表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青き炎の魔竜騎士(ドラグーン)  作者: シベリウスP
10/18

10 死闘の予感

魔道士隊を蹴散らしたホルンとガルム。新たな拠点でついに皇太子は帝国刷新に向けた檄を飛ばす。

『摂理の黄昏』などの謎をはらんだまま、戦雲は刻々と迫る。

 ホルンとガルムは、シェミランの村で『オプリーチニキ魔導士隊』のヴァシーリー・ヘイを討ち取ったが、


「ホルンさん、あの若造はこんなものを持っていやがったよ」


 ガルムが笑って左手を差し出す。その掌には禍々しい魔力を発している紫色の石が載せられていた。


 ホルンはその石を一目見て、眉をひそめて言う。


「ずいぶんと禍々しい『魔力の揺らぎ』だね。どう見ても人工物にしか見えないけれど、誰がこんなものを造りやがったんだろう?」


 ガルムもうなずくと、


「こいつを持っていた若造は、この石のことを『魔竜の宝玉』と呼んでいた。俺の魔力で封印してやろうかと思ったができなかった。封入されている魔力の量が桁外れだし、水晶を壊さずにこれだけの魔力を封入するところを見ると、これを造った奴は余程の術者だ。単に水晶に魔力を込めた代物じゃないと思うぜ?」


 そう言って、その石をホルンに手渡す。


「……この波動は、『終末竜アンティマトル』にも似ているけれど、ちょっと違うね。けれど、少なくとも人間が作ったものじゃないことだけは確かだね」


 ホルンはそう言うと、石を腰のダンプポーチにしまう。


「この石のことは、後でマルガリータに視てもらうことにして……ガルムさん、私は少し気がかりなことがあるんだ」


「気がかりな事?」


「ああ。アニラ殿の言葉を覚えているかい? 私はウラル皇帝ディミトリー陛下のことを邪魔に思っている誰かか、皇帝位を狙っている誰かが、皇帝親衛隊まで動かして皇太子殿下(あの坊ちゃん)の命と皇帝の剣を狙っているだけだと思っていたんだが、アニラ殿の話によればもっと裏があるって言っていたろう?」


 翠色をした瞳を持つ眼を細めて言うホルンに、ガルムも左目を細めて訊いた。


「それでは、さっきの『魔竜の宝玉』とやらが関係しているのですかね?」


 するとホルンは首を振って答えた。


「うん、『魔竜の宝玉』を見て私の中で確信に変わったよ。あれは普通の人間が、普通のミッションで使っていい代物じゃない。それに、さっきの奴が不思議なことを言っていたんだ。『調律者』とか『摂理の黄昏』とか『使徒』とかね? ガルムさん、どれか一つでも聞いたことがあるかい?」


 ガルムもまた首を振った。


「アニラ殿の話では、悪神チェルノボグが目覚めるときのことを『摂理の黄昏』っていうんじゃなかったですか? それ以外は初めて聞く言葉ですよ。バグラチオン将軍か公女様か、あるいはマルガリータ殿なら知っているかもしれませんがね」


 それを聞いて、ホルンは傾いて行く月を眺めながら言った。


「……私もそう思う。だから早くみんなの後を追おうじゃないか」


 そしてガルムを見つめて、


「……それにしてもガルムさん、あなたが鍛えた部下たちはなかなかに丹力があるじゃないか。あの戦いの中でも騒がず、脱走したりもせず、きちんと幕舎の中でおとなしくしているなんて。この分なら実戦でもちゃんと戦ってくれると思うよ」


 と笑った。



 1時間ほどすると、ヴァルターとカーヤのトラヤスキー兄妹が指揮する2百が合流した。この部隊にはマルガリータも加わっていたため、ホルンは彼女に『魔竜の宝玉』を見せながら訊いた。


「マルガリータ、着いた早々すまないが、これを見てほしいんだ」


 ホルンが『魔竜の宝玉』を取り出して見せると、マルガリータは黒曜石のような瞳を持つ眼を丸くして、


「それは……ホルン様、そんなものを触られて何も体調に変化はございませんか?」


 そう心配そうに訊く。


 ホルンは笑って、


「ああ、心配要らないよ。私の魔力でこいつを覆っているかね。ほら」


 そう言うと、手の上の『魔竜の宝玉』をマルガリータに差し出す。マルガリータはおっかなびっくりに宝玉を眺めたが、その表面に風の魔力が翠の光を湛えているのを見て、安心したように言った。


「……これほどの魔力を封じ込められるなんて、さすがはホルン様です。普通の人が持てば体調を崩すでしょうし、下手な魔導士が持ったとしたらこの石の魔力に囚われてしまうところでしょう」


「……ということは、やはりこいつの中に封じ込まれている魔力はただの魔力じゃないってことだね? マルガリータ、こいつは『魔竜の宝玉』というそうだけれど、何か知っていることはないかい?」


 ホルンの言葉を聞くと、マルガリータはサッと表情を硬くして訊き返した。


「ホルン様、この宝玉のことを『魔竜の宝玉』とおっしゃいましたか?」


「ああ、こいつを持っていた『オプリーチニキ』の隊長がそう言っていたらしいよ」


 ホルンはうなずいてそう言うと、ニヤリと笑う。ホルンの顔を左の額から右の頬にかけて斜めに斬り裂いた刀傷が、その笑顔に凄絶さを添えた。


 マルガリータはホルンの笑顔に気圧されながらも、


「師匠はこの宝玉が実在することを心配されていました。そして、もし見つかったら自分のもとにすぐに送れと申していました。ホルン様、この宝玉をロザリア様のところに送ってもようございますか?」


 そう訊いて来る。ホルンはうなずいた。


「構わないよ。けれど私はその宝玉がどんなものなのかは知りたいね。ロザリアがそれほど気にしているモノなんだったら余計にね?」


「承知いたしました。師匠にこれを届けたら、すぐにこの宝玉について私が知っていることをお話しいたします」


 マルガリータは『魔竜の宝玉』を手に取ると、転移魔法陣を描いてその中に消えた。


「ふむ、『魔竜の宝玉』、それを使っていた奴らが口にした『摂理の黄昏』や『調律者』か……。アニラ殿の心配どおり、何か良くないことが裏で動いているようだね」


 ホルンはそうつぶやくと、トラヤスキー兄妹を呼び出した。



「何かご用事でしょうか、ホルン様?」


 やって来たのは妹のカーヤだけだった。ホルンはカーヤを幕舎に招き入れながら、


「あれ、お兄様はどうしたんだい?」


 そう訊くと、カーヤはニコリと笑って、


「お兄様はガルム様と一緒に部隊を点検しています。ところでどんなご用事でしょうか?」


 逆にそう訊いてきた。


 ホルンは翠の瞳を持つ眼を細めながら小声で訊いた。


「あなたは、『摂理の黄昏』という言葉を聞いたことがあるかい?」


 するとカーヤは目を丸くしたが、すぐにうなずいて答える。


「はい、邪神チェルノボグによるこの世界の崩壊の始まりと言われています。邪神チェルノボグは、私たちウラル帝国で暮らす者にとって小さい時から伝承や童謡でひどく身近な存在です」


「詳しく教えてくれないかい?」


「伝承でよろしければ、お話しいたします」


 カーヤはそう前置きして、『邪神チェルノボグ』の伝承について話しだした。



 この『世界』は、世界樹の上に成り立っている。


 その世界樹は、『無明の海』から芽吹き、無意識を糧として育ち、枝葉を広げ、やがては枯れてまた『無明の海』へと還る。


 『無明の海』からは、無数の世界樹が幹を伸ばしていて、その数だけ『世界』はある。そして『世界』には『摂理の管理者』と呼ばれる存在がいて、その世界の摂理、法則、そして運命までも司っている。


 それぞれの『世界』に存在する『摂理の管理者』は、互いの世界に対して干渉しない。あくまで『摂理の管理者』がその『世界』の主宰者である。


 けれど、『無明の海』には、異なる『世界』に対して力を行使するものが存在する。それを『摂理の調律者』といい、『管理者』が定めた摂理を調律し、その『世界』の存続を図ったり、逆にその『世界』を滅ぼしたりすることができる。


 その『調律者』とは別に、無意識が集まっていずれかの『世界』に発現した時、その『世界』の摂理を自らの意思で書き換えようとする存在が現れる。


 これを『書換者』といい、多くはその『世界』を滅ぼすために現れる。人々はこの悪意ある『書換者』のことを『邪神チェルノボグ』と呼んだ。


 チェルノボグが現れるとき、その『世界』には『無明の海』からの無意識が入り込んでくる。そのため、陽は暗くなり、夜は妖魔や魔神が跋扈するようになる。人々の心から道徳心は消え、摂理を疑う声が聞かれ始める。その時が『摂理の黄昏』である。



 ……カーヤは、おおよそこのようなことを簡潔に語った。


「カーヤ、いくつか訊いていいかい?」


 話を聞き終えたホルンは、カーヤに鋭い視線を向けて言う。カーヤはホルンの視線にも負けず、硬い顔ながらもうなずいた。


「まず、ウラル帝国の人たちはその伝承を真面目に信じているのかい? それとも伝承としてあまり心にかけていない人が多いのかい?」


 カーヤは少し考えていたが、


「ホルン様がご存知かどうかは分かりませんが、ウラル帝国では今の陛下が魔術や妖言の類を禁止するまで、庶民の生活は迷信に縛り付けられていました。ですから、『摂理の黄昏』のことはこの世の終わりと同義で民衆に信じられています。かなりの貴族ですら信じている者は多いと思います」


 そう答える。ホルンは続いて訊いた。


「私は、迷信が信じられるようになる裏には、何かのきっかけが必要だと思っているんだ。これまで『摂理の黄昏』と呼ばれる事件が起こったことはないかい? あるいはそれが記録されているような書物があるとか……どうだい?」


「そもそも、ウラル帝国そのものが伝承から始まっています。チェルノボグを『調律者』とともに討ち果たした英雄イヴァン・ルーリックが国を建てたのが興りだとされていますから。それに、歴史書はともかくとして、伝承では今まで6回の『摂理の黄昏』が訪れたが、7回目の『摂理の黄昏』が来た時世界は滅ぶと言われています」


 カーヤがよどみなく答える。


「チェルノボグとは、どういった姿をして、どのようなことをするんだい?」


「具体的な姿を伝える伝承はありません。ただ、吸血鬼シチシガ人狼ヴィルコラクを使役し、疫病を流行らせ、世界を滅ぼすと伝わっているだけです」


 それだけ聞き出すと、ホルンは満足したようにうなずいて、


「ありがとう、大変ためになったよ」


 そうカーヤに笑いかける。カーヤは心配そうな顔をして訊いた。


「あの、ホルン様。ひょっとして『摂理の黄昏』が近づいているのですか?」


 するとホルンは、首を振って言った。


「私からは何とも言えないね。ただ、アニラ殿も言っていたが、そう言った事態が起こらないように物事を進めていくだけさ。あなたもあまり心配しないでほしいよ。上の心配事は部下に悪影響を与えるからね」


   ★ ★ ★ ★ ★


 バグラチオン将軍の2百、そしてアゼルスタンとソフィアが率いる2百は、明け方に相次いでシュミランの村に到着した。


「せっかくここまで来てもらったけれど、マルガリータの作戦上、私たちはここで回れ右をしなきゃいけない。まずはジャジャッドまで軍を進めよう」


 ホルンが言うと、バグラチオン将軍が不思議そうに訊いた。


「せっかくここまで来たんです。反対方向に進むのは時間の無駄ではないですか?」


「確かに、このまま街道を北上したらチャールースの町に入れる。あそこも軍集積地の一つだからその点では申し分ないが、一つ見落としていることがあるよ」


 ホルンの答えに、バグラチオン将軍は


「見落としていること?」


 そう首をかしげる。ホルンはうなずくと、


「ああ、『オプリーチニキ』が見張っているのはテーランだけじゃない。『蒼の海』方面やダブリーズ方面にも網を張っている。わざわざチャールースに進めばそいつらに見つかって包囲されるよ。それより一旦南下してサーリーに出ればいい。あそこで捕まってもゴルガーン地峡で敵を罠にはめられるからね」


 そう言う。それにアゼルスタンもうなずいて言った。


「チャールースに向かったとしたら、僕がルーン公国に入るものと思われるでしょう。ガイウルフ殿にご迷惑をかけたくない。ホルン様の意見に従いましょう」


「ただ、殿下が『蒼の海』西岸を伝ってルーン公国を目指していると思わせた方がいいとは考えます。そのような噂を流すのはいかがでしょうか?」


 ソフィアがそう提案すると、ホルンとバグラチオン将軍はうなずいた。



 『オプリーチニキ魔導士』のコンスタンチン・クラブチェンコがヴァシーリー・ヘイ部隊の生き残りウラジミール・ヤヴォーロフからラシュガク監視部隊の全滅を聞いたのは、明け方近くだった。


 驚いたクラブチェンコは、すぐさま自身で部隊を率いてシュミランの村に向かうとともに、ゲオルグ・ティモシェンコの部隊にも追及を命じ、と共にダブリーズ方面に展開しているエミール・モローゾフの部隊にも集結を命じた。


 その3部隊がシェミランの村にそろったころには、アゼルスタンとホルンたちはすでにジャジャッドを過ぎてダマーバンドへと向かっていた。


「奴らはどこに行った⁉」


 クラブチェンコが怒ることは珍しかったが、ブルカーエフ、コスイギンに続いて三人も班長クラスの隊員が討ち取られたことに、ひどく動揺もしていたのだ。


「……彼らはラシュガクの訓練地が私たちに知られてしまったため、新たな訓練地に移動したものと思います。殿下のシンパになりそうな者で最も危険なのはルーン公国のガイウルフでしょう。殿下たちは北に向かったに違いありません」


 ダブリーズ方面から駆けつけてきたエミール・モローゾフが言うと、『隻腕の魔導士』と言われているゲオルグ・ティモシェンコは


「殿下は関係ない者たちをご自分の企てに引き込むことを嫌うお方。確かにルーン公国の公女と婚約されていますが、それゆえにルーン公国には足を踏み入れられますまい。むしろ『蒼の海』の東岸を見張っておくべきです。カブランカーのギガントブリクスたちが殿下の企てに巻き込まれたら、我々にとっても容易ならぬ敵になります」


 そう、真逆の意見を述べた。


 クラブチェンコは、


「ふむ、どちらの意見も一理ある……」


 そうつぶやくと、しばらく今後の方針を考えていたが、


「やはり怖いのはルーン公国が立つことだ。ギガントブリクスたちには我らの争いに首を突っ込まないよう釘を刺しておこう。モローゾフ、君がティモシェンコとヤヴォーロフの指揮を執ってダブリーズで網を張っていてくれ。私はギガントブリクスの首領と話を付けて来る」


 そう言うと、転移魔法陣を描いてその中に消えた。


「ヤヴォーロフ、君は『槍遣いの女用心棒』と戦ったのだろう? どんな奴だったか詳しく話してくれないか?」


 クラブチェンコを見送ったモローゾフは、疲れた顔をしているヤヴォーロフにそう訊くと、ヤヴォーロフは薄く笑って答えた。


「あいつは恐るべき敵です。アゼルスタン殿下より、むしろホルンと名乗ったあの女戦士こそ、先に討ち取るべきですな。でないと我々魔導士隊のみならず『オプリーチニキ』は彼女のために全滅という憂き目を見るかもしれません」



 カブランカー地域はトルクスタン侯国で最も北西にあり、ギガントブリクスという種族の自治領となっていた。


 もともとギガントブリクスたちはタジスタン方面に所領を持っていた巨人族だが、トルクスタン候サームによって討伐され、所領を移されていたものである。


 所領移管に反対していた者もあったが、カブランカーに来てすでに30年が過ぎた今では、ほとんどの者が現状に満足し、特にホルンやザールが国王になってからはそれなりの処遇を得ていたため、その首領であるサムソンは平和裏に部族を治めていた。


 そのサムソンは『蒼の海』に面したベクダシに住み、ゴル湾周辺に点在する種族の村々を統括している。


「それで、我々としてはウラル帝国からどう言われようと、中立を守っておけばいいのですな? しかし我々のところにウラル帝国の使者が来るとは思えぬが」


 サムソンは、突然面会に訪れた男にそう言って笑う。


 サムソンと向かい合った男は、海の色をした長い髪を揺らして首を振り、


「……ウラル帝国の特殊部隊が王都に入り込んでいた。何かが起こっているらしいが、その焦点となる人物が北に向かっているという情報を得ている。ウラル帝国の特殊部隊は、ここにも姿を現してそなたたちの動向を探ろうとするだろう」


 サムソンは、男の言葉を聞いているうちに真剣な顔となり、


「……『紺碧の死神』よ、ウラル帝国は何を考えているのだ?」


 そう訊くと、男は深い海の色をした瞳を持つ切れ長の目を細め、


「……かの帝国は南に向かう気持ちが旺盛だ。今のごたごたが収まれば、そのうちステップの緩衝地帯に手を伸ばしてくるだろう。魔法や魔神の類を恐れ、そして迫害している国でもあるから、その時、そなたたち巨人族はどんな目にあわされるか分からぬぞ」


 そう言う。サムソンはスロヴェニアやダイシン帝国方面でウラル帝国が引き起こしている国境紛争などの噂を聞き知っていたため、心配そうな顔で言った。


「その時、ファールス王国はどうするつもりだ?」


「わがザール陛下は、そなたとの友誼を忘れてはいない。今回のことで私の言うとおりにしていてもらえれば、ウラル帝国と事が起こった場合でもそなたたちの処遇は変わらないだろう」


 それを聞いて、サムソンはホッとした顔で答えた。


「それを聞いて安心した。ガイ殿、われらカブランカーに住むギガントブリクスは巨人族の最後の生き残り。我らの自治に何も干渉してこないザール陛下のやり方にはほとほと感じ入っている。それに私も陛下との約束は忘れていない。誓って貴殿の言うことに従うぞ」


 ガイは薄く笑ってうなずいた。



 クラブチェンコがカブランカーを訪れたのは、ガイとサムソンがそんな話をしたわずか2日後だった。


「なに、ウラル帝国の使者だと?」


 サムソンは、取次ぎの者からそう訊いて、今さらながらファールス王国の中枢にいる者たちの先見の明に驚いた。


「……おそらく、ガイ将軍をここに遣わしたのは大宰相のジュチ殿か王妃のロザリア殿だろう。これほど先を見る明がある人士がそろった王国と友情をもって結ばれている我らは幸せだ」


 サムソンはそう言いながら、クラブチェンコを接見の間に通すよう命じた。


 クラブチェンコが申し出たのは、これもガイが言ったとおり、自分たちがすることに対して手を出すなということだった。


 サムソンはその要求を聞いて、笑って答えた。


「はっはっはっ、ウラル帝国の方が自国のことで何をされようと、我々は関係がございませんな。もちろん、それがカブランカーの平和やファールス王国への挑戦であれば話は別ですが……そこのところはいかがですかな?」


 クラブチェンコは、碧眼を細めて答えた。


「無論のことだ! 我々は今、こんな不毛の土地に手を出している暇などない」


 それを聞いて、サムソンは鋭い顔をしてクラブチェンコを威嚇するように言う。


「不毛の土地、ですか。その不毛の土地を争って東方でそなたの帝国がやっていることを知らぬわけではありませんぞ? 種族を守ることと王国の北方の障壁となることを期待されている私が、そなたたちの動向を気にするのは当然ではないですかな?」


 するとクラブチェンコは、にわかに態度を軟化させて、言い訳するように答えた。


「い、いや、私は単に領土的野心はないと言いたかっただけだ。気にされたのであれば謝るし、我らの邪魔をしないと言われたことは感謝する」


 そして、サッと席を立って、


「サムソン殿、我らへのご厚意については重ね重ね感謝する。これで私も心置きなく『蒼の海』の西岸に力を入れることができる」


 そう言うと、そそくさと立ち去って行った。


「……ふむ、この海の対岸で、何が起こっているのだろうかな?」


 サムソンは、陽の光を跳ね返している『蒼の海』ののどかな風景を眺めながら、そう独り言ちた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 そのころ、ホルンとアゼルスタンの一行は、『蒼の海』の東岸中間部にあるゴル湾を過ぎ、アクタウの町に上陸していた。


 実はその二日前、ホルンたちがサーリーの町に到着した時、隊列を離れていたマルガリータが笑って彼女たちを出迎えて言った。


「お疲れ様です。無事にここまで来られましたね」


 ホルンはうなずくと、


「ああ、ここまでは計画通りだった。けれどシェミランでは一人取り逃がしているから、私たちがもうラシュガクにはいないことを奴らも知っているはずだし、ここも長くは留まれない。隊に復帰してさっそくで悪いが、どうすればいい? マルガリータ」


 そう訊く。


 マルガリータは笑って答えた。


「想定済みです。こちらにおいでください」


 マルガリータがホルンたちを連れて行ったのは、サーリーの町の波止場だった。『蒼の海』では様々な海の幸が採れ、サーリーはチャールース、ラムサールなどと共に漁業が盛んであった。当然、港には漁船も多い。


 けれどホルンが驚いたことは、


「……参ったね、これは軍船じゃないか。マルガリータ、あなたはいつの間にこんな船を手配していたんだい?」


 ホルンが訊くと、マルガリータはペロッと舌を出して笑い、


「うふふ、ホルン様、陛下からのお手紙にはなんて書いてございましたか?」


 そう答える。ホルンはわけもなく赤くなったが、


『僕はそんなあなたを決して見捨てない。あなたが関わっている件についても、ファールス王国の立場が悪くならない限り最大限の協力をしたい』


 ザールからの手紙にそんなことが書いてあったことを思い出した。


(まったく、ザールは……ファールス王国を今回の件に関わらせないように努力している私の苦労が水の泡じゃないか)


 ホルンはそう苦々しく思いながらも、このような手助けはありがたかった。


「……これで、ザールたちの立場が悪くなったりはしないだろうね?」


 念のためにそう訊くホルンに、マルガリータはうなずいて答えた。


「この軍船は、王国のものではございません。トルクスタン侯国のサーム様が、アゼルスタン殿下に敬意を表して、そのご帰国に際して出されたものです」


「……なるほど、それなら言い訳が立つというわけだね。トルクスタン侯国としては厄介払いをしたっていう態か。それならご厚意をありがたく受けようじゃないか」


 こうして、ホルンやアゼルスタンたちは、『オプリーチニキ』たちの目を晦まして、予定よりはるかに早く最終目的地の近くまで進むことができたのである。


「じゃ、ホルンさん。俺は一足先にペイノイに行って、殿下たちを迎え入れる準備をしておくぜ」


 ガルムはそう言うと、自らの部隊2百を率いて先行していった。


 ホルンは、町の真ん中にある交易会館の近くに残りの部隊を整列させると、アゼルスタンやソフィア、そしてバグラチオン将軍らとともに交易会館へと足を踏み入れる。


 そして、交易会館の責任者を呼び出すと、


「私はホルン・ファランドール。ちょっと仲間たちと共に協議したいことがあるから、会議室を貸してもらっていいかな?」


 そう頼み込んだ。


 会館の責任者は、ホルンが千に近い人数を引き連れて訪れたことと、ホルンの名をよく知っていたため、


「構いませんが、えらく人数を引き連れておいでですね? ホルンさんはどこぞの傭兵隊長にでもなられたのですか?」


 そう言って快諾してくれた。


 ホルンは笑って、


「はは、私が傭兵隊長か。それもいいかもしれないね」


 そう言うと、アゼルスタンたちを会議室へと招き入れる。


「ここ、アクタウはファールス王国の北の極限。これから少し行ったシェトベを越えたら、それから先はどこの国でもない緩衝地帯だよ」


 ホルンが言うと、マルガリータがそれに付け加える。


「ペイノイは緩衝地帯でも交易路の中心になっている町です。あそこに駐屯して、殿下に檄を飛ばしていただければ、必ず『オプリーチニキ』は私たちのことを見つけ出します」


 それを聞いて、バグラチオン将軍はいぶかしげに訊く。


「ここまで俺たちは、できる限り敵の目を逃れてきた。ここに至ってわざわざ目立ったことをして、あまつさえ敵を引き寄せるような真似をするのはどうしてだ? 殿下が檄を飛ばせば、それはそのままイヴデリ公への宣戦布告になるぞ?」


 するとマルガリータは、ニコリとしてうなずく。


「はい、おっしゃるとおり宣戦布告です。殿下は天下に大義を明らかにし、堂々と戦いを宣言してこそ、今後の生きる道もございます。このまま人数を集めても、おそらく蹶起はできないでしょう」


 アゼルスタンは一つうなずくと、


「このまま時を過ごしても、私の名は天下に知られてはいない。だから人数は集まらないというマルガリータ殿の意見にはうなずく。けれど私の名で檄を飛ばしても、それで私の名が広がるわけではないだろう。ペイノイで何を考えているのだ?」


 そう訊く。マルガリータは笑いを含んだまま答えた。


「ペイノイには、おそらく『オプリーチニキ』だけでなく、治安部隊も攻撃を仕掛けて来るでしょう。その数は最大で2万弱、それに『オプリーチニキ』も加わって2万と見ています。

 私たちがそれを叩き潰せば、殿下の名と大義は瞬く間にウラル帝国の全土に広がるでしょう。この戦いは、殿下の初戦を飾るだけでなく、おそらくその後の戦いも左右します」


「それは無茶だ! 私たちはまだ千にも満たない数なんだぞ?」


 バグラチオン将軍が叫ぶように言うが、マルガリータは首を振る。


「いいえ、大丈夫です。敵は恐らく個々にかかってきます。最初は『オプリーチニキ』、そして治安部隊の一個旅団、最後に治安部隊南方第4軍の残り全力……演習の成果を試すにはもってこいの舞台だと思いませんか?」


 何か言おうとしたバグラチオン将軍を、アゼルスタンが押さえて言った。


「待て、バグラチオン。今までマルガリータ殿は言ったことを外したことはない。ここは彼女を信頼して、ペイノイへと進んで攻撃態勢を完了させよう。それで僕の運命が開けるのなら、ここで命を賭けてみよう」


 それを聞いたホルンは、ニコニコしてバグラチオン将軍に言った。


「バグラチオン将軍、虎穴に入らずんば虎子を得ずとか、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれっていう言葉があるよ。私は殿下の決断を後悔させないつもりだ。ここは私を信じて、一緒に畢生の戦いってヤツをやってやろうじゃないか」


 そしてアゼルスタンに対しては、


「私は殿下の決断、気に入ったよ。その意気ごみがあれば、きっとその剣を抜くことができる。自分を信じて最後まであきらめずに戦いな。必ず私たちが勝たせてみせるから」


 そう励ました。


 アゼルスタンは、隣に座るソフィアを見て、ニコリと笑う。ソフィアもその微笑に笑い返して、


「……参りましょう? 私もお手伝いさせていただきます」


 そう言った。



 バグラチオンの心配は、ペイノイに入ると少し軽くなった。なぜならそこにはすでに立派な陣地線が出来上がっていたからだ。


「……ガルム殿は元ファールス国王前将軍だったと聞いているが、これほどの素早い陣地構築は聞いたことがない」


 バグラチオンが感嘆していると、ガルムが一人の将を連れてホルンたちのところにやって来た。


「やあガルムさん、こんなにすごい陣地をどうやってこさえたんだい?」


 ホルンが訊くと、ガルムは鼻をかきながら照れたように言う。


「いやあ、俺の手柄じゃなくて、ここにはすでにカンネーが陣地進入していましてね? 訊くとサーム様のご指示でここを守備していたというんで、そのまま陣借りしたというわけですよ」


 すると一緒に歩いてきた茶髪で碧眼の男が笑いながら言った。


「ホルン様、お久しぶりです。私はサーム様の麾下に加わって日も浅いため、トルクスタン侯国の兵とも見えないでしょう? まあホルン様の名前に惹かれてきた雑軍の将って感じで扱ってくださいな」


 ホルンはマルガリータを見て、


「……あなたは、ここまで手を回していたのかい?」


 そう訊くと、マルガリータはすっとぼけて答える。


「えっ? 何のことでしょうか。カンネー様自身が言われたじゃないですか、ホルン様の名前に惹かれてきたって」


 ホルンはため息を一つつくと、笑ってカンネーに訊く。


「分かったよカンネー、あなたの好意を受けるよ。で、部下は何人いるんだい?」


「いつの間にか5千を超える数になってましてね? さすがはホルン・ファランドール様ですね。俺たちと共にここに来たいってヤツがひっきりなしに部隊に加わったんでさあ」


 ホルンは噴き出しそうになった。カンネーのウソはすぐに見破れたが、


(まあ、そう言うことにしとこうか。でないとわざわざ精鋭をカンネーに付けて派遣してくれたサーム様やザールにすまないしね)


 そう思ったのである。


 ホルンは、すぐに真面目な顔になって言った。


「分かった、それじゃ軍隊区分ってヤツを決めようじゃないか」



 ペイノイに所在するアゼルスタン軍は、良将と精兵を得て、次のような陣営となった。


 まず、アゼルスタンの護衛に2百、これは馬廻りとしてアゼルスタン自身が指揮する。ソフィアはここに加わった。


 そしてヴァルターとカーヤのトラヤスキー兄妹が8百、アゼルスタンの旗本として馬廻り2百の外側に布陣する。


 ホルンは、5百の兵をもってマルガリータと共にアゼルスタン部隊を守る形でその右側に布陣した。


 そしてバグラチオンとガルム、カンネーはそれぞれ千5百を率いて鶴翼に配置された。両翼がガルムとカンネー、中央はバグラチオンである。


 ただし、最初はホルン部隊5百以外の部隊は、すべて身を隠しておくように指示された。


「いいかい、ここにこんな大軍がいることを敵に知られたくない。あくまでアゼルスタン殿下のもとにある軍は千に満たない数って敵さんには信じていてもらいたいんだ。『オプリーチニキ』は私が相手する。みんなの出番はその後だよ」


 ホルンはそう言って、陣地線の真ん中で笑っていた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 アゼルスタンは、王国暦1579年地に炎立つ月、ウラル帝国の人たちに向けて檄を飛ばした。


『我が父君、ディミトリー陛下は、在位10年の間、君たち国民、小領主のことを慈しんでこられた。学校を作り、道を整備し、この国の基を整備するとともに、産業を盛んにし、啓蒙を図られた。おかげでわがウラルは、他の大国に伍して強大となった。


 しかし、税を富めるものからは多く、貧しきものからは少なくしようとされたため、イヴデリ公及び大貴族たちの反発にあい、帝権は制限され、皇太子である私も命を狙われる日々となった。


 私は、民衆と小貴族たちを安んじ、皆の力を集めて新たな帝国を築きたいという父君の理想を実現するため、アリョーシャ・バグラチオン将軍、そしてホルン・ジュエル様の力を得て、イヴデリ公を廃し、父陛下のために蹶起することを決めた。


 心ある民衆よ、小貴族よ、私は国民の皆のためにこの身を犠牲にすることを決意したのだ、わが麾下に加わり、共に帝国の回天の日をこの手で招こうではないか。


  冰暦729年葡萄月、皇太子 アゼルスタン

            薫風の魔導士 アニラ・シリヴェストル

            蒼炎の魔竜騎士 ホルン・ファランドール』


 帝都エリンスブルクでアゼルスタンの檄を手にしたイヴデリ公イヴァン・フョードルは嚇怒して、自らの取り巻きに叩きつけるように言った。


「……あの青二才め、ついにやりおったな! ニコライ・アレクセーエフ、すぐにディミトリー陛下とアナスタシア皇后を幽閉せよ! アゼルスタンの所に行かれてはまずい」


 イヴァンはそう、宰相たるニコライに行ったが、ニコライは首を振って諫める。


「いけません、まだ陛下には軍がついています。私がそのような行動に出れば、オスラビア元帥は嬉々としてあなたを捕らえに来るでしょう。それは愚策です」


 それに、イヴァン側では比較的穏健派に属する蔵相ヨシフ・カリターエフがうなずいて言う。


「宰相殿の申されるとおりです。軍を刺激しないようにすべきです」


「では、余にこのまま手をこまねいていろと申すか?」


 イヴァンが憤然として言うと、外相ヴィサリオ・ジュガシビリは首を振って献策する。


「それもよくありません。火の粉は燃え広がる前に消火すべきです。幸い、皇太子殿下が宮殿にいないことは小貴族や民衆は知りません。ですから檄を飛ばしたニセモノを成敗すればよいのです。治安部隊や『オプリーチニキ』に任せてはいかがでしょうか?」


 それを聞いたイヴァンは、感情を鎮めてうなずく。


「そうか、ニセモノだな。天下のウラル帝国の皇太子を名乗るとは不届き者だ。確かに成敗すべき奴だな」


 そして、イヴァンはオプリーチニキ司令官セルゲイ・ポクルイシュキンと国内治安部隊最高指揮官アレクサンダー・ヤヴォーロフをその場に招いて、自ら『偽皇太子の追討』を命じた。


「偽の皇太子が現れ、国内を乱すような言説を振りまくとは由々しき事態だ。ポクルイシュキン、ヤヴォーロフ、すぐさまそのニセモノを追討し、国内の平穏を保て」


 命令を受けた二人は、すぐさま指揮所に下がって命令を発した。



「なに、いつの間にペイノイにまで出てきたんだ?」


 ルーン公国の近くで魔戦士隊の指揮を執っていたイヴァン・コルネフ魔竜剣士は、ポクルイシュキンの命令を受けて驚いた。自分たちの網に全く引っ掛からずに、緩衝地帯にまで進出したアゼルスタン部隊に対し、


(殿下は軍事の素人、バグラチオンがいるとはいえ、手際が良すぎる。敵に思いもよらぬ人物が加勢に加わったとしか思えぬ)


 そう不気味なものを感じながら、麾下の部隊に命令を下した。


「ペイノイにいる偽皇太子殿下の軍を叩き潰す。全員、直ちに部隊をまとめてボランクルの町に集合せよ」


 この命令によって、魔剣士長パーヴェル・レンネンカンプ、先任魔剣士ミハイル・カツコフ、次席魔剣士パーヴェル・ロシチェンコ、三席魔剣士ユーリー・アンドロポフ、四席魔剣士フランソワ・リュスコフの5人は、それぞれ自分の部隊を率いて動き始めた。


 この命令は魔剣士隊だけでなく、魔導士隊にも下された。


「よし、あたしが直々に指揮するよ!」


 オプリーチニキ副司令官のイワーナ・ジリンスキーは、命令に奮い立った。


 そして、全魔導士隊に


「ついに『標的』を見つけたよ! 邪魔する奴らも一緒だ。一網打尽にして今までのうっ憤を晴らしてやりな」


 そう、総攻撃の命令を下した。


 イワーナの命令を受けて、魔導士隊の方は魔導士長アレクサンドル・サムソーノフ、筆頭魔導士コンスタンチン・クラブチェンコ、次席魔導士エミール・モローゾフ、三席魔導士ゲオルグ・ティモシェンコそして四席魔導士ウラジミール・ヤヴォーロフの5人が、ペイノイに向かって動き出した。



 オプリーチニキの動きは、アニラが最も早くつかんだ。


 アニラ・シリヴェストルは、今は亡きゾフィー・マールやアルテマ・フェーズとともに稀代の魔女と呼ばれた大魔導士の一人である。見た目は17・8歳の乙女の姿をしているが、すでに250年以上の時を過ごしてきた。


 彼女は『摂理の黄昏』、つまりチェルノボグの目覚めの兆候を誰よりも早く察知し、ここ数年、その対策を練ってきた。その対策の途中、自宅があるアクキスタウに立ち寄った時、彼女は『蒼の海』の風を聞いた。


「……ふむ、『オプリーチニキ』が動き始めたか。アゼルスタン殿の側には『蒼炎の魔竜騎士』が居るから、そう心配はいらぬと思うが……」


 そうつぶやいたアニラだったが、


「……老婆心という奴かのう」


 そう笑うと、転移魔法陣を描いてペイノイのアゼルスタンたちのもとに姿を現す。


「アニラ様、アニラ様ですね?」


 ソフィアが目ざとくもアニラを見つけ、キラキラした目で駆け寄ってくる。彼女はルーン公国の公女であったが、魔導士アニラの弟子でもあったのだ。


「おお、ソフィアか。アゼルスタン殿の側はいかがかな?」


 笑いと共にそう訊くアニラに、ソフィアは顔を赤くして答える。


「い、いやですわアニラ様ったら。すぐ冗談をおっしゃるのですから。それよりアニラ様、突然どうしてここにお見えになったのですか? 何か良くない事でも?」


 そう訊かれたアニラは、真面目な顔に戻って言った。


「うむ、そうだった。可愛い弟子に会って大事な用件をすっかり忘れるところだった。ソフィア殿、我をアゼルスタン殿かホルン殿のところに案内してくれぬか」


 アゼルスタンはアニラの訪問を受け、すぐさまホルンをはじめ主だった者たちを自分の幕舎に招いた。


 全員がそろったところで、アゼルスタンがアニラに顔を向ける。アニラはそれを受けて話し始めた。


「陣内を見せてもらったが、なかなかいい陣立てをしておる。これなら治安部隊の旅団程度であれば跳ね返せるであろうな」


 そう口を切ったアニラは、微笑のまま、


「じゃが、まずは『オプリーチニキ』だ。『オプリーチニキ』がこの方面に向けて魔導士隊と魔戦士隊を終結させつつある。魔導士隊は南から、副司令官イワーナ・ジリンスキーの指揮のもと、約250名でこちらに向かいつつある」


 そして今度は北を向いて、


「魔戦士隊は北から向かってきつつある。指揮官は魔戦士のトップ、魔竜剣士イヴァン・コルネフ以下250名。合わせて5百というところかの」


 そう言うと、ホルンを見つめて笑った。


「ホルン殿、相手の現場指揮官は魔剣士隊がパーヴェル・レンネンカンプ、魔導士隊がアレクサンドル・サムソーノフだ。我はこの二人を統一指揮する者がいない状況を見て、勝ちを確信しておる」


「……普通に考えれば、そのイワーナってヤツが統一指揮を執って攻めて来るんじゃないのですか? 全体の副司令官なんでしょう?」


 ホルンが訊くと、アニラはくすくす笑って答える。


「イワーナには騒ぎ立てる能力はあっても、こう言った戦いで部隊を指揮する能力はない。かと言って戦慣れしたイヴァン・コルネフに統一指揮をさせるはずがない。イワーナは魔導士上がりで魔戦士を軽んじておるからな」


 そしてバグラチオンを見て続けて言う。


「バグラチオン殿、『イルザの夜』をご存知か?」


 そう訊いて、バグラチオンはうなずいて、


「はい。ウラル帝国で最も大きな盗賊団を壊滅させた戦いでしたね? 奴らは『オプリーチニキ』の攻撃を受けたくせによく戦い、『オプリーチニキ』側にも大きな損害が出たと聞いていますが」


 そう答える。アニラは莞爾として、


「そのとおりじゃ。その時の指揮官がサムソーノフとレンネンカンプ。その時レンネンカンプの魔戦士隊はサムソーノフの魔導士隊から援護が受けられずに大きな損害を出した。軍監としてついて来ていたトロツキー副司令官が戦死したのもこの時じゃったな。これは当時の大魔導士イワーナがわざと道に迷ったふりをして援護を打ち切ったことが原因と噂されておる」


 そう言うと、今度はマルガリータを見て、


「マルガリータ殿、敵の指揮官は互いに不信感を持っている者同士。この機を逃す手はないぞ? 完膚なきまでに『オプリーチニキ』を叩きのめせば、この部隊、ひいてはアゼルスタン殿下の株は急上昇するだろう」


 そう笑って言った。


   ★ ★ ★ ★ ★


「全員そろったか?」


 ペイノイの北西60キロ余りのところにあるコルケッドの村に部隊を留めたイヴァン・コルネフ魔竜剣士は、最先任の指揮官であるレンネンカンプ魔剣士長を自分の幕舎に招くと訊いた。


 隻眼のレンネンカンプは、左目を細めて訊く。


「はい、本国からの増援もございましたから、総員260名となっています。いつかかりますか?」


 レンネンカンプの問いに、コルネフは眉を寄せて言う。


「魔導士隊にはイワーナ副司令官がついて来ているらしい。けれど攻撃日時についても、指揮官に関する点も何も連絡がない。もう少し待って、何も指示がなければレンネンカンプ、君が魔戦士隊を指揮してペイノイに突っ込むんだ。魔導士隊を当てにするな」


 レンネンカンプはうなずくと、


「言われなくても、サムソーノフが指揮する魔導士隊なんて当てにしませんよ。『イルザの夜』の再現はこりごりですからね」


 そう吐き捨てるように言った。


 一方、魔導士隊はというと、魔戦士隊と何の連携もなく、すでにペイノイからわずか南西に20キロのベイネウの町にまで進出していた。


「準備はできたかしら?」


 イワーナ副司令官に呼び出された立派な顎鬚を持つサムソーノフ魔導士長は、自慢のひげを左手でしごきながらうなずく。


「はい、とりあえず5番隊はウラジミール・ヤヴォーロフに指揮をさせます。総員250名、出撃準備は整っています」


 それを聞いてイワーナは、


「そう、それじゃコルネフの鼻を明かしてやろうかしら。サムソーノフ、そなたはすぐに全部隊を指揮してペイノイに巣食った偽皇太子を抹殺しておいで」


 そう、至極簡単に命令を下した。



『ホルン様、南の魔導士隊が動き出しました。北の魔戦士隊は何故か南からの攻撃に呼応しようとはしていません』


 ホルンは、ペイノイの町の東側にある台地に軍を移動させていた。一つは自国の領土でもない町の中での戦闘を嫌ったことと、カンネーが設置した陣地がこの台地を中心に作られていたことからだ。


 ホルンは自分の天幕を出て、戦場になるであろう西側の傾斜地を眺めていた。そこに、偵察を任せていたシュバルツドラゴン、ブリュンヒルデからそう報告が入る。


(副司令官が出てきているのに、統一指揮ができていないのは不思議だね。ひょっとしたらアニラ殿の言うとおり、『オプリーチニキ』の上層部は一枚岩じゃないのかもしれないね)


 ホルンはそう考えると、ニコリと笑ってつぶやく。


「……だとしたら、各個撃破のチャンスだね」


 そしてホルンは、上空のドラゴンに命令した。


「ブリュンヒルデ、北の魔戦士隊を見張っていておくれ。動き出したら空からの攻撃をお見舞いしてやりな」


『承知いたしました。けれど魔導士隊の方はホルン様の部隊だけで大丈夫ですか?』


 ブリュンヒルデが心配して訊くが、ホルンは花のような微笑と共に答える。


「心配要らないよ。マルガリータが二つの部隊を合流させないような策を考えているからね。そちらもマルガリータの命令をよく聞いて、一兵も返すんじゃないよ?」


 ブリュンヒルデが北へと飛び去った時、マルガリータが後ろから声をかけてきた。


「ホルン様、敵が動き出したようですね?」


 ホルンは振り返りもせずに訊く。


「アニラ殿の『天空の眼』かい? 私にもその能力があったら、ブリュンヒルデを差し向けたりはしないんだけれどね? それで、あなたはどんな作戦を考えたんだい?」


「はい、今回の戦いで気を付けるべきことは、こちらの戦力を知られない事……それでお手数ですが南からの魔導士部隊には、ホルン様に当たっていただきたいと思います」


 それを聞いて、ホルンはうなずく。


「任せておきな。魔法が使えない人間じゃ魔導士相手にはちと苦労するだろうからね。それで、北の魔戦士隊はどうするつもりだい?」


 ホルンの問いに、マルガリータは驚くようなことを言った。


「北の戦線には、殿下ご自身が出られました」


 ホルンは振り返って、びっくりした顔で言う。


「殿下が? 殿下が出なくても勝てる戦いだよ。トラヤスキー兄妹の出番を奪うもんじゃないよ?」


 マルガリータは困ったように笑って、


「どうしてもとおっしゃいますので……トラヤスキー兄妹には馬廻りを指揮してもらい、殿下の旗本はガルム様に指揮をお願いいたしました。この方面はこれで何とかなると思います」


 そう説明する。ホルンはため息をついて、


「……血気にはやってもらっても困るんだけれどね。『オプリーチニキ』を退けても、殿下に何かあったら水の泡なんだけれど……」


 そうつぶやくと、精悍な顔でマルガリータに言った。


「とにかく、私は出るよ。殿下をしっかり守っておくんだよ?」


「待ってください、私もホルン様の部隊に加わります」


 マルガリータはそう言うと、ホルンが何も言わないうちに付け加えた。


「サムソーノフを罠にかけるためです」



 一方、アゼルスタンが率いる千名の軍は、ホルンたちより一足先にペイノイ東台地の陣地を出て北に向かっていた。


 バグラチオンをはじめソフィアもアニラも、アゼルスタン自身の出陣には反対したが、


「僕自身の運命は僕自身で切り開きたい。僕は勝利をつかむその日まで、前線で戦うことをいとわない」


 アゼルスタンはそう言って、ホルンにも言わずに出陣を決めたのである。


「マルガリータ様、殿下は無事にお戻りになるでしょうか?」


 陣地に残されることになったソフィアが心配顔で訊くが、マルガリータは彼女を励ますように言う。


「殿下は自らの運命を切り開きに参られました。ソフィア様、あなたにできることは、殿下をあなたの魔力で助けることです。心配している暇はございませんよ?」


「私の、魔力で?……でも私は攻撃魔法なんてほとんど使えませんが」


 ソフィアが自信なさげに言うと、マルガリータは黒曜石のような瞳に優しい光を浮かべて、


「殿下を守る方法は戦うことだけではございませんよ? 例えば……」


 そう言って、ソフィアの耳元で何か策をささやく。それを聞いたソフィアは、パッと喜色を表して言う。


「分かりました。私も努力いたします!」


「お願いしましたよ? 私はホルン様と共に南の部隊に当たりますので」


 マルガリータはそう言うと、ソフィアの前から影のように消えた。


(アニラ様の弟子とはいえ、まだ私はマルガリータ様の足元にも及ばない。けれど今は私ができることをすべきだわ)


 ソフィアはそう思うと、自分の天幕へと戻り、水晶を前に精神を集中しだした。


 さて、北へと進むアゼルスタン部隊では、ヴァルター・トラヤスキーの斥候隊2百が早くも魔戦士隊の先鋒、パーヴェル・ロシチェンコ隊50とぶつかった。


「相手は魔戦士とはいえ、こちらの方が兵数に勝る。押し包んで戦え!」


 初陣のヴァルターは、そう部隊に命令するとともに、


「1対1では戦うな。3人以上で敵の一人を相手にしろ。相手は魔戦士だ、油断はするな」


 そう注意することは忘れなかった。


 それと共に、ヴァルターは後方にいるガルムの本隊5百と、アゼルスタンの護衛隊3百に向けて、接敵したことを伝令で伝えていた。


「ガルム殿、ヴァルターが接敵したようですが」


 知らせを受けたアゼルスタンがガルムにそう告げる。敵を前に逸っているようだ。


 ガルムは興奮気味のアゼルスタンを見てニヤリと笑うと、


「殿下、まずは深呼吸をしてください」


 そう言う。アゼルスタンはその言葉を聞いてハッとして、深く息を吸い込んだ。


 アゼルスタンの顔色が常のものに戻るのを見て、ガルムは笑いながら言った。


「それでよろしいですな。逸ると周りが見えなくなり、罠にはまりやすくなるってことです。大将たるあなたは、激戦であればあるほど落ち着いていなきゃいけません。さて、今後の我々の動きですが……」


 ガルムはそこで一息入れ、カーヤ・トラヤスキーを見て


「カーヤ、そなたならどうする? 相手は恐らくあと2・3個は部隊を持ってきているはずだ。それぞれに連携されてもまずいが、こちらの不意を衝くために各個に動かれたらさらにまずいが」


 そう訊く。カーヤはさらりとした亜麻色の髪をかき上げて、


「相手は特殊部隊、指揮官を討ち取っても命令遂行を諦めたりはしないでしょう。すなわち敵はすべて排除する必要があります。敵の立場から考えると、分散して各個に攻撃したいところです」


 そう答える。ガルムはうなずいて言う。


「俺もそう思う。そうなると、ヴァルターがぶつかったのは先鋒隊ではなくて囮部隊かもしれないな」


「囮?」


 アゼルスタンが訊くと、ガルムは彼を見てうなずき、説明した。


「ええ、正規の教育を受けた軍人なら、敵の先鋒隊の動きを見て、その本隊の位置や動きを推察することはそう難しくはありませんからね。こう言っている間にも、敵がここを攻めてくる可能性だってありますよ」


「ならばすぐに戦闘態勢を整えないと!」


 焦るアゼルスタンに、ガルムは優しい声で言った。


「殿下、焦らずに命令を下してくださいな。あなたの堂々たる姿が、こちらの士気を高めますからね」



 しかし、ガルムの心配とは裏腹に、『オプリーチニキ』魔戦士部隊の残り3個部隊は、チリヂリバラバラになっていた。


 最初、イヴァン・コルネフはレンネンカンプの出陣に当たって、


「レンネンカンプ、我々魔戦士隊は乱戦の中でこそその真価を発揮する。だから部隊を一つにまとめず、分散して進撃し、偽皇太子がいる部隊と当たったら速やかに『遠隔連絡』でその位置を報告し、全部隊で重点的に攻撃するんだ」


 そう申し渡していた。念のために発したこの注意喚起が、今回は裏目に出たのである。


「見つけたぞ、あれこそまさにアゼルスタン殿下の旗印だ」


 最初にアゼルスタン部隊を見つけたのはユーリー・アンドロポフの隊だった。彼はすぐさま他の諸隊に、


『偽皇太子の部隊を発見、位置はペイノイの北20キロ』


 そう報告した。


 しかし、それと入れ違いに、パーヴェル・レンネンカンプ隊やフランソワ・リュスコフ隊からも、


『ペイノイの北北西25キロの位置に偽皇太子が所在すると思われる部隊を発見。敵の数はおよそ5百』


『偽皇太子部隊発見、位置はペイノイの北西20キロ』


 という連絡が入って来たのだ。


 当然、三人の指揮官は混乱した。そして自分の報告した部隊こそ、アゼルスタンの直率部隊だと思い込んでいた。


「アンドロポフやリュスコフは何を見ているのだ。陽炎でも見ているのか?」


 レンネンカンプはいぶかしがって再度他の2隊に、


『本職も偽皇太子の部隊を発見、追跡中。貴隊の敵を今一度確認せよ』


 と、確認命令を送ったが、アンドロポフもリュスコフも


『当隊追跡中の敵には皇太子の徽章を確認せり』


『我が隊の前面には皇太子旗が翻りつつあり』


 と、そんな返信があった。


 レンネンカンプはその状況から、


(敵は殿下がどこにいるかを隠すため、どの隊にも殿下がいるような小細工をしているのだな)


 そう判断し、


『本職は眼前の敵を攻撃す。各隊それぞれの敵を攻撃せよ』


 と、3隊別々の攻撃をする決心をした。


「兵力の分割にはなるが、わが魔戦士隊は1個隊50人で通常兵力の旅団に匹敵する。心配はない」


 レンネンカンプはそう自分に言い聞かせ、眼前の敵を追撃し始めた。


 アゼルスタンの名を一気にウラル帝国内に知らしめる、ペイノイ殲滅戦の幕開けだった。


  (『11 熱砂の神剣』に続く)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

序盤の山場に差し掛かりましたが、仕事の都合で次の投稿は年明けになる予定です。

あるいは、「HAMMURABI」や「キャバスラ」とかわりばんこに1作ずつ投稿するかもしれません。

間が空きますが、どうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ