタを見かけたという地点まで来てみたが、そこには誰もいなかった。
「これは、焚き火の跡だね」
注意深く周囲を見ていたホルンが言う。そこには確かに何か焦げたような跡が薄く残っていた。旅慣れしたホルンたちだからこそ、それが焚火の跡だと見分けられたのだろう。
「これだけ注意深く後始末されていたところを見ると、カンネーたちにも何かが起こったんじゃないですかね」
ガルムがそう言いながら、鋭い光を放つ左目で辺りを見回す。そしてある一点で視線が止まった。
「ホルンさん、あそこの『魔力の揺らぎ』、どこかでお目にかかったことはないかな?」
ホルンも視線を向けて、翠色の瞳を持つ目を細める。そこには薄く淡く、青い色の『魔力の揺らぎ』がかすかに残っていた。
「……ガルムさんの家でお目にかかった奴の『魔力の揺らぎ』に似ているね。人物は違うようだけれど、同じ類の魔力を編める奴だね」
ホルンが言うと、ガルムが左目をすっと細めてつぶやくように言う。
「ホルン様、左です」
その一言で、ホルンも何事かを悟って笑って言った。
「なるほどね、まだクリスタたちがここにいると思って戻って来たってわけだね」
ホルンはそう言い終わると、左側にある『魔力の揺らぎ』に向けてジャンプした。
「あれは、レンネンカンプ魔剣士長殿がおっしゃった、リュスコフ殿を討ち取った女槍遣いじゃないですか?」
ホルンたちがカンネー『自警団』のビバーク地点を調べている時、少し離れた物陰からその様子を窺う男たちがいた。
「違いない、とするとあいつらが『標的』の行方を知っているかもしれないぞ」
一人の男が、剣の柄に左手を添えて前に出ようとするのを、隊長らしき男が若いが威厳ある声で押し留める。
「イヴァン、魔剣士長殿が言われた命令を覚えているか? 『謎の女槍遣いには手を出すな。ただその動向を監視せよ』とのご命令ではないか」
「しかし班長殿、『標的』の居場所が判れば、それだけ我がオプリーチニキに対する摂政殿下の覚えが良くなりますが」
イヴァンと呼ばれた剣がそう口答えするが、班長は鋭い瞳をイヴァンに当てて命令した。
「いかん! これは命令だ。イヴァン・フョードロフ、その場に座れ」
しかし、班長の命令は少し遅かった。その場にホルンが『死の槍』を抱えて飛び込んできたからだ。
「やっ!」
ヒュンッ!
「おっ!」
チイインッ!
ホルンは名乗りかけもせずに『死の槍』を班長に叩きつけた。かなりの速さだったが、班長はさすがにその不意打ちを剣で受け止める。
「私はホルン・ファランドール。さっきから私たちを見ていたね? ここでビバークした子たちに何か用かい? それとも私に用事かい?」
ホルンは、『死の槍』と交差する剣の向こう側にある金髪碧眼の男にそう訊いた。
イヴァンと言われた剣士は、班長に掛かっているホルンに隙を見つけたか、後ろからいきなり斬りかかろうとした。
「やあっ!」「止めろっ、イヴァン!」
ドムッ!
男はイヴァンに命令したが、イヴァンはホルンに跳びかかったところを、回り込んできたガルムの両手剣によって存分に斬り下げられた。
「部下の名はイヴァンってんだね? あなたの名を名乗ってもらおうじゃないか」
ホルンが振り返りもせずに言うと、
「くっ!」
男はいきなり『死の槍』をはねのけると、後ろに下がって言う。
「我々の邪魔をするな。次に会うときは命を貰うぞ」
そして彼は、素早い身のこなしで木々の枝を伝ってどこかへと消えて行った。
「……面妖な奴らだね。確かに並の剣士じゃないね」
ホルンがつぶやいた時、倒れたイヴァンの服などを調べていたガルムが、ホルンに声をかけた。
「ホルンさん、こいつはただ者じゃないな」
「こいつ『も』だろう? あの子といい、アイニの町で手合わせした魔術師といい、ただ者じゃない奴らばかりしか登場していないよ。ところで、何か分かったのかい?」
ホルンが訊くと、ガルムは笑って答えた。
「まあ、それを言っちゃお終いだが、こいつは身元が分かるようなものは何一つ持っちゃいない。金目の物すら持っていない。逃げた奴がこいつに『イヴァン』と呼び掛けていたが、それだってこいつの本名かどうかは怪しいところさ」
「じゃ、この男については何も分からないってことだね?」
ホルンが言うと、ガルムは左目に興味深いものを見つけた子どものような光を灯して言った。
「そうでもないさ、身元の特定ができるものを持っていないってことは、こいつの身元が特定されたら困る者がいるってことだ。この装備を見ても明らかに一級品のものばかりだし、おおかた、どこかの国の特殊部隊に所属している奴だろうな……」
そう言いながら、ガルムはイヴァンが持っていた剣を取り上げ、柄を外して見せる。柄の中から、いくつかの丸薬のようなものが包まれた紙袋が出てきた。
ガルムはそれを取り上げると鼻に近づけて匂いを嗅ぎ、ホルンに
「やっぱりな。ホルンさん、この袋の中に入っているものは何だと思う?」
そう言って袋ごと放ってよこす。
ホルンはそれを受け止めると、ガルムがしたように鼻の近くに持って行った。途端にホルンの眉がひそめられる。
「これは、火薬だね?」
「おお、さすがは『無双の女槍遣い』、よく火薬を知っていましたね?」
ガルムが褒めると、ホルンは面白くなさそうな顔をして答えた。
「ダイシン帝国で火薬遣いの殺し屋にお目にかかったことがあるのさ。この火薬、ガルムさんはどう思う?」
「そいつはかなり純度が高くて爆発力が強いものだな。その一つでドア一枚くらいは吹っ飛ぶだろう。そんな剣呑なブツを剣の柄に仕込んでいるからには、いよいよこいつはただの剣士じゃない……」
ガルムは静かに言うと、不意にホルンに鋭い光を込めた左目を向け、
「この装備とあの坊やの立場から考えると、こいつらはウラル帝国が誇る特殊部隊『オプリーチニキ』の奴らでしょうね」
そう言い切った。
「ちょっと待って、『オプリーチニキ』は確か皇帝直属の親衛隊じゃなかったのかい? それがどうして皇帝の後継者を?」
ホルンが訊くと、ガルムは肩をすくめて笑った。
「ホルンさん、それが分かれば苦労はしないさ。とにかくはっきりしているのは、こいつはただ事じゃないってことだけだ」
そして、真剣な顔でホルンに言う。
「……だから、手を引くなら今のうちですよ? あいつも言っていたように、これ以上首を突っ込んだら何が起こるか分かったもんじゃない」
するとホルンは、鼻にしわを作って笑う。
「ふっふっ、ガルムさん、あなただってあの子には興味があるんだろう? 私はこんな性格だから、面倒な出来事ほど首を突っ込みたくなるのは解っているはずだよ?」
それを聞いて、ガルムはしょうがない、といった顔で首を振ると、
「……まあ、そう言うとは思っていましたけれどね? じゃ、とにかくあの子を探しましょう。あのカンネーとやらが下手をこいてなければいいですがね?」
そう言うと、ホルンは薄く笑って答えた。
「ガルムさんはカンネーたちを信用していないようだけれど、私はあの人物は信用が置けると思っているよ。軍団兵としての矜持をまだ忘れていないようだったからね」
そしてホルンは。空中にいるはずのブリュンヒルデに向かって叫んだ。
「ブリュンヒルデ、もう一仕事してくれないかい?」
そのころ、カンネーたちはサマルカンドの城内にいた。
彼らは山賊ではない。カンネーたちは『東方の藩屏』サームの目が届くところで荒仕事を行うほどバカではなく、あくまでも『自警団』として活動していた。そのためサマルカンドの司直たちからは目を付けられておらず、城内への出入りも自由だったのだ。
「あの戦役が終わってから、『辺境』と言われたこの辺りもずいぶんと平和になったし、サマルカンドも一層賑わうようになって来たな」
カンネーが、恐らく東方のダイシン帝国やずっと西方にあるロムルス帝国から来たに違いない、肌や目の色も違い、聞きなれない言葉を話す商人たちを見てつぶやく。確かに、ホルンが女王となり、その後をザールが引き継いでまだ2年にしかならないのに、この町を訪れる旅人はかなり増えていた。
カンネーたちは、クリスタを囲むように町中を歩いている。ホルンがここにいるのならサームが放っておくわけもなく、きっと城内にいるだろうと目星をつけていたのだ。
「カンネーさんは、サーム様と会う伝手でもお持ちですか?」
クリスタが心配そうに訊くと、カンネーは太い眉を上げてニヤリと笑い、
「安心しろ。効果てきめんのアイテムを持っているからな」
そう答えると、逆にクリスタに訊いて来る。
「お前さんは、この後どうするつもりだ? 当てがないなら俺たちとしばらく一緒に仕事をしないか?」
「えっ⁉ で、でも僕……私は、何もできませんが?」
慌てて言うクリスタに、カンネーは碧眼を細めて言う。
「いや、お前はかなり戦闘の訓練を積んでいるはずだ。そうだろう?」
「べ、別にそんなことは……⁉」
クリスタは、カンネーが不意に自分の手を握って来たのに驚き、慌てて引っ込めようとする。けれどカンネーはクリスタの掌を見て笑って言った。
「その掌にあるタコは、剣を握る者に特有のものだ。ついでに言っておくと……」
そこでカンネーは少し声を落として、
「お前は本当は男だ。なぜ女装しているのかは聞かないが、あれだけの手練れがつけ狙っているとすれば、事態はかなり切迫していると思う。悪いことは言わん、サーム様のお力を借りるといい」
そう言った。
クリスタは顔色を変えて黙り込んだ。女装がバレていることもショックだったが、それ以上にカンネーのカンの鋭さにも驚いていたのだ。
(しかし、帝国内部の事情を他国の者には打ち明けられない……)
クリスタはそう考えていたが、ふとカンネーが自分の女装に気付いていながら話を合わせてくれていたことに気付き、このままカンネーたちと一緒にいれば、イスファハーンまでは奴らに見つからずに行けるかもしれない……そんな考えが浮かんだ。
「……事情は打ち明けられませんが、お察しのとおり僕はアリョーシャ・ハイマンといいます。イスファハーンまで一緒に行ってもらえれば助かりますが」
クリスタがそう言うと、カンネーは大きくうなずいて言った。
「分かった、考えておこう。それと、お前はあくまでもクリスタ・ハイマンという女剣士だ。そのことは忘れないでいてほしいな」
カンネーたちがサマルカンドの内城に近づくと、城門を守る詰所から数十人の部隊が駆け寄って来た。
「まあ、こちらも50人からいるからな。不審に思われても仕方ない」
カンネーは、駆け寄ってくる兵士たちを見ると、自分の部下たちを振り返り、
「相手は『東方の藩屏』サーム様のご家来衆だ。何を言われても俺の命令があるまでは手向かいはするな」
そう命令すると、懐からホルンの『ご親筆』を取り出した。
(奴らが何と言おうが、こちらにはホルン陛下のお墨付きがあるからな。慌てる顔が見てみたいぜ)
カンネーはそう考えて、自分たちを取り囲む兵士たちをニヤニヤしながら見つめていた。
けれど、その部隊を引き連れて来た男が一歩前に出て名乗った時、カンネーのニヤニヤ笑いは消えた。
「私はトルクスタン侯国幕僚長のボオルチュだ。そなたたちは東方で自警団として力を尽くしてくれているカンネー殿の部隊ではないか?」
カンネーは、サームの右腕ともいえるボオルチュ直々に出迎えに来たことに驚いたが、
(これはホルン陛下が既に手を回してくださっていたに違いない)
そう思い至ると、うなずいて『ご親筆』をボオルチュに差し出した。
「さようでございます。小官は元ファールス王国第2軍団に所属していたカンネー・イレーサー。こちらの者どもはそれ以来の戦友です。詳しくはその手紙をご覧ください」
ボオルチュは手紙を受け取ってさらりと読み下し、末尾に『ホルン・ファランドール』の署名があることに驚いて、
「むむ、陛下が……分かった、カンネー殿、そなたたちの部隊についてはサーム様に申し上げてしかるべき処遇をしたい」
そう言った。
カンネーは嬉しそうにうなずくと、
「ありがとうございます。我らのような者たちを拾っていただけるとあらば、今後は王国のために犬馬の労は厭いません。けれど一つご相談がございます」
そうボオルチュに言うと、ボオルチュは解っているとでも言いたげにうなずいて
「とにかくここでは人目につく。内城に通られよ」
そう笑った。
カンネーたちとクリスタは、サマルカンド内城にある広間に通された。
カンネーが不思議に思ったのは、いくらホルンの『お墨付き』があるとはいえ、どこの馬の骨とも分からない自分たちを内城に通すに当たり剣を取り上げなかったことである。
しかも、自分たちをボオルチュ直々に案内するに至っては、草莽にいる雑軍に等しい彼らにとっては破格の扱いだった。
(これはかなりホルン陛下の手紙が効いているな。だったら俺たちも最大の敬意でもって信頼に応えねば……)
そう考えた彼らは、自然と剣を後ろに回す……いわゆる『剣士の平時の礼』を取っていた。
やがて、内城の広場を過ぎ、謁見の間がある建物に近づいた時、ボオルチュはカンネーに言った。
「謁見の間にご案内するが、カンネー殿とあと一人だけにしていただきたい。部下の将兵はここで待っていただくことになる」
カンネーはうなずくと、部下を振り返って、
「では、アズライール、貴官が指揮を執ってここで待っていてくれ」
そう副将に命令すると、クリスタに言った。
「クリスタ、ついて来い」
「えっ⁉ 僕……私ですか?」
びっくりするクリスタに、カンネーは
「お前が来なけりゃ話にならないんだ。とにかくついて来い」
そう言って、半ば強引にクリスタと共に謁見の間に入った。
そして二人は、そこで思いもよらぬ人物を見て驚いた。
「やあアリョーシャ、じゃなかったクリスタ、久しぶりだね?」
そこには、ホルンがニコニコ笑って待っていた。隣にトルクスタン侯サームと『餓狼のガルム』を従えて……。
「ホルン様⁉ どうしてここに?」
目を丸くするクリスタだったが、カンネーの方は別に意外でもないらしく、
「……そう言うことだと思ったぜ。道理で俺たちの待遇が破格過ぎたわけだ」
そうつぶやいていた。
「あなたがカンネー殿たちと一緒にいることが分かったからね、ここで待っていれば会えると踏んだのさ」
ホルンがニコニコしながら言うと、サームを振り返って訊いた。
「トルクスタン侯、この者たちの処遇は、私が決めていいかい?」
サームは笑ってうなずく。
「陛下のご推薦であれば、カンネー殿たちを我が麾下に加えることに異存はございませんし、その部隊をどう動かせとご指示いただければ、それに従います」
ホルンはそれを聞いて、表情を引き締めてカンネーに言った。
「カンネー・イレーサー、そなたの部隊はすでに国軍の一翼を担うものとなった。ついてはクリスタをイスファハーンまで護衛することを、サーム・ジュエルの名において命ずる」
「はっ!」
カンネーは、命令を受けて頬を紅潮させて敬礼する。思えばこうして正式な命令に接するのも3年ぶりだったし、何よりサーム・ジュエルの名の許にとはいえ前女王直々の下命だったことが、カンネーを感激させていた。
「ホルン様……」
何か言おうとするクリスタに、ホルンはニコッと笑って
「クリスタ、あなたがどんな運命に逆らっているのかは知らないけれど、それが大きな問題であればあるほど、チャンスは有効に使うべきだよ。安心しな、私もサーム殿も、そしてカンネーも、あなたのことは詮索したりはしないからさ」
そう言うと、カンネーも
「そのとおりだ。さっきもそう言ったじゃないか。それにお前自身、俺たちにイスファハーンまでついて来てくれと頼んだろう」
そう言ってクリスタの目をのぞき込み、
「どうせ連れて行くつもりだったんだ。命令ならばさらに力が入るってものさ。お前は何も言わなくていい、ただ俺たちについて来て、俺たちを頼ればいいのさ」
そう笑った。
「カンネーさん……」
クリスタは唇をかんで下を向いた。見ず知らずの子どもである自分に、こうまで言ってくれる人がいることが嬉しかったのだ。けれど、自分を狙っているのがどんな者たちかを痛いほど知っているクリスタは、だからこそカンネーたちを危険にさらしたくはなかった。
「せっかくですが、僕は……」
そう言いかけたクリスタに、ホルンが低い声で言った。
「生き延びることを知らない奴は、いつまで経ってもその剣を抜けないよ」
語気こそ穏やかだったが、その言葉はクリスタの心を鋭くえぐった。
「……今、何と?」
蒼白な顔色でクリスタが訊くと、ホルンは翠色の瞳を持つ目を細めて言った。
「それが優しさかケジメかは知らないけれど、相手が相手だ。自分一人でどこまで生き延びられると思う? まずはどんな手を使ってでもバグラチオン将軍に会うことさ。そこから先は、私は何も干渉しないよ」
クリスタは熱くなる頭を何とか冷やそうと深呼吸する。そしてハッと気づいた。
(ホルン様は、僕を狙っている奴らの正体を知っておられるんだ!)
そう気づくと、今さらながら自分の小ささや力のなさが痛感された。自分がいかに隠そうと、いかに努力しようと、それ以上に洞察力がある者には何も隠せず、それ以上に力のある者には抗いようもないのだ。
「……ありがとうございます。せっかくの申し出、ありがたくお受けします」
クリスタはやっとそう言ったが、ひどくプライドを傷つけられた思いだった。
そんなクリスタを見て、ホルンはさらに一言言った。
「そんな小さなプライドは捨てちまいな。自分がどれだけのものを背負っているかを真剣に考えている人間は、生きるための努力を卑屈とは捉えないものだからね」
ハッとするクリスタに、ホルンは遠い目をして笑った。
「……私がそうだったよ。心から『生きたい』と願った時、初めて『アルベドの剣』は鞘を離れた。自分の運命をそこで諦めなかったからだろうね。泣いて、喚いて、足掻いて……無様でも運命に抗うのさ、自分の持っているものが大切ならばね」
★ ★ ★ ★ ★
ファールス王国の北側は、茫漠とした草原が広がっている。
雨はたまにしか降らず、乾いた気候ではあるが、それでもあちらこちらに草が芽吹いていて、遊牧民たちの格好の牧場になっている。
ここに定住する者は誰もいない。たまに土地を潤す川や池がある周辺に小さな集落が続いているが、そこに住むものはファールス王国にも、東のダイシン帝国にも、そして北のウラル帝国にも所属していない。『ステップ』と呼ばれるこの地域は、いわば三つの大国の緩衝地帯として機能していた。
その『ステップ』を越えて北に行くと、ウラル帝国がある。この帝国は100年ほど前にウラル大公が建国した国で、現在の皇帝は第6代、ディミトリー・ルーリックであった。
彼は、帝国の北にある帝都エリンスブルグの宮中で、深い懊悩の中にあった。
「まだアゼルスタンからの報告はないのか?」
ディミトリーは、薬を煎じている侍医のマルコフに訊く、マルコフは小さな声で
「殿下が都を出られた後、『オプリーチニキ』が帝都を離れています。ポクルイシュキン司令官の話では国内巡視とのことですが、私の友であるニンフエール監察の話では、『オプリーチニキ』は殿下を追って出撃したものと思われる、とのことでした」
そう報告すると、ディミトリーは小さくうなずき、
「『オプリーチニキ』は余直属の親衛隊。摂政はその『オプリーチニキ』まで我がものとしたというのか……」
そうつぶやくように言うと、激しく咳き込み始めた。
「陛下、大丈夫でございますか?」
マルコフはディミトリーの背中をなでながら言う。皇帝は口をハンケチで覆って咳き込んでいたが、やがて息を整えると、
「摂政の考えそうなことだ。けれど、『帝国の象徴』がアゼルスタンの手にあるうちは、あの男も何もできまい」
そうかすれた声で言う。
「陛下、事ここに至っては軍司令官のオスラビア将軍を召して、善後策を協議されてはいかがでしょうか」
マルコフの言葉に、ディミトリーは軽く首を振って
「今はその時ではない。軍を使えば戒厳令を敷かねばならぬ。それでは民が難儀しよう」
そう言うと、
「ああ、閣内にも摂政の手が回り、余の言動はことごとく摂政の知る所となっている。そんな状態で下手にオスラビアを召せば、摂政は何をしでかすか分からぬぞ」
哀しげな顔で首を振るディミトリーであった。
(お労しい……一と言って二とは下らぬ大帝国の皇帝陛下が、このような形で煩悶されるとは……)
マルコフの顔にそのような同情の色を見たのであろう、ディミトリーは薄く笑って言った。
「ふふ、そんなに心配をかけるとは、余もいよいよ焼きが回ったかの」
「今、何と申されました?」
皇帝の言葉に自嘲の響きを聞いたマルコフは、静かにそう訊いた後、
「玉璽尚書のアレクセイ・アダーシェフ殿は智謀に富み忠誠心に篤いお方。そして皇太子護衛隊長であったアリョーシャ・バグラチオン将軍とも親しい間柄です。彼を召して良き策を立てられてはいかがでしょうか?」
そう献策した。
ディミトリーはしばらく何かを考えていたが、うなずくとマルコフに命じた。
「……それもよかろう。マルコフ、すまぬがそなたが密かにアレクセイ・アダーシェフと連絡を取ってくれぬか?」
ウラル帝国は北方の大国であり、最大の国土面積と豊富な資源を誇る。
同じような大国は、東方にダイシン帝国、西方にロムルス帝国、そして南方にファールス王国があった。これらの国々を一言で特徴づけるならば、広大なウラル帝国、人口最多のダイシン帝国、土木建築技術や軍事技術に秀でたロムルス帝国と言えるだろう。
そのウラル帝国では、10年前ディミトリー2世が27歳で即位した。ディミトリー2世は生来学究肌で気が優しく、そして合理主義者でもあった。
彼は、ウラル帝国が他の国々とは比較にならないほどの国土を持ちながら、技術や文化の面では常にロムルス帝国やファールス王国の後塵を拝していることを、皇太子時代から残念に思っていた。
そのため、彼は最初の5年間で様々な改革を打ち出した。
まずは、学校を整備して国民の教育を受ける機会を保障するとともに、国内に浸透していた妖魔や怪異を信じる風潮や、怪しげな祈祷などを行う団体・個人を厳しく取り締まった。
次に、全国の特産を調べ、その増産を奨励するとともに各国への輸出に力を入れた。
産業を振興させるということは、国内の流通網や商業に関する法体系の整備も必要であり、ディミトリーは精力的にその改革を推進した。改革推進派の中心となったのが若き財務官アレクセイ・アダーシェフであった。
「他の国々は、皇帝や国王が国家のすべての権限を握り、民を導く使命のもとで国家を運営している。ひるがえって見ると我が国は大貴族が各地に盤踞し、国家の国民を私的に搾取している。だから中央の命令が貫徹せず、ひいては他の大国と比較して遅れている部分があるのだ」
アダーシェフはそう喝破し、大貴族私有地を巡察して法令違反などがあれば即刻領主を逮捕することができる権限を持つ親衛隊『オプリーチニキ』を作った。この組織の立ち上げに当たって、アダーシェフに協力したのが、自らも大貴族でありながら帝国の後進性を嘆いていた新進気鋭の将校アリョーシャ・バグラチオン将軍である。
それ以来、ディミトリーはアダーシェフを玉璽尚書として身近に置き、バグラチオンを皇太子親衛隊長として皇太子の補佐を任せつつ、自らのブレーンとして重用していた。
しかし、急激な変化は国内に軋轢を生む。ましてやディミトリーのように既得権をはく奪するような改革を行う場合はなおさらであった。
「陛下は良きウラル帝国の慣習を破壊しようとしている。異国かぶれの皇帝だ」
特に大貴族たちから、そんな声が上がりだすのは火を見るよりも明らかであった。
そんな彼ら大貴族たちの希望となったのが、ディミトリーの弟、つまり皇弟イヴァン・フョードルであった。
彼自身、イヴデリ公として大貴族であったイヴァンは、宮廷の侍医を買収してディミトリーの食事に毒を盛らせ、体調を少しずつおかしくさせていった。
そしてディミトリー即位6年目、皇帝が閣議中に人事不省となる事態が起こった。アレクセイ・アダーシェフやバグラチオン将軍の必死の努力によって生命の危機は回避されたが、そのころからイヴァンは大貴族たちを後ろに従えてディミトリーに迫り、即位10年目の今春、ついに摂政の座を半ば強引に認めさせた。
イヴァンは狡猾に立ち回り、閣内の主要な臣下でディミトリーに忠誠を誓っているのは今やアレクセイ・アダーシェフと軍司令官のウラジミール・オスラビア元帥だけという状況だった。
「余には軍がついている故、イヴァンも短兵急に事を進めようとはすまい。しかし怖いのは彼がアゼルスタンに手を出すことだ。おかしな動きがあればすぐに知らせよ」
ディミトリーは、バグラチオン将軍を皇太子親衛隊長に親補するとき、特にそう言う命令を与えていた。
皇帝の危惧は現実となり、アゼルスタン暗殺計画が実行されることを知ったディミトリーは、アゼルスタンに
「バグラチオンと共にほとぼりが冷めるまで他国に潜んでいよ。ただし、ロムルス帝国やダイシン帝国はいかん。どこかの小国かファールス王国がよかろう」
そう忠告を与え、『伝国の宝剣』と共に首都エリンスブルクを脱出させたのであった。
「とにかく、『伝国の宝剣』さえ手に入れれば、余は正式にこの帝国の皇帝となれるというのに、小僧と若造相手に何を手間取っている? 真面目にやっているのかポクルイシュキン!」
皇帝が住むエリンスブルクの宮殿の南側に、ひときわ目立つ豪邸がある。大貴族たちが首都に滞在する間、彼らはその豪勢さを競った邸宅に住まいしたが、この屋敷はそれらの屋敷とは別格の存在であった。
まず、その広さが異常である。皇帝の宮殿には及ばないものの、他の大貴族の邸宅の優に3倍はある敷地に、林や牧場まで造られ、その中央に屋敷が建てられていた。
その屋敷の主、イヴデリ公イヴァン・フョードルは、目の前に畏まった左頬に刀傷がある精悍な男を怒鳴りつける。
ポクルイシュキンと呼ばれたその男は、嵐が過ぎるのをやり過ごすように顔を伏せていたが、イヴァンの叱責がひと段落したと見るや、真剣な表情でイヴァンに言った。
「殿下、途中で謎の人物が妨害してきたことはご報告いたしましたが、その人物について少し気がかりがございまして」
「気がかり? 確か槍を使う女と隻眼の男だということだったな。大方そいつらはバグラチオンが雇った用心棒たちだろう。たかが用心棒ずれに天下の『オプリーチニキ』が何の気がかりがあるというのだ?」
イヴァンは不機嫌な声でポクルイシュキンの言葉をさえぎったが、ポクルイシュキンが言った言葉に凍り付いた。
「その女性が、ファールス王国前女王のホルン・ジュエル殿だったとしたら、いかがいたします?」
イヴァンはさすがに考え込む形になる。
ファールス王国での一連の出来事は、遠く北方のこの国にまで聞こえていた。今は簒奪無策王と言われているザッハークの時代に国力を落としたファールス王国だったが、ローム3世の実子と名乗るホルンが、トルクスタン侯国の世子である『白髪の英傑』ザールらと共に挙兵し、王権を奪還した。
その時の『終末預言戦争』の様子は、破壊竜アンティマトルや女神アルベドとの戦いも含めて各国に広がり、光輝聖女王ホルンやその後を受けたザールを戴くファールス王国には、各国の畏怖の視線が集まっていたのである。
「その情報は確かなものなのか? 余はファールス王国光輝聖女王は即位半年で崩御したと聞いているが?」
息をひそめるようにして訊くイヴァンに、ポクルイシュキンは厳然として答えた。
「わが『オプリーチニキ』の情報網は各国の中枢部にも食い込んでいます。どうやらホルン女王は亡くなられたのではなく、何らかの事情で王位をザール王に譲ったらしいのです。その後ホルン殿は消息不明でしたが、用心棒として復帰しているとの情報をつかんでいます。一緒にした男はファールス王国で前将軍をしていたガルム・イェーガーで、用心棒としての二つ名『餓狼のガルム』の方が有名かもしれません」
「それはまずいぞ。とんでもない者たちが首を突っ込んできたものだ」
狼狽するイヴァンに、ポクルイシュキンは能面のような顔で訊いた。
「相手が悪いというご判断でしたら、私共は手を引きます。しかし、あくまで命令を貫徹せよとの仰せでしたら、部下には何も知らせずに命令を続行させますが?」
それを聞いて、イヴァンは再び黙り込む。どうやらポクルイシュキンたち『オプリーチニキ』は、ウラル帝国の命しか奉じない、そう言いたいようである。
(相手がたとえ元女王だったとしても、今はただの用心棒だ。ザールも何も言えまい。仮にザールが何か言ってきた場合には、それこそファールス王国の宮廷にホルンの動きを止めさせればいい)
そう心に決めたイヴァンは落ち着きを取り戻し、元の威厳ある態度でポクルイシュキンに命じた。
「汝ら『オプリーチニキ』よ、帝国の大事である。相手が何者であろうと命令を遂行せよ。余は陛下に代わってその方たちの忠勇をここで見ていよう」
(『3 王都の震撼』に続く)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
アゼルスタンを取り巻く状況が段々と明らかになってきました。
次回、『王都の震撼』は、29日投稿予定です。お楽しみに。