一進一退の勝敗
「お帰りなさい」
「ええと……ただいま」
エプロン姿で迎えてくれた安里さん。いい匂いがするってことは、また夕飯を作ってくれたのだろう。
「本当、別にいいのに。俺、帰ってから適当に作るよ?」
「いえ! 住ませてもらっている以上、それくらいは頑張ります!」
グッと拳を握りながら、安里さんはそう宣言する。
材料を買いに行くのは俺が休日にまとめて。それを、不本意ながら交代で料理する。そういう習慣が、俺たちの間には出来つつあった。
「ヒューヒュー! ほら、今だよ! 伝説の、「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」の出番だよ!」
「ええ……はい! えっと、ご飯にしますか? お風呂に」
「ストップ! こいつの言葉は無視していこう」
俺が神様にヘッドロックを掛けながら止めると、安里さんは我に返ったように瞬きを繰り返した。
「ああ! 私また!」
「痛い痛い頭が割れるぅ!」
神様は俺の腕の中でじたばたと抵抗する。とりあえず止まったので、まあよしとしてやろう。
パッと手を離すと、神様は髪の毛を手櫛で整えながら悪態をついた。
「ちぇー、寂しい毎日を送っている孝明君に、少しでも潤いをという親切なんだけどなぁ」
「そういうのは本人の言葉で言って欲しいもんだと思うぞ」
「少女監禁犯が何言ってんのさ」
「事実無根だな」
実際、監禁してるのは神様みたいなもんだし。
「で、え? 今日は何の用事でしょうか神様、すぐに帰っていただけるとありがたいです」
三人分用意された食卓に着くと、安里さんも神様も大人しく自分の椀の前に座った。
「やだなあ、毎日のように来てるじゃないか、ボク。用事なんて無いさ」
「毎日のように来てるのがおかしいんじゃないかな?」
俺が丁寧な言葉で諭すと、神様は今気がついたかのように眉を上げた。
「そうだね、毎日来ている。もはや、ボクがここに住んでいると言っても過言じゃないんだね!」
「過言だね」
毎日どっかに消えて帰ってるじゃないかお前。
「それにしても、ちゃんとボク用に食器もあるじゃないか。用意してくれたんでしょ?」
神様は味噌汁を啜りながら器用に呟いた。
「違えよ。これは客用の予備のやつだ」
「え? そうなんですか? サイズも不揃いでいくつかあったので、神様用に買ったのとばかり思ってましたが」
「いや? こいつ用に用意したのは一脚もない」
「……? そう、ですか……?」
腑に落ちない顔で、安里さんが首を傾げた。
まあ、事実なんだからしょうが無い。
美味しい夕飯を頂いて、食後にお茶を飲む。
至福の時だ。
「ねえ、ねえ! トランプやろうよ! ババ抜きやろうよ!」
後ろの方で、神様が喚いていなければ。
「えーと、じゃあ、お相手しますね」
安里さんは律儀にも神様の前にちょこんと座り、そして俺の方を期待する目で見あげた。
神様はそれを見て、たどたどしい手つきでヒンドゥーシャッフルをしながら、笑った。
時たまカードがポロポロ落ちている。
「フフフ、孝明君はきっと入らないよ。ボクに負けるのが怖いからね!」
「ほう」
挑発の言葉を聞いて、俺はどかりと座り込んだ。
「いいだろう、やってやろうじゃねえか。ババ抜きだな?」
俺のポーカーフェイスを舐めるなよ。
「あーがりー」
気の抜けた言葉と共に、神様がエースのペアを出す。
そしてその白い足を投げ出すと、俺の方を見て笑った。
「フフン、まだまだよのう」
「だー! 俺ばっかり負けるなんて、ありえない……!」
また俺がビリだ。
ちなみに、安里さんも毎回一番で上がっている。俺はもう何度も何度も、負け通しなのだ。
「もう一回やる? どうせまたボクが勝つけど」
「お前だって毎回安里さんに負けてんじゃねえか」
そう指摘すると、神様はニヤリと笑う。
「おやおや、負け惜しみかな? キミはボクに、負けてるんだよ?」
「なー!」
悔しい! こいつの笑顔に腹が立つ!
「まあ、孝明君が可哀想だから、これぐらいにしておいてあげよう。じゃあ、何か別の……」
「はいはい、付き合ってやるからちょっと待ってろ」
俺は使ったカードをリフルシャッフルして混ぜる。パーフェクトシャッフルは練習中だ。
「……見事なもんだねえ」
「トランプはよく使ってるからな」
「ふうん。で、どうして、しまうのに混ぜているんだい?」
神様は不思議そうな顔で俺に尋ねた。
「次にやるときに、混ざってた方が使いやすいだろ」
「そっかあ」
そう言って、神様は興味をなくし、隅に立ててあったデカい道具を持ってきた。
「じゃあ、次はこれで遊ぼう! ダイアモンドだよ!」
満面の笑みが眩しい。
「また長丁場になりそうなもんを……」
安里さんは大丈夫か、そう思い彼女を見ると、これまたワクワクした様子で拳を握り締めていた。
「ルールは知ってる?」
「はい。このコマを、向こう側に全部収めたら勝ち、ですね! 子は一個だけ、王コマは一列ジャンプ。…でしたっけ?」
「うん、そんな感じ」
後は、敵陣地に入ったらいけないとか、王コマの上は跳べないとか、細かいルールだ。
「さあさあ、今度は負けないよ!」
神様が手を一振りすると、盤上にコマが整列する。
こういうときに便利だな、その能力。
「もちろん、イルちゃんに言ってるんだけどね」
そう、上目遣いに俺を見ながら、神様は宣言する。
「ほう、俺は眼中に無しか……」
目にもの見せてやろう。
「なー、なー!」
「ははは、思考ゲームで俺に勝てるわけがないだろう」
今度は俺の圧勝だった。
ただし、安里さんが終了した後だったが。
安里さんは申し訳なさそうに、神様を見て苦笑していた。
「ええと、ごめんなさい」
「いいんだよ、安里さん。これは勝負なんだ。くくく」
俺は、項垂れた神様の肩に手を置き、優しく声を掛けた。
「神様、お前は強かったよ。ただ、ほんの少し、ほんのすこーしだけ、俺の方が強かった。それだけだよ」
「くそう! 孝明君のくせに、くそう!」
神様は、床を叩きながら大きな声で唸る。
やばい、悔しそうにしている神様を見るの超楽しい。
ダイアモンドの小さなコマを拾い集める……という手間もなく、神様は手を振り上げてコマを集めた。
小袋に入れられたそのコマは、綺麗に色まで分けられている。
「おお、悪いな」
俺が感謝の言葉を投げかけると、神様はどや顔で言った。
「さっきのキミを見て学習したよ。次に使いやすいだろう?」
確かにその通りだ。今度から、ゲームの準備と片付けだけやってくれないかな。
そう思ったが、そうするとこいつも参加するのがセットだ。
……まあ、それくらい、いいか。
ゲームを片付けると、もういい時間だ。
「ああ、そろそろボクは帰るよ。また今度来るからね」
「今度って言うか、毎日じゃねえか」
実際、俺が帰ってきたときには大体いる。そして夕飯を食べて、ゲームをして帰るのがいつものパターンだ。
「あれあれー? 孝明君はボクに会えない時間が寂しいのかな?」
下から覗き込むように、神様は悪い笑顔でそう言った。
「……今の台詞の、何処にその要素があるんだ?」
それは神様の願望だろう。
「じゃあね、イルちゃん。明日は唐揚げがいいなー!」
「はい、作って待ってますね」
安里さんが、笑顔で応える。いい子なんだけど……。
「そこまでしなくていいからね?」
「リクエストがあると嬉しいですよ。辺見さんも、何かあれば作りますよ!」
「まあ、今はいいや……」
神様の洗脳で強制されているということでもなさそうなので、少し安心する。
スウっと消える神様を見送ってから、安里さんに尋ねた。
「じゃあ、明日鶏肉買ってくるべきかな……?」
「いえ、冷蔵庫に入ってますので大丈夫です。神様は、ちゃんと見て言ってますよ」
何で、家人より冷蔵庫の中身を把握してるんだよ。
少し悔しかった。




