生きているけど死んでいる
「もう、泣いている女の子を放っておいてお茶入れに行くとか、女の子の気持ちがわからないの!?」
プンスカと頬を膨らませて神様は俺に抗議してくる。
もっともな意見だとは思うが、正直俺も泣きたい。いったい、何でこんな空気の場所にいなきゃいけないんだよ。
淹れたお茶をテーブルに置く頃には、女の子の嗚咽も小さくなってきていた。
「まあ、なんだ。一口飲んで落ち着いてくれ。こいつの話を聞けば、事情もわかるかもしれないからさ」
女の子は、涙を抑えながらコクコクと頷く。そして、恐る恐る冷たいお茶に手を伸ばして、一気に飲み干した。豪快だな。
「で、説明が欲しいんだけど?」
俺が睨むと、ようやく神様はその重たい……いや、羽根のように軽い口を開いた。
「ここまでの経緯はその子の話の通りさ! その子は誘拐されて絞め殺された。ボクが干渉したのはそこからだよ!」
「一応、その事件にはお前は関わってないんだな」
少し安心した。また俺のせいで、この子が酷い目にあったんじゃないかと心配していたが、杞憂だったようだ。
「まあ、魂を共有しているんだ。この世の中で人が起こすことに、ボクは全て無関係じゃないんだけどね」
「全部お前がやったことだもんな」
「キミもだからね?」
軽口の調子も出てきたようだ。
と、こんなことしている場合じゃない。この女の子を帰す件についてだった。
……ちょっと待て、『絞め殺された』?
不穏な言葉が聞こえたが、聞き間違えかもしれない。とりあえず、続きを聞こう。
「それで、その『間に合わない』とか、『助かってない』ってのは?」
俺がそう聞くと、女の子が唾を飲んだ音が聞こえた気がする。
自分のことだ。不安に思うのも仕方がない。それより、もう落ち着きを取り戻しつつある事を褒め称えるべきだろう。
「簡単に言うと、その子、首を絞められて死んでるんだよ」
「はあ!!?」
「えぇ!!?」
叫び声が揃う。いやいや、彼女は今ここにいて、話したりお茶飲んだり? あれ!?
部屋の中に疑問符が満ちる。死んでいるはずの彼女というのはどういうことだこれは。
「今ここにいるのは、肉体から離れた心。消えるところだった心を保護して、この部屋限定で実体化しているんだよ。あ、魂はもう違う人に移っているからね」
「幽霊……ってことか?」
「そんな……」
女の子は愕然としている。その白い顔からさらに色が抜けていくほど驚き、形のいい唇はポカンと開けられ震えていた。
「幽霊とはちょっと違うかな。あれは飛散した思念波の残留したものを捉えたものだから。ここにあるのは100%純粋な心の固まりさ。肉体が無くなっただけで、あとはちゃんと……えーっと、君の名前は……」
神様は名前のところで女の子を見つめ、言葉に詰まった。
そういえば、俺もこの子の名前を知らない。この状況下で自己紹介も不自然だったからしていなかったが、やはり不便か。
俺も女の子の方を見ると、視線がばっちりと交わった。
もう涙も止まっているが、泣き腫らした目が赤くなって痛々しい。
「……安里維流です」
「うんうん、イルちゃんね。そう、肉体がないだけであとはちゃんとイルちゃんだから安心してよ」
手足をパタパタと動かしながら、楽しそうに神様は言う。全然安心出来ないけれど。
また嗚咽が聞こえた気がして、隣を見るとやはり安里さんはまた泣き出していた。
そりゃあそうだろう。訳もわからずに誘拐されて怖い目にあって、何処か知らないところに送られてきたら死亡宣告された、と。俺でも泣き叫ぶ自信がある。
「死゛んだって、……っ……、何で……」
「あー、ごめん。何て言ったらいいかわからないけど、ごめん」
俺には謝ることしか出来ない。
一応この誘拐事件は俺のせいでもないし、きっと神様のせいでもないんだろう。
ただ、彼女の心がここに連れてこられなければ彼女はこんな辛い思いをしなくて済んだのだ。
悪いのは誘拐犯だ。だが、彼女が辛い目にあっているのは俺たちのせいだ。
堪りかねて、俺は神様に助け船を求めた。
「なあ、その肉体から離れた心ってのは、本来どうなるんだ?」
「放っておいた場合、イルちゃんがどうなったかってこと?」
首を傾げ、神様は確認する。
「ああ、天国とか、三途の川とか、何処かに送られたりしないのか」
死後の世界。そんなもの信じてはいなかったが、この状況を見てしまえば、信じたくもなってくる。俺は前に、死後何も感じなくなると言った。しかし、今目の前でそれは否定されている。
安里さんは今泣いている。
どこか天国とか、そういう救いがあってもいいじゃないか。
そう思ったが、やはり違うのだ。
「そんなもの無いよ。普通は死んだ心はアカシックレコードに情報が保存されて、そして消滅する。前に言ったでしょ? キミの考えも一部正しいって」
「ああ」
初対面でのときに、話した覚えがある。
「気持ちはわかるよ。キミは、イルちゃんが悲しんでいるのを見て、そういうのがあって欲しいと思った。でもね、そういうのはもう廃止したんだ」
「廃止? 昔はあったのか?」
俺は眉を顰めた。
「うん、昔はね。冥界っていって、心を生前のように保管するシステムを作ってみたことがあったんだけど……廃止した。今はもう、各地の神話の中で残っているだけさ」
何か欠陥でもあったのか。それがあれば、今目の前で泣いている安里さんを救えるというのに。
「考えてもみてよ。死者を生前のように生活させるために、必要なスペースを。空や深海、さらには宇宙まで使っても、全員を残すためのスペースが足りなくなっちゃったんだ」
「異次元とか、お前なら」
「そんなものは、無いさ」
神様ならそんなものも用意出来る。そう思ったが、神様は言い切った。
「いや、異次元はあるよ。ボクの親がいる世界、ボクの兄弟がいる世界、さらにボクの子供達が送られていく世界。ヒトが数えられないほど、グーゴルプレックスを超える数の異次元世界は、ある」
「だったらそこを使えば」
「ボクは、異次元の壁を越えることが出来ない。それはボクの構造上の問題で、ボクやボクから生まれたキミ達にはどうすることも出来ない。唯一出来るのは、この世界にボクが満ちあふれたそのとき、世界を越えてボクの魂を分けることが出来る。ただそのときだけなんだ」
「そしてそれは、ずっと先のことだよ」
そう神様は、心から寂しそうに付け加えた。
「……お前なら、生き返らせるとか」
「無理だね。今この世界では、彼女が死んだことは確定している。今多分キミに宿っている魂を引きはがして使えば生き返らせることは出来るけど、その場合にキミが死ぬ。そして、次の世界からの悪影響は計り知れない。彼女を死なせないことは出来るけれど、それは次のループの時からだ。そうだね、キミがそこまで言うのなら、次は善処するよ」
「でも、この安里さんは……」
次のループというのは、神様にしか知覚出来ない。ならば、今ここで泣いている彼女には何の影響もない。死なないのは、彼女に似た別人と言ってもいい。
「諦めるしかないね」
淡々とそう言う神様。やはり神様らしく、俺たちとは違う生き物なんだ。そう確信出来た。
「まあ、今ここは、彼女にとっての冥界だ。この部屋にいる限りは、彼女は生きていると言ってもいい。……おや」
神様は言葉を切り、安里さんを見た。続けて俺も見ると、涙でぐちゃぐちゃになった顔をこすりながら顔を上げた。
立ち直ったわけではなさそうだが、泣き止んではいる。本当に、強い人だ。
「……お茶、ください」
そう一言だけ言うと、体育座りで自分の膝に顔を埋めた。鼻を啜っているため、鼻水がスカートに付かないか心配だが、彼女にとってはそれどころじゃないのだろう。
でも、立ち直りつつあるようだ。
俺は黙って彼女のためにお茶を入れに台所に立った。
「あ、ボクにもちょうだい。さっきみたいに熱くしなくていいからねー」
「聞こえなーい」
せめてもの嫌がらせだ。