44話 黒龍の呪。
「許さない!」
空気が振動し、大地が揺れる。
同時、臺與さまの溢れ粒子になって消えるはずだった呪が再度彼女に集まっていく。
浄化が成されていない…今までと明らかに違う。
「腹立つ…もう本当嫌になる!」
黒い粒子に包まれた臺與さまは何度も不の感情を吐露して、次に粒子が割れる音を立てて飛び散った。
そこから空へ向かって飛翔していくのは黒い龍。
呪をそのまま形にしたような龍が登って、その大きな口から呪いを吐き出した。
結界の天井にあたり、天井に穴が開く。
バラバラと呪に塗れた欠片が大地に落ちてきた。
卑弥呼さまの強力な結界をこんなに容易く…その黒龍は何故か外に出ることはせず、踵を返しこちらに戻ってくる。
空からこちらを見下ろして、じっくり私達を見ている。
「本来の姿に戻ったか」
「え?」
「あれは臺與だ」
「え!?」
確かに呪が臺與さまを包み、そこから出てきたものだから想像に容易い。
けど臺與さまは卑弥呼さまとやくの妹で人ではなかったのか。
それには卑弥呼さまが難しい顔をして話してくれた。
「臺與は拾い子よ」
「え…」
「この子がどこかの海辺で拾ってきた子。鮫だったり龍になったりできるの。もちろん人間でもあるのだろうけど…」
神託を受けて特殊な力を手にしてるわけでもない、生まれながらにして異端。
呪で異形になったわけでもない。
「許さない…!」
黒龍は臺與さまの声そのままのはずなのに、響き轟くような強さを持って声を上げる。
「殺してやる!私と兄様の邪魔はさせない!」
その口から黒い呪の塊を放つ。
急いで破魔矢を放ち、放たれた呪を相殺した。
さっきは胸の奥底に結晶としてあった呪は龍の内側にももちろん見えるけど、今は表にすら出てきている。
龍の表皮を覆う鱗も、吐き出されるものも、纏うものも、声も全てが呪に浸食され澱み塗れている。
「日向兄様を助けられるのは私だけ!お前はいらない!」
「なに…?」
龍の咆哮によって結界が壊される。
天井からばらばらと崩れ、結界は跡形もなく消え去った。
「卑弥呼さま…!」
「今の私ではここまでだわ…もう1度固有結界を行使してもいいのだけど」
「必要ない」
「やく…?」
卑弥呼さまが結界をしかなければ、臺與さまの呪の攻撃によって邪馬台国が壊される可能性があるのに。
「この国の残骸の事を気にする必要はない」
「やく」
「お前が守るべきは歴史ではない」
「…やく」
彼に近づこうと足を踏み出すと、その間に臺與さまの呪が放たれるのを見て、急いで距離を開けた。
ちょうど私と彼の間に大きな穴が開き、その底に黒い呪が渦巻いている。
臺與さまを浄化した時の舞をもう1度使って鎮静化したけど、これは何度も受けられない。
浄化するのに普段以上の力を行使しないといけなかった。
「日向兄様、御無事ですか?」
龍のまま彼女は彼を案じる。
そして最初と同じく私など視界に存在しない様子でやくに語り掛けた。
「私、臺與は日向兄様の事だけを考えていました!ずっと合う身体がなくて困っていたけど、その間ただ待ってるだけじゃなかったんです!」
臺與さまは黒龍のまま明るく話す。
けどその轟く声質が違うものに感じてしまう…まるでそれは見えない呪そのものだ。
「兄様と一緒にいる為に新しい術式を作りました!兄様には1度消滅してもらうしかないんですけど大丈夫です!きちんとやります!」
消滅という不穏な言葉に一抹の不安を覚える。
彼女は何をするつもりなのか…その予想は的中する。
「その後、再構築して私の呪を差し上げます!そうすれば私と兄様はまったくの同じ存在!生きるも消えるもずっと一緒なんです!素敵でしょう!」
だから、と口にした言葉は急に冷えた調子になり、こちらを見下ろした黒龍の目が光り、龍の頭上に特殊な円陣が現れる。
浄化の舞が最終的に生み出す円陣に似ていた。
それがまっすぐ邪馬台国に降りてくる。
大地が黒く光った。
「!」
感じた嫌な感覚に、やくを見れば影響を受けているのがわかる。
やくは自身の右手を眺めて確かめていた。
その指先から光の粒子になり、宙へ霧散していく。
そんな。
「う、嘘…」
「成程」
当の本人は自身の状況に焦ることもなく、なんてことない様子で光の霧になっていくのを眺めていた。
しかも納得している。
消えることを?
そんなのおかしい。
彼は異質で守護守の中でも最強とうたわれている特別な存在だ。
たとえ臺與さまが同じように規格外の強さであっても、こんな簡単に消えていいはずがない。
いやだ、そんなこと認めない。
「や、やだ」
「落ち着け」
「やだ、やくがいなくなるなんて、そんなの、いや」
「…落ち着けと言っている」
手刀を頭に食らった。
結構力入れたな…けど、少しだけ冷静になれた。
なによりやくの瞳は確信に満ちている。大丈夫だと言っている。
「いいか、よく聞け」
「うん」
「一旦引く。僅かではあるがその間は任せよう」
「…うん」
「俺が消える時は俺が決める。臺與でも結稀でもない」
「……わかった」
よしと言って、やくは笑う。
別れの日は今日じゃない。
彼の言う通り、一旦離れるだけだ。
自身満々に笑みを称え、この世界の最初の守護守は目の前から消えた。




