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青き炎の魔竜騎士(ドラグーン)  作者: シベリウスP
11/18

11 熱砂の宝剣

『偽皇太子』の制圧に乗り出したウラル帝国特殊部隊。しかし魔戦士隊と魔導士隊の溝が露わになる。

北の戦線ではガルムが、南の戦線ではホルンが活躍する中、皇太子の部隊は奇襲を受ける。

皇太子はこの危機をどう乗り切るのか?

 レンネンカンプは、


『本職は眼前の敵を攻撃す。各隊それぞれの敵を攻撃せよ』


 と、3隊別々の攻撃をする決心をした。


「兵力の分割にはなるが、わが魔戦士隊は1個隊50人で通常兵力の旅団に匹敵する。心配はない」


 レンネンカンプはそう自分に言い聞かせ、眼前の敵を追撃し始めた。


 レンネンカンプの命令により、アゼルスタンがいると思われる部隊を追撃していたアンドロポフ隊もリュスコフ隊も、それぞれの目標に肉薄を開始する。


 しかし、レンネンカンプ隊とリュスコフ隊は、どれだけ行軍速度を上げて接敵しようとしても、目の前の部隊に追いつけなかった。


「敵はかなり急いでいるようだ。急がせるだけ急がせて、疲れ切ったところを攻撃するぞ」


 最初、レンネンカンプもリュスコフもそう考えていたが、さすがに速足での追跡が1時間を超えたころ、


「これはおかしい。敵がわが部隊に気が付いているとしても、あの速度を維持しながら疲れた様子も見せないとは」


 そう、怪しみだした。


 考えてみると、アゼルスタン部隊と思われる兵団は、わき目もふらずに『蒼の海』を目指して進軍している。レンネンカンプとリュスコフの部隊の間は、何かあっても互いに支援が間に合わないほどまで開いてしまっていた。


 さらに追跡すること1時間、突如としてアンドロポフの部隊から


『我が隊は偽皇太子の部隊と接敵、激戦の末アンドロポフ殿ほか40名討ち死に。目下敵から退避を図るも、追撃を受け壊滅しつつあり。諸隊の健闘を祈る。先任指揮官2級魔戦士ヴァージル・エンカーマン』


 という、さよならの『遠隔連絡』が入った。


「しまった、敵にはめられた!」


 レンネンカンプは、目の前の部隊が砂煙と共に消失するのを見て、そう叫んだ。



 リュスコフの方は、追えども追えども追い付かない敵軍を眺めながら、早くから


(敵にはルーンの公女がついているとの情報もある。ルーンの公女は確かアニラ・シリヴェストルの弟子。眼前の敵は魔法によってつくられた幻影かもしれん)


 そんな疑いを持ち始めていた。


 そのため、追跡が1時間半に及ぼうとしていたころ、彼は突然魔力を発動させ、


「あの敵はおかしい。私はあの敵が真に存在するかを確かめて来る。諸君は私が合図したら突進する準備をしながら続いてくれ」


 そう言うと、次席指揮官に隊の指揮を委ね、自身は疾風のように部隊から飛び出した。


(あれが幻なら、私の攻撃で消えてしまうはずだ)


 リュスコフは紫色の瘴気のような魔力を身に纏い、人狼となって前方の部隊に突っ込んだ。


「やっ!」


 リュスコフは、自分に気付いていないかのように行軍する敵軍の只中に躍り込むと、魔力を開放しながら鋭い爪で攻撃をかける。攻撃を受けた兵士は霧のように消えた。


「やはり、こいつらは魔法によってつくられた幻影だった!」


 リュスコフはそう歯噛みすると、すぐさま部隊に取って返し、


「嵌められた! 敵は違う場所にいる。今からレンネンカンプ殿の部隊の方に行くぞ!」


 そう命令し、追撃を放棄して右へと進路を変えた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 その少し前、アンドロポフ隊60人はペイノイの北20キロの地点で発見した5百ほどの部隊に攻撃をかけていた。


 この部隊は幻ではなかった。しかし、アンドロポフの部隊にとっては、いっそ幻の方が良かったかもしれない。彼が突っ込んだのはガルム率いる部隊だったからだ。


「来やがったな、思ったより遅かったが」


 ガルムは、前方に現れた50人ほどの人影を見ると、そうつぶやいて左右の者に命令した。


「敵さんが現れた。恐らくそのまま突っ込んでくるはずだ。各隊、事前の打ち合わせどおりあの部隊を押し包み、全周から攻撃を仕掛けるんだ」


 アンドロポフの部隊は速度を上げ、部隊を横に展開しながら近づいて来る。ガルムはそれを見て5百の部隊を鶴翼に広げ、左右から包み込むように機動させた。


(あの動きは、包囲を狙っているな。ならばこちらは中央突破だ)


 アンドロポフはそう決心し、自隊全員に命令した。


「敵はこちらを包み込むつもりだ。こちらは裏をかいて奴らの中央を突破する。全隊縦に並べ、突っ切るぞ」


 アンドロポフ隊の動きを見て、ガルムも反応する。


「敵さんは突っ切ってくるようだな。そう簡単に突破されてたまるかってんだ。2番隊と3番隊は、それぞれ4番隊と5番隊の前に位置しろ」


 ガルムの命令で、横一列になっていたガルム隊は2列縦隊へと隊形を移行し、アンドロポフの部隊は二つの縦列に挟まれる形になってしまった。


 ガルム隊の素早い機動に、アンドロポフは驚きの声を上げる。


「なんだ、奴らは寄せ集めの素人じゃなかったのか?」


 突進している最中、左右から敵が迫るのを見たアンドロポフは、部隊を留めて


「円陣を組め! 敵を跳ね返して隙を窺うぞ」


 そう命令した。


 次席指揮官のセミャーニン上級魔戦士が


「いったん避退しましょう。このままでは全滅です」


 そう言ってきたが、アンドロポフは首を振り、


「いや、あの部隊に偽皇太子がいるのは確かだ。我らが奴らを留めている間に、レンネンカンプ様たちの部隊が来てくれれば、状況は逆転する。それまで頑張るんだ」


 そう、かえってその場に留まる決意を固めたようだった。


 一方ガルムは、敵が円陣を組むのを見て、


「ふん、俺たちを足止めして増援を待つつもりか」


 と、アンドロポフの狙いを見抜くと、


「奴らは魔戦士、攻撃にも防御にも魔法を使って来るだろう。乱戦になって敵に乗じられるのも芸がない。まずは弓でいたぶってやれ」


 そんな命令を下す。


「よおーい、放てーっ!」


 ガルムの命令を受けた部隊は、丸く縮こまったアンドロポフ隊に向けて一斉に矢を放つ。5百の矢が敵陣に吸い込まれるように飛んで行く。


 カン、カン、カンッ


 アンドロポフ隊の兵士たちは強行軍に備えて楯を携行していなかった。仕方なく彼らは左手を伸ばし、前方に魔力のシールドを展開して飛び来る矢を防いでいた。


 それを見てガルムは、アンドロポフ隊の『魔戦士』の技量を正確に測った。彼らは身体全体を魔力で覆って防御力を高めるレベルには到達していないのだと。


 そう看破したガルムは、ゆっくりと両手を背中に伸ばし、両手剣と楯を構えると言った。


「奴らの技量は分かった。これから俺が敵陣を崩すから、お前たちは敵陣の崩れを見て突っ込んで来い。楯をしっかり持っていれば、奴らの攻撃を何度かは跳ね返せるはずだ」


 そしてガルムは、身体からパッと紅蓮の『魔力の揺らぎ』を沸き立たせ、


「行くぜ!」


 そう一声吠えると、敵陣へと猛烈な突進を開始した。



 アンドロポフは後悔していた。楯を持って来ていれば、隊員たちの魔力を剣に集中して込めることができる。それならば敵の楯くらいなら一撃で両断できたはずだった。


 けれど、魔力のほとんどを防御に回している今、ただの剣の攻撃は楯で易々と遮られてしまう。


(魔戦士のレベルも落ちたものだ。もっと覇気の強いヤツを回してもらいたいものだな)


 アンドロポフは全身を彼らの言う『覇気』で覆いながらそう思う。


 彼自身は身体中を『覇気』で包みながら、同じく『覇気』の乗った剣で戦うことは容易くできた。いや、副指揮官のセミャーニンもそうだ。


 以前は『覇気』で身体を包んで守ることは隊員の必須条件だったのだが、魔導士上がりのイワーナが副司令官に就任以来、『覇気』の強い者は優先して魔導士隊に配属される傾向となったため、それができる者は上級魔戦士以上のものに限られてしまうことになった。


(とにかく、接近戦に持ち込めばこちらが有利だ。奴らだって無限に矢を持ってきているわけではあるまいからな。矢が無くなった時が戦機だ)


 アンドロポフはそう思いながら、彼の言う『戦機』を計っていた。その時、陣の南側が突然崩れ、そこから一人の戦士が躍り込んできた。


「何者だっ!」


 陣の南側で指揮を執っていたセミャーニンは、とっさに剣を抜いて斬りかかる。けれどその戦士は慌てもせずに右手に持った楯でセミャーニンの剣を上に打ち払い、


「まだ俺の前に立つのは早かったぜ」


 そう嘲るように言うと、左手の両手剣をサッと振り上げた。


 ズバムッ!

「ぐわっ!」


 セミャーニンは左わき腹から右肩を斬り裂かれ、一声挙げて地面に転がる。


 それを見て、南側にいた隊員たちから『覇気』が消えていった。指揮官級のあっけない最期に戦意を喪失したのだ。


 ドスッ!「ぐわっ!」

 ブシュッ!「がっ!」


 『覇気』という楯が消えた隊員たちに、容赦なく矢は降り注ぎ、たちまち幾人かの隊員が矢を受けて絶命する。


 それを見た仲間の隊員たちは、慌てて『覇気』のシールドを張り直したが、それでも両手剣の戦士に敢えて挑もうとする者は出てこなかった。


「バカ者! 『覇気』を消すなっ!」


 アンドロポフはそう叫ぶと、両手剣の戦士の前に立ち、


「俺は『オプリーチニキ』魔戦士隊、三席魔剣士ユーリー・アンドロポフ。貴様は謎の用心棒だな? よくも俺たちの邪魔をするのみならず、部下を討ち取ってくれたな。その報いを受けてもらう」


 そう名乗る。


 両手剣の戦士はニヤリと笑って名乗った。


「察しのとおり、俺は天下の用心棒、ガルム・イェーガー。『餓狼のガルム』の方が通りがいいかもしれないな」


 そう言うとガルムは、左目でじろっとアンドロポフを見てうなずく。


「いい腕だ。『オプリーチニキ』は隊員は雑魚だが、指揮官級にはたまにはいい奴もいるんだな」


「何をっ!」


 アンドロポフは、水色の魔力を沸き立たせながらガルムに斬りかかった。


 ガインッ!


 ガルムはその剣を楯で受けると、


「うん、剣の筋もいい。さっきの奴とは大違いだ」


 そう、人懐っこい笑いと共に言う。


「ほざけっ! わがウラル帝国に刃向かう者の末路を味わえっ!」

 ブンッ!


 ガルムはアンドロポフの鋭い斬撃を身体を右に回すことで避け、


「やっ!」

 ガインッ!

「やっ!」


 続く斬撃を右手の楯で真っ向から受け止めつつ、その剣を右側へと振り払った。


「うっ⁉」


 ガルムの楯で押されたアンドロポフの身体は左に流れ、そこに一瞬の隙ができる。そしてその隙を見逃すガルムではなかった。


「やっ!」

 ズドムッ!

「ぐふっ!」


 アンドロポフは、摺り上げられたガルムの両手剣に、右脇腹から左肩にかけて存分に斬り裂かれた。


「ぐぐぐ……」


 しかし、アンドロポフは身体から紫色の瘴気のような魔力を迸らせながら跳び下がり、


「……まだだ、まだ勝負はついていないぞ、『餓狼のガルム』!」


 そう叫ぶと、背後にオオカミのような幻影を浮かべながら剣を振り上げた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 一方、南からペイノイの陣地を目指した『オプリーチニキ』魔導士隊は、魔戦士隊と違って部隊を分割せず、一団となって進んでいた。


「魔戦士隊はどうしている?」


 現場指揮官である魔導士長アレクサンドル・サムソーノフがあごひげを撫でながら訊くと、先行するヤヴォーロフ隊との『遠隔通信』を担当している魔導士が答える。


「ペイノイの北方で各個に戦闘を開始しているようです。どうやら偽皇太子が出陣しているようですね」


「ふむ、今回はレンネンカンプに花を持たせてやるか」


 前回の共同作戦で不手際があり、レンネンカンプ隊に不要な損害を生じさせてしまったという負い目があるサムソーノフは、そう笑いながら言うと、


「だが、我々の役目は魔戦士隊の戦果をさらに拡充することだ。このまま敵陣に突っ込み、栄光あるわが帝国に刃向かったバカどもに、その報いを受けてもらうぞ」


 そう鋭い声で全隊に命令しようとした。


 そこに、


「ちょっとお待ち!」


 そう言いながら、近づいてきた女性がいる。


「これはイワーナ副司令官殿。何か不備でもございましたか?」


 サムソーノフが言いかけた命令を飲み込んで訊く。


 イワーナは金髪をかき上げ、青く冷たい瞳でサムソーノフに言う。


「今回の目標はあくまで偽皇太子の処分と反乱分子の壊滅だよ」


「はい、了解しております。偽皇太子は北方に出ているようですので、そちらはレンネンカンプに任せ、我ら魔導士隊は敵性勢力の排除に全力を傾けるべきかと……」


「違うでしょ!」


 イワーナはサムソーノフの釈明を途中でヒステリックに遮って、


「いいこと? 敵性勢力の排除なんて大きな功績にはならないわ。偽皇太子を処断してこそ摂政殿下のご意向に沿うのよ? それをむざむざ魔戦士隊に譲り、魔導士隊はその後塵を拝するような命令は認めないわ」


 そう早口でまくし立てて、


「すぐ、北の戦場に誰かを送りなさい。魔戦士隊に一番槍を付けられたのは取り返しがつかないけれど、誰かを送っておけば目標の処断は魔導士隊と魔戦士隊の共同戦果になるわ」


 そう、きつい口調で言う。その目はサムソーノフを非難しているようだった。


 しかしサムソーノフは、


「……戦力の分散はよくありません。四席魔導士のヤヴォーロフによれば、相手にはホルン・ファランドールという高名な戦士がついています」


 そう、あくまでもイワーナの命令を受け入れられないという意向を示した。


 イワーナはカッとして、


「聞き分けないのね? まったく、ジュルコフならば私の考えを正確に読み取って指揮してくれるものを。いいわ、こちらの戦線の指揮は私が執ります!」


 そう一方的に宣言し、『遠隔通信』担当の魔導士に向かって言った。


「あなた! すぐにヤヴォーロフに伝えて。『貴隊はすぐに北方に遷移し、適宜魔戦士隊と共同して偽皇太子を処断せよ』とね、急いで!」


 担当魔導士は、チラリとサムソーノフを見て、彼がうなずくとイワーナの命令を伝達しはじめる。


「ヤヴォーロフ隊、了解しました」


 担当魔導士が報告すると、イワーナはご機嫌な様子で言った。


「じゃ、私たちは雑魚狩りに行きましょうか」



 突然の配置転換命令を受けたヤヴォーロフは、最初はその命令に従わないでおこうと考えたが、


(待てよ、イワーナ様が司令部にやって来たのかもしれないな)


 そう考えると、自分を北方に送る命令の意図が分かった。この戦いでは偽皇太子の首を差し出した者が勲功の第一等であることは、指揮官ならばみな知っている。その偽皇太子が北にいると知ったヤヴォーロフは、


「ふむ……イワーナ様は魔戦士隊の功績を横取りするつもりらしいな」


 そうつぶやくと、自分の部隊に


「俺たちは北の魔戦士隊の援護に回れとの命令を受けた。今からすぐに配置を変えるぞ。遅れずについて来い」


 そう命令し、転移魔法陣を発動した。


 そしてヤヴォーロフたちは、こちらも移動途中のリュスコフ魔剣士隊と出会った。


「おお、リュスコフ殿」


 突然姿を現したヤヴォーロフ隊を見て戦闘態勢に移行するリュスコフ隊に、ヤヴォーロフは自ら声をかける。


「何だ、ヤヴォーロフ殿か。貴殿は『魔術の貴公子』の配下ではなかったのか?」


 リュスコフが訊くと、ヤヴォーロフは、


「ヴァシーリー・ヘイ殿は敵の女戦士、ホルン・ファランドールとガルムという戦士に不覚を取りました。今は私がその後を受けて部隊を指揮しています」


 そう答える。


 リュスコフは安心したように


「そうか、それは惜しいことをした。けれど貴殿が応援に来てくれて心強い。相手にはどうも凄腕の魔導士がいるみたいでな? 俺の部隊は幻影を追っかけてレンネンカンプ様との間もすっかり開いてしまっている。急いで全軍を集めないと各個撃破されてしまうと危惧していたところだ」


 そう言う。


 ヤヴォーロフはうなずいて答えた。


「それは魔導士隊も危惧していたところです。偽皇太子のところに急ぎましょう」


「うむ、魔戦士隊と魔導士隊が力を合わせれば、怖いものなどないな」


 リュスコフは笑ってそう言い、自分の部隊を動かし始めた。


(さて、北の戦線には潜り込めた。後はイワーナ様のお気持ちに沿えるよう、せいぜいリュスコフに奮戦してもらうこととしようか)


 ヤヴォーロフはそう考えると、


「我らはリュスコフ隊の援護に回る。リュスコフ隊の後ろに続け」


 にんまりとしながら隊員たちにそう命令した。


   ★ ★ ★ ★ ★


 アンドロポフは身体から紫色の瘴気のような魔力を迸らせながら跳び下がり、


「……まだだ、まだ勝負はついていないぞ、『餓狼のガルム』!」


 そう叫ぶと、背後にオオカミのような幻影を浮かべながら剣を振り上げた。


(ほう、こいつもあの若造と同じような魔法を使うのか……)


 ガルムは楯の陰でアンドロポフの変容を眺めながらそう思い、


「……とすると、こいつも『魔竜の宝玉』とやらを持っているってことだな。面白い」


 そうつぶやくと、左手の両手剣を握りしめる。


「ガルム、勝負はこれからだ!」


 アンドロポフの上半身は紫色の瘴気に包まれてオオカミのような形をとり、身体を斬り裂いた傷が見る見るうちにふさがってくる。


 それを見て、ガルムは舌打ちしてつぶやく。


「ちっ、『魔竜の宝玉』とやらにはヒール性能もあるって言うのか?」


 そうつぶやいて、一瞬たじろいだガルムだったが、彼は以前戦ったヴァシーリー・ヘイのことを思い出す。ヴァシーリーは人狼化した時に致命傷を受け、そのまま倒れた。ということは……。


「ふむ、試してみるか」


 ガルムはそうつぶやくと、身体を紅蓮の『魔力の揺らぎ』で覆う。その魔力は楯と両手剣までも包み込み、アンドロポフの鋭い攻撃を真っ向から受け止めた。


「ガアッ!」

 ガギン!


 アンドロポフの剣は、魔力で覆われたガルムの楯を鈍い音と共に削る。魔力で覆っていてこうなのだから、ただの戦士では相手にならないことは明白だった。


(ふむ、こいつのように『魔竜の宝玉』を持っているヤツが多くなければいいのだが。でないとなまじの腕ではこいつらの相手はできないぞ)


 ガルムは冷静に相手に実力を測り、


「こいつは排除すべき敵だな」


 そうつぶやくと、


「やっ!」

 ビュンッ!

「おっ!」


 両手剣を軽々と操り、二の太刀を繰り出そうとしたアンドロポフの鼻先を両手剣がかすめる。アンドロポフは一歩下がることで辛うじてその斬撃をかわした。


「やっ!」

 ブオンッ!

「くっ!」


 ガルムは振り下ろした両手剣を、手首をひねってそのまま摺り上げる。ガルムの膂力を甘く見ていたアンドロポフはカウンター攻撃を繰り出そうとしたが、慌ててもう一歩跳び下がる。そこにガルムは楯を構えて突っ込んだ。


 ドンっ!

「うっ⁉」


 楯で押されるとは思っていなかったアンドロポフは、勢いよくぶつかって来た楯に弾き飛ばされる。背中から地面に倒れ込んだアンドロポフだったが、すぐに起き上がって身構える。けれどガルムの大剣はその動きよりも速かった。


「だあーっ!」

「くっ!」


 ガッ、パーン!

「くそっ!」


 剣を折られたアンドロポフは、『覇気』を迸らせて叫ぶと、


「グアアーッ!」


 右手をサッと振り上げてガルムの左わき腹を狙ってきた。


「おっと!」

 ジャリンッ!


 硬く鋭いもので鋼鉄を削る音が響く。ガルムの楯には三筋の深い傷がついていた。


「ガアッ!」


 アンドロポフは左手で、露わになったガルムの頭を狙ってきた。そしてそれこそ、ガルムが狙っていた瞬間だった。


「とっ!」

 ジャンッ! ドバッ!


 金属を削る音と、肉を斬り裂く鈍い音が同時に響く。ガルムは右手の楯でアンドロポフの爪を受け止めつつ、左手の両手剣を突き出して敵の胸板を刺し貫いた。


「さすがは指揮官級だな。いい腕だったぜ」


 ガルムはそう言いながら両手剣を引き抜いた。アンドロポフは胸の傷から血を迸らせながら、


「ぐ……『魔竜の宝玉』を持っていても勝てぬとは……貴様、本当に人間か?」


 そう呻くと、ドサリと地面に倒れる。アンドロポフの上半身から紫の瘴気が消え、元の人間に姿に戻っていた。


「ガルム様、ご無事ですか!」


 そこに、彼の部隊5百が雪崩るように突っ込んでくる。指揮官を二人とも失ったアンドロポフ隊には、逃げるか、武器を捨てて降伏するか、それともガルム隊の餌食になるかしか道はなかった。


   ★ ★ ★ ★ ★


 そのころ、アゼルスタンが指揮する本隊3百は、ガルム隊の後方5キロの地点にいて、


『ペイノイから北20キロの地点で、魔戦士隊50を殲滅』


 というガルムの戦果報告を傍受した。


 その報告を受けたカーヤ・トラヤスキーは、別動隊2百を率いている兄ヴァルターに


『お兄さま、本隊の護衛に戻ってください。ガルム様が敵の一隊を壊滅させましたが、本隊との位置が離れすぎています』


 そう、『風の耳』で緊急要請した。


 ヴァルター隊は、次席魔剣士パーヴェル・ロシチェンコが率いる50名の部隊と最初に激突したが、


「よし、カツコフ様の部隊から目をそらすことができた。我々はここを退いてレンネンカンプ様の部隊に合同するぞ」


 と、ロシチェンコは戦闘開始30分ほどで兵を退いていたのである。小競り合いといった感じで、双方とも大きな損害は出ていなかった。


 そのため、定位置に復帰していたヴァルターは、カーヤからの連絡を受け急いで本隊方向へと部隊を向けた。


 その時、ペイノイの陣地にいるアニラから、本隊とガルム隊に注意喚起の情報が届く。


『我の『天空の眼』では、本隊の北5キロにガルム殿の部隊が、東北東2キロにヴァルターの部隊がいるが、敵は本隊の北北西5キロに約百名が、西北西5キロの地点に約百名がおるぞ。ほかに本隊の北東にも一隊がいるようだ。部隊をまとめて陣地へと引き返した方が無難だぞ』


 それを聞いて、ガルムから指示が飛んだ。


『俺は北北西にいる敵軍に当たる、ヴァルターは北東にいる敵軍にかかれ。本隊は可及的速やかに陣地に戻られたし』


 ガルムはそう指示を出した後、自分の部隊に、


「連戦で疲れているだろうが、ここ一番って言葉がある。今がその時だ。みんな俺について来い。もう一度勝利の美酒を味わわせてやる」


 そう檄を飛ばし、敵との接敵地点になると思われる南南東に向かって突進を開始した。



 本隊の右側翼を援護するとともに、偵察の任務も兼ねていたヴァルター・トラヤスキー隊2百は、本隊の退避を援護するため北東から攻撃を仕掛けてきたミハイル・カツコフ先任魔剣士率いる50の部隊に横合いから突っ込んだ。


「敵は50人ほどだ、包囲して叩け! 本隊には一歩たりとも近づけるな!」


 ヴァルターは自ら剣を抜いて部隊の先頭に立ち、突撃を開始する。


「ふん、見つかったか。まあ、寄せ集めの部隊にしては陣立てに隙がなかったことは褒めてやらねばならないかな」


 カツコフはさすが歴戦の魔戦士である。ヴァルター隊の攻撃を受けるとアゼルスタン隊の追撃をすぐに諦めた。


 かと言ってその場で戦うことを選んだのでもない。彼は魔戦士隊の戦力を温存するため、そしてアゼルスタン隊への援護を減らすため、そのまま北へと逃げ始めたのだ。


(北にいた敵の精鋭は、西から来るレンネンカンプ様の部隊を攻撃するはずだ。とすれば北に逃げれば、目の前の若造を本隊から引き離すことができる)


 戦慣れした彼は、自隊が直面している事態だけでなく、戦場全体を見回すだけの余裕があった。アンドロポフが敗れたのは敵の精鋭に当たったためであり、目の前にいるヴァルターの部隊はそんなに精強な部隊には見えなかったカツコフは、


(敵の全体的な練度は、若造の部隊程度のものだろう。とすればレンネンカンプ様やロシチェンコ、リュスコフの隊がかかれば、敵の本隊は撃破できるはずだ)


 そう考えたのだった。


「我が隊はあの若造の相手をしながら北に退く。みな、怪我をしない程度に奴らをあしらってやれ」


 カツコフの命令で、彼の部隊は進路を北に変えた。


 一方、カツコフ隊の進路変更を見て、ヴァルターは、


「よし、敵は逃げ出すぞ。そのまま追撃だ」


 そう、剣を振り上げてカツコフ隊を急追し始めた。



 ガルムの部隊が相手をしたのは、攻撃隊指揮官のレンネンカンプと次席魔戦士ロシチェンコ率いる百名の部隊だった。


「ふん、今度はちょっと手強いかもしれないな」


 ガルムは、遠くに見える敵軍の粛々たる様子を見てそうつぶやく。彼は行軍の様子を見ただけで、レンネンカンプ隊が上級の指揮官が指揮する部隊だと見抜いた。


 ガルムは、自分の隣で敵軍を眺めている30歳ほどの男に声をかける。


「エイセイ、あの部隊を見てどう思う?」


 するとエイセイは、黒髪の下の黒い瞳を輝かせて答える。


「ガルム様、あれは敵の上級指揮官が率いる部隊だと思います。敵兵の装備や軍紀の厳正さから、明らかにあの敵将は一般の指揮官とは違う人物だと思います」


 ガルムはうなずいて言う。


「俺もそう思う。敵の数は百人くらいだが、さっきの奴らとは腕も段違いだろう。今の我が隊でも勝てないことはないと思うが、指揮官たる者、味方の損害をできるだけ少なくする算段をせねばならない。そこで、俺は50人ほど率いて先に敵に近づく。俺が敵に突っ込んだら、お前は残りを率いて突っ込んできてくれ」


「えっ? ガルム様自身で? 危なくはないですか?」


 エイセイが浅黒い顔に驚きと心配そうな表情を浮かべて訊く。ガルムは笑いながら答えた。


「俺は敵に味方のふりをして近づくんだ。敵にもう一隊いたことを忘れたか? その敵が急を聞いて司令官の下に急いでいるとしたなら、俺が前から現れても敵に余り違和感はないはずだ。心配するな」


 そう言うと、ガルムは自らの供回り50人ほどを率いて、サッと敵軍へと近づいて行った。


 急速に近づいて来るガルム隊に、レンネンカンプの護衛隊長が気付いて言った。


「指揮官殿、左方向から50ほどの部隊が急速に接近してきます。敵ではないでしょうか?」


 けれどレンネンカンプは、カツコフ隊の機動力がずば抜けて高いことを知っていたので、


「待て、急を聞いて駆けつけてきたカツコフ隊かもしれん。軽々しく攻撃するな」


 そう言うと、供回りの一人を指さし、


「そなたはカツコフのもとに行き、我が隊の先鋒隊として行動せよと命令を伝えてこい」


 そう伝令を出した。


 ガルムは、敵軍から伝令がただ1騎でこちらに向かって来るのを見て、


「ふん、思ったとおり、俺の隊を味方と勘違いしてくれたようだな」


 そうニヤリとしてつぶやくと、後ろに続く部下たちに


「いいか、あいつを斬り捨てたら吶喊する。注意したとおり絶対にバラバラになるな。班ごとに固まって行動し、敵一人を複数で相手にするんだぞ」


 そう改めて注意すると、馬を部隊の先頭まで進めた。


「カツコフ様の部隊ですか? レンネンカンプ様からの命令です」


 そう言いながら馬を寄せてきた敵伝令は、先頭に見知らぬ隻眼の男が馬を進めて来るのを見て、目の前の部隊が味方ではないことに気付き、


「て、敵軍だ!」


 と、慌てて馬首を巡らそうとした。


 ガルムは左手で両手剣を抜きつつ、滑るように近づいて来ると、


「待て待て、人の顔を見て逃げなくてもいいだろう?」


 そう言いざま、伝令の首を刎ねた。


「よし、このまま突っ込むぞ。エイセイに合図の火矢を上げろ!」


   ★ ★ ★ ★ ★


 カツコフ隊がヴァルター隊を北に吊り上げ、レンネンカンプとロシチェンコの隊にガルム隊が攻撃を仕掛けたころ、リュスコフとヤヴォーロフの魔戦士・魔導士混成隊はアゼルスタンの部隊を視界内に捉えた。


「あれが偽皇太子の軍か。確かにグリフォンの皇太子旗が見えるな」


 リュスコフが目をすがめて言うと、ヤヴォーロフは


「どんな人物かは知らないが、わが帝国への挑戦ですな。ああいう奴が帝国領に入ってきたら、人心は惑い思わぬ事態になりかねませんぞ」


 そう、けしかけるように言う。


 リュスコフは、ヤヴォーロフを振り向いて訊いた。


「一つ訊きたい。我が兄上はイヴァン・コルネフ様からの命令で『標的』を取り戻す任務を受け、謎の女戦士に斬られたと聞いた。もしかして『標的』とはアゼルスタン殿下のことではないか? そうだとしたら、あそこにいるのは紛れもない、本物の殿下ではないのか?」


 ヤヴォーロフは青い目を細めて答える。


「摂政殿下が『偽者』とおっしゃったからには、あそこにいるのは偽者です。あなたは摂政殿下のご命令に疑義でも?」


 リュスコフは慌てて、


「い、いや、俺も摂政殿下に忠誠を誓った身だ。殿下を疑うなど滅相もない」


 そう言うと、ヤヴォーロフはうなずいて言う。


「そうでしょう、私もです。あそこにいるのは偽者、それを討ち取ることは、帝国のためになることですし、あなた自身にとっても兄上の敵討ちになるのではないですか?」


 リュスコフはそれを聞いて、自分を納得させるように言った。


「うむ、あそこにいるのは偽者だ。では、俺はあの部隊を強襲する。援護を頼むぞ、ヤヴォーロフ殿」


「任せてください。首尾よくあなたが任務を果たせますように」



 そのころ本隊では、カーヤが北西から接敵して来るリュスコフ隊に気付いた。


「殿下、敵です」


 カーヤの声を聞き、アゼルスタンの周りにいる者たちは顔色を青くする。訓練を受けているとはいえ、ほとんどの者は初陣で、ラシュガクの拠点に来て初めて武器を触ったという者も多かった。


 彼らはみな、アゼルスタンの顔を見る。アゼルスタンも勇んで出てきたのはいいが、頼みのガルムもヴァルターも側にいないこの状況に顔色が青白くなっていた。


(いけない、殿下が恐怖を見せると、軍は四散する)


 カーヤはとっさにそう思い、


「殿下、兄上の軍もおっつけここにやってきます。それまで少しでもペイノイの陣地に近づく必要がございます。私が殿を務めますので、殿下はゆっくりと南に向かってください」


 そう、明るい声で言った。


 それを聞いて、アゼルスタンは馬上でハッとする。彼には自分に注がれる視線が痛いほど感じられた。いけない、自分が少しでも恐怖したり、弱気になったりしたら軍はその統制を失い、そして自分の運命もここで終わる……そのことに危ないところで気付いた。


 アゼルスタンはゆっくりと微笑んだ。硬い顔になっていないかと心配だったが、それでも頬を緩めることが大事だと思ったのだ。


「……僕は戦場を逃げない。よく見よ、寄せて来る軍はたかだか50人程度だ。こちらには5百人もいる。それも故国のために力を尽くそうと我がもとに来てくれた勇士たちばかりだ。ガルム殿もヴァルターも、その配下と共に戦ってくれているのだ。どうして僕だけが逃げ出すことができよう」


 アゼルスタンは、そう言っているうちに胸の奥から熱い気持ちがこみあげて来る。彼は頬を紅潮させ、青い瞳に強い光を灯しながら、槍を振り上げて言った。


「敵は我らに初陣のはなむけをしにやって来てくれた。各隊長は部下を掌握し、決してバラバラになるな! カーヤ、ヴァルターが来るまで踏ん張るんだ」


「承知いたしました、殿下!」


 カーヤはそう言うと、長刀を持って自隊へと戻る。カーヤ隊はすぐに展開を始め、危ういところでリュスコフ隊の突撃を受け止めた。


「包み込み、複数で相手をしなさい!」


 カーヤも長刀を揮いながら、部下たちにそう叫ぶ。


「やっ!」

 バシュッ!


 カーヤ自身も2・3人の兵を連れ、リュスコフを探して戦場を駆け巡っていた。


「殿下、乱戦になっています。少し後ろにお下がりください」


 少し高い丘の上で、カーヤ隊の奮戦を見守っていたアゼルスタンに、左右に兵が言うが、アゼルスタンは首を振り、


「敵はわずか50人ほどだ、カーヤで押さえられるだろう。けれど向こうに別の部隊がいる。『オプリーチニキ』には魔戦士隊と魔導士隊があるが、あれは魔導士隊かもしれない。不測の事態に備えられるようにしていないといけないんだ」


 そう言って、青い瞳を持つ眼に厳しい光を込めて戦場を見下ろした。



 リュスコフは、


(俺たちがこんなに苦戦しているのに、ヤヴォーロフは何をしているんだ?)


 と、魔導士隊の援護がないことをいぶかしがったが、乱戦状態になって敵味方が判別しづらくなっている状況から、


(まあ、この状況なら魔法もむやみやたらと撃てないのだろうな)


 そう考えて、ふと浮かんだ疑念を押し殺した。


 そんな彼の目に、丘の上に翻る皇太子旗が映った。目を凝らしてみると、旗の下に4・5人の兵に囲まれた少年が見える。


(あれこそ、『標的』!)


 そう直感したリュスコフが周囲を見ると、何とか丘へと突破できそうな状況に見えた。


(帰りはどうでもいい、あいつを討てば道は開けるだろう)


 リュスコフは単身で『標的』を急襲することを決心し、戟を揮いながら突進を始めた。


「どけっ、オプリーチニキ魔戦士隊四席魔導士フランソワ・リュスコフのお通りだ!」

 ブンッ!


 リュスコフの物凄い形相と、縦横無尽に振り回す戟に圧され、兵士たちは思わず跳び下がって道を開ける。


「よし、手向かいしなければ命は取らない。そこを退け!」


 リュスコフは単身でアゼルスタンのいる丘の上へと駆けあがって行った。


「殿下、敵が突進してきます! 早く下がってください!」


 アゼルスタンの周囲にいた4・5人の兵が、血相を変えて


「私たちがあいつを押し留めているうちに早く!」


 そう叫び、みんな剣を抜いてリュスコフに斬りかかって行った。


「しゃらくさい!」


 リュスコフは途中でいったん止まると、駆け下って来る4・5人の兵を眺めながら息を整えていたが、ニヤリとした笑いと共にそうつぶやき戟を構え直した。


「敵将、推参っ!」


 一人がそう叫んで斬りかかってくる。この男はガルムの訓練を受けて、かなりの程度まで腕を上げていたが、それでもにわか作りの剣士は戦場往来の勇士の相手ではなかった。


「ふんっ!」

 ズバン!

「がっ!」


 リュスコフは慌てもせずに、その兵が間合いに入るのを見切ったように戟を一閃させる。兵の首はあっさりと胴体から離れて宙を舞った。


 それを見て、仲間の兵士たちの足が止まる。リュスコフは不吉な笑みを浮かべて


「ふん、剣も握ったことのないような一般人か命を粗末にするものだな」


 そう言うと、


「ややーっ!」


 リュスコフは一息で残りの兵士たちを突き倒した。


「さて……」


 リュスコフは、ゆっくりと丘の上を見ながら歩き出す。そこには青い顔をした少年が、槍を握りしめて突っ立っている。


 腰には立派な剣が吊ってあり、腕もかなりのものと見えたが、それでも今、リュスコフが5人もの兵士を瞬殺するのを見たためか、少年の顔には恐れの色が浮かんでいた。


 リュスコフは、お互いの得物の間合い近くまで来ると足を止め、


「私は皇帝親衛魔戦士隊、四席魔戦士フランソワ・リュスコフ。一つお聞きしたいが、あなたは皇太子アゼルスタン様ではないでしょうか?」


 そう、丁寧に名乗ったうえで訊く。


 少年は青い顔ながらも毅然として答えた。


「そうだ。リュスコフ、そなたに訊きたい。皇帝親衛隊ともあろうそなたが、なぜ父皇帝陛下の意に背き摂政の意を迎えているのだ?」


「それは……」


 リュスコフは口ごもった。彼は『もしや』と思っていたことが現実となったために酷く動揺していた。ここにいるのが本物の皇太子ではないかと疑念がよぎったが、それを強いて押さえつけていたのだ。


「僕は、帝国にはもっと開明的で文化的であってほしいと願っている。それは陛下の願いでもある。摂政は陛下の願いに忠実であるのか、親衛隊たるそなたならよく分かっているはずだ。それでも僕を討ち、摂政の意を迎え、帝国を蒙昧の時代に引き戻そうというのか⁉」


「……」


 リュスコフは頭を下げてアゼルスタンの叱責を受けている。指揮官級に引き上げられたのがつい最近だったこともあり、彼は皇帝への忠誠心が余り薄まっていなかった。


「何をしているのですか、リュスコフ殿? 偽皇太子を眼前にして何を迷っているのですか?」


 そこに、唐突と言っても過言でなくヤヴォーロフが姿を現す。ヤヴォーロフは冷たい瞳をリュスコフに当てていた。


「ヤヴォーロフ、そなたは俺を騙したな?」


 絞るような声でリュスコフが言うと、ヤヴォーロフはニヤリと笑って答えた。


「はて、騙したとは?」


「とぼけるな! そなたは、ここに居るのは偽皇太子で間違いないと言ったではないか! 皇帝親衛隊たる我らが、後嗣たる殿下のお命を狙うなど、あってはならないことだぞ!」


 激高して詰め寄るリュスコフに、ヤヴォーロフは笑いを消さずに答えた。


「リュスコフ殿、私はこう言ったはずだ。『摂政殿下が偽者であると言われるのならば偽者だ』と。私は一度も『ここに居るのは本物の皇太子ではない』と言ったつもりはないぞ」


「この、痴れ者がっ! ぐっ!」


 思わず戟を振り上げたリュスコフの身体に一瞬煙のようなものが立ち昇り、そう呻いてがっくりと膝をつく。リュスコフの口からはぼたぼたと血がこぼれ落ちた。


「き、貴様、何をした?」


 そうヤヴォーロフを睨みつけて言ったリュスコフは、力尽きたようにうつぶせに倒れた。


「心弱き者は『オプリーチニキ』には必要ない。それは『調律者様』が最も嫌うものですからね」


 リュスコフを見つめてそうつぶやいたヤヴォーロフは、おもむろにアゼルスタンを見て笑った。


「さて、私は皇帝親衛魔導士隊の四席魔導士にして、『調律者様』のしもべ、ウラジミール・ヤヴォーロフ。『摂理の黄昏』が近づいている今、あなたのような方にいてもらっては邪魔になるのです」


 そしてその両手に不気味な魔力を集めながら、ゆっくりとアゼルスタンに近づいて来る。


「来るなっ!」

 ブン、バシンッ!


 慌てて突き出したアゼルスタンの槍を、ヤヴォーロフは魔力を集めた手で弾く。槍はアゼルスタンの手を離れ、ヤヴォーロフの後ろへと飛んで行った。


「くっ!」


「無駄なことはおよしなさい。『摂理の黄昏』が来れば、どうせあなたもディミトリーも生きてはいないのですから」


 そう言いながら、ヤヴォーロフは上半身から紫色の魔力を噴き出した。その向こうに、アゼルスタンはまるで悪魔かと思うような禍々しい光を放つ眼を見た気がした。


「僕は……」


 アゼルスタンは、近寄って来るヤヴォーロフの圧にじりじりと後退する。無意識にその左手が佩剣の鞘を握っていた。


「死は一瞬のもの。けれど『調律者様』から言うとそれは永遠の安らぎだそうです。諦めて『無明の海』に魂を沈めなさい」


 アゼルスタンには、そう言うヤヴォーロフの身体がオオカミのように見えた。


人狼ヴィルコラク!)


 アゼルスタンの頭にそう言う言葉が閃く。それと同時に、


「まだ生きるんだーっ!」


 アゼルスタンはそう絶叫しながら、腰の剣を引き抜いた。


 ズバンっ!

「ぐおっ!」


 軽い手応えと共に、ヤヴォーロフの口から悲鳴が漏れる。アゼルスタンは目を開けて眼前の光景を見た。


 あれほど抜けなかった剣は、振り上げた右手の先で冷たく鋭い光を放っている。剣は氷のように清らかで、白い地鉄にはさらに白い刃が輝いていた。


「ぐっ……その剣には、魔力が込められているのか……」


 ヤヴォーロフはそう忌々しげにつぶやくと、苦し気に後ろに下がって姿を消した。


「……僕にも、『ツァーリ』は抜けた……」


 アゼルスタンは、剣を見つめながら茫然とたたずんでいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 アゼルスタンは、無事にペイノイの陣地に帰還した。


 ヤヴォーロフの部隊はいつの間にか撤退しており、リュスコフの部隊は隊長がいなくなったためカーヤの部隊によってほぼ壊滅となった。


 カツコフ部隊を追撃していたヴァルター隊は、カーヤの急報によって追撃を打ち切ってアゼルスタン部隊に合流したが、その時には戦いは終了していた。


 ガルム隊にぶつかったレンネンカンプとロシチェンコの部隊は、南の戦線で苦戦する魔導士隊の救援要請に対応できず、心ならずも魔導士隊を見殺しにする形となった。すぐる日、魔導士隊の支援を受けられずに壊滅一歩手前まで追い詰められた魔戦士隊だったが、今度は立場が逆となった形だった。


 レンネンカンプはロシチェンコと80人近い隊員を失い、


「栄光のオプリーチニキ魔戦士隊も、カツコフの部隊と我が隊でわずか70名余りまで討ち減らされた。これ以上の作戦継続は不可能です」


 そう、本国に戻っていたイヴァン・コルネフ魔竜剣士に報告し、しばらくホルンたちの前から姿を消すことになる。


 その一方で、アゼルスタンは


「リュスコフの容態はどうだ?」


 味方であるはずのヤヴォーロフからの攻撃で瀕死の重傷を負ったフランソワ・リュスコフをペイノイの陣地に運んで手当を施していた。


「殿下、ヤツは殿下の命を狙った者ですよ? その場に打ち捨ててくればよかったものを」


 バグラチオンが顔を真っ赤にして怒って言う。自分が出撃できなかったためにアゼルスタンが危機に陥ったことを心配しているのだろう。


 アゼルスタンはバグラチオンに微笑んで言った。


「僕の心配をしてくれることは嬉しい、けれど今は一人でも味方がほしい。彼は僕が本物の皇太子と知って明らかに攻撃を躊躇した。陛下への忠誠も残っている人物だ、死なせるのは惜しい」


 そして、顔を南の空に向けて


「それより問題はホルン様の方だ。魔導士隊を壊滅させたという連絡は入っては来たが、まだご帰還されないのはどうしてだろう? マルガリータ殿、何か重大な手違いが起こったのではないだろうか?」


 そうマルガリータに問いかける。


 マルガリータは、強いて笑いを作り、


「大丈夫です。姫様は強いお方、そして仲間とのつながりを忘れないお方です。何か不慮の事態があった場合は、すぐに知らせてくださるはずです」


 そう言った後、自分の不安を打ち消すかのように、


「ご心配なら、私が様子を見て参りますが?」


 そうアゼルスタンに言う。


 アゼルスタンはガルムを見て、


「ガルム殿、貴殿にホルン様の確認をしていただいてよいだろうか? 僕にはホルン様はバグラチオンやソフィア殿と同じくらいなくてはならないお方なのだ」


 そう頼む。ガルムは左目を細めてうなずいた。



 時間を少し巻き戻そう。ガルムがアンドロポフ隊を壊滅させ、レンネンカンプたちがアゼルスタンの本隊へと突進していたころ、ペイノイの町の南方5キロまで迫っていたオプリーチニキ魔導士隊は、予期せぬ敵にぶつかった。


 ホルンの率いる5百である。


 魔導士隊では、実質的な指揮官であるサムソーノフも、その配下であるクラブチェンコ、モローゾフそしてティモシェンコたちも、


(そろそろ敵の迎撃があってもいいころだ)


 と、戦機が迫っているのを感じていた。それを感じ取っていなかったのはイワーナだけだったと言っていい。


 だから、ホルン隊の攻撃が始まった瞬間、サムソーノフたちは機敏に反応した。反応はしたが、空中からの攻撃は彼らの想像の外にあった。


 『予期せぬ』とはそういう意味である。


「私はホルン・ファランドール。ウラル帝国皇太子アゼルスタン・ルーリック殿の依頼によって、彼の義挙を手助けする者さ。皇帝親衛隊のくせに皇帝陛下の継嗣を狙うとは不届きな奴らだ。ブリュンヒルデ、やっちまいな!」


 オプリーチニキ魔導士隊は、数に勝るホルン隊から包囲を受けても対応がしやすいように、サムソーノフ隊を中心に円陣を組んでいた。それがここでは裏目に出た。


『承知しました、ホルン様』


 空中に突然、身長15メートルはあるシュバルツドラゴンが姿を現し、いきなりファイアブレスを噴き付けてきた。


 ブリュンヒルデはまだ成獣とは言えないが、それでもドラゴンの中のドラゴンと言われるシュバルツドラゴンである。そのファイアブレスは100メートルに近い火柱を上げ、3千度に近い高温で魔導士たちを地獄の業火に叩き込んだ。


「ぐわっ!」「ゔえっ!」


 ホルンにばかり気を取られていた魔導士たちは、とっさに魔力で身を守ることもできず、かなりの数がここで消滅した。


 中でも痛かったのが、


「うぎゃああーっ!」


 『ホルン何するものぞ』とたかをくくっていたイワーナは、この先制奇襲で紅蓮の炎に包まれ、断末魔の声を上げる。


「イワーナ様っ!」


 慎重さでは定評があったサムソーノフとクラブチェンコ、そしてティモシェンコは最初から『覇気』で身体を覆っていたので難を免れたが、モローゾフもまた、この一撃で何することもなく散華していた。


「全員、『覇気』でシールドしろ。固まってはダメだ、散開して戦えっ! 血路を開いて撤退だ!」


 サムソーノフはそう残存部隊に命令するとともに、


『魔導士隊は敵の奇襲を受けて半壊、イワーナ副司令官殿戦死。至急救援を請う!』


 そう、北で戦っているはずの魔戦士隊や、魔戦士隊の援護として分離したヤヴォーロフ隊に『遠隔連絡』で救援要請を行った。


「よし、みんなまだ手を出すんじゃないよ!」


 阿鼻叫喚の様相を呈している魔導士隊を、翠の瞳で見据えながら、ホルンは逸る兵士たちを抑えて前に出る。そして、


「我が主なる風よ、わが友たる炎よ、Et in Archadia Ego(死はどこにでもある)ものなれば、その烈風と灼熱の炎で、魔道に堕ちし者たちにMemento Mori(死を思い出さ)せよっ!」


 そう呪文を唱える。呪文の途中から、長大な『死の槍』の穂先は翠色に輝き始め、紅蓮の炎を乗せた風が台風のように集まりだした。


 そして、魔力が十二分にたまったと見て取るや、ホルンは『死の槍』を横薙ぎに薙ぎ払う。


「風の刃よ、女神ホルンの名においてかの者たちを速やかに摂理の下へ! 『慈愛の旋風(カリタス・トルネード)』!」


 ぶわんっ!


 ホルンの『死の槍』は、鳳翼のような炎と旋風を放ち、魔導士たちのほとんどをその魔力の中で消滅させてしまった。


「……いかん、相手はただの戦士ではない……」


 辛うじて生き残ったクラブチェンコは、初めて見るホルンの魔力の凄まじさに呆然と立ち尽くしている少数の魔導士たちに、


「撤退だっ! 栄光のオプリーチニキ魔導士隊をここで全滅させてはいけないっ!」


 そう叫ぶと、ホルンを遠目に睨みつけ、


「ホルン・ファランドール、この屈辱は必ず晴らすぞ」


 そうつぶやいて姿を消した。



「さて、第一段はうまく行ったね。けれど次は私ひとりじゃ手に負えない戦いになると思う。みんなの奮起を期待しているよ」


 ホルンは『死の槍』に鞘をかけると、後ろに控えていた5百人を振り向いて笑って言う。兵士たちは凄まじいホルンの戦いぶりに気を飲まれた顔をしていたが、


(この方は女神ではないか? この方の下で戦う限り、負けることなんてないぞ)


 そんな気持ちがみんなに広がったのであろう、全員目を輝かせて鬨の声を上げた。


 そこに、


「ホルン・ジュエル様ですね? 前のファールス国女王の」


 そう言う声と共に、若い男性が姿を現した。部隊全員が突然の闖入者に反応して身構える。


 しかし、張り詰めた空気を感じていないように、その男はゆっくりとお辞儀をしてあいさつをした。


「はじめてお目にかかります。私の名はレオン・ニンフエール。皇帝親衛隊で司令監察を拝命しています」


 ホルンは、『死の槍』の鞘を払って訊く。


「あなたからは敵意は感じられないが、念のために鞘は払わせてもらうよ。それで、司令監察殿が敵の私に何の用事だい?」


 レオンは亜麻色の髪をサッとかき上げ、石色の瞳でホルンを見て告げた。


「あなたは光輝聖女王としてファールス王国という大国を指導し、わずか半年で昔日の国威を取り戻した英傑。そんなあなたが単に頼まれたからという理由でアゼルスタン殿下の味方をするとは思えません。その理由をお聞かせ願えれば、私が知っている帝国の状況や摂政殿下のことについてお話ししたいと思いますが?」


 そして、微笑と共に付け加えた。


「私の従兄、デューン・ファランドール様の薫陶を受けた陛下のことです、何か大きな理由があると信じています」


(『12 紺碧の死神』に続く)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

オプリーチニキの自滅に似た敗北は、さらなる強敵を招くことになります。

まだウラル帝国に入ってもいませんが、帝国編ではどんな戦いを展開するか、頭を悩ませています。

今年も頑張って書いていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

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