17話 婚姻の約束。
「お前が俺の元にいた頃のものだ」
随分とまあ昔で。
彼のあいてる右手が私の顔にやってきて、そのまま指でおでこを突かれた…結構強めに。
「痛っ!」
「俺との約束を忘れるとは不敬だぞ」
だからって物理で仕掛けてくるのはどうなのか。
でもまあそのおかげで記憶が甦った。
さすが守護守さまですこと。
「あの時のか…」
時間があればやくに会いに行っていた。
話をしたり、簡単な術式なら彼が教えてくれた。
私はその頃、姉兄が祖父母からの脅威から守ろうとしてくれてたことなんて知らなかったし、両親が不在がちな理由とそこからの死の現実もわからなかった。
同世代の友達もなく、私の遊び相手は自然とやくだけになっていた。
『やくはずっといっしょにいる?』
『なんだ、契約の話か?』
『ん?』
『巫女として契約か、それ以外の契約かだ』
『?』
長長と説明された中身はほぼ幼い私にはわからなかった。
断片的に記憶し理解していたのは、どちらがより長く一緒にいられるかだけ。
だから私はずっと長く一緒にいられる方がいいと言ったんだ。
『ふむ、なかなか欲深いな』
『だめ?』
『いいだろう…だが今ではないな。いい女になって戻ってこい』
『ん?』
『婚姻の契約を承諾してやると言っている』
『ほんと?』
『あぁ、だから励めよ』
そこにきて、おやおやなんかよくない約束してないかと思い至る。
久しぶりの再会と姉兄の件を解決、腕の治癒にと、ここにきての怒涛から少し落ち着いたら…とんでもないこと思い出してしまった。
「や、やく…」
「どうした」
「こ、今回の契約って、その、こ、こ、んい」
「はっきりしろ」
「今回の契約は婚姻じゃないよね?!」
言ったー言ったぞー!
と、なんだかよくわからないテンションの私に対し、やくはしれっとした顔をしている。
挙げ句、手刀をおでこにくらった。
だいぶ手加減してくれてるとはいえ、痛いことにかわりはない。
てか、この人私のおでこしか狙ってないんだけど。いや何度も言うけど物理はダメだろう。
「たわけ」
「うえ」
「その先を思い出せ」
「え、と…?」
すっと腕が上がるものだから、腕を抑えてなんとか止めて考える。
励めと言われた。その上で。
「あ、…あぁ!!」
そうだ。
あくまで正式な申し出をしてみせろと彼は言ったんだ。
私はよく理解できないまま頷いて、頑張っていい女になると返したんだ。
あの時、彼は満足そうに笑って、楽しみにしていると珍しい顔をしていたのが懐かしい。
「いい女でもないのに俺が許すと思うか」
「え?!充分いい女になったと思わないの?!」
久しぶりに会ったら、いい女になったなぐらい褒めてもいい流れじゃないのだろうか。
いい女じゃないって本人前にして言う言葉ではないし、いくら見た目よろしくてもそれは許せない。
確かにずっと巫女として学んできただけで、それ以外の物があるかと問われるとぱっと出てこない。
学びの一環で手にした笛とか琴なら弾けるけど…巫女としての教養はばっちりだと自負してる。
「お前がいい女になったか他に意見を問うてみるか?」
「え?」
「なあ、さくら」
「………」
「え?!」
さくらさんが気まずそうに立っている。
お盆には私達のお茶…あ、守護守さまにおもてなしされてしまっている…立場が逆だ…いやその前に、ちょっとどこまで聞かれた?
「さ、さくらさん、いつからそこに…」
「お答えしないほうがよいかと…」
「うわあ…」
恥ずかしいことに、婚姻の契約が~だのなんだの話していた。
さくらさんが濁すということは、大方全部聞かれていたのだろう。
もうやだ、この傍若無人の存在で振り回される。
守護守とそんな契約する巫女なんていないだろう…いくら子供の時のこととはいえ、それを今持ち出すのは違うんじゃないかと思う。
第一、あの時は姉と兄のことがあった。
私が切迫してたことはやくにだって分かってたはずだ。
「お、お茶ありがとうございます」
「いえ」
うん、ほどよくぬるくで助かります、お茶。
やくはなんだかんだで楽しそうにしていた。
私で遊んだな、こいつ。
「腕はもうよろしいようで?」
「あぁ、直に戻るな」
見た目はまだ形がないけど目処は着いたらしい。
あと1時間もしない内に形あるものが戻ってくると。
それにしても早い…それは守護守の中でも力が強いとされるやくだからこそということか。
ある種、富士の結界に来なくても本当に彼は大丈夫なんだろうと思った。
それならここに来てくれたのは彼の優しさでもあるのだろう。
優しさ…あまりやくには合わない…気まぐれの方が合いそうだ。
「折角だ、この地の上等な酒でも飲むか」
「観光で来たんじゃないんだけど…」
「どうせあちらから来るぞ。俺達は待つだけでよい」
「……」
祖父母が諦めるとは思っていない。
けど、今の私ではどうにもならない。
巫女としてのレベルを引き上げるとか、他の巫女たちに助けを求めるか。
「月映結稀」
第三者に呼ばれ、どきりとする。
障子が開かれ、そこにいた巫女は…幹部クラスに従事している立場の出で立ちだった。
緊張感が走る。
おのずと背筋が伸びた。
「月映結稀」
「はい」
「管理者様方がお待ちです」
「え?」
「会議にて査問事項があるそうです」
「さ、もん…」
「急ぎなさい」
「は、はい…」
緊張でよろめきながら部屋を出る私に対し、やくは少し不服そうにして前を見据えていた。




