6話 私に力をください。
そしてそこで、あの固有結界にいた黒い人型に遭遇した。
あれは私達巫女が使う術式の一つだろう。
にしてもあんなものは見たことがなかった。
呪に塗れた暗闇色、人型から漏れ出す怨嗟の声、私達に向けられた殺意。
いくら私がもうすぐ学びを卒業して浄化を執り行える身であったとしても、呪の全て浄化するには数が多過ぎた。
しかも私は呪の大元を改めて目の当たりにして気持ちの面で負けてしまっていた。
打たれた事実が受け止め切れてなかった。
私の巫女術でも鈴や榊の枝を使った祈祷でも神器による浄化でも、今の状況が打破できないと頭の片隅をよぎった時、さくらさんが私を飛ばした。
あの傍若無人の守護守の目の前へ。
『ふん…桜もなかなか考えたな』
『……やく』
『どうしたい?』
『わ、私は…』
本音はもう逃げ出したかった。
知りたくなかった。
自分の意思でここに来たのに、話にだって聞いていたのに、いざ本人たちを目の前にしたら途端怖気づいてしまった。
こんなの…おかしい…こんなの見たくなかった。
『姉さん…兄さん…』
呪の源は私の双子の姉兄だった。
濃く深い闇の向こうで微かに見えた二人は人間の形からすでに変わり果てていた。
かろうじて人型を保っているだけで、あれはもう手遅れ…今の私には浄化できない。
『私…無理…』
『何が無理だと言う』
『力が…私の力じゃ救えない…』
『ほう。自身の未熟さを潔く認めるのは良い事だな』
笑う守護守さま。
あぁ、そうだ。
この守護守さまにとってこの程度…人の呪なんてさしたものではない。
全ての災厄は彼のものだから。
この程度の呪、彼からすれば災厄にもならないだろう。
今の私にとっては、人生最大の苦難だ。
姉兄とはずっと一緒にいたわけじゃない。
富士の結界に入ってからはほとんど会うことがなかった。
それまでは…天神にいた時の記憶は少なくともとても優しい姉兄だったと記憶している。
『私に力があれば…』
災厄の守護守のように、最強だとか唯一無二のような力があれば、目の前の現実も受け入れられて、簡単に二人を救うことができるのだろうか。
今、力のない私は…逃げ出したいけど、逃げたしたくない。
大事な姉兄を放って、自分だけ安全なとこにいるのは違う気がしたから。
『お前があの者達より力が上だとしても、もはや手遅れだぞ』
自分の気持ちを振り起そうとする中で、彼が追い打ちをかけてくる。
曰く、呪を取り込みすぎたと。
形が人ではなくなる程だと、浄化しても人間に戻れず、人としての死を迎えて消えるだろうと教えてくれた。
あの姿を見た時なんとなく察してはいたけど、私はまだ救う道を求めたい。
『泣いたところで何も解決せんぞ』
問題は私がどう決断するかだと彼は言った。
自身で決め、腹をくくり、その上で嘆願してみせろと。
この守護守さまはどこまでも厳しい。
厳しいけど、正しく私を導こうとしてくれる。
私はそれに応えたい。
そして自分の納得する形を迎えたい。
『災厄の守護守さま、どうか』
『……きこう』
『どうか…お願い申し上げます…どうか私にその御力を授け頂けないでしょうか』
『どのような末路であっても受け入れるか』
『それは……それは…』
納得できるかわからない。
私は死ではなく生きた未来を二人に求めている。
死を迎えるのではなく、生きて助けたい。
それが困難であると分かっていてもだ。
『…頭の片隅では理解しているつもりでも、実際目の当たりにしたら…難しい、かも…しれません』
だから今はわからない。
そのままの想いを伝えれば、彼は笑う。
正直な答えだと、満足とはいかないまでも、面白かったようだ。
人間らしい愚かな答えだと、少し喜んでいるようでもあった。
『月映結稀』
『は、はい』
『畏まるなと何度も言っている。お前の言葉で願え』
私の言葉。
昔、私がここで時を過ごしていた時、彼のことをなんて呼んでいたかも覚えている。
小さいから敬語なんてものも知らなかった。
それを彼は不敬とは言わなかった。
対等に扱ってくれた。
それを求めているなら応えよう。
『やく』
『あぁ』
『…私に力をください……ううん、力を貸して。姉さんと兄さんを助けたいの』
守護守さまは機嫌よく笑みを深くして応えた。
『いいだろう』