竜巻警報
こういうとき、おっさんである俺が出来る行動は
二つくらいしかない。
逃げるか、または逃げるかである。
いや、一つか。一つしかなかった。
一目散に、走り出すと後ろから
「レイプされかけたって、通報しますから!!」
と大きな声で脅しが聞こえてくる。
その声で思わず、固まっていると
駆けて来た少女が息を吐きながら
「れ、レイプは言い過ぎました……でも、ちょっとくらい
一緒にいてもいいんじゃないですか……」
と若干、後悔した表情で言ってくる。
「……通報しないなら、話くらいは聞いてやってもいいけど……。
あとセーラー服は目立つから、着替えてきてくれないかな」
「逃げませんか?」
「通報はされたくないなあ。
仕事はこの通りあるけど、社会的な身分は無職だからね」
後ろめたいことは何もないが、警察はめんどくさいのである。
彼らは硬い職業の世界だけあり、
中々、俺の仕事を信じてくれない。
「分かりました……目立たない服に替えてきます」
「この辺りで、撮影してるよ」
女の子は走っていった。ため息を大きく吐く。
正直、係わり合いになりたくない。
俺は俺の生活だけで手一杯で、悩める女子の話を聞いている暇は無いのだ。
河原のローケーションが良く、
人家が映らない位置に定点ビデオカメラを設置して回しっ放しにして
カメラに映らない位置で、小川の野草や花に虫などをデジカメで撮影していると
女の子が戻ってきた、地味なパーカーとジーンズだ。
チューリップハットのようなものも被っている。
まあ、助手に見えないこともない。
「そういう風にして、お仕事してるんですね」
と近寄ってきた彼女に、ビデオに写りこまないように
踏み込んだらダメな位置や
デジカメの使い方を教えて、花や虫の写真を撮らせる。
赤みかかった前髪を楽しげに振りながら
写真を撮っていく。
「学校つまんない?」
カメラのファインダーを覗いている女の子にさりげなく訊く。
「……つまんないというか、地獄というか……」
「ふーん、大変だね」
「それだけですか……?」
「喋りたいことあるなら聞くけど、
こんな見ず知らずのおっさんに話しても、解決になるかなぁ」
「ならないですかね……」
「なると思うなら、聞くけど」
それから彼女は長々と、中学で陰キャ(日陰者の意味らしい)だったので
高校デビューしようとして壮絶に失敗した話や
SNSでも上手く関係を築けずに、入学して今まで友達がまったく居ないということを
写真を撮りながら話してきた。
「そっか。俺がガキのころとは違うんだな」
何となくは知っていたが、時代は変わるものである。
「おじさんのころは、どんなのだったんですか」
「携帯とかはあったけど、学校まで持って来てるやつは稀で
SNSもネットでやっと始ったくらいかなぁ」
「羨ましいなぁ……」
「そうかな。友達に電話したら親が出たり、色々不便だったけどね」
「やっぱり誘拐しませんか?スマホも捨てて、どっか遠くに行きたい……」
「後々考えると、学校は出といた方がいいと思うし、
変な犯罪にも自分から巻き込まれないほうがいいと思うけどなぁ」
「やっぱり捕まりますか?」
「うん。捕まるだろうね。俺が」
「そっかー……逃げられないなぁ……」
デジカメを渡してきた彼女の写真を見てみる。
構図は俺が見ても酷いものだが、
使い物にならないほどセンスがないわけでもない。
「センス良さそうだし、文化系の部活にでも入ってみたら?」
「美術部は敷居高いです。
写真部は無いし、文芸部という名の漫画部はあるんですが……そこも内輪で……」
「ああ、殆ど体育会系なのね……」
田舎の高校には良くある。
「明日、高校辞めたら、助手として雇ってもらえます?」
「うーん、一人で食べていくので精一杯だなぁ」
野草に乗っかる小虫を撮影しながら答える。
今日は天気が良い。動画のほうも良いものが撮れそうである。
「とにかく、私を助けてください。自殺しちゃいますよ」
「……まだ余裕あるでしょ……」
「ばれましたか……」
女の子は苦笑いしながら、河原に座って流れていく景色を眺める。
「アドレス交換とか、できますか……」
ちょっと躊躇する。少女とアドレス交換か……。
まるでロリコンのようである。戸惑っていると
だんだん彼女が悲しそうな顔になってきたので
仕方なくスマホを取り出して、交換する事にする。
「お守りにしますね」
古木理沙という名前らしい。
「いや、そんな大層なもんじゃないし……金が無いおっさんだよ?」
苦笑いして、仕事を続ける。
お昼になったので、コンビニで買ってきた弁当を二人で食べていると
「たまに連絡していいですか?」
「うん。そんなに連絡こないし、いいけどね」
「じゃあ、毎日しますね」
「……まあ、読むかは分からんけど
送ってくる分にはいいよ」
「既読チェックしますからね」
「若いんだし、おっさんに構うのは
ほどほどにして、同年代の友達を見つけたほうがいいよ」
青春は何度もやってはこない。いや、精神的には運次第で何度でも来るが
肉体的な全盛期を伴った青春は、誰にでも一度しかこない。
「嫌ですー」
俺の心配も他所に彼女は首を振る。
二時ごろに撮影も大方終わり、定点カメラの動画をチェックする。
問題無さそうだ。
カメラや三脚などをリュックに入れて
帰り支度を始めると、寂しそうに
「着いて行ったらダメですか……」
と言ってくる。
「いや、さすがにまずいと思うよ。
そろそろ小学生の帰宅時間だし、人目にもつくからね」
「連絡しますからね」
と言った彼女に手を振って、別れる。
さ、ブラックリストにアドレスを放り込んで
二度と関わらないようにしよう。もちろんこの町にも二度と来ない。
残酷なようだが、お互いのためである。
スマホを操作しながら、河原近くの公園駐車場に停めた車まで歩いていくと
「ばあっ!!」
とさっきの子が、いきなり車の陰から出てきた。
驚きよりも、絶望感が上回る。
「……先回りしたのか……」
「はいっ。もう二度と会えないと思ってましたから」
上手だったようだ。地元民を舐めていた。
「……」
無言で車に機材を積み込んで、運転席に座ると
古木は助手席に既に乗り込んでいた。
「もうアドレス、ブラックリストに入れたでしょ?」
「ばれたか……」
今日撮影した動画や画像も、ネットで特定されないために使わないつもりだった。
「だと思った。もう逃がしませんよ」
「……ご両親はどう思うかな」
「父親は海外出張で来年までいません。母親は私が赤ちゃんの時に死にました」
「そうか……」
ちょっとホッとしてしまう自分が情けない。
「ドライブしましょうよ。車に乗るの久しぶりで」
古木は楽しげにチューリップハットの下から、フロントガラスの
外を眺める。
「家まで送るよ」
「誘拐してくださいよ」
「……誘拐はしないって。捕まるの俺だけだし」
「でも誰も通報しなければ、捕まらないでしょ?」
「学校は?」
「明日から休みですよ」
「三連休か……」
たしかに祝日入れると金土日休みである。
「ね、大丈夫ですって、私だけ、四連休で
今休みの初日なんです。どこいこっかなー」
「俺が連れて行くのね……」
この子は結構図太い。このメンタルの強さなら
友達くらい楽に作れそうなもんだが
やはり同年代となると違うんだろうか、と思いながら
仕方なくエンジンのキーを回して、サイドブレーキを解除し
アクセルを踏み込む。