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青き炎の魔竜騎士(ドラグーン)  作者: シベリウスP
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1 流浪の貴種

ホルンは、2年ぶりにファールス王国に帰ってきた。

その途中、一隊の部隊に襲われている少年を助けたが、不思議な荷物を持つ少年は奇妙な仮面をかぶった魔導士の襲撃を受ける。

少年をサマルカンドに護衛することにしたホルンだったが……。

 ファールス王国。

 古の神話で、英雄ザールが女神ホルンと女神アルベドの協力のもとに創り上げたと言われる王国。

 その歴史の中で、いくつかの争乱があった。


 最も身近な事例では、王国暦1550年、時の国王シャー・ローム3世を、王弟ザッハークがしいし、王権を簒奪した事例がある。


 ザッハーク時代、王の権威は凋落ちょうらくし、国の辺境は乱れに乱れた。


 その中で、王国暦1576年、正統の王女が一人の英傑とともに兵を挙げ、国権を取り戻し、再び国を興隆させつつあった。


 そして王国暦1579年、この物語はそこから始まる。



 ザッザッザッザッ……

 月の光の中、一人の少年が走っていた。


 彼は恐らく寝間着だろう、貫頭衣かんとうい半袴はんこのまま髪を振り乱し、一心不乱に駆け続けている。その息は上がり、ゼエゼエという苦しげな呼吸をしながら、草原をひた走っていた。


「あそこにいたぞ!」


 遠くからそんな叫び声がする。


 彼は引きつった顔で声がした方に顔を向けたが、その途端、何かに足を取られて転倒してしまう。


「くっ」

 ガシャン!


 彼が抱えていた荷物が、金属音を立てて地面に転がった。


「しまった」


 彼は慌ててその細長い箱を拾い上げたが、足をくじいたのかそのまま座り込んでしまう。


「くそっ! これをあいつらに渡しては……」


 少年は唇をかむが、その時すでに追手は1ケーブル(この世界で約185メートル)ほどまで近づいてきていた。追手には騎兵もいる、ここはだだっ広い草原である。どこにも逃げも隠れもできない。


「やっと捕まえましたぞ、手間をかけさせてくださいましたな。おとなしくその箱の中身を私たちに渡していただければ、命だけは助けてあげられるのですが」


 少年を包囲すると、騎馬の隊長らしき人物がそう呼びかけてくる。


 少年はサッと周りを見回した。騎馬は隊長ほか10騎ほど、後は歩兵が50人程度だ。


「誰が渡すものか! 忌まわしき簒奪者ずれに!」


 少年はそう叫び返した。身に寸鉄も帯びてはいないが、これほどの相手に命乞いをしないのは、それだけこの少年が自分の腕に自信を持っているからだろう。


「そうか、それでは仕方ありませんな。皆の者、掛かれっ!」


 隊長がそう言うと、部下たちは喚き声を上げて斬りかかって来た。


「負けるものか」


 少年は、群がる敵の刀槍をその箱で受け流しつつ、しばし奮闘していたが、


「それっ!」

 バシュッ!

「ぐっ……」


 敵の一閃が彼の左の太腿をざっくりと斬り裂いた。少年はたまらず地面に転がる。


「待てっ!」


 部下が止めを刺そうとした時、隊長がそれを止める。そして、優しげな声で少年に言い聞かせるように言った。


「……みごとな腕前でございました。これだけの敵を相手に箱一つで渡り合った度胸も認めましょう。けれど勝敗の行方は明らかです。おとなしくその箱を渡しなさい。そうすれば約束どおり私たちは引き上げるし、あなたがどこでどう生きようが干渉いたしません」


 血まみれになりながら肩で息をして、それでもまだ鋭い瞳で睨みつけてくる少年を見て、隊長は憫然びんぜんとした表情で付け加えた。


殿()()も、そうおっしゃいました」


 それを聞いて逆上した少年は、不意に近くにいた兵に躍りかかるとその剣を奪い、


「邪魔だっ、退けっ!」


 ズバン!


 見事な腕前で兵を斬り捨てると、包囲を破って駆け出す。脚の傷の痛みは、もう感じていないらしい。


 けれど、彼はすぐにまた包囲された。


「やれやれ、これだけ言い聞かせても理解していただけぬとは……」


 隊長は先ほどと違って冷たい声色で言うと、


「ご自分で選んだ道です。悪く思わないでください」


 そう言うと、抜く手も見せずに少年に斬りかかった。


 ズバン!

「ぐわっ!」


 少年の右肩から血しぶきが上がった。


 隊長の斬撃は目にも止まらぬほどの速さだった。普通の人間なら、存分に斬り下げられているところだが、少年は驚くほどの反応を見せてその斬撃をかわし、致命傷だけは免れた。


 けれど、もはや少年に戦う力が残っているとは思えなかった。


 隊長は勝利を確信し、薄く笑うと言った。


「よく避けられましたな。だが、次で最後だっ!」


 隊長が斬りかかってくる。少年は覚悟の目を閉じ、自分の身体を剣が斬り裂く痛みに耐えようと身構えた。


 キーン!


 けれど、隊長の剣は甲高い金属音と共に止められた。


「な、なんだ貴様は!?」


 少年は、隊長の驚愕の言葉を耳にして、ゆっくりと目を開けた。少年の前には銀色の髪を背中まで伸ばし、みどりのマントを翻した人物が立ち、その槍で隊長の剣を受け止めている。


「こんな子どもに、大の大人が一斉にかかるなんて、卑怯にもほどがあるよ」


 少年はびっくりした。どすが効いた声ではあるが、自分を救ってくれたのは女性だったからだ。


「旅人よ、私たちは勅命を受けてその少年を探していた。下手に首を突っ込むな」


 隊長が剣を引いて言う。


 けれどその女性は首を振って答えた。


「私は厄介ごとに首を突っ込みたくなる悪い癖があるのさ。悪いけれど、その忠告は聞けないね」


 そして槍を構え直して言った。


「行くよっ!」


 その後のことは、少年にとって夢を見ているようだった。


 突然現れた槍遣いの女性が、10騎の騎兵と50人の歩兵を始末するのに、わずか1分もかからなかったからだ。まさに瞬殺だった。


 それは彼女が恐るべき腕を持っていたからだけではない。戦いが始まると、突然空に体長15メートルはあるシュバルツドラゴンが現れて、いきなり歩兵たちをファイアブレスでなぎ倒し始めたのだ。


(ぼ、僕は助かったのか? それにしてもこの人はいったい……)


 少年は、そう疑問を抱えながらも、出血によって気が遠くなっていった。


「……酷い傷だね。近くの町に送ってやらないとね」


 戦いが済むと、女性は倒れ込んでしまった少年を見つめてそう言う。その瞳は翠色で、優しい光を湛えていた。


 透き通るような白い肌に、切れ長の目が強い光を放っている。美人である。ただ惜しむらくは、左の額から右の頬にかけて、深い傷がついていた。


『では、私が乗せて行きましょう』


 シュバルツドラゴンがそう言った。と言ってもただの人間にはドラゴンの言葉は分からない。この女性は生まれつき、ドラゴンの言葉が分かったのだ。


「そうしてくれれば助かるよ」


 女性はそう言って、ドラゴンに笑顔を向けた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「あの子は?」


 槍遣いの女性は、少年を寝かしている部屋から出て来た隻眼の男にそう訊く。男は苦み走った顔を緩めて、優しい声で答えた。


「結構深い傷だったが、何とか止血はできた。まあ、1週間もすれば歩けるようになるだろうな」

「そう、それは良かった」


 女性もうなずいて微笑む。その微笑に、男は左目を細めて呆れたように言った。


「しかしホルンさん、あんたも厄介ごとをしょい込む癖は相変わらずだな。2年ぶりにこのアイニの町に現れたかと思えば、あんな子を担ぎこんでくるなんて」


 するとホルンと呼ばれた女性は、苦笑して答えた。


「あなたも、付き合いがいいのは相変わらずだね。ガルムさん」


 するとガルムは哄笑して、


「あっはっはっ、違いない。お互い、『用心棒』って稼業から足を洗えないでいるのもな」


 そう言うと、不意に真剣な顔をして言った。


「けれど、あの子はただの子じゃない。ホルンさん、あんた今までで一番厄介な事件に巻き込まれたかもしれないぜ?」


 それを聞いて、ホルンも真顔になって訊いた。


「どういうことだい?」


「あの子が持っていた細い箱だが、封印に使われている印章はこのファールス王国の物じゃない。北にある大国、ウラル帝国のものだ。それも皇帝一族が使うものだった。それを盗み出してきやがったのかもしれないし、もっと深い裏があるかもしれない」


 ガルムがそう言うのを、ホルンは感心して言った。


「よくウラル帝国の印章とか知っているね?」


 するとガルムは、一瞬気が抜けたような顔をして、それからため息をつくと答えた。


「はあ、まったく度胸が据わっていると言うか……俺があなたの下で前将軍を拝命していたことを忘れちまったのかい? ホルンさんだって、首都にいた時は何度か見たことはあるはずだが?」


 実はガルムは、ホルンがファールス王国の王権を取り戻すことに協力した勇士だった。そして彼女と共に転戦し、ホルンが女王位に就いた後は前将軍として王国の平和を取り戻すために尽力したのだ。


「さあね、見たかもしれないけれど、忘れてしまったね。それで、ガルムさんとしてはあの子をどうすればいいと思う?」


 ホルンが訊くと、ガルムは首を振って答えた。


「話を聞くまでは何とも言えないが、もしコソ泥の類なら、この町の司直に突き出すしかないだろうな」

「あの子がそんな悪い子とは思えないけれど……」


 ホルンはそう言って考え込む。その顔を見て、ガルムはその昔のことを思い出した。


(あの頃と比べると、随分とさばけた感じになったな、ホルンさんは。この2年で何があったんだ?)


 そう思いつつ、ガルムはホルンに訊いた。


「そう言えばホルンさん、首都から不意にいなくなって2年経つが、どこで何をしていたんだ? 当時は大騒ぎだったぞ。いや俺も女性に根掘り葉掘り聞くのは趣味じゃないが、俺はてっきりあんたは『白髪の英傑』と結ばれるものだとばかり思っていたからな」


 それを聞いて、ホルンは銀髪に手をやる。そこには精緻な彫刻が施された金の髪留めが光っていた。


「うふふ、それを聞くのは野暮ってものだよ? それよりザールはどうしてる? いい王様してるかしら?」


 ザールとは、現ファールス国王のことである。彼は国の東、トルクスタン侯国の世子であったが、その優れた武勇から『白髪の英傑』と呼ばれていた。


「ああ、あの魔族のお嬢さんを妃に迎えて、ハイエルフの若者とジーク・オーガのお嬢さんを文武の重臣としているよ。あの頃の仲間は、みんな元気だ」


 それを聞くと、ホルンはしばらく遠い目をしていた。まだ2年しか経たないのに、何十年も過ごしたような気分だな……彼女はそうひとちると、静かな声でつぶやいた。


「そう、ザールもロザリアも、ジュチもリディアも元気なんだね。よかった」


 そして、顔を上げていたずらっぽい笑顔でガルムに言う。


「私はずっと用心棒をしていたんだ。せっかくだから、ずーっと東のダイシン帝国まで足を延ばしていたのさ。そこも飽きちゃったから、久しぶりにファールス王国を見たくなっての帰り道で、あの子が襲われるのを見かけたというワケだよ」


「なるほど、ダイシン帝国に……ザール殿が手を尽くして探しても見つからなかったわけだ。それで昔の性癖がうずいて、お節介を焼いたってわけですか」


 ガルムはそう言いながら、ホルンの話を半分しか信じていなかった。ホルンは天下無双の豪勇で、魔力も強い超一流の魔剣士だ。彼女の槍の師匠は、王国随一を謳われた戦士、デューン・ファランドールであり、彼女自身も15歳のころから『用心棒』として生きてきて、そうそう他人に出し抜かれたりはしないはずである。


 そんな彼女の顔に刀傷があるのは、彼女がよっぽど気を抜いていたか、あるいは少しブランクがあってなまっていたかのどちらかだ。


 もちろん、彼女より強い化け物や魔物はいるかもしれないが、刀傷ということがガルムには解せなかったのだ。


(だが、それを聞いても話してくれるホルンさんじゃない。まあ、そこのところは気にしないでおこう)


 そう思ったガルムだが、不意に身体中を突き抜けるような不気味な感覚に襲われて、思わず席を立った。いや、それはホルンも同じらしく、翠色の瞳を持つ目を細め、槍の鞘を払って立ち上がっていた。


「ガルムさん、何かが来たよ!」


 ホルンがそう叫んで、槍を構えながら隣の部屋に突っ込むのと、


「おうっ!」


 ガルムが壁にかけていた両手剣を引き抜き、突進するのとが同時だった。


「返せっ! それは僕の父上のものだ!」


 ベッドの上に立ち上がり、少年が叫んだ。その視線の先には、一つ目で二本の角がある仮面をかぶった怪しげな人物が立っている。その人物の後ろの空間が嫌に歪んで見えるのは、その人物が『転移魔法陣』によってこの場に来たからに違いない。


「あっ、ホルンさん!」


 ガルムは、ものも言わずに突きかかったホルンに驚いて叫ぶ。叫びつつも、相手が反撃した場合を考えて、ホルンと少年の間へと位置を移動したのはさすがだった。


 カイーン!


 ホルンの槍と仮面の人物の剣が交差して、鋭い音を立てる。


「はっ!」


 ホルンは鋭い気合と共に、槍を突き出し、すぐ引き戻してぶん回す。ほぼ一挙動で行われたその動きに相手は虚を突かれたのか、小脇に挟んでいた細長い箱をホルンの槍は叩き落とした。


「ちっ!」


 相手は舌打ちしながら、『転移魔法陣』の歪みの中に消えて行った。


 ホルンは消えて行く『転移魔法陣』を、鋭く睨み据えていた。



「ありがとうございました。先には命を救っていただき、今回もこの荷物を守っていただいて……」


 少年は、ベッドの上に座るとホルンとガルムにそう言って頭を下げる。金髪に碧眼で、かなりの美少年だ。それに振る舞いを見ていると育ちもいいらしい。


「あなたには聞きたいことがいろいろあるけれど……」


 椅子に座ったホルンが、そう言って続ける。


「まずは自己紹介だね。私はホルン・ファランドール、槍遣いの用心棒さ」

「俺は同じく用心棒のガルム・イェーガーだ。少年よ、そなたの名を問おう」


 二人がそう名乗ると、少年は青い瞳をまん丸くして言った。


「ほ、ホルン・ファランドール? では前の女王……」

「それは昔のこと、今はただの用心棒さ。で、あなたの名は?」


 少年の言葉をさえぎって、ホルンがそう促した。


「あ、ぼ、僕は……アリョーシャと呼んでください」


 少年は口ごもってからそう言った。偽名であることは明らかだったが、ホルンはうなずいて言う。


「そう、アリョーシャ、あなたを襲っていたのは誰? そしてさっきの魔導士は何者なんだい?」


 少年は困ったような表情で黙り込んだ。それにもホルンはうなずいて、


「答えられないのなら答えなくていいさ。最後の質問だよ、この箱の中身は何? そしてあなたのお父上はどうしていらっしゃるんだい?」


「剣……だと思います。僕の父上がこれを僕に手渡される時、そうおっしゃいましたから」


「開けるわけにはいかないのかい?」


 ホルンが問うと、アリョーシャは首を振って答えた。


「開けてもいいはずですが、開かないのです。父上はこの剣について、所持するに相応しい人物しか、この剣には触れられないと申していました」


「ふーん、『アルベドの剣』のようだな」


 ガルムが言う。『アルベドの剣』とは、ファールス王国に伝わる『王者の剣』のことで、自らを揮うに相応しい者しか抜くことはできないという神剣だった。


「ホルンさん、『アルベドの剣』を使っていたあんただ。この箱も開けられるかもしれないぞ?」


 ガルムが冗談半分で言う。ホルンは少し唇を歪めると、


「ガルムさん、冗談はよしなよ。アリョーシャの父上に対して失礼だから」


 そう言いながら、細い箱をアリョーシャに手渡そうとした。


 その時である、箱をしっかりと封印していた金具が外れ、箱が開いたのは。


「ひ、開いた……」


 アリョーシャが心底驚いたような顔で言う。


 箱には、アリョーシャの父が言ったとおり、一振りの剣が入っていた。柄の長さが30センチほど、鞘が90センチほどあるから、刃は80センチはあるに違いない。


「……いい剣だね。アリョーシャ、抜いてごらん」


 ホルンが箱から剣を取り出してアリョーシャに渡す。アリョーシャは顔を紅潮させて剣を受け取ったが、


「ぬ、抜けません……」


 いかに力を入れようと、剣はびくともしなかった。


「覚悟が足りないんだね」


 その様子を見ていたホルンがつぶやく。


「覚悟が?」


 アリョーシャがオウム返しに訊くと、ホルンはただ頷いた。


(私も最初は『アルベドの剣』を抜けなかった。けれど、デューン様が斬られたあの瞬間、生きたいと願ったあの瞬間、剣は鞘を離れてくれた……)


 ホルンは、もう14年も前のことを思い出していた。けれど、それをアリョーシャに話しても、今はまだ分からないだろう。


「……とにかく、その剣はあなたの物さ。あなたが運命を受け入れる覚悟ができたら、剣は鞘から離れてくれるはずだよ。大事になさい」


 ホルンがそう言うと、アリョーシャは納得できないような顔でうなずいた。


「これからどうするの? どこか行く当てはあるのかい?」


 ホルンが訊くと、アリョーシャはじっと何かを考えている。その様子はホルンに、作戦を考えているザールを思い出させた。


「僕は、父上の命令でイスファハーンに行かねばなりません」


 アリョーシャがそう言うと、ホルンはうなずいて、


「分かった、私も一緒に行こう」


 そう言うと、ガルムの顔をじっと見つめた。


 ガルムはため息と共に答えた。


「分かりましたよ。俺もお供いたしましょう」


   ★ ★ ★ ★ ★


 アリョーシャの傷は思ったより深かった。


 ガルムが用意した部屋に担ぎ込んだ日から、アリョーシャは高い熱を出したが、


「斬られたら熱が出るもんだ。問題は、どのくらいで解熱するかだな」


 ガルムはそう言いながら、アリョーシャの様子を見ていたが、次の日には熱が下がり始めたのを見て、


「あの坊や、思ったよりも剣の修練を積んでいるようだな。あれだけの傷だ、3日は動けないだろうと踏んでたんだが……」


 そう驚きと共に述懐した。


「イスファハーンに行くって言っていたね。王都にどんな用事だろう?」


 ホルンがつぶやくと、ガルムはいたずらっぽい目をして言う。


「あの魔導士たちもついて来やしませんかね?」


 するとホルンは、屈託のない笑顔で答える。


「ついて来たいならついて来ればいいじゃないか。拒む理由はないよ」


「……相手の出方次第では、戦わない理由もないですがね?」


 ガルムの言葉に、ホルンはうなずいて言った。


「とにかく、それまでの間、アリョーシャが無事でいられる場所を探さないとね」


 ホルンたちは、アリョーシャを襲った魔導士が、いかにして彼の居場所を特定できたのかを不思議に思った。そして、彼の洋服や剣が入っていた箱をくまなく調べたところ、


「……やっぱり、こんな所に『魔力の揺らぎ』をつけてやがったんだね」


 ホルンは、細長い箱の蝶番の部分に、誰のものでもない『魔力の揺らぎ』を見つけてそう吐き捨てた。


「……けれどホルンさん、その『魔力の揺らぎ』、ちょっと変じゃないか?」


 箱をじっと見ていたガルムが言う。ホルンは改めて『魔力の揺らぎ』に目をやった。


 特段変わったところは見えない。強いて言えば色が薄い水色だ。最初は白かと思ったほどの薄さだった。


「……別に、私には変わったものとは感じられないけれど?」


 ホルンが言うと、ガルムは左目を細めて言った。


「俺は右目が見えない。戦いの中で失って光も感じないはずだが、その『魔力の揺らぎ』が見えるんだ。こんなことは今までにはなかった」


 それを聞いて、ホルンは、


「ブリュンヒルデ、あなたはこの『魔力の揺らぎ』、どう思う?」


 そう、箱を見つめたまま訊く。すると、虚空から声がした。


『私も初めて見る波動です。人間であることは間違いありませんが、ホルン様のように神獣の血が混じっている人物かも知れませんね』


「ふーん、面白いじゃないか」


 ホルンは鼻にしわを寄せてニヤリと笑うと、ガルムに向かって笑って言った。


「ただ者じゃない連中が狙っているってことは、あの子もただ者じゃないってことさ。ガルムさん、用心棒冥利に尽きないかい?」


 ガルムはため息をついたが、


「まあ、そう言われたら俺としても、あの子を無事にイスファハーンまで送り届けないとって思うぜ。どんな相手かは知らんが、ホルンさんと戦っていた時みたいに神や破壊竜とかじゃないだろうからな」


 そう言って笑った。



 ホルンたちがいるアイニの町は、ファールス王国でも北東の辺境近くにある。ここから王都イスファハーンまでは、陸路で一月はかかる。


『私が皆さんを背中に乗せて飛べば、すぐに着きますが』


 シュバルツドラゴンが言うが、ホルンは首を振って言った。


「ブリュンヒルデの申し出はありがたいけど、戦乱が収まって2年。もうイスファハーンの人たちはドラゴンを見る機会も少なくなっているはずさ。変に騒ぎが起きたら、ややこしい問題になるよ」


 そして、うなだれるシュバルツドラゴンに、優しい声で言った。


「でも、コドランの形態なら、そんなに威圧感は与えないと思うよ」


 それを聞いて、シュバルツドラゴンは笑って、


『では、私はコドランとしてお供いたしましょう』


 そう言うと、全長1メートルほどの形態へと変化する。


「昔ほど可愛くなくなったね」


 ホルンが言うと、コドランはぷんとした顔で手足をバタバタさせながら答えた。


『それは仕方ないじゃないか。ひどいやホルンってば』


「はは、冗談だよ。ところでガルムさんは何してんのかね?」


 ホルンがそう言っているところに、ガルムがアリョーシャを連れて玄関から出てきた。


「すまんすまん、ちょっと坊やに言い聞かせるのに手間取ってしまってな」


 ガルムが豪快に笑うが、ホルンの目はその隣に端然と佇む美少女・・・に釘付けになった。


「……あなた、アリョーシャかい?」


 ややあってホルンがそう聞くと、少女は恥ずかしそうに頬を染めてうなずく。


「が、ガルムさんが、この姿でいれば相手の目をくらますことができるって……」


 その言葉に、ガルムは深くうなずいて言う。


「何事も、戦わずして勝つのが一番だ。アリョーシャの国の服はこの国では目立ちすぎるし、下着じゃどうしようもない。着替えてもらう必要があったが、どうせ着替えるなら女装した方が相手の意表を突くだろう」


 それはガルムの言うとおりであろう。アリョーシャの持ち物に付けていた『魔力の揺らぎ』が消えた今、敵としてはアリョーシャを目視で探すしか手がないはずで、その時に彼が服を替えていることは想定しても、女装しているとまでは考えが及ばないかもしれない。


 それにホルンが見るところ、アリョーシャはウラル帝国でもかなり格式の高い家の生まれであるはずで、それならば余計に彼が女装しているとは考えないであろう。


 アリョーシャは、ファールス王国の一般女性が着るブラウスを着て、巻きスカートを腰に付けていた。その下には足首までの細いズボンを穿いている。このいでたちは、この国では普通に見られるものだった。


 それを着たアリョーシャは体格が華奢なこともあって、一見すると立派に少女として通用した。金髪碧眼でややウザったく伸びた髪も、かえって彼を女性らしくみせていた。ただ、腰にいた剣が女性にしてはごつすぎる。


「……剣は目立たない方がいいね。いっそのこと上からマントを羽織ったがいいかもしれないね」


 ホルンが言うが、ガルムはアリョーシャに訊いた。


「アリョーシャ、敵さんはその剣を見たことがあるのか?」


 不意に訊かれたアリョーシャは、質問の意味が分からずキョトンとしている。ガルムは重ねて訊いた。


「つまり、その剣を見て、敵はこれこそ狙っている剣だと判別できるかと訊いている」


 するとアリョーシャは首を振って答えた。


「いいえ、僕も初めて見ました。父にもあの封印は解けなかったようですので、この剣を見たことがあるものはいないと思います」


 それを聞くと、ガルムは笑顔でホルンに言った。


「ホルンさん、聞いてのとおりだ。マントを着せたらせっかくの女装が台無しになっちまうし、これだけの剣はマントでは隠せない。それよりアリョーシャも俺たちの仲間ってことで堂々と剣をさらして歩かせた方がいいと思うが?」


 ホルンは少し考えていたが、


「そうだね。マントを着ようが着まいが、襲ってくる時は襲って来るからね」


 そうつぶやくと、ガルムの意見に同意した。


「ではまず、サマルカンドに向かいますか」


 ガルムは明るくそう言うと、さっさと歩きだす。アリョーシャが慌ててその後を追うが、ホルンは懐かしい地名を聞いてしばらくその場に立ち尽くした。


(サマルカンド……私の運命を変えてくれた町……サーム殿に会うのは少し気まずいけれど、情報を仕入れるにはちょうどいいね)


「ホルンさん、どうした?」


 立ち止まってこちらに声をかけてくるガルムに、ホルンは首を振って、


「何でもないよ。行こう」


 そう答えると、しっかりとした足取りで前へと歩き始めた。長く不思議な旅の始まりであった。


   ★ ★ ★ ★ ★


 アイニの町とサマルカンドは、直線で約70マイル(この世界で約130キロ)、道のりで言えば90マイル(170キロ)ほど離れている。普通の成人男子で5日ほどの距離である。


 用心棒として旅慣れたホルンやガルムにとって、90マイル程度の距離は無理すれば2日で踏破できるのだが、ガルムもアリョーシャを慮っているのか彼女たちにしてはやや緩めな足取りで歩いている。


「アリョーシャ、大丈夫かい? ここからは山道だから少しきつくなるよ」


 アイニの町を出て1時(2時間)、ホルンは前を歩くアリョーシャにそう声をかける。アリョーシャはニコリと笑って答えた。


「大丈夫です。最初はスカートに慣れてなくて歩きづらかったけど、もう慣れました」


 その様子を見てホルンは確信した、アリョーシャは華奢な身体つきではあるが、それは筋肉が引き締まっているからであり、かなりの鍛錬を積んでいることに。


 時速2マイルという大人の男でもややきつめに感じられる速さにちゃんとついて来て、息を切らしてもいないのがその証拠だ。


「ところでクリスタ、ここから先はマントを着てフードを下ろした方がいい。この街道には近ごろまたぞろ山賊が出やがるからな」


 ガルムが言うと、アリョーシャがキョトンとした顔をした。ホルンはすぐにその意味をくみ取ってアリョーシャに言う。


「そうだね、アリョーシャの名前を男名のままにしていたのは迂闊だったよ。あなたのことは、これからクリスタってことにするってことさ。いいかい、アリョーシャ?」


 するとアリョーシャ改めクリスタは、うなずいて面白そうに言った。


「分かりました。格好も名前も女の子になるなんて、父上やバグラチオンが聞いたら目を剥くだろうな」


 そのつぶやきを聞こえないふりをしていたホルンは、何かに思い当たったのか真剣な表情でクリスタの後姿を見つめ、そして深くうなずいた。



 今も昔も、アウトローは存在する。


 ファールス王国は、現在でこそ辺境と呼ばれる地域も平穏を取り戻しつつあったが、ほんの2年前までは「用心棒なしでは旅ができない」と言われるほど、辺境は何でもありの無法地帯だった。


 現国王、シャー・ザール3世の2代前、ザッハーク簒奪無策王が統治した26年間というもの、国威は落ち、辺境は悪党や魔物が跋扈する、今では考えられないほどの無残な様子だったのだ。


 ザールの先代、ホルン光輝聖女王の即位によって、だんだんと平穏を取り戻していった辺境だが、それでも何かしらの理由で山賊稼業をする者たちが、まだまだ少なくなかった。


 アイニの町からサマルカンドに続く街道を縄張りにしていた山賊団も、そんな者たちの集まりだった。


「隊長殿、いいカモが来ました」


 偵察に出ていた男たちが、鹿砦に戻ってきて隊長に報告する。


「相手は3人。両手剣を背負った片目の男と、槍を背負った女、そして剣を持った小柄な女です…ちょっと脅せば、私たちの護衛を受け入れると思います」


 すると隊長は、茶髪の下に輝く碧眼を細めて何かを考えていたが、


「……まあいい、見てみれば分かるさ」


 そうつぶやくと、部下たちを呼集した。


「これより作戦を実行する。目標は3人の旅人、男は1人で女2人だ。それぞれが武装しているようだが、この街道はまだまだ危ない。護衛して差し上げるんだ」


 隊長はそう号令を下すと、30人の男たちを率いて『出撃』した。



 その頃ホルンたちは、本日一番ともいえる峠の難所を越え、峠道を少し下った曲がり角のところで小休止していた。


「この分だと、今日中にウアタの村まで行けそうだね。クリスタは思ったより健脚だから助かるよ」


 ホルンが槍に寄りかかったまま言うと、同じく街道脇の木にもたれかかっていたガルムも、左目を細めて言う。


「うん、歩きながらお前の気息を計っていたが、なかなかのものだ。剣は誰に教わった?」


 すると、石に腰かけて両足のふくらはぎをさすっていたクリスタは、ゆっくりと立ち上がって答えた。


「父上の友だちからです。とても厳しい方で……」


 クリスタがそう言いかけた時、ホルンはさっと槍の鞘を払い、峠道の茂みに向かって声をかけた。


「腕に覚えがあるなら、隠れてないで出ておいで」


 ホルンの言葉を聞いて、茂みから茶髪に碧眼の隊長をはじめとする山賊たちが現れるのと、振り向いたクリスタの前にガルムが立ち塞がるのとが同時だった。


 隊長は、二人の素早い動きを見て目を細めていたが、ホルンの長大な穂を持つ槍と、その身体を包む緑青ろくしょう色の『魔力の揺らぎ』を見て取ると、サッと膝をついて畏まった。


「……その方、もと軍団兵だな? どこの部隊にいた?」


 ガルムが問うと、隊長は部下たちに


「整列せよ」


 と命じ、整列した部下たちの先頭で名乗った。


「私は元第2軍団所属のカンネー・イレーサー。こちらの部下たちは当時からの仲間です」


「……その様子では、こちらのお方がどなたかは存じ上げているな?」


 ガルムの言葉に、カンネーは頷いた。


 そのうなずきを見て、ホルンが静かに声をかける。


「あなたたちを見ていると、リョーカと同じで根っからの悪党じゃなさそうだね? どうして山賊をすることになったんだい?」


 ホルン直々の『お言葉』に、隊長は身を固くして答えた。


「はい、私たちはティムール殿の主力軍と戦い撃破されましたが、当時の州知事が仲間たちに敗戦の責を問わせたのを見て、部隊ごと脱走して今に至ります」


「カンネーとやら、そなたは3年にわたる山賊暮らしで数多の人々を苦しめたであろうが、そのことについてはどう思っている?」


 ホルンの詰問に、カンネーは胸を張って答えた。


「私たちは軍団の誇りを夢寐むびにも忘れたことはございません。私たちはこの道を行き交う旅人たちの護衛、他の山賊や遊牧民たちの討伐で糊口をしのいで参りました」


「だったら、私のもとに来ればよかったのに。あなたたちのような人物が山賊をしているのは国家の損失って奴だよ。元の暮らしを取り戻したいっていう気持ちはあるかい?」


 ホルンが訊くと、隊長はじめ30人の男たちはうなずいた。それを見てホルンは戦袍の袖から筆記用具を取り出すと、懐紙に何か書き留めていたが、


「……これを持って、サマルカンドのサーム様のもとを訪れてみると良い。あなたたちの身の振り方を考えてくれるはずだよ」


 そう言うと、懐紙をガルムに渡す。ガルムはそれを受け取って、恭しくカンネーに差し出した。この辺りは、元『王の楯』という国王に近侍していた戦士らしい振る舞いだった。


「はっ! ありがたき幸せです」

「ところで……」


 恐懼して懐紙を押し頂いたカンネーに、おっかぶせるようにしてホルンが訊く。


「はい、何でしょうか陛下」


 カンネーが思わず言うと、ホルンは『死の槍』をカンネーに向けてきつい声で言った。


「私はもう『陛下』ではない!……ところでカンネー、護衛の押し売りは良くないよ。あなたたちの根拠地に案内しな。あなたの言葉が真実かどうか、この目で確かめたいからね」


 カンネーは笑ってうなずいた。


「よろしゅうございます。私も献上したいものがございましたので、是非お運びください」


 ガルムは、カンネーたちをじっと眺めていた。



 カンネーたちの鹿砦は、広くはあるが質素で、金目のものもあまりなく、


『私たちはこの道を行き交う旅人たちの護衛、他の山賊や遊牧民たちの討伐で糊口をしのいで参りました』


 というカンネーの言葉に嘘偽りはないものと思われた。


 ただ、ホルンの目を引いたのは、かなりたくさんの種類と数の武器が仕舞われていたことだった。


「遊牧民たちの武器です。中にはダイシン帝国やウラル帝国産のものもあります。私たちはこれを取引して、不足する金を補っていました」


 カンネーはそう言うと、倉庫の奥から一振りの剣を持ち出してきた。それは『剣』と呼べる代物かどうかは分からなかった。なにしろ鞘が真っ直ぐではなく、ゆるりとした弧を描いていたからだ。


「これは、ある遊牧民が隊商キャラバンを襲っていたのを撃退した時に、商人からお礼にと貰ったものです。なんでもダイシン帝国のさらに東に島国があり、この剣はその島国産だそうですが、誰にも抜けないので買い手がつかなかったものだそうです」


 カンネーはそう言って剣を差し出して続けた。


「私にも抜けませんでした。おそらく、その島国の神剣でしょう。この国を立て直されたあなたこそ、この持ち主に相応しいと思いましたので、ここに謹んで献上いたします」


 ホルンは、翠色の瞳をした目を細めて、その剣を受け取ると、右手を柄にかけた。途端に彼女の身体から緑青色の『魔力の揺らぎ』が噴き出す。


 ホルンがゆっくりと剣を抜くと、誰にも抜けなかったその剣は静かに鞘から離れた。


「……美しいわ……」


 ホルンは、ゆるく弧を描いた刀身を見つめて、ため息とともに言う。しっとりとして青く沈んだ地鉄の片側に、波打っているような刃紋が白く見える。地鉄と刃紋の間には、キラキラとした微粒子が浮かんでいる。『異形の剣』と言うべきだった。


「おお、凄い……ダイシンの商人によれば、その剣はかの国では『太刀たち』と呼ばれているそうです」


 ホルンはその言葉にうなずくと、カンネーに向かって言った。


「この太刀はありがたく受け取っておくよ」



 カンネーたちに見送られながら鹿砦を離れたホルンたちは、四半時ほどで街道筋まで戻っていた。


 ホルンは、自分が『太刀』を抜くところを見てからずっと、クリスタが黙ったままでいることが気になった。


(自分がなぜ剣を抜けないのかを考えているんだね。それならいくらでも考えるがいいよ。自分で考え、気付くことが大切なんだからね)


 ホルンはそう思い、何度かもの問いたげな瞳を向けたクリスタを、あえて無視し続けた。


 そこに、


「よう、旅人。ここいらは俺たちの専用路だ。通りたければ身包みぐるみ脱いでありったけ金を置いて行きな」


 と、先ほどのカンネーたちとはまるで違うタイプの山賊たちが現れた。全員が下卑た顔をして、およそ品格というものが感じられない。長らく無頼の暮らしを続けて、人間らしい心をすっかり磨り潰してしまったのだろう。


「……先に忠告しておく。俺たちに手を出さず、ねぐらに帰った方がその方らのためになるが、どうかな?」


 ガルムが剣も楯も背負ったままで、人懐っこい顔でそう言うと、山賊の頭らしき人物は顔を真っ赤にして怒った。まだ若い男たちだった。


「何だと? 俺たち『竜の爪団』にそんなこと言ったのは、()()()()が初めてだぜ。おい、野郎ども、このおっさんとあっちのねえさんと嬢ちゃんをいて込ましてやれ!」


 頭の叫びと共に、剣や槍を回して突っ込んでくる山賊たちを見ながら、ガルムは首を横に振って嘆くように言う。


「やれやれ、ティムール殿のお気持ちが少しは分かるぜ」


 そしてガルムは両手剣を左手で抜くと、ぶうんという重たい音と共にそれを横薙ぎにした。


 ズバム!

「ぐへっ!」「あがっ!」


 ホルンは、まだ槍を立てたまま、ガルムの真っ赤な『魔力の揺らぎ』を乗せた両手剣が、一薙ぎで5・6人もの山賊を真っ二つにするのをじっと翠の瞳で見つめていた。


「俺は用心棒のガルム・イェーガー。『餓狼のガルム』と言えばちっとは聞いたことがあるだろう。まだ勝負するか?」


「えっ? 『餓狼のガルム』だって?」

「この国の前将軍だったお方だと?」


 ガルムが名乗ると、山賊たちは明らかに怯んだ。ガルムの名と評判を聞き知っているらしい。


「相変わらずはやいね。それに『魔力の揺らぎ』もちっとも減っていない」


 ホルンも『死の槍』の鞘を払いながら、ゆっくりと前に出て言う。そしていきなり緑青色の『魔力の揺らぎ』を解放すると、


「まだそこにいるようだね。立ち去らないなら、今度は私、ホルン・ファランドールが相手するよ」


 そう、翠の瞳を持つ目を細めて言う。この言葉にも、男たちは怯んだ。


「げっ! 『無双の女槍遣い』だって?」

「ホルンは3年前に用心棒を引退したんじゃなかったのか?」


 完全に気を飲まれた山賊たちは、既に逃げ腰だ。それにホルンの『死の槍』が追い討ちをかけた。


「やあああっ!」

 カキーン!


 金属がぶつかり合う甲高い音が響いた。それと共に、前列にいた5人の山賊たちの手から剣が弾き飛ばされて宙を舞う。ホルンが余りにも素早かったので、剣を弾く音は一つになって聞こえた。


「ひっ、退けっ!」


 ガルムの初撃を辛うじて生き残った男たちは、頭や仲間の死体をそのままにして逃げ散って行った。


「ふん、意気地のない奴らだね。あれで山賊だなんて聞いて呆れるよ」


 ホルンはそう悪態をついたが、すぐに静かな声で、


「……そんな奴らを正道に戻せなかったのは、私の罪でもあるけどね」


 そう言うと、両手剣を鞘に戻したガルムに向き直った。


「ガルムさん、私がいない2年の間、どのくらいの山賊が討伐されたか知っているかい?」


 するとガルムは、首を振って答えた。


「俺自身が5つほどの山賊団を討伐したことがある。リョーカに助っ人を頼まれてな。リョーカたちは3回ほど遊牧民を撃退していたな」


「アイニの町だけでもそんなにいるなら、国全体ではどのくらいの無辜むこの民が犠牲になっているんだろうか?」


 ホルンが暗然とした面持ちで言うと、ガルムは


「いや、トルクスタン侯国には山賊はいない。たまに遊牧民がちょっかいを出してくるだけだ。それもリョーカたちで対応できる程度のな。俺がリョーカと共に退治した山賊は、主に中央の砂漠地帯を根城にし、アイニの町の商人たちを襲ってきた奴らだ」


 そう言うと、ホルンの眼が妖しく光るのを見て、しゃべり過ぎたことを後悔する。


「そうかい、中央砂漠地帯には山賊がねぇ……」


 ホルンは低くつぶやくと、キラキラした目をガルムに当てて言った。


「よし、クリスタを早くイスファハーンに送り届けるためにも、私たちは中央の砂漠を越えて行くよ」


 それを聞いて、ガルムは肩をすくめて答えた。


「ホルンさんはきっとそう言うだろうと思っていたが、まずはサマルカンドに着くことですよ」


   ★ ★ ★ ★ ★



 遠くキルギスの平原に、一隊のキャラバンがいた。

 そのキャラバンは一風変わっていた。砂漠を越えてくる隊商は、移動手段としてラクダやモアウを好む。余り手がかからず、水や餌の窮乏にも耐えるからだ。


 けれど、ぐるりと張られたテントの周りに繋がれているのは、すべてたくましい馬であった。馬たちは焚き火で温められた毛布にくるまり、ゆったりと横になっている。


 そして、周りの人間たちは、みな一様に神経を張り詰めているようであった。

 その理由は、このキャンプの中央に張られたテントにあった。そのテントからは、先ほどから怒号が聞こえていたのである。


「わが『オプリーチニキ』の精鋭であるリュスコフたちが全滅し、『標的』も行方知れず……さらには大魔導士ジュルコフまで任務に失敗するとは、かつてない黒星だぞ!」


 天幕の中央では髭面のたくましい男性が、眼前に膝まずいた兵士たちを怒鳴り散らしていた。兵士たちは先頭にいる隊長ともども、緊張で顔色が青い。


「ジュルコフ、そなたの報告は聞いた。その邪魔だてした男女は何者なのだ?」


 髭の男が訊くと、二本角が生えた一つ目の仮面をつけた男が、ゆっくりと答える。


「私も正体は知りませんが、女性の方はただの人間ではないように感じられました」


 髭面の男は、ジュルコフの話を聞くと碧眼を細めて、傍らに佇立している白面の男に命じた。


「コルネフ、剣士隊をこちらに増勢する。そなたが指揮を執ってその男女が何者かを調べよ。リュスコフたちを始末し、ジュルコフほどの達者を苦も無く撥ね退けるのであれば、よほど名の知られた魔剣士に違いない。それからジュルコフ、そなたは魔導士隊の全力で『標的』を探し出せ」


 するとジュルコフは平伏して答えた。


「御意、至急サムソーノフに『標的』を追わせます」


 それを聞いて、髭面の男は全員を見回し、容貌を改めて厳命した。


「よいか、『標的』は殿下の権威を証明するために絶対に必要なものだ。いかなる犠牲を払い、いかなる手段を用いても必ず奪回せよ。それが殿下が我々『オプリーチニキ』に与えられた命令だ」


 幕舎にいた全員が、がばと平伏した。



 ホルンたちは、カマルという村に到着した。ここからは平坦な道でもあり、サマルカンド郊外までは10キロ程度であった。あと一日でサマルカンドに着く。


「この道も、随分と小綺麗になったもんだね。2年前はこんなに広くなかった覚えがあるけれど」


 ホルンが言うと、ガルムは後ろに続くクリスタを気にしながら答える。


「そうだな。リョーカがアイニに戻ってからすぐ、大規模な山賊掃討戦をやった。その時にこの道も整備したんだ」


「山賊の掃討戦? ガルムさんも参加したのかい?」


 ホルンが訊くと、ガルムは左目を細めて答える。


「ああ、ティムールさんを司令官に、俺とリョーカで両翼さ。その時リョーカの手下どもの動きを見ていたが、さすがは元山賊だな。相手の行動を完全に読んでいた」


「さすが元山賊って、面白い言い方だね」


 ホルンは可笑しそうにくくっと喉を鳴らした。


 クリスタは、あれからずっと黙っていた。


(ホルン殿は、東の国の神剣を、誰にも抜けなかったと言われる神剣を苦も無く抜かれた。それなのに、なぜ僕にはこの剣が抜けないんだ)


 クリスタは自分の腰に佩いている古い剣をそっと触る。古びてはいるが造りはしっかりとしており、鞘や柄の精巧な彫刻もすり減っていなかった。


(すり減っていないということは、使われていないということ……ひょっとしたらこの剣は誰にも抜けなかったのかもしれない)


「……スタ、クリスタ!」


 クリスタは考え事をしながら歩いていたので、ホルンの声が聞こえなかったらしい。ハッと気づくと、クリスタの前にはホルンが立っていた。


「え、はい」


 クリスタがやっとそう答えると、ホルンは呆れたような顔をして言った。


「この辺で宿を取るよ。今ガルムさんが交渉しているからこっちにおいで」


 そう言うと、すたすたと道から少し外れた場所にある宿屋へと歩いて行く。


「道なりにも宿屋はあるのに、どうしてわざわざあんなところに?」


 駆け足で追いついてきたクリスタが不思議そうに訊くと、ホルンは白い顔に笑みを浮かべて答えた。


「ふふ、ああいうところにぽつんと建っている宿は、色々な面で都合がいいのさ」

「都合がいい?」


 オウム返しに訊くクリスタに、ホルンもオウム返しに答えた。


「そう、都合がいいのさ。敵が来てもすぐ判るし、わざわざ道から外れた宿を取るものは、()()()()()()()の者だからね」


 そこにガルムが来て言う。


「ああ、ホルンさん。2部屋取れたよ。で、どっちがクリスタと同室だい?」


「分かり切っていることを。クリスタは私と同室だよ」


 さらりとホルンが言う。それを聞いてクリスタは慌てた。いかに少女の姿をしていると言っても、中身は少年である。


「え、で、でも……」


 慌てるクリスタの手を引いて、ホルンは笑いながら言った。


「いいから、私と一緒に来るんだよ。あなたには聞きたいこともいろいろあるし、私は別にショタコンじゃないから安心しな」


 二人の姿を見て、ガルムはふうとため息をつき。ニヤリと笑うと自分の部屋へと入った。



「さて、あなたの本当の名を教えてもらいましょうか」


 ホルンは部屋に入るとすぐさま施錠し、ベッドの下、花瓶の中、果てはシーツの間や壁にかかっている絵画の裏まで念入りに調べ、問題になるものがないと安心すると、荷物も置かずにクリスタ……ここからは『アリョーシャ』に戻ろう……に言った。


 アリョーシャは着慣れぬ少女の服を脱ぐと、部屋を検めているホルンの目を盗んで部屋着に着替えていた。


「え?」


 アリョーシャはそう言ってびっくりした目をホルンに向ける。ホルンは『死の槍』を左手に持ったまま、右手を腰に当ててさらに驚くべきことを言った。


「言わないなら当ててあげるよ。あなたがいつか言った『バグラチオン』とは、皇太子(ツァレービッチ)護衛隊(・エスコート)隊長のアリョーシャ・バグラチオンのことだね? そしてあなたはウラル帝国皇帝ディミトリー2世の継嗣、皇太子アゼルスタン様……そうだろう?」


 ホルンの言葉を聞いて、アリョーシャはしばらく茫然としていた。しかし、正体がバレたと知った彼は、ゆっくりとうなずいて小声で言った。


「はい、おっしゃるとおり私はアゼルスタン・ルーリックです。しかしなぜそのことを?」


 ホルンは頷くと、槍を壁に立てかけて答えた。


「最初に名前を聞いた時、あなたの目が泳いだんだ。で、とっさに最も言い慣れた名前を名乗ったと分かった。あなたがふと漏らした『バグラチオン』という名を聞いて、すぐにアリョーシャ・バグラチオン将軍を思い出したよ。彼が皇太子護衛隊長になったのは2年前、私がまだこの暮らしに戻る前のことだったからね」


 それを聞いて、アゼルスタンは頷いた。


「さすがです。私の国にまでその名が知られたホルン・ファランドール殿だけあります」


「せっかくの縁だよ。あなたが陥っている状況を聞かせてくれないかい? できるなら力になってやりたいからさ」


 ホルンが言うと、アゼルスタンはゆっくりと首を振って言った。


「いえ、ご遠慮いたします。私は帝国の世継ぎとして、帝国のことは他国の人士の力を借りぬと決めています。イスファハーンにはバグラチオンが来ています。彼と落ち合えれば、後は私たちで始末します」


 その姿は、少年とは思えぬほどの威厳が籠っていた。ホルンは痛ましそうにアゼルスタンを見ていたが、彼の決心が変わらないと見たのだろう。うなずいて言った。


「分かったよ、皇太子ツァレービッチ様。それでは最初の約束どおり、イスファハーンでバグラチオン将軍を探すところまでお手伝いさせていただくよ」



 その夜更け、アゼルスタンは夜中にゆっくりと起き上がった。窓からは月の光が差し込んでいて、その青い光は隣のベッドで寝ているホルンの横顔を照らし出している。


 アゼルスタンはしばらく息をひそめて、ホルンが完全に寝ていることを確認すると、音もなくベッドから抜け出した。


 そして手早く服を着て、腰に剣を佩くと、ホルンの寝顔に一礼して音もなく部屋を出て行った。


「……若いって、恐れを知らないからね」


 ホルンは、アゼルスタンが出て行った後、ゆっくりと起き上がるとそうつぶやいた。


 そして彼女は、ベッドの上に数枚の銀貨を置くと、外していた胸当てをはめ、腰に異形の剣を佩くと、『死の槍』を手に窓から外に出た。


「……坊やはやっぱりやんごとなきお方だったらしいな?」


 ホルンの右手の暗闇から、そう言う声がして、声の主がこちらに歩いてきた。ガルムも隣の部屋の気配を察し、先回りして外に出ていたのだ。


「……あの子がはっきりと加勢を断ったから、私の出る幕ではないんだけれど……」


 ホルンが言うと、ガルムは頷きつつ、左目を細めて言った。


「が、ホルンさんの性格では放ってはおけない……ということですな? まあ、あなたらしいですけれどね」


 ホルンは、アゼルスタンが去って行ったであろう闇を見透かすように、翠色の瞳を持つ目を細めて言った。


「何か、大変なことが起きている気がするんだ。ただのお家騒動では済まない何かがね?」


「では、追いかけますか?」


 ガルムが言うと、ホルンは首を振って言った。


「先回りするんだよ。ブリュンヒルデ、すまないが私たちをサマルカンドまでひとっ飛び運んでおくれ!」


『承知いたしました、ホルン様』


 隠形していたブリュンヒルデがそう言いながら姿を現す。ホルンとガルムを乗せたドラゴンは、闇の中を西へと飛び去って行った。


(『2 魔手の予感』へ続く)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

やっと構成がまとまったので、少しずつでも投稿していきたいと思います。

ホルンの性格がちょっと変わっていますが、2年の間に何があったのか、物語の中でホルン自身が語ってくれると思います。

次回は、8月15日の投稿予定ですのでお楽しみに。

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― 新着の感想 ―
[一言] どうもはじめまして。 作品拝見いたしました。 とても面白かったです。 (*^▽^*)
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