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青き炎の魔竜騎士(ドラグーン)  作者: シベリウスP
12/18

12 魔竜の宝玉

特殊部隊を壊滅させたホルンたちは、『魔竜の宝玉』と呼ばれる異質な魔力を持つ魔道具の存在を確認する。

『魔竜の宝玉』の秘密を探るロザリアやマルガリータたち。その時、敵は新たなる軍団をホルンたちに差し向けていた。

 ホルンは、『死の槍』の鞘を払って訊く。


「あなたからは敵意は感じられないが、念のために鞘は払わせてもらうよ。それで、皇帝親衛隊オプリーチニキの司令監察殿が敵の私に何の用事だい?」


 レオンは亜麻色の髪をサッとかき上げ、石色の瞳でホルンを見て告げた。


「あなたは光輝聖女王としてファールス王国という大国を指導し、わずか半年で昔日の国威を取り戻した英傑。そんなあなたが単に頼まれたからという理由でアゼルスタン殿下の味方をするとは思えません。その理由をお聞かせ願えれば、私が知っている帝国の状況や摂政殿下のことについてお話ししたいと思いますが?」


 そして、微笑と共に付け加えた。


「デューン・ファランドール様の薫陶を受けた陛下のことです、何か大きな理由があると信じています」


「デューン・ファランドール様をご存知なのですね?」


 ホルンが驚いて訊くと、レオン・ニンフエールはうなずいて答えた。


「はい、私の父はガラナ・ニンフエールの弟です。ですからアマル・ニンフエールは私の従姉ということになります」


「……思い出しました。ガラナ殿はもともとウラル帝国にいたが、皇帝の圧迫が厳しくなったためにアルベニアに亡命された……そうでしたね?」


 ホルンが訊くと、レオンは薄く笑って言う。


「さすがはホルン陛下、非常に用心深くあられますね? 伯父の亡命先は正確にはローマニア王国です。アルベニアに住まうことになったのは、デューン・ファランドール様のお力でアルベニア共治国が出来上がってからのことになりますね」


 それを聞いて、ホルンは恥ずかしそうに笑って言った。


「ふふ、悪く思わないでください。こんな仕事しょうばいをやっていると、どこに落とし穴があるか分からないものですから……」


 そして、真剣な顔に戻って言った。


「分かりました。私がなぜ、アゼルスタン殿の味方としてここに居るかお話ししましょう。レオン殿、あなたはウラルの人、当然『摂理の黄昏』や『チェルノボグ』のことはご存知でしょう?」


 するとレオンは、少し顔色を青くしてうなずくと、


「やはり、そのことでしたか」


 そうつぶやき、


「実は1年ほど前から、『摂理の黄昏』の噂が国内のあちこちでささやかれるようになっていました。摂政殿下も最初は笑っていたのですが、ある事件が起こってから急に、『摂理の黄昏』についての調査が皇帝親衛隊に命じられたのです」


「調査? ある事件?」


 ホルンが訊くと、レオンはホルンの後ろにいる兵士たちに視線を向ける。


 ホルンはうなずくと、振り返って兵士たちに告げた。


「悪いが、みんな私たちから20ヤードほど離れてくれないかい?」


 すると兵士たちは、命じられたとおりに二人から距離を開けた。


 レオンは薄く笑うと


「……お心遣いいただき感謝します。まずは事件のことから話をいたしましょう」


 そう言うと、ウラル帝国の運命を動かした事件のことについて話し始めた。



 イヴデリ村は、ウラル帝国の名のもととなった山脈の東側にある小さな村である。


 小さな村ではあるが、湿原が近くにあって風光明媚であるとともに、ウラル帝国の大都市の一つエリンスカヤと東の領土ににらみを利かせる都市シベリアノスクをつなぐ交通の結節であり、軍団も駐留しているような場所でもあった。


 ここを摂政イヴァン・フョードルが領地としたのは、広大な荘園が作れる土地があったことと、軍団を意のままに動かせる立場を欲したからに他ならない。


 その事件は、今から1年ほど前、摂政イヴァン・フョードルの領地であるイヴデリ村を中心に起こった。


 最初は、村の周囲に放牧されている牛などが犠牲となった。


 牛たちはみな、喉元を食いちぎられ、身体中の血が抜かれた状態で横たわっていた。昼間の場合もあれば夜間、牛舎の中で冷たくなっている場合もあった。


 そして夜間の場合でも、誰も牛が騒ぐ物音を聞きつけた者はいなかったのだ。


「またやられたそうだ」


「今度はニースカヤ通りで起こったってよ」


 イヴデリ村の酪農家たちは、この不可解な事件に不安感を募らせた。そしてひと月後には酪農家たちだけではなく、村人全員を恐怖のどん底に叩き込む事件が起こったのだった。


 度重なる被害に耐えかねた酪農家たちは、自警団を組んで昼間の放牧地や夜間の牛舎巡回に乗り出した。そしてとうとう、自警団から被害が出たのだった。


 被害者の状況は、牛たちと同様だった。みんな喉元を食いちぎられ、身体中の血が無くなっていた。


 人的被害が出たことで、地元の警邏が動き出す。けれど犯罪者を相手にしている屈強な警邏ですら、何人もが犠牲になってしまった。そしてついに、イヴデリ村で起こりつつある奇怪な事件の話は、領主たるイヴァン・フョードルの耳に入ったのである。


「牛たちも領民も我が財産。どんなバケモノが余の財産に手を出しているのだ。至急、犯人をひっ捕らえよ!」


 イヴデリ村に駐屯する国軍にそうした命令が届いたが、軍ですら『犯人』の影も形もとらえることができず、その間にも人や家畜の被害は増えるばかりだった。



「それは面妖な事件ですね。それでその事件は解決したんですか?」


 ホルンが訊くと、レオンは薄く笑ってうなずき、


「事件そのものは……ですね。けれど摂政殿下に今のような強引なやり方が見られ始めたのも、この事件からです」


 そう言うと、


「摂政殿下は、この事件の調査に、我々オプリーチニキを投入されました。直接、命令を受けたのは当時副司令官のトロツキー殿です。彼は摂政殿下と非常に仲が良かったですからね。ただ……」


 と口ごもる。


「ただ、何です?」


 ホルンが先を促すと、レオンは


「ただ、我々オプリーチニキは皇帝陛下のご命令の下に動く建前です。摂政殿下と仲が良いトロツキー殿としても、陛下からご下命なしの出動には躊躇されたようですが、『オプリーチニキ』としてではなく個人の責任で調査に当たられました」


 そう答えた。


「それはそうでしょうね。それで、どんなバケモノが犯人だったんですか?」


 ホルンの問いに、レオンは首を振った。


「事件を引き起こしていたのは人狼や吸血鬼でした。このことはイヴデリ村の人々には後述する理由で明かされていません。ただ、トロツキー殿は事件の解決に当たって、摂政殿下をどこかに案内しています。彼がどこに、何のために摂政殿下を案内したのか、それについてはトロツキー殿がほどなくして戦死してしまうので分からないままです」


「……その後、摂政殿下にこれまでにない強引さがみられるようになった……ってわけですね? それは確かに気になるところですね」


 首をかしげるホルンに、レオンは目を細めて言う。


「はい。そして人狼や吸血鬼という魔物が事件に関わっていたとなれば、我々ウラル帝国に住む者たちはすぐにチェルノボグの件を思い出します。チェルノボグは眷属として吸血鬼シチシガ人狼ヴィルコラクを率いていますから」


「それで、村の人々に余計な不安を与えないために、その部分は伏せられたってことですね」


 ホルンが言うと、レオンはそれに答えずに、一歩近づいて来て小声で言った。


「このことが最もお話ししておきたかったことですが、私が独自にアニラ・シリヴェストル殿に問い合わせたところ、『摂理の黄昏』が近づいた予兆ではないか……と心配されていました。ホルン殿にお聞きしたいのは、あなたがどなたから『摂理の黄昏』や『チェルノボグ』のことをお聞きになったかです」


 ホルンは翠の瞳で真っ直ぐにレオンを見て答えた。


「私も、アニラ・シリヴェストル殿から話を伺った一人です。そして皇太子殿下への合力を依頼されました」


 そう言うと、さらに薄い笑いと共に、


「……ファールス王国のロザリアも、そのことに気付いているようです」


 そう言うと、レオンは一瞬びっくりした顔をしたが、すぐにうなずいて


「……ロザリア皇后陛下もアニラ殿や楊天権殿と並び称される魔女、気付いていないわけがございませんでしたね。我らはファールス王国の動向にも目を配っておかねばならないってことか……」


 つぶやくように言ったレオンは、やがて顔を上げて


「……この国に大変なことが起きつつあることは理解しました。私は戻って善後策を考えましょう」


 そう真剣な顔で言うと、フッと優しい瞳をホルンに向けて言った。


「……わが精鋭なる『オプリーチニキ』を退けられましたね? 次は国内の治安部隊南方第4軍がここに攻撃を仕掛ける予定です。指揮官は第4軍司令官のエドウルフ・ガルバニコフ、指揮兵力は全部で3万5千です。ただし、麾下の第45旅団長は私の弟、ここへの攻撃は控えるように説得しておきましょう」


「それはありがたいことです。こちらも意味のない戦いをするつもりはありませんから」


 ホルンがうなずくと、レオンは笑って


「治安部隊は軍の精鋭にも匹敵します。ここに攻撃を仕掛けるのは2万5千の兵力です。ご武運をお祈り申し上げます」


 そう言うと、影のように姿を消した。


 それを見送ったホルンは、ややあって後ろにいた兵士たちを振り向き、


「ペイノイの陣地に戻ろうか。みんな、次の戦いまでゆっくりと身体を休めておくことだよ」


 そう言って笑った。


   ★ ★ ★ ★ ★


「やあホルンさん、けっこう派手に暴れたそうじゃないですか?」


 ペイノイに戻ったホルンは、ガルムのニヤニヤ笑いに迎えられた。


 ホルンはいたずらっぽく笑いながら答える。


「暴れたのは私じゃなくてブリュンヒルデだけれどね? まあ、あのくらいやらないと、アゼルスタン殿の武威を天下に示せないからね」


 けれど、すぐに真面目な顔でガルムに訊いた。


「ガルムさんが相手した奴らも『魔竜の宝玉』を持っていたんだね? 指揮官クラスしか持っていないのか、ある程度の数があるのか分からないけれど、何にしてもあの宝玉はこの世界にあっていいものじゃないね」


 ガルムもうなずいて、


「その意見には賛成するよ。誰が考えたものかは知らないが、あの宝珠を持っている奴は自分もただじゃ済まないな」


 そう苦々しい顔をした。


「その宝玉の出どころや特徴が分かれば、『摂理の黄昏』についてもっと詳しいことが分かるかもしれないね。マルガリータはどこにいるんだい?」


 ホルンがそう言っていると、ソフィアが近くに寄って来た。


「あっ、ホルン様、今回はお疲れ様でございました。ホルン様がオプリーチニキ司令監察からお聞きになったことについて、殿下が詳しいお話をお聞きしたいとのことですが」


「分かったよ、すぐにお伺いさせていただくよ」


 ホルンはうなずいて、ソフィアと共にアゼルスタンのところへと向かった。



 本陣に入ったホルンは、ニコニコ顔のアゼルスタンやバグラチオンから迎えられた。


「ホルン様、さすがはアニラ殿が『蒼炎の魔竜騎士ドラグーン』とおっしゃっただけありますね。名にしおうオプリーチニキの魔導士隊をあっという間に壊滅されるとは、正直僕もバグラチオンも信じられない思いです」


 アゼルスタンが言うと、ホルンは嬉しそうな顔もせずに言う。


「緒戦の小手調べさ、これくらいの戦いで気を緩めちゃいけないよ。それより私は気になることがあるんだが、殿下やソフィア姫、それにバグラチオン将軍の意見をぜひ聞かせていただきたいんだ」


「何でしょうか? 私に分かる事でしたらいくらでもお答えいたしますが?」


 ホルンを連れて来たソフィアが、青い目を丸くして訊く。


「あなたたち三人はウラル帝国の生まれだ。だから、『魔竜の宝玉』について知っていることを教えてほしいんだ」


 ホルンの問いに、アゼルスタンは


「いや、僕は今まで『魔竜の宝玉』などというものを聞いたことがない。バグラチオン、そなたはどうだ?」


 そう不思議そうな顔をして、傍らに控えるバグラチオンに訊く。


 バグラチオンも、首を振って答える。


「いえ、私も初めて聞いた言葉です」


「ふーん、他ならぬオプリーチニキの奴らが持っていたものだけれどね。本当に知らないのかい? 噂程度でも聞いたことはないんだね?」


 ホルンがバグラチオンの目を見ながら訊く。バグラチオンは刺すようなホルンの視線にもたじろがずに答えた。


「はい、オプリーチニキがそんなものを持っているということすら初耳です。それはどのようなものでしょうか?」


「そうだね、強いて言えば『異質の魔力』が詰められた魔道具って感じだね。魔戦士と魔導士とで発現の違いはあるかもしれないが、少なくともガルムさんが相手した魔戦士たちは、そいつの力を使って人狼化したみたいだ」


 ホルンがそう説明すると、青い顔をして黙っていたソフィアがおずおずと言う。


「あ、あの……私自身はその『魔竜の宝玉』を見たことはございませんが……」


 ソフィアはそう前置きしたうえで、


「師匠からそのような物があるかもしれないとだけは注意されていました。チェルノボグの魔力を込めた宝玉があり、それを手にした者は何人であろうとチェルノボグの手先となってしまうと……師匠とホルン様の話が本当なら、何者かがチェルノボグの力を広めていることになります」


 硬い顔をしてそう言うソフィアに、ホルンはうなずいて言った。


「私もそう思う。そしてレオン・ニンフエール殿は、1年ほど前に現在の摂政の所領で事件が起こり、それに吸血鬼や人狼が関わっていたことや、事件解決のために当時のオプリーチニキ副司令官がイヴァン・フョードルを連れてどこかに誰かを訪ねていること、そしてその直後からイヴァン・フョードルの強引さが目立つようになったこと、を話してくれた。それが『摂理の黄昏』とどう関係しているかはまだ分からないけれど、まったくの無関係とも思えない」


「では、私が師匠に訊いて来ましょう」


 ソフィアが言うと、ホルンは笑って首を振った。


「あなたは殿下の隣にいてほしい。調べるのはマルガリータの役目だよ。彼女に知恵を貸してもらえたらありがたいね」


 そしてホルンは、アゼルスタンとバグラチオンに顔を向けて


「私たちは、次にかかってくるはずの治安部隊をどう料理するかを考えようじゃないか。レオン殿の話では、2個旅団と軍司令部、合わせて2万5千らしいからね」


 そう言って笑った。


   ★ ★ ★ ★ ★


「お師匠が作戦行動中の私をわざわざ呼び出すのだから、よっぽどのことに違いない」


 マルガリータは、駆け足でやって来る冬の気配を漂わせた『蒼の海』を見つめながらそうつぶやく。


 ホルンの安否を確認しに出発したガルムを見送った後、自分の帷幕に戻ったマルガリータのもとに、不意にロザリアからの『風の耳』が届いた。


『マルガリータ、火急の要件じゃ。すぐにアクキスタウまで来てくれんか』


 けれどマルガリータにとってアクキスタウとは初めて聞く地名であった。彼女は当惑した様子でロザリアに答える。


『し、師匠、アクキスタウとはどの辺りでしょうか?』


 すると、苦笑するようなロザリアの返事が届く。


『うむ、そなたにはまだ話しておらんかったかの? ならば仕方ない、『蒼の海』の北辺、アティラウの町に来るのじゃ。私がそなたを案内する。アティラウならそなたも分かるじゃろう?』


『はい、ルーン公国第二の都市ですね? 分かりました、すぐに参ります』


 マルガリータの答えに、ロザリアは


『頼むぞ。町の北には大きな橋がある。その右岸側で待ち合わせじゃ』


 そう答えてきた。それを聞いてマルガリータは直ちに転移魔法陣を使ってアティラウの北へと移動したのだった。


(ひょっとしたら、この間お届けした『魔竜の宝玉』についての話かもしれないわね)


 マルガリータが、黒髪を風になぶらせながらそう考えていると、


「おお、早かったのう。場所もピッタリじゃな」


 彼女の目の前の空間がぐにゃりと歪み、そう言いながら12・3歳の少女が姿を現す。言わずと知れたロザリアの仮の姿である。


「師匠」


 言いかけたマルガリータに、ロザリアはみなまで言わせずに


「分かっておる。わざわざそなたを呼び出したのは、この間受け取った『魔竜の宝玉』についての話じゃ。かく言う私もアニラ殿から呼び出されたクチじゃ。これからアニラ殿のもとに参るから、そなたは空間ベクトルを覚えておくといい」


 そう言いながら、右手の人差し指をボウッと紫色に光らせた。



「わざわざ来ていただいて感謝する。遠慮せずに入るといい」


 アクキスタウ村の高台にあるアニラの家を訪ねると、アニラはそう笑って二人を招き入れる。中央に大きな暖炉があり、その太い煙突が屋根を支えている。


 ロザリアとマルガリータは、玄関から入って左側にある大きなテーブルへと案内された。


「本来なら我が出向かんといかんのだろうが、我は今、所用でここを動けん。それで二人にご足労願った次第だ。掛けて待っておくがいい、すぐに茶が煮える」


 ロザリアたちに椅子を勧めたアニラは、そのまま土間に降りて茶を準備し始める。


「ロザリア王妃もなかなかの紅茶通と聞いているが、こんな村でも交易路に近いので、けっこういい茶葉を手に入れることができる。気に入ってもらえると思うぞ」


「ほう、それは楽しみです。アニラ殿ご自身から茶を振る舞っていただけるだけでも光栄と申すものですが、それがいい茶となるとさらに喜びも増すというものです」


 アニラとロザリアは、そんな世間話をしている。悠長にしていていいのかとマルガリータが少し焦れていると、ロザリアはニコリとしてマルガリータに耳打ちした。


「よいか、大事なことほど急いてはいかん。アニラ殿にも考えがあってのことじゃからな、きっと」


 やがてアニラは、大きなポットと共にカップをテーブルまで運んでくると、茶を淹れながら訊く。


「ロザリア殿、マルガリータ殿、砂糖とミルクはどうする?」


「いい茶葉とのことじゃから、そのままいただこうかのう」


 ロザリアが言うと、アニラは笑ってうなずき、


「ふふ、噂どおりだな。我はミルクも砂糖もたっぷりと入れた紅茶が好みだが、マルガリータ殿はどうする?」


 そう訊かれたマルガリータは、慌てて答える。


「あ、それじゃ私はミルクを入れたものをいただきます」


「了解した」


 アニラは、まず紅茶だけを注いだカップをロザリアの前に置き、次にマルガリータの前に置いたカップに紅茶とミルクを注ぐ。


 最後に自分の前に置いたカップに少しの紅茶を注ぐと、匙で5・6杯分もの砂糖を溶かし込み、ミルクを注ぐと


「ふふ、甘い紅茶は空腹を紛らわせて頭もスッキリさせる。ただ、何杯も飲みたくなるのが珠に瑕だ」


 そう言うと、カップを口に運ぶ。それを見てロザリアもカップを取り上げて香りを楽しむ。


「……ほう、マウルヤ王国産の茶葉のようじゃな。マニプールかアッサムというところかのう? ほんにいい茶葉じゃ」


 ロザリアが言うと、アニラは目を細めてうなずき、


「うむ、我はアッサムからしか茶葉は取り寄せんことにしている。以前はセイロン島からも取り寄せていたが、海を渡るときにかすかに潮の香りが混じるのでな。それも悪くはなかったが……」


 そう言ってロザリアに問いかける。


「そう言えば、ファールス王国のジョージア伯領も茶の産地だが、ロザリア殿はどこの茶葉を常用されているのだ?」


「ジョージアの茶葉は私には少し甘いかのう。リゼの茶葉か、時には贅沢してダイシン帝国から取り寄せているのう」


「ふむ、ダイシン帝国か……そのうち我も取り寄せてみるかな」


 そう言うアニラに、ロザリアは


「興味がおありなら、私が戻ったら一缶お分けしよう。手間をおかけしたからな」


 そう言って笑う。


 アニラも笑うと、


「それは嬉しいことだ。こんなものを送られるよりも楽しみがあるというもの」


 そう言いながら、虚空から禍々しい魔力を漂わせているものを取り出し、テーブルに置いた。マルガリータにはそれに見覚えがあった。自分がロザリアに届けた『魔竜の宝玉』だったからだ。


「我もこの宝玉については話だけは知っていた。実際のところ、この目で見るまではその実在すら疑っていた。しかしこの魔力、我が知るどんな魔力とも似ていない。どんな清浄な場に置いても浄化するどころか禍々しさがかえって増している。これがチェルノボグの魔力とは断言できんが、少なくともこの世界に元から存在した魔力ではないことは確かだ」


 アニラはそう言うと、『魔竜の宝玉』をゆっくりと異空間へ戻した。


「こんなものが出回っているということは、考えられる限りで最悪のシナリオが必要になって来ている……我はそう思って、密かにウラル帝国にいる弟子たちにその他の『魔竜の宝玉』を探すように依頼を出している。ついでに、『摂理の黄昏』が迫っているという警告も含めてな」


 そしてアニラは、改めてロザリアたちを見て言った。


「今日ご足労いただいたのは他でもない、我が知っている『摂理の黄昏』の記録と、そなたたちが解析した『魔竜の宝玉』についての考えを共有しておきたいからだ。それによって必要な手を打ったら、我はホルン殿のもとに合流しよう」


   ★ ★ ★ ★ ★


 ウラル帝国には、いくつかの治安維持のための組織がある。


 その主なものは、警邏という警察組織や自警団という自治組織であるが、時には大規模な災害や騒乱など、それらの組織では対応できない事態が起こることもある。


 そんな時に投入されるのが治安部隊と呼ばれるもので、国軍に準ずる武装を許されていた。警察と軍隊の中間のような組織であるが、単なる武装警察ではなく、いわゆる憲兵隊としての役割や国軍の先遣隊としての任務も請け負っており、皇帝親衛隊には主にこの組織で活躍した人士が選抜されるのが決まりとなっていた。


 その活動範囲は、中央管区、西部管区、東部管区、南方管区、北方管区そして首都及び主要都市管区に分けられていて、それぞれに第1軍から第6軍までが置かれていた。


 南方管区の中心都市はヴォルガ川に面したヴォルゴグラードであり、ここに管区司令部と第4治安軍司令部が駐屯していた。


「なに、オプリーチニキが?」


 南方方面治安部隊の指揮を任されているエドウルフ・ガルバニコフは、司令部に届けられた封緘命令書を見て一驚した。


「……皇太子殿下を名乗るものが摂政殿下を名指しして詰問の檄を飛ばして挙兵したという話は聞いていたが、まさか我らに命令もなくオプリーチニキが出動していたとは……しかもわずか5百程度の敵に全滅に近い損害を与えられただと?」


 ガルバニコフは茫然としながらも命令書に再び目を落とす。そこには


『南方方面治安部隊の総力を挙げて不届きな偽者を処断し、帝国に対する挑戦を鎮圧せよ』


 と、皇帝の印璽を以て命令が書かれていた。


「全軍をもって鎮圧せよとは大げさだと思っていたが、オプリーチニキが敗北したとなると油断はならないな」


 ガルバニコフは、そうつぶやくと直ちに第4治安軍の指揮官を呼び出した。



「方面軍司令官殿、今度はどんな事件でしょうか?」


 第4治安軍司令部からサライ・チェトバンナ司令官が出頭し、ガルバニコフの前で直立して訊く。ガルバニコフは


「ちょっと内密な話だ。そこにかけてくれ」


 そう言って椅子を勧め、チェトバンナの鼻先まで顔を近づけると、


「貴官は、近ごろファールス王国の北辺に偽皇太子がいることを知っているか?」


 そう小声で訊く。


 チェトバンナはうなずいて、


「はい、やはりそのことでしたか。そろそろ討伐命令が来そうなものだと思っていました」


 そう答える。


「首都からの命令は偽皇太子を処断し、帝国への挑戦を鎮圧せよということだ。ただ、我が方面治安軍の総力を挙げて任務を遂行せよとのお達しだ」


 ガルバニコフが命令書を見せながら話すと、チェトバンナは不思議そうに訊く。


「……それはたいそうな命令ですね。相手はどのくらいの兵力ですか? 1万程度はいるのでしょうか? それにしては大きな動きは感じられませんが」


「命令書の状況判断によると、偽皇太子以下5百名程度とある。オプリーチニキが偵察した結果だから信用が置けるだろう」


 ガルバニコフの答えに、チェトバンナは破顔一笑した。


「はっ! たかが5百に3個旅団3万を向けろってことですか? それは余りに過大兵力では?」


 チェトバンナの当然の反応に、ガルバニコフはうなずいたが、沈痛な顔で言った。


「そう思うのも無理はない、私も最初はそう思った。けれどここだけの話だが、オプリーチニキが魔戦士隊と魔導士隊5百で鎮圧に出動し、4百を超える損害を負って敗退しているらしい。だから中央の指示は笑い飛ばせるものではなさそうだな」


「何ですって?……」


 ガルバニコフの言葉を聞いて絶句するチェトバンナだったが、すぐに命令遂行に頭を切り替えた。


「……それほどの敵なら、しっかりと準備をし、作戦も練って掛からねばなりませんね。了解いたしました、すぐに司令部に帰り、作戦計画を提出いたします」


 チェトバンナはそう言うと立ち上がった。



 チェトバンナが作成した作戦計画は、野戦と攻城戦を想定したものだった。反乱軍が出撃して来れば草原地帯で包囲し、籠城したら兵糧攻めとするのが基本計画である。


「相手は油断ならない。どのように事態が推移するのかも測りがたい。まずは長距離偵察が必要だな」


 チェトバンナは作戦計画がガルバニコフの裁決を得ると、すぐに第41旅団を進発させた。ルーン公国に進んでアティラウに作戦の拠点を置く方針だったからだ。


 ルーン公国のガイウルフ公は、突然治安部隊司令部から領土通過と領土内での拠点設営について通達を受けたが、その要望を快く受け入れて


「進撃路を事前に通達いただければ、兵糧などは集積しておきましょう。領内での私的な調達だけは厳に取り締まっていただきたい」


 そう、協力も申し出た。


 そして、手に入れた第4治安軍の進撃路を、アゼルスタンの側にいる公女ソフィアのもとに密かに届けさせた。


「ルーン公が届けてくださった計画書では、第4治安軍は野戦部隊である旅団3個すべてと、管理部隊である軍司令部5千を挙げて動かし、アティラウに野戦指揮所を設営する予定みたいです」


 ペイノイの陣地に依るアゼルスタンの本営で、ソフィアがそう報告する。


「バグラチオン将軍、旅団の編成って分かりますかね?」


 ガルムが訊くと、バグラチオンはすぐさま答えた。


「治安軍は基本的には旅団を戦略単位として、3個旅団で1個軍を編成しています。旅団の編成は1個騎兵聯隊1千騎、1個弓兵大隊1千人、2個歩兵大隊2千人、2個工兵大隊2千人、4個輜重大隊4千人で、合計1万です」


「軍団より小回りが利くってことか。ヴォルゴグラードからアティラウまで、アストラハンを経由して約8百キロ、普通なら一月ってところかな?」


 ガルムの言葉に、バグラチオンは首を振って言う。


「いえ、ヴォルゴグラードからアストラハンまでは河川が使えます。残りの350キロに10日ほどかかるとして、川下りの450キロは2日で済みます。ですから、2週間程度でアティラウにやってくると考えた方がいい」


「一部は『蒼の海』を渡ってくると思うかい?」


 ホルンが訊くと、バグラチオンは少し考えていたが、


「生活の一部になっているヴォルガ河の水上交通は発達していて、それなりに船もありますが、『蒼の海』を使った交易をしている者はほとんどいない状況です。ルーン公国でどれだけ船を徴用できるかによりますが、旅団単位での渡海は難しいのではないでしょうか」


 そう答える。


「ってことは、下の道で埋伏しても後ろを断たれる恐れは少ないってことだね」


 ホルンが言うと、バグラチオンは慌てた様子で訊く。


「ホルン様、基本的には陣地に籠って戦うのでは?」


 ホルンは、額から右頬にかけて走る傷を歪めて笑って言った。


「ふっふっ、バグラチオン将軍、あなたも軍事の玄人なら援軍のない籠城は成り立たないって分かっているはずだよ? そうなると私たちが採るべき手は相手を全滅させるか、少なくとも撤退させなきゃならない。その時に頼りになるのは味方の士気だ。最初っから陣地にイモっていたって士気は上がらないよ」


「それはそうですが」


 心配そうなバグラチオンに、アゼルスタンが静かに言った。


「バグラチオン、ホルン様は僕たちも知っている『終末預言戦争』を生き抜かれたお方だ。おっしゃるところを信じよう」


 そして、言葉を飲み込んだバグラチオンに微笑んでうなずくと、その微笑のままホルンに向き直った。


「ホルン様、ソフィア殿から聞いた話ですが、『摂理の黄昏』が近づいているのですね? であれば僕の戦いは、単にイヴァン・フョードルを排斥して帝国に新たな光を灯すだけではなくなります。そしてそれにはあなたの力が必要不可欠です。私個人ではなく、ウラルの人々のためにも、十分注意して戦ってください。あなたがいなくなれば、ウラルは絶望という雪に閉ざされます」


 ホルンは真剣な顔でうなずいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ウラル帝国の首都エリンスブルクは、広大な平原の中にある。


 市内にはモスコー川が蛇行して流れ、北側は沼沢地となっていて、その周囲にあるこんもりとした森にはたくさんの野生動物が生息している。


 『自然と共存した』と言えば聞こえはいいが、皇帝ディミトリー2世には雑然としたありさまが我慢ならなかったのか、ここ10年間で市内はかなり整備され、宮殿を中心とした放射状に延びる道路や各区画も整然としたものに生まれ変わりつつあった。


 摂政イヴァン・フョードルの屋敷は、エリンスブルク北方の森に近い所、広大な敷地の中に建てられている。


 その規模は皇帝の宮殿にこそ劣るものの、他の大貴族たちの邸宅と比べるとその大きさと豪壮さは群を抜いていた。一説には私兵5百を常駐させているとも言われている。


 その屋敷の主であるイヴァン・フョードルは、朝廷の重臣、宰相ニコライ・アレクセーエフ、蔵相ヨシフ・カリターエフ、そして外相ヴィサリオ・ジュガシビリの三人と共に今後のことについて話をしていた。


「殿下、そろそろご決断していただきたいものですが」


 冬に向けて整備が必要な道路の件や、新たな税制の件がひと段落したとき、蔵相のカリターエフがそう言いだす。


「はて、決断とは?」


 イヴァンが金髪をなで上げながら、とぼけたように答えると、


「摂政殿下の恩沢は帝国の全土を覆っています。今や飾り物の陛下は必要ないのではないか、蔵相はそう申しているのでしょう」


 宰相ニコライ・アレクセーエフが温顔で答える。


 ニコライ・アレクセーエフたちも大貴族である。大貴族の特権を制限しようと努力している現皇帝ディミトリーより、自分たちの代弁者となっているイヴァンに帝位についてもらいたいと望んでいることは間違いなかった。


 しかし、イヴァンは瑠璃色の瞳を持つ目を細め、静かに三人に言う。


「ふむ、そなたたちの期待には応えたいが、中小の貴族たちの中にはアゼルスタンに期待する奴らも多いようだ。現にあの檄が国内に広がって以降、小貴族の中には表立ってアゼルスタンと連絡を取り始める者も出ている。今、余がめったなことをすればそいつらに恰好の口実を与えることになる。迂闊な動きはできないのだ」


「まったく、皇太子もとんでもないことをしでかしてくれたものですな。檄はロムルス帝国やファールス王国にも届いているようです。今のところどの国にも大きな動きは観測できませんが、特にロムルス帝国とダイシン帝国は、わが帝国内の混乱に乗じて領土を侵食して来る恐れもございますから、各国大使には特に軍事的動向を注視させているところでございます」


 外相のジュガシビリが苦虫を噛み潰したような顔で言うが、イヴァンは真剣な顔で彼に


「確かにとんでもないことをしてくれた。今、アゼルスタンの側にいて彼を助けているのは皇太子護衛隊長のバグラチオンだけかと思っていたが、ホルン・ファランドールという用心棒が加わっているからな」


 そう言う。ジュガシビリは怪訝な顔でイヴァンに訊いた。


「用心棒……市井の腕利きが一人や二人加わったところで、大勢にはあまり影響しないと思いますが?」


 イヴァンは、彼こそ苦虫を噛み潰したような顔で答えた。


「ただの用心棒ならそうだ。しかしホルン・ファランドールはファールス王国の元女王で、かの国を立て直した名君として諸外国に知られている。即位半年で現国王に王位を譲って行方をくらませていたが、まさか用心棒に戻っていたとは……」


 それを聞いて、三人の重臣たちは驚いて


「ならば、事態の推移によってはファールス王国の介入があるかもしれないわけですな? それは確かに容易ならぬ事態です」


 宰相のアレクセーエフが腕を組んで考え込んでしまう。


 重苦しい沈黙が四人のいる部屋を支配する。窓の外からはヘラジカが鳴く声が聞こえてきた。


 ややあって、


「……とにかく、ホルンを直接の攻撃対象とせず、アゼルスタンを亡き者にすればいい。雇い主がいなければ用心棒も仕事を諦めるほかないだろうからな」


 イヴァンはそう言うと、


「よし、とりあえずアゼルスタンの件はこれまでだ。何か情報をつかんだらすぐに知らせてくれ。話の続きをしよう、『摂理の黄昏』の件だ」


 三人の重臣たちと今後の件の話し合いに戻って行った。



 そのころ、宮殿ではディミトリー2世が病床にあって、皇后アナスタシアや侍医アンドレア・マルコフと話をしていた。


「……アゼルスタンを国外に逃がしてからもう一月が経とうとしている。一度、バグラチオンからアゼルスタンと合流したという知らせがあったきり、その後は何の連絡もない。二人はどうしているだろうか」


 青い顔でつぶやくように言う皇帝に、皇后は心配そうな顔をしながらも


「アゼルスタンは芯が強い皇子です。バグラチオンも皇太子や陛下に忠実で屈強な武人、陛下、余り心配なさいませんように」


 そう慰めるように言う。


「さようです。ここしばらくのご不調はご心配が凝ったものでございます。殿下と将軍はきっとうまくやっておられると信じて、陛下は御自身の健康を第一になさいませ。殿下の希望も帝国の未来も、陛下がご健康であられてのことです」


 マルコフ侍医はそう言いながら、調合した薬をディミトリーに手渡す。


 ディミトリーは力なくそれを受け取ると、口に含んでゆったりと横になった。


「……ああ、朕は急ぎ過ぎたのだろうか。民の暮らしを思えばこそ、大貴族たちの専横を許すことができなかった。そんな朕の想いは天に届かないのだろうか」


 ぼそりと言うディミトリーに、アナスタシアは頭を横に振って言う。


「いえ、陛下は正しいことをなされてきたと思います。私の父も、最後には陛下の悲願を理解していましたから」


 皇后は大貴族筆頭の家柄の出だった。ディミトリーを意のままに操るため、政略結婚として嫁いできたアナスタシアだったが、皇后となった後にはディミトリーの帝国振興にかける思いに打たれ、実家や実父の意に反してまでディミトリーの帝権確立に協力した。


 ディミトリーもアナスタシアの内助に感謝していたのだろう、彼女の父は死罪から一等減じて流罪となり流刑地に果てたが、実家は存続を許されている。


 ディミトリーは薄く笑うと、


「ふふ、彼はもともとどうしようもない悪人ではなかった。けれど我が一族、それも実の弟がそれをはるかに超える悪人だったとはな……オプリーチニキまでもが朕を裏切るとは」


 皇帝にとって、帝国改革を進めるための強力な手段だった皇帝親衛隊が、自らの意思に反して皇太子を狙うという事態は耐えがたいものであった。


 司令官のセルゲイ・ポクルイシュキンを呼んで直に詰問もしたが、


『魔戦士隊も魔導士隊も、ジュルコフやコルネフの指導が行き届いていますので、陛下のご命令を逸脱するなどということはございません』


 そう答えるばかりで、現在の部隊の状況を訊いても


『帝国改革の趣旨に則り、陛下の意図を理解しない者たちや帝国に騒乱をもたらす者たちを排除する任務に就いております』


 と、どの部隊が何を目標に、どこでどんな任務に就いているか明確には返答しなかった。


 これは考えようによってはイヴァンの命令によって答えられなかったともいえるし、部隊が執行している任務が本来の目的から逸脱していることを知っていて隠ぺいしたとも思える態度だった。


 皇后もその点は心配していた。彼女の下にはオプリーチニキ司令監察のレオン・ニンフエールから


『魔戦士隊も魔導士隊も、その全力を挙げてファールス王国に展開していますが、その任務については詳しいことが分かりません。副司令官に問い合わせていますが、回答を渋っている様子です。最後の手段として、司令監察の権限で現地視察を敢行するかもしれませんので、その際には陛下にご命令を出していただけるようにお執り成しを願います』


 そのような報告が届けられていたからである。


「……陛下、オプリーチニキについては……」


 皇后がそう言いかけた時、侍臣が時ならぬ来客を告げた。


「陛下、緊急の用事でございますが」


「……しばらく誰も取り次ぐなと申していたはず。いったい何ごとですか?」


 アナスタシアが怒りの色を眉に表して訊くと、侍臣は困ったような顔で答える。


「はい、そのご指示は承っておりましたが、どうしてもとのことで……」


「いったい誰が、陛下のご療養を邪魔しようとしているのですか? 私がその者を詰問いたします」


 皇后の問いに、侍臣は頭を下げて言う。


「はい、オプリーチニキ司令監察殿から、急ぎ陛下に願いがあるとのことです」


 それを聞くと、アナスタシアは黙り込み、ディミトリーは顔を上げて言った。


「分かった、ここに通せ」



「陛下のご健康が優れないことは承知しておりましたが、どうしてもご報告しておきたい事項と、陛下から直接のご命令を賜りたい事項がございましたので無理をして通していただきました。ご無礼は平にご容赦ください」


 レオン・ニンフエールは、皇帝の前に通されると跪き、顔を伏せてまずそう言うと、


「……しかし、ご報告については、陛下のご宸念をいささか軽くするものではないかと拝察いたします」


 そう付け加えて顔を上げた。


 ディミトリーは、レオンの瞳を見て軽くうなずくと、


「うむ、申してみよ」


 そう促す。レオンはゆっくりと


「まず、オプリーチニキ魔戦士隊と魔導士隊は、ホルン・ファランドール殿たちの手により壊滅状態になっております。これは私が直接、現地を見てきたことですから確実です」


 そう言うと、その意味を理解した皇帝も皇后もほっと身体の力を抜く。


「……アゼルスタンへの脅威が、一つ無くなったということか」


 そうつぶやくディミトリーに、レオンは


「皇帝親衛隊は陛下のみならず皇后陛下や皇太子殿下の安全を確保する任務を帯びています。その彼らが殿下を狙ったということになれば、親衛隊の存続意義が問われる事態となるでしょう。誰が何のためにこのような計画を立て、どのような系統で命令が下ったのか、それを調べねば事態は改善いたしません。そこで私は監察の権限によって、『勅令調査』を行いたいのです」


 そう、語気強く言った。あり得ないことが生起したことで、レオンが強い憤りを抱いていることがよく分かった。


 ディミトリーの瞳に希望の光が灯った。この一件から摂政イヴァンの専横を証明できれば、現在の状況を一変させられる。


「分かった、アレクセイ・アダーシェフに準備をさせよう。貴官は朕の勅令を受け取ったならば、オスラビーア元帥と共に必要な調査に取りかかれ。そして……」


 ディミトリーは病床から起き上がると、力のこもった声でそう言い、命令を下した。


「……帝国に巣食った癌を白日にさらして断罪せよ」


「はっ! ではすぐに準備にかかります」


 レオンは一つ頭を下げると、サッと立ち上がり、きびきびとした動作で部屋を出て行った。


「……陛下……」


 思ってもいなかった報告に動くこともできないでいた皇后は、ディミトリーのため息で我に返ってそう言うと、ディミトリーは赤みが差した頬を緩めて言った。


「アレクセイをここに呼んでくれ」


   ★ ★ ★ ★ ★


 『蒼の海』の北岸、ルーン公国の東にあるアクキスタウの村にあるアニラ・シリヴェストルの家で、アニラとロザリア、そしてマルガリータは、『世界の崩壊』ともいえる『摂理の黄昏』について、今後の予想と情報を共有していた。


「我が考えるところ、チェルノボグとは『変革の意思』だな」


 アニラが言うと、マルガリータは


「物事が流転するのは摂理の範囲内のことだと思いますが、それと『変革の意思』の言う変革とはどう違うのでしょうか?」


 そう訊く。アニラは白い髪の下で鋭い光を放つ黒い目を細めて答える。


「流転には個々の意思は反映しない。それが摂理であるなら、摂理の法則が働くのみだ。

 一方で変革とは何かの意思が働いている。個人であったり、集団であったり、あるいは社会と言ったものだな。それは摂理の法則と同時に働くこともあり、そうでないこともある。

 摂理の法則とは無関係に働く『変革の意思』の場合、時に摂理に規定された法則を無視する場合がある。『摂理の黄昏』とは、摂理がその法則によって万象を支配できなくなった時間のことだと、我は考えている」


「それならば、その力はどこから来たと言われるのでしょうか?」


 少し考えてマルガリータが訊くと、アニラはロザリアに向かって言った。


「ゾフィー・マール殿のお弟子殿、そなたはどう考える?」


 先ほどから、『魔竜の宝玉』の見たこともない魔力について考えていたロザリアは、ハッとした顔で答えた。


「……私はまだその存在を感知できたわけでもなく、ウラル帝国の神話もよくは知らんが、『魔竜の宝玉』の魔力から考えるに、『世界の外』から来たものだと思うのう。もちろん、私やマルガリータが編む次元空間ともまた別の、この世界の外にある別の世界のことじゃが……」


「世界の……外?」


 マルガリータは、少し混乱した顔でロザリアに訊いた。


「で、でもお師匠、この空間は4次元で、それを包み込むように高度の次元空間があるのではないですか? だからこそ次元空間の規定や『繰込み術式』が成り立つわけで……その『外』と言われても、私は想像がつきません」


 ロザリアは、白く長い髪を揺らして頭を振ると、紫紺の瞳をマルガリータに向けて優しい声で言う。


「私も想像もつかぬし信じられもしないぞ、『世界の外』なんてな?

 けれど、そなたもそのうち気付くと思うが、本来編み込めぬはずの術式を編み込むため、次元の規定を収束させる『繰込み術式』じゃが、ある一点でどうしても発散する場合がある。

 それが何を意味しているのか分からなかったが、『世界の外』への出口と考えればつじつまが合うんじゃ。とすると、『摂理の黄昏』が規定する時空間は、私たちが知る法則が全く通用せぬ時空間ということになる」


 ロザリアの言葉を聞いて、アニラは大きくうなずく。


「うむ、さすがにゾフィー・マール殿の愛弟子だけあるな。ゾフィー殿が千数百年を経てなお少女の姿でおられたのも、その秘密に近づかれたからかもしれないと我は想像している。そこは恐らく、時間も空間もない世界だろう。ただ世界を構成するための何かだけがあり、それが漂う世界だとゾフィー殿からは聞いていた」


 その言葉に、ロザリアが反応する。


「聞いていた? アニラ殿、ではゾフィー様は『世界の外』を覗かれたことがあると?」


 アニラは表情を緩め、懐かしそうな顔で答えた。


「うむ、もう2百年ほどの昔になるだろうか。魔導士として30年ほど過ごした我は、ゾフィー殿の訪問を受けた。なんでもアルテマ殿が我のことをゾフィー殿に紹介してくださったらしい。その時、『世界の根源』について研究していた我は、勢い込んで様々なことをゾフィー殿に質問したが、ゾフィー殿は迷惑そうなそぶりすら見せずに若輩者である我に懇切丁寧に答えてくださった」


 そして、慈しむような目でロザリアを見て、


「その時ゾフィー殿は、『世界の根源』について、ただ一言で言われた。曰く『それは意識じゃ』と」


 そう、問いかけるように言った。


「意識……」


 難しい顔でその言葉をつぶやいたロザリアに、アニラは


「うむ、我もその意味をずっと考え続けてきた。『世界の外』を覗かれたゾフィー殿にとって、そうでない我のような凡人に存在の根源を言葉で表現するのは難しかったのだろうと想像するが、それでも2百年間考え続けて来て我なりに思い当たることはある。それは、『魔力』も『意識』も『揺らぎ』によって動くということだ」


 そう言うと、今度はマルガリータに問いかけた。


「ロザリア殿のお弟子よ、今までの話について来ておるか?」


 するとマルガリータは、悔しそうな顔で首を振った。


「まだまだ私は修行が足りません。お二人の話についても理解が追い付きません。疑問だらけです」


「ほう、疑問を生じるということは話の流れは分かっているということ。そなたは見込みがあるな。何が疑問だ?」


 アニラが訊くと、マルガリータは眉をひそめて答えた。


「『世界の外』には別の世界があるのでしょうか? 魔力や意識を動かすのが『揺らぎ』なら、何が『揺らがせる』のでしょうか?」


 するとアニラもロザリアも、ニコリとしてマルガリータを見て言った。


「ふふ、『揺らぎ』の原因か……そこが肝心なのだ。そこを突き詰めるとゾフィー殿のように『世界の外』を知ることができような」


「うむ、『揺らがせる』のでなく『揺らぐ』のであっても、何故、何が揺らぐのかを考えねばならんからのう。ふふ、師匠も大したお方だったのう」


 ロザリアはそう言うと、アニラを向いて


「いい話を聞かせていただきました、私もさらに精進しましょう。ただ、差し当って分かったことは、あの異質の魔力は『世界の根源』が摂理の法則に反する形で『揺らいだ』ものだということですね」


 そう問いかけると、アニラは薄く笑って答えた。


「我はホルン殿に伝えるが、そなたもザール殿やあのハイエルフ殿に伝えるとよい。今度の事件は人間世界のごたごたを越えた、世界の摂理を守れるかの戦いになったとな。我は相手が正体を現わさざるを得ないような罠を考えよう。そなたたちも『摂理の黄昏』が来た時には、それなりの覚悟と働きが必要となるだろうな」


 それを聞いたロザリアはサッと立ち上がって右手を横に伸ばし、


「そのようですね。では、私はザール様にこの話を説明いたします。マルガリータ、そなたはホルン様のことを頼んだぞ」


 そう言うと、その場からかき消すようにいなくなった。


 ロザリアの転移を見て、アニラはくすくす笑いながらマルガリータに言った。


「ふふ、ロザリア殿は若いくせにせっかちで困るな。マルガリータ殿、そなたからロザリア殿に伝えてくれ。『魔竜の宝玉』がチェルノボグの魔力を封じ込めたものだとしたら、『世界の外』に揺蕩うものと矛盾する、とな」


 マルガリータは、首をかしげて訊いた。


「おっしゃることは分かりますが、それでは『魔竜の宝玉』の魔力は何なのでしょうか?」


 アニラはただ一言で答えた。


「それは、『意識』だな」


(『13 蒼炎の騎士』に続く)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

『魔竜の宝玉』や『摂理の黄昏』は重要なワードですが、しばらくは組織的戦闘描写が続きます。

本題に入れるのはホルンたちがウラル帝国に突入してからかなあ。

次回もお楽しみに。

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