超新星
―プロローグ―
どうして手が届かないのだろう。
少年ジャック・ライアンは牧場の芝生に寝そべり、夜空いっぱいに広がる星々を眺めながら思った。
こうして見ていると、ちょっと手を伸ばせばあの星達に触れることが出来そうなのに。
ジャンプをすれば、掴むことすら出来そうな距離に感じられるのに。
ところが実際には、手を伸ばしても、ジャンプをしても、足元に転がる石を投げようとも、あの星達に届いた事は一度もない。
こんなに近くに感じられるのに、いくら頑張っても届かない。
ジャックにはそれが不思議でならなかった。むしろ自分が近付こうとすればするほど、星達は離れていくようにさえ感じる。
そんな事を考えていると、背後から父の声が聞こえた。父は「ジャック、そろそろ家に入りなさい。風邪を引くよ」と声を大きくしている。
しかしジャックは聞こえないふりをした。まだ星を見ていたかったからだ。
こちらから近付いても逃げていってしまうのならば、逆にあえて近付こうとはせずに、ここでジッと待ち構えやろうという魂胆だった。そうすれば、きっと星達は相手にされなくなったと勘違いし、寂しくなって近寄ってくるんじゃないか。
それはどうしても星に触りたいジャックが、ここ数日考えに考え抜いて導き出した、とっておきの作戦だった。
「ジャック! 早く来なさい! もう寝る時間だよ!」
父がさらに声を大きくした。しかしジャックは粘る。星が来るのが先か。父が強引にベッドに連れて行こうとするのが先か。まさに瀬戸際だ。
ジャックは待つ。星が音を上げて、こちらに降りて来るのをジッと待つ。
「ジャック! いい加減にしなさい!」
父の怒鳴り声が耳を貫いた。声の様子から、父が本気で怒り始めているのが分かる。さすがのジャックもその声に怖じ気づき、諦めて芝生から起き上がろうした。
ところが、まさにその時だった。
空を埋め尽くす星粒達の中からたった一つだけが、その平面を飛び出し、こちらに向かって物凄いスピードで落ちてきた。
凄まじい音を立てながら、白い尾を伸ばし、夜空を横切っていく。それは涙の雫のような形をしていた。まるで他の星をも巻き込まんばかりの勢いで、それはジャックの頭上を通り過ぎる。
ジャックは透き通るようなその瞳に光を反射させ、目を見開き、口も丸々と開けながら、その流れる星を見守った。
星はやがて牧場の向こうにある空き地へと姿を消した。空き地からは星が衝突したのを知らせるかのように、白いドーム型の光が見えた。
ジャックは振り返り、背後に立つ父を見た。
父はジャック以上に目と口を開き、ただただ呆然と立ち尽くしている。こんなに驚いている父を見るのは初めてだったので、ジャックは得意になって駆け寄った。
「パパ! やったよ! 呼んだんだ! 僕が星を呼んだんだ!」
ジャックは興奮を全身に漲らせ、思い切り叫んだ。
―1―
「おい。お前、俺の事を呼んだらしいな」
マット・ブロックがニヤつきながらジャックに言っている。場所は高校の裏庭だ。
「ああ、呼んだ」
ジャックが言い返した。自分よりも10cmは身長が高いブロックが相手であるにもかかわらず、ジャックは胸をしゃんと張っている。
とはいえ、さすがに緊張の全てを隠すことは出来ないようで、声からは若干の震えが聞き取れる。顔の表情も幾分強ばっているのが分かる。
今は放課後だ。他の生徒達は帰宅するか、もしくはクラブ活動に精を出す時間である。
しかしジャックは裏庭で、この学校一の肉体を誇るブロックと対峙している。
さらに周囲には、ジャックを取り囲むようにブロックの取り巻きが数人立っている。
この取り巻き共の役割はブロックと一緒になってジャックを殴ること……ではなく、万が一ジャックがその場から逃げようとした場合の、逃走防止用のフェンスとなることである。
「いったい何の用なんだ」
ブロックが相変わらずのニヤつきを顔に浮かべながら言う。そしてジャックに一歩近付いた。やはり二人の距離が近付けば近付くほど、その体格差が浮き彫りになる。
ジャックは上半身をのけ反るようにして、ブロックの顔を見上げる形となった。
表情の強張りはより強くなる。
「も、もう、俺にちょっかいを出すのはやめてもらいたい」
ジャックはブロックの威圧感に呑まれないように、意識して声を張ったのだろう。
しかし、それでも声に混じっている震えを完全にぬぐい去ることは出来ていない。
そう、ジャックは普段から、ことあるごとにブロック達からの嫌がらせを受けている。
背中に『僕を蹴飛ばして下さい』と書かれた紙を貼られたり、通学用のバッグにトマトを投げつけられたり、酷い目に遭っているのを僕は度々見てきた。
直接殴られたり、蹴飛ばされたりなんてのは、最早日常茶飯事。
そもそもジャックは他の生徒達に比べても小柄な方である。
生まれつき体格に恵まれ、部活のアメフトで鍛えたデカい筋肉とデカい態度を有するブロックからしたら格好の餌食なのだろう。
ジャックは僕の兄だ。
年齢は2つ上。昔から本当によく一緒に遊んだ。
父さん曰わく、ジャックは僕が赤ん坊の頃からとても可愛がってくれたらしい。
だから僕は物心が付いた頃からジャックが大好きだった。
ジャックが虐められれば僕が守る。
昔からそうしてきた。
僕は今、校舎の入口にいる。
何故裏庭にいるジャック達の様子が分かるのか? それは僕にそういう能力があるからとしか説明がつかない。
目を閉じて意識を集中すれば、半径3キロ以内の出来事なら感じ取る事が出来る。
その中からジャックの存在を掴み取って、その場の光景を見たのだ。
映画の映像のようにハッキリとジャックやブロックの姿を見ることが出来る。
僕は目を開くと周囲を見回し、周りに人がいないことを確かめた。
そして自分の中に閉じ込めているチカラを解放した。
蓋を外すように解放するんだ。
すると僕の身体は風の一部となったかの如き、凄まじいスピードで移動を始める。
走るというよりも飛ぶイメージだ。
入口を出て、校舎に沿って裏庭へと向かう。
途中、下校中の生徒が何人かいたが、こうなればもう彼らがいようが問題ない。
彼等には僕の姿は捉えられない。それくらい今の僕は速い。
僕が過ぎ去った後は風が巻き起こるため、女子生徒がスカートの裾を押さえている。
そして、急に吹いた突風に怪訝な顔をするのだ。
僕は建物の角に到達し、裏庭を覗き込んだ。
ジャックやブロック達の姿が見える。
ブロックはジャックの胸ぐらを掴んで怒声を浴びせている。
ジャックは表情を崩さずに毅然とした態度を貫いてはいるが、精神的に気圧されているのは明らかだ。
僕の中に、ブロックに対する怒りがこみ上げてくる。
僕は一歩踏み出す。
次に二歩目を踏み出す。
三歩、四歩、僕はまるで決められた一本の道を歩くかのように、真っ直ぐブロックへと近付いていく。
「そこまでだ!」
僕はブロックに向かって鋭く言い放った。
途端にブロックや取り巻き、そしてジャックの視線が僕に集まる。
「またテメェか」
ブロックが僕を睨んで言ってくる。そして、ジャックから離れると、僕と向き合ってきた。
相変わらずの巨体だ。それは僕と向き合ってても変わらない。僕も、ジャック同様ブロックを見上げる。とはいえ、身長はジャックよりも僕の方が高いため、見上げる角度は僕の方が緩やかだ。
「いつも言っているだろう。ジャックを苛めるのはやめろって」
僕はブロックに言い放つ。そこに恐怖は無い。僕は、ブロックの事が怖くない。
ブロックは僕の事を黙って見下ろしてくるが、暫くそうすると僕から目をそらし、ジャックの方を振り返った。
「へっ、いつも、いつも、弟に助けられてるなんて、情けねぇ兄貴だぜ」
ブロックはジャックに向かってそう言うと、ペッっと唾を吐き、取り巻きと共にその場を去って行った。
僕がジャックを助けるのはこれが初めてではなく、過去には僕がブロックのパンチを悉く見切っては躱し、カウンターのフックを当てた事もあった。
そんなことが何回か続くと、さすがのブロックも僕には腕っぷしで勝つことが出来ないと学習し、僕の前ではジャックに手を出さないようになった。
僕は出来ることなら暴力は使いたくないが、ジャックの身が守られるならば、これはこれで結果オーライということで納得している。
「ジャック、大丈夫?」
僕はジャックのもとへ行き、声を掛けた。しかしジャックは僕の事をキッと睨むように見ると、「余計なことはするなっていつも言ってるだろ」と言って去って行ってしまった。
ここ数年間、僕がジャックを助けると、ジャックは決まってああいった態度を取ってくる。
僕にはその理由が分からず、ただただ戸惑ってしまう。
ジャックは何が気に入らないんだろう?
―2―
帰り道、僕はショッピング通りを一人歩いていた。すると、どこからか女性の悲鳴が聞こえてきた。
僕は目を閉じる。頭の中に周囲の情景が流れる川のように飛び込んでくる。
そして僕はその中から、今聞こえた悲鳴の主を探す。
いた!
一つ向こうの通りだ。車道に飛び出た小さな男の子がいる。悲鳴を上げたのは歩道にいる母親だ。悲鳴を上げた理由は、男の子の目の前に、今まさに衝突せんとトラックが迫っているからだ。
ぶつかるまで時間にして、ほんの数秒だろう。男の子は目を丸くして固まっている。周囲の通行人たちもどうすることもできず、ただ見守るか、一瞬後に来る悲劇に耐え切れず、目を逸らしているかのどちらかだ。
僕は目を開くと、即座に地面を蹴った。回り道をしている余裕はない。僕は目の前の服屋の煉瓦で出来た建物に突っ込んだ。お店の人に内心で謝りながら、神速ともいえる速度で体当たりして壁をぶち破った。
そして店内にいる人間に衝突しないよう気を付けながら、さらに向こう側の壁もぶち破る。
すると目の前に道路が見え、小さい男の子と、目前のトラックが僕の目に飛び込んできた。
僕はヘッドスライディングよろしく頭から男の子のもとへ飛ぶ。両腕を伸ばして、開き、男の子の体を抱える。
次の瞬間、僕のすぐ後ろをトラックが通り過ぎた。ブレーキをかけ、タイヤと地面との間に生じた摩擦音がけたたましく響いている。
僕は車道を飛び越え、その向こうにある芝生に転がった。
確認すると、男の子に怪我はなかった。そのことにホッとしていると、状況を見守っていた通行人たちが拍手と喝采を送ってきた。とはいえ、おそらくこの場にいる誰も、僕がどこから現れて、どうやってこの子を助けたのか理解はしていないはずだ。
男の子の母親は、腰が抜けたのか、歩道にペタリとへたり込んだまま茫然としている。
男の子は僕の顔をきょとんとした目でずうっと見つめてきていて僕を和ませた。そして僕のもとを離れると、今度は通行車両が途切れている車道を渡り、母親のもとへと駆けて行った。
母親は相変わらずへたり込んだまま、涙を浮かべて自分の息子を抱き締めた。それから僕に向かって必死に礼を言ってきた。腰が抜けて立てないのかもしれない。
男の子は無邪気な笑みを見せ、母の頭を撫でている。
これだけ怖い思いとびっくりする出来事に遭っても泣かないとは立派なものだと、僕はその小さな姿に感心した。
通行人の中から、誰かが僕の事を「よっ、ヒーロー!」と呼んできたのが聞こえた。
―3―
町の中央広場まで来た時、噴水を囲む縁にジャックが一人で座っているのが見え、僕は声を掛けた。
ジャックは僕の姿を見ると「ああ」と生気のない声で返事をしてきた。その目には、声を掛けられたことへの迷惑の色が滲んでいて、僕は少し落ち込む。
昔はあんなに仲良く遊んだのに、いつからだろう。ジャックが僕を避けるようになったのは。家の中にいても、僕の問いかけには一言二言返すだけで、会話らしい会話はほとんどない。
父さんはそんな僕らの関係をいつも心配そうに見守っている。しかし、ジャックの態度の理由を父さんはどうも知っているようで、何も口出しはしない。
ただ、ある時父さんは僕にこう言ってきたことがあった。
「ジャックがこの所お前に少し冷たく当たってるかもしれない。しかしな、お前達は強い絆で結ばれた兄弟だ。時間が経てば、ジャックも自分が心に抱えているものを乗り越えて、また昔のように仲の良い兄弟に戻れる。必ずな。それまで、今は待つんだ」
僕は父さんのこの言葉をずっと信じ続けて、ジャックが昔のように優しい兄さんに戻る日が来るのを待っている。
しかし、目の前のジャックは僕の目を見ようとはしない。
僕はジャックの隣に腰掛けようとする。
「何で助けたりするんだ?」
僕の事を遮るかのようにジャックが声を掛けてきた。
「助けるって、ジャックのことを? そりゃ当然じゃないか。ジャックは僕の兄さんだもの」
「毎回弟に助けられる惨めさが、お前に分かるか?」
「え?」
予想外の言葉に僕は驚き、目を丸くした。
「弟がいなけりゃ何も出来ない兄貴。そう思われる惨めさがお前に分かるかって聞いてんだ」
僕は何も答えられない。
「お前だって心のうちじゃ、俺のことを小馬鹿にしてるんだろう? 非力な兄貴だって」
「なにを」
ショックだった。僕がジャックを小馬鹿にする? そんなこと、これまで一度たりとて考えたことがなかった。しかしジャックは僕が内心でそう思ってると信じ込んでいる様子だ。それが僕にはとてつもない衝撃だった。
「何で僕がジャックのことを馬鹿にしなきゃいけないんだ」
「言わなくても分かるだろう。ただでさえお前は周りの奴らよりも抜きんでた力を持っている。それに比べ、俺は男子の平均点以下の身体能力しかない。下手すりゃ女子にも負ける」
「それが僕がジャックを馬鹿にする理由になんかなるはずがないよ。たしかにジャックは体が弱いかもしれない。でも、ジャックには他に良い所が沢山ある。人の良し悪しは力で決まるもんじゃないよ!」
「それでもな、惨めなんだよ。俺は昔からお前に競争で勝てたことなんて一度も無かった。おそらくこれからも。俺はお前に助けられるだけの人生なんだよ」
「それが嫌なの? 僕はジャックを助けることは全然嫌じゃないけど。ジャックが困っていたら、手を貸すのは当然だと思うけど」
「それが癪に障るんだ! お前は特別だからそんな余裕な事を言ってられるんだよ! 何故ならお前は……」
ジャックは立ち上がって声を張り上げたが、一瞬躊躇するような様子を見せると、結局最後までは言わずに、その場を足早に立ち去った。
ジャックが最後に何を言おうとしたのかは分からないが、おそらく僕を喜ばせるような言葉ではないだろう。僕は悲しい気持ちで、遠ざかっていくジャックの背中を見送った。
―6―
落ち込んだ僕は、全ての気力を失い、俯きながら歩いた。目に映るのはコンクリートの地面だけだ。
こんな超能力が僕になければ、ジャックとは今でも仲良しでいられたはずなのに。これまでは、この能力はジャックを助ける為に神様が与えてくれたものだと思い、僕の誇りだった。
しかし、今はこの能力が憎くて憎くてたまらない。こんな能力なんて僕の中から無くなればいい。二度とこんな能力使いたくない。
だから、油断していたとかそういうわけじゃなく、ただ単純に、背後から迫る人影に気付かなかったのだ。
僕はスタンガンを身体に押し当てられ、そのまま何者かに拉致された。
―7―
目が覚めると、僕はどこかのビルの一室にいた。室内には何もなく、前方の窓ガラスは所々割れている。向かいに見える建物は、老朽化した様子のマンションの裏手だ。
つまり、ここは人目に付きにくい場所ということになるのだろう。
ぼんやりはしておらず、僕の頭は目覚めた瞬間からハッキリとしている。これも忌まわしい超能力の賜物ということだろう。
僕は部屋の中央で椅子に座らせられ、両手首は背もたれに、両足は椅子の脚にそれぞれロープで固定されている。
「目が覚めたか」
背後から声がし、振り向こうと首を回すと、斜め後ろにTシャツにジーンズの男が立っているのがかろうじて見えた。
男がゆっくりと歩き、僕の前へ回った。いかにもガラが悪い。手には拳銃が握られており、男はその拳銃を、マッサージ器具のように肩にとんとんと当てている。余裕を見せた仕草だ。
僕の口はテープやらで止められてはいなかったので、男に言葉を向けた。
「あなた、誰ですか? どうして僕を?」
まさかこの男はブロックの知り合いで、ブロックが僕への復讐に出たのだろうかとも思ったが、さすがにそれは無いだろうなと思い直した。
「俺達はあるスジから依頼されただけだ。お前を拉致しろとな。だから、理由は知らねぇ」
俺達、ということは、他にも仲間がいるのか。そう思っていると、扉が開き、もう一人男が入ってきた。
そちらの男はアロハシャツを羽織っている。
「連絡は入れた。今からこっちに向かうってよ」
アロハシャツがTシャツに言った。おそらく依頼主とやらの話だろう。
それにしても、僕を拉致しろだなんて、一体どこの誰が依頼したのだろう。僕はその依頼主とやらの正体を確かめてみようと思い、しばらくこのままの状態でいようと決めた。どうせ帰っても、ジャックとは仲直り出来ない。
―8―
日が暮れ、外が暗くなり始めた頃、部屋に一人のスーツ姿の男が入ってきた。その背後には、SPらしき大柄な男がまるでロボットのように二人追随している。
このスーツ姿の男は、先にいたチンピラ風の二人とはまるで異質な人間に思えた。人から褒められたものではない仕事をしている点では同じかもしれないが、スーツの男はエリート中のエリート。つまり自らの欲からというよりも、もっと大きな組織の利益の為に動いている人間だ。その為には他人の命を奪う事も厭わない。そんな底の見えない暗黒なものがその男の中には見えた。
「ご苦労。よくやってくれた。場合によってはお前達が返り討ちにあうかと思ったが、予想に反して上手くいったな」
スーツの男が言い、チンピラ二人は「こんなガキに俺達がやられる?」と笑った。
そこで僕はあれ? と思う。このスーツの男は僕の能力について知っているというのか?
僕はスーツの男をまじまじと見つめる。年齢は40代半ばだろうか。髪は全て後ろに撫でつけてあり、口の周りにはうっすらと皺が浮かんでいる。顔つきは凛々しく、およそ何年も笑顔などは見せたことがないような硬い表情をしている。
「お前達の仕事は終わった。もう帰ってよろしい」
スーツの男が言った。
「ちゃんと報酬は言い値で払うんだろうな?」
Tシャツ男が返す。
「当然だ。だからさっさと出ていけ」
スーツの男の言い方に、チンピラ二人は明らかな不満を感じているが、逆らうことなく部屋を出ていった。逆らえばどうなるか、あの二人は理解しているのだろう。
チンピラ二人が出ていって少しすると、スーツの男は護衛の巨漢二人に目で合図した。護衛二人はそれを受け取ると、チンピラ二人の後を追うように部屋を出ていった。
スーツの男が僕の前に来て、しゃがむ。
「これで二人きりだ。緊張しなくていい」
スーツの男は優しい口調で僕に言ってきた。
「あの護衛の二人に何をさせるつもりですか?」
僕がそう問うと、スーツの男は口元に僅かながら笑みのようなものを浮かべた。
「ドブネズミの始末だよ」
しかしその目は冷たく光っている。
僕は嫌悪感を抱いた。
「僕をどうするつもりですか?」
スーツの男はそこで立ち上がって、窓辺に向かって歩き出した。
「君には、他の人間には無い特殊な能力が備わっている。そうだろう?」
「なんのことです?」
「ごまかそうとしても無駄だ。我々は全て知っているんだ。正直に答えたまえ」
スーツの男は窓外を見下ろしながら言う。ちょうどその時、外から短くパン、パン、と銃声のような音が二度響いた。
スーツの男は再び僕の方に向き直る。
「初めに教えてあげよう。君は、自らの出自について知っているかね?」
「出自?」
なんのことを言っているのだろう? 僕の家族の事を知りたいのだろうか? だとしても僕は絶対に口を割らないが。しかし、男の目は僕の全てを把握したうえで否定するような温度のない光を放っている。
「君は自分のことをライアン家の次男だと思い込んでいるのだろう。しかし実際は違う」
「え?」
「君は今から14年前、隕石と共にこの星に降りてきた異星人なんだよ」
「何を言っているんですか? 僕をからかう為にわざわざ拉致したわけじゃないでしょう?」
「当然だ。嘘を吐くためにこんな回りくどいことをするわけがない。しかし私の言ったことが事実であるという何よりの証拠は、君の体の中にあるその超人的能力だ」
僕は何も言い返せない。たしかに、この能力の科学的な理由について考えてみたことは何度となくあった。幼い頃には、ジャックや父さんに相談したこともあったが、二人はこの能力を僕の個性だというだけであった。
……僕が異星人?
「かつて、ライアン家の所有していた牧場近くに一つの隕石が落下した。驚くべきことにその隕石が割れると、中から姿を現したのは人間の赤ん坊だった。しかしその赤ん坊はこの星の生物ではなく、はるか彼方の惑星からやってきた宇宙生命だったのだ。ライアン家の長男ジャックはその赤ん坊を見ると、自分の弟として育てるよう父に懇願した。初めこそ父は反対し、行政に相談するべきと考えたが、赤ん坊の姿を見ているうちに、もしも国に渡した場合の赤ん坊の悲劇的な運命を予見し、自分の息子として育てることにした。真実は全て世間に隠してな」
僕はすでに全ての言葉を失っている。頭の中ではただ、呆然と、僕が赤ん坊の頃、即ちこの男の言うとおりに、隕石の中から父さんとジャックに拾われている場面を想像し、描いているだけだ。
「しかし我々は後に隕石の欠片を回収し、そこに地球には存在しえない生命の存在の痕跡を見た。そして長年探し回った。そして、ついに君を見つけた。先ほども言ったように、君の超能力こそがその証だ」
「そ、それで、僕をどうするつもりなんだ」
僕は何とか言葉を絞り出した。既に僕は、男の言う事を真実として受け止め始めている。いや、おそらく真実なのだ。僕の中に流れる血が、それを理解しているのだ。
僕は、ジャックや父さんとは家族ではなかった。
「君の力を我々に欲しい。いや、君のその超能力は国家の利益のためにこそ使われるべきだ。私はだから、君を迎えに来たというわけだよ」
「こんな風に縛っておいて、よく言うよ」
「そうでもしないと、君の力には太刀打ち出来ないだろう。もっとも、縛っておいた所で、君ならそんなロープ簡単に引きちぎれるのではないか?」
たしかにそうなのだが、今の僕は自分の能力を使う気には到底なれなかった。ジャックから忌み嫌われ、さらには本当の家族ではなかったという事実に、僕は完全に打ち負かされていた。
「まぁいい。どっちみち、君は私に歯向かう事は出来ない」
「なに?」
その時、先ほど出ていった護衛の一人がジャックと共に入ってきた。ジャックの手はやはりロープによって背後で固定されている様子だ。
僕は驚いて「ジャック」と声を掛けた。ジャックが顔面蒼白の様子で僕を見てくる。
「コール……」
ジャックが僕の名を呼んだ。それは凄く久しぶりの事で、こんな状況であるにも関わらず、僕はジャックに名を呼ばれたことが少しうれしかった。
「念のため人質を取っておいた。君がもし抵抗しようものなら、兄さんの命はないよ」
スーツの男が僕を見下ろして言ってくる。その途端、僕の中に怒りがこみ上げた。
「あまり僕を嘗めないほうがいい」
僕はスーツの男を睨んで言った。その気になれば、この男達が反応する間もなくジャックを助ける自信があったからだ。
「それはこっちの台詞だ。もしこの場で我々が君にやられたということが本部に知れれば、今度は君の父親の命がない。仮にそれすら失敗したとしよう。しかしそうなれば、今度は、我々はどこまでも君の家族を追い、そして君が関わったすべての人間の命が危険にさらされることになる。国を相手にして、勝てると思うなよ」
そこで男の目つきが鋭く変わった。まるで他人を道具としてしか見ないような目だ。
「くそ! コールを放せ!」
ジャックが男に向かって叫んだ。僕は驚き、思わずジャックのことを見る。ジャックが僕を助けようとしてくれている?
「俺の弟に手を出してみろ! お前ら全員ぶち殺してやるぞ!!」
ジャックは我も忘れた様子で叫んだ。こんな姿を見るのは初めてだ。僕の頭の中に、いつかの父の言葉がよみがえる。
また昔のように仲の良い兄弟に戻れる。必ずな。
ジャックは僕を必死に守ろうとしている。
スーツの男がふと自然な仕草で懐から拳銃を抜いてジャックに向けた。僕の背筋に寒気が走る。
「やめろ!」
僕が叫んだのとほぼ同時に銃声が鳴った。
幸い、弾はジャックには当たらず、ジャックのすぐ脇の壁に穴が空いただけだ。
脅しで撃った事が分かる。
「今、弟くんと大事な話をしている最中なんだよ。悪いが黙っていてくれるか?」
しかし僕の予想にも反して、ジャックは引き下がらなかった。
「撃てよ! 殺せるもんなら殺してみろ! お前らなんか、コールが本気になったら簡単に倒せるんだ! コールは人を救える奴なんだ! コールのためなら喜んで死んでやる!」
「駄目だジャック!」
スーツの男は、はぁ、と面倒くさそうに溜息を吐くと、再びジャックに銃を向けた。今度こそ撃たれる!
僕は直観でそう判断した。
「待て! 僕はあんた達と共に行こう。だからジャックには手を出すな」
男は銃を下げると、にやりと笑みを浮かべた。
「コール! 何を言ってる!」
ジャックが叫んでくるが、僕は何も聞こえないんだと自分に言い聞かす。
スーツの男の目配せで、護衛の男がジャックの背に拳銃を突きつける。その上で、スーツの男は僕を縛っている縄を解いてきた。自由になったからといって、当然僕は抵抗しない。
スーツの男の「ついてきたまえ」という言葉に従って、黙って歩き出した。ジャックの視線を感じるが、目は合わせずにそのまま横を通り過ぎて扉を抜けた。
部屋を出て階段を下りる。僕とスーツの男の足音だけが階段内に空しく響いている。前を行くスーツの男は僕が抵抗しない事を確信しているのだろう。僕の方には一切振り向かずに歩いている。
僕は一度目を閉じた。最大限の集中力で、あの部屋にいる護衛の手に握られている拳銃に意識を向けた。
そして銃口の内部を押し潰した。万が一にもあの護衛がジャックを撃たないとも限らない。ジャックには絶対に怪我はさせない。僕の超能力は、ジャックを守るために神様が与えてくれた力なんだから。
あとは、もう少しここを離れて、スーツの男達の注意がジャックと護衛から完全に外れた頃合いを見計らい、念力で護衛の意識を失わせるつもりだ。そうすればジャックは安全に逃げられる。
その後も、ジャックの安全が確保できるまでは、僕はジャックの周囲に意識を集中させておくつもりだ。
しかしそれも、僕の超能力が届く範囲から出てしまうまでのことだけれども。
今後、僕の能力が国家のためにどう使われるのかは分からない。しかし、大体の想像はつくというものだ。
僕の胸に先ほどのジャックの言葉が甦る。
「コールは人を救える奴なんだ」
ショッピング通りで助けた男の子と、その母親の顔、そして喝采を送ってくれた通行人の姿も思い浮かんだ。
「よっ、ヒーロー」というあの言葉も思い出す。
ジャック、ごめん。僕はヒーローにはなれなかった。
でも、ジャックを守れたから、僕はそれで満足してる。
僕は今心の底から思う。
ジャックは僕の本当の兄であり、父さんもジャックも、僕の本当の家族だと。
永遠にそれは変わることはない。
階段を1階分下りて、踊り場に出た所で僕の耳は叫び声を聞いた。
それは悲鳴などではなく、勇ましさと猛々しさとを伴った叫び声だ。僕は階上を見上げる。スーツの男も無表情に顔を上げる。
部屋からジャックが飛び出してきた。顔に血がついている。しかしそれはジャックの血ではなかった。
ジャックのすぐ背後から、護衛が飛び出してきたが、その手が暴発した銃によって血まみれになっていた。
ジャックは階段を駆け下りてくる。
「コール! 今助けるからな! 兄ちゃんが助けてやるからな!!」
僕の目にはスローモーションに全てが見えた。
階段を駆け下りてくるジャック。その後ろで、怪我を負った手を庇いながら、手すりを掴んで後を追おうとしている護衛。
そして僕の前方にいたスーツの男は口を真一文字に結んだまま銃を引き抜き、ジャックに構える。僕はスーツの男に向き直った。
もう考えている暇はない。
僕はスーツの男に飛び掛かった。
ジャックを守り、全てを守り抜くという覚悟を決めて。
END