45話 邪馬台国を後にする。
「やく」
一瞬、頭の片隅によぎったのは月夜だった。
小さい私は嬉しそうに駆ける。
彼の名を呼びながら、会う場所は富士山が浮かぶ泉の麓。
私は彼の名を呼ぶ。
「兄様?」
宙に留まる黒龍が焦りを帯びた声を発する。
「兄様、どこ?」
自分から呪という術式をかけて何を言っているの。
だけど確かにやくを感じられない。
契約だって途切れてる。
彼の言葉ではいったん引くだから、消えるわけでないのがわかる。
それでも不安にはなるだろう…彼の気配をまったく感じないのだから。
「日向兄様?!」
臺與さまの気持ちがわかる。
けど自分でしたことなのだから、その覚悟はあったはずじゃないのか。
消滅してその後再構築すると…その特異性からやくが一度消滅した程度ではおさまらないことを彼女は知っているはずだ。
なのに、目の前の黒龍は戸惑うばかりだ。
見た目はそのまま仰々しいのに、出る声だけは道に迷った子供のよう。
「やだ兄様…兄様どこなの?!」
泣いているようにも聞こえる叫びとともに黒龍は土の天井へ進みぶつかる。
響く轟音と揺れ、たくさんの岩石が落ち土煙があがる。
龍はそのまま土をえぐり破壊して地上へでていった。
「臺與さま」
遠くやくを呼ぶ声が聞こえる。
彼女はあてもなくやくをどこまでも探すつもりなのか。
「あの子ったら…」
「卑弥呼さま…!さくらさん…!」
卑弥呼さまがさくらさんとともに簡易結界を行使していた。
おかげで怪我はないようだ。
よかった。
臺與さまにばかり気にかかり、周りが見えていなかった。
「結稀さん、外へ…」
「わかりました、さくらさんはここに」
「いえ、私も共に」
「…さくらさん、でも」
「待って」
動こうとするさくらさんを制する卑弥呼さまは私が問い掛けようとする間もなく、さくらさんに触れた。
その手が輝きさくらさんに染み入っていく。
「?!」
「さくらさん?!」
立ち上がることも出来なかったさくらさんがふらつきながらも立ち上がる。
これが卑弥呼さまの力?
存在が守護守でも霊体でもないのに、巫女と同じく回復の術式を使えるなんて。
「歩けるようにしただけよ。あくまで一時的。ここを出てすぐに自身の社に戻りなさい」
「……はい」
「卑弥呼さま、これは、」
「私はここから動けないの。だから行って」
哀しそうに微笑む卑弥呼さま。
見届けるだけだと言っていた。
それはどんなに自分が臺與さまに触れたくても止めたくても何もしないというのことだ。
血の繋がりはないとはいえ、卑弥呼さまと臺與さまの間には共に過ごした時間がある。
何もないわけじゃない。
「わかりました、行きます」
「では結稀さん」
「はい、さくらさん。一緒に」
私たちは邪馬台国を後にした。
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地上に出ると空は暗雲に包まれていた。
見覚えがある。
天鈿女命さまに見せてもらった過去、呪が邪馬台国を飲もうとしていた時と同じだ。
呪が形になって空を覆いこの国を蝕んでいく。
「臺與さまは…」
「結稀さん、あちらです」
まだ青さを残した空に黒龍が飛んでいるのが見える。
空気が震えているのを感じるに、彼女はまだやくの名を呼び惑っているのだろう。
追わないと。
駆け出そうとすると隣のさくらさんが膝をついた。
「さくらさん!大丈夫ですか?」
「…はい、問題ありません…私も共に」
それは難しいことだと私でもわかる。
卑弥呼さまの言う通り、一時的に歩けただけで、本来はすぐに自身の社に戻らないと厳しい状態だ。
「さくらさん、富士に戻ってください」
「結稀さん…」
卑弥呼さまの力でここまでこれたはよかったけど、息があがり立ち上がり歩くのがやっと…あの場では邪馬台国の加護もあった。
けど、ここには何もない。
私との契約程度ではさくらさんを回復するに至らない。
けど私は臺與さまを追うと決めている。
だから、ここで別れなければいけない。
「富士の本部に全てを伝えてください」
「結稀さん」
「………ああ違うかな」
「…結稀さん?」
「今のは建前です。私、さくらさんが心配です。助かってほしいから、先に富士へ戻ってください」
さくらさんはその特性から全国への移動はたやすい。
ここから瞬時に富士へ戻れるだろう。
私は一緒にいけないだけで。
「…結稀さん」
「お願いします。私は一緒に行けないので…」
「………」
こくりとさくらさんの喉が鳴る。
さくらさんは一緒に来てと言えば無理にでも一緒に来ようとしてくれるだろう。
彼女がそういう真面目で優しい性格なのは知っている。
それだけ一緒にいたのだから。
「さくらさん」
「……わかりました」
さくらさんの周りを桜の花びらが舞い包む。
「回復したら戻ります」
「はい、待ってます」
笑って返す。
さくらさんが私をどういう対象で見ていようとも私には多くを教え導いてくれた守護守さまに他ならない。
最後困ったように笑うさくらさんが小さく謝ったように聞こえた。
「………」
きっと富士に戻ったら叔母さまや管理者の意向で私との契約を断たれるだろう。
それは致し方ないことだ。
少し淋しいかなと思う間もなく、私の周りをひりついたものが覆った。
「月映結稀」
「…はい」
私の立場を明確にすべく、現状が顕わになった。




